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フツーの人が書いた黙示録 〈 神示編 ― Vol.1 〉
ひふみ神示(日月神示)(上巻)超解釈 
岡本天明・筆  コスモ・テン・パブリケーション
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☆ 身魂を磨いておかないと越せない苦労がくる
☆ 日本の国は一度つぶれたようになる
☆ 「早く楽にしてくれ」という人は灰にされる
☆ 生かさなならん臣民、どこにいても生かさなならん
☆ 今の仕事を十人分もしてくだされよ
☆ 神はこの世におらんというほど、むごいことになる
※ 神示に出てくる「○の中にゝの入った文字」はありません
  ので、本来意味に近い「モト」と表現しています。
身魂を磨いて
 ☆ 身魂を磨いておかないと越せない苦労がくる

 いま一苦労あるが、この苦労は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない苦労である。

  これから私たちは、この世が始まって二度とないような苦労を経験することになるようです。しかも、その苦労は身魂を磨いていない人には乗り越えられないということです。

 いつでも神かかれるように、きれいに洗濯しておいてくれよ。(中略)
 世界中の洗濯ざから、いらぬものがなくなるまでは終わらぬ道理が分からぬか。

  「神かかる」とは、俗に「神憑かり」と言われているもので、高位次元の存在(例えば高級神霊)が私たちの心身(精神と肉体)を支配することをいいます。心身も波動ですから、その波動を高めると高位次元の存在との霊的パイプが太くなり、乗り移られる状態になるのです。逆に、波動が粗くなると四次元世界の低層界(仏教で言う地獄、餓鬼、修羅、畜生といった世界)にいる霊や、まだこの世に未練を持つ未成仏霊などに心身を占領されることもあります。
  酔っぱらった状態で歓楽街などに入り浸っておりますと、一時的に低級霊に心身を占領され、自分は意識がなくても、アルコールを多量に飲んだり、痴漢まがいに女性のカラダにさわったりと、普段では考えられないような行動をしてしまうケースもあります。しかも、本人はそのことを全く記憶していないのです。
  また、仏教などで瞑想する場合も、心の調律が不十分なまま精神統一状態になると、おかしな霊に干渉され、発狂してしまう場合もあると言われています。これも「神憑かり」現象ではありますが、かかる「神」がレベルの低い神、つまり低級霊というわけです。
  終末における苦労(大天変地異や核戦争?)を乗りこえるには、人がその肉体の波動を高め、高位次元の存在にアセンション(次元上昇)の手助けをしてもらうことになると思われます。そのためには「きれいに洗濯しておいてくれ」つまり、「この世の借り(カルマ)をなくしておけ」ということです。しかも、今回は世界中の洗濯ということですから、国や人類全体のカルマもすべてなくさなくてはいけないということです。

 口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)というぞ。神の臣民みな命になる身魂掃除身魂結構。

  ここでは「洗濯」のことを「掃除」と言っています。魂の洗濯をするためには「口と心と行」をコントロールするということです。仏教で教える「身・口・意」と対応しているのがわかります。「言葉」「想念」「行動」をコントロールすることが「身魂掃除」の意味です。「神の臣民」とは本来の日本人という意味で使われています。
  大本神諭なども同じような表現をしていますが、それは日本国籍を持つということではないらしく、日本人の中にも「幽界(がいこく)魂」の者が混じっているといいます。

 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれてしもうたな。(中略)
 それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ。ほんのしばらくぞ。木の根でも食うておれ。闇の後に夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知られんように、人のため国のため働けよ。それがまことの神の神民ぞ。


  神と人間の関係を「親と子」に例えています。「可愛い子には旅させよ」の親心が神の心というわけです。この世での苦労は、神が試練に遭わせて人を磨いてくれているということです。しかし、神はその人が背負えない荷物は決して負わせないといいます。これも親の気持ちになれば理解できることです。
  「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があります。神が私たちに望んでいるのは、この人生を何の苦労もせずノホホンと過ごすことではなく、魂を磨いてくれることなのです。
  今後、世界経済の破綻や世界的食糧危機が訪れると思われますが、その時でもお天道様は人は殺さないとのことです。「食べ物がなくなっても死にはせぬ」と励ましてくださっています。神さまはすべてお見通しですから、その神さまにすべてをお任せして(全託)、人のため、国のため(全体のため)に働けとの教えです。
  ここで注目しておきたいのは「人に知られんように」と念を押してあることです。それはなぜでしょうか。すでに「預言編」や「奥義編」で述べてきましたが、私たちが人に知られることを意識してする善き行為は、すでに「善いことをした」という満足感の形で見返りを受け取ってしまうからです。
  新約聖書には、同じ内容が「右手がした善き行為は、左手に知らせてもいけない」とまで表現されています。肝に銘じておきたいものです。

 モトの国を八つに切って殺す悪の計画、モトの国にも外国の臣がおり、外国にも神の子がいる。岩戸が明けたら一度に分かる。

  「モトの国」とは西欧化した今の日本ではなく、本来の日本つまり大和の国という意味でしょう。悪の計画はイルミナティやフリーメーソン、300人委員会、など、表面に現れている陰の政府の頂点にいる霊的存在の計画のことで、人知を超えたものです。それを私は聖書にならって「サタン」と表現しています。
  純朴な日本人にはなかなか理解できない概念だと思います。その日本の中にも「外国の臣」つまり「神の子」でないものが混じっているということです。岩戸が開けたら、つまり地球が次元上昇したら一度に判明するとのことで、気にすることはないと思いますが‥‥。

 何も一度に出てくる。海が陸になり陸が海になる。

 これは終末の土壇場の様相を言っているのだと思っています。
日本の国は一度
 ☆ 日本の国は一度つぶれたようになる  [TOP]

 金のいらぬ楽の世になるぞ。

  この表現は随所に出てきます。現在、資本主義経済の破綻がささやかれていますが、新しい時代にはお金はなくなるということです。でも、この世ではお金にいろいろとお世話になっているわけですから、それを不浄のものとして毛嫌いしてはいけないのです。「執着しないこと」「必要以上に持とうとしないこと」が、この世での気づきのためにはもっとも大切だと思います。

 日本の国は一度つぶれたようになるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお陰を落とさぬよう、シッカリと神の申すこと腹においてくれよ。

  「日本の国は一度つぶれたようになる」と述べられています。どのような状態になるのかは、後ほどわかってきますが、「世界中一つになりてモトの国に寄せてくるぞ」という記述もありますので、現象的には外国の勢力に国土や国民が蹂躙されるということかも知れません。大変辛いことではありますが、世界のひな型の国として、地球の次元上昇のためには避けることのできないことなのでしょう。
  病気が本格的に治癒する直前に症状が一度に出てしまう「ケミカライゼーション」のようなものだと思います。それに耐えられないと、つまり「おかげを落とす」と、次元上昇はうまくいかないわけです。恐怖心に駆られたり、神を恨んだりしなくていいように、日頃から真理を理解し、心の調律をしておくことが大切なのです。

 いづくも土にかえると申してあろうが。東京も元の土に一時はかえるから、そのつもりでいてくれよ。神のもうしたこと違わんぞ。東京は元の土に一時はかえるぞ。そのつもりで用意してくれよ。

  「土にかえる」状態がどういうことかはご想像に任せます。「神のもうしたこと違わんぞ」という言葉が不気味ですね。しかも、同じ内容がくり返し述べられています。何を用意すべきなのでしょうか。この神示を読み進んでいきますと、おいおいわかってくるのですが‥‥。

 今度は末代動かぬ世にするのざから、今までのような宗教や教えの集団(つどい)にしてはならんぞ。人を集めるばかりが能ではないぞ。人も集めねばならず、難しい道(おしえ)ぞ。縁ある人は早く集めてくれよ。縁なき人いくら集めても何にもならんぞ。

  「今度は末代動かぬ世にする」ということです。これが「次元上昇した地球」という意味でしょう。「今までのような宗教や教えの集団」というのは、黒住教、金光教、天理教、大本教と続いた、一連の同一神系統のことを指していると思われます。いずれも当初は教主が神懸かりとなり、その神示を元に信者が組織化され、宗教団体となっていったのですが、今回のひふみ神示は「宗教団体にしてはならん」と戒めてあります。
  しかし、「人も集めねばならず」ということです。それも縁ある人、「終末の時代に気づきを広げる中心になる人たち」という意味だと思っています。

 岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。いったん世界は言うに言われんことができるぞ。シッカリ身魂を磨いてくれよ。身魂磨き第一ぞ。(中略)
 岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ。この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世にはおらぬのざというところまで、とことんまで落ちていくぞ。

 
  終末に備える唯一の方法は「身魂を磨くこと」。このひふみ神示が教えているのはその一点です。新約聖書にも一部そのような記述がありますが、一貫しているという意味ではひふみ神示が勝ります。それは、時代の違いを反映しているとも言えるでしょう。
  他の予言が、どちらかというと終末現象の悲惨さを述べるに留まっているのに比べますと、この二つの預言(予言)は「予言の趣旨」が違っているのです。得体の知れぬ宇宙存在からのメッセージや、低級霊界の霊体が地上の権威を笠に着て伝えてくる霊言などは、ただ「こわいぞ〜、こわいぞ〜」といった脅しのレベルに近いものであったり、いかにも神さまや進化した宇宙存在からのご託宣であるかのようなもっともらしいことも言っていますが、これは「100の真理の中に毒1つ」の手法が使われていることも多いようです。
  この「100の真理の中に毒1つ」の手法は大変巧妙なのです。毒を飲ませるには、まず同じラベルのよく効く薬を与え続けて、患者を信用させる必要があります。すっかり安心したところで、毒を飲ませるという方法です。
  霊的存在や宇宙存在が、一般に真理とされることをメッセージの中にちりばめ、信用させて、その中に本質をゆがめる決定的な嘘を混ぜておきますと、人はそれまでも真理であると思ってしまうのです。
  今日でもA新聞が報道することはすべて正しいと考えている人も多くみかけますが、とんでもない嘘の報道をしていることもたくさんあって、その事実を指摘する本まで出されています。が、信用する気持ちが一度できあがりますとなかなか変えられませんから、情報発信側がある意図を持てば人は簡単に誘導されていくのです。
  というわけで、一般的な予言では、どちらかというと「終末にどんなことが起こるか」ということの説明が中心となっていて、「それはなぜ起こるのか(どういう意味を持っているのか)」「人はどう備えたらいいのか」という点の説明が不十分です。おそらく、終末現象の全体像(宇宙絶対神の意図)が読めてなくて、ただ高位次元から下界(三次元世界)を見て、善意ではあったとしても、人類を惑わすような紛らわしいメッセージを送ってくるのだろうと思っています。
  宇宙から、高級霊界からという形で、これからもまだまだ人類にさまざまなメッセージが届けられると思いますが、それらの内容は十分な知識をもって査神(さにわ)しなくてはいけません。
  私は、この「身魂磨き」以外に終末を生きる道はないと考えています。そういう意味では、予言の書としてもこのひふみ神示さえあれば十分だとさえ思っているくらいです。
  「岩戸開くまでに一苦労ある」というのは、冒頭の予言部分にもあったとおりです。この世はまだまだ悪くなって、「神も仏もおらぬ」と思うまでになると述べられています。私はそのような状態を「極限的状況」と呼ぶことにしています。人が内側に秘めた本性を表すのはその時です。最近の宇宙存在からのメッセージのなかには、すべての人が見事アセンションを果たすと述べているものもありますが、私は人が極限的状況を経験することなくアセンションが実現することはないと確信しています。
早く楽に
 ☆ 「早く楽にしてくれ」という人は灰にされる  [TOP]

 外国から攻めてきて日本の国丸つぶれというところで、元の神の神力出して世を建てるから。臣民の心も同じぞ。江戸も昔のようになるぞ。

  ここでも、日本の国は丸つぶれのようになると表現されています。そのとき、神の力が発動されるということです。人の心も同じように、絶望感に覆われたときに脳の縛りが解けて、人は瞬時に次元上昇するということを言っているのだと思います。ここで「江戸が昔のようになる」というのは、乱れがなくなることを意味しています。

 富士は神の山ざ。いつ火を噴くかわからんぞ。神は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へまつりてくれよ。神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、そうしてまつりてくれ。

  首都圏の地震と富士山の爆発はいろいろな人が「予言」していますが、ひふみ神示にも富士山の噴火について述べられています。しかし、ここでは「いよいよとなれば」とありますから、終末現象のギリギリになって起こる事象だと読みとれます。
  次元上昇にあたっては、私たちの肉体もなくてはならんとのことです。新しい世界は「半霊半物質」になるということですから、物質としての肉体も必要とされるようです。

 いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国につく臣民たくさんできるぞ。そんな臣民一人もいらぬ。早うまことの者ばかりで神の国を固めてくれよ。(中略)

  ここは解説の必要もないと思います。そのまま理解したらよいでしょう。

 神などどうでもよいから、早く楽にしてくれという人たくさんあるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくしてしまうから、その覚悟しておれよ。

  終末のギリギリの状態が想像できる表現です。すべての人がこのような状態に直面するわけではないと思いますが‥‥。

 一日に十万、人死にだしたら、神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て、皆に知らしてくれよ。(中略)
 北から来るぞ。神は気もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめてくれよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ。着る物にも泣くことあるぞ。いくら買いだめしても神の許さんもの一つも身には付かんぞ。着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う神心にかえりてくれよ。
(中略)
 何もかも元の世に一度は戻すのざから、そのつもりでおれよ。欲張っていろいろ買いだめしている人、気の毒ができるぞ。


  終末のギリギリには一日に十万人の人が亡くなるとのことです。それは天変地異によるものでしょうか。「北からくるぞ」とありますが、北から何がくるのかという意味が、この文節だけでは理解できません。あとでそれらしき表現が出てきた段階で触れてみたいと思います。
  「欲張って買いだめする」という表現がなんともリアルです。食糧危機などに直面している様子がうかがえると思います。しかし、「自分だけ助かろう」と欲張って買いだめする心は終末の試験に合格できないということを言っているのです。人は極限的状況で試されるのです。気づかされるのです。
  「何もかも元の世に一度はもどす」という場合の「元の世」は、「神の世」ということです。素晴らしい世の中になることを意味していますが、それがどのようなものかは想像できません。

 神祀るとはお祭りばかりでないぞ。神にまつらふことぞ。神にまつらふとは、神にまつわりつくことぞ。神に従うことぞ。神にまつわりつくとは、子が親にまつわることぞ。神に従うことぞ。神にまつらふには洗濯せなならんぞ。洗濯すれば神かかるぞ。神かかれば何もかも見通しぞ。それで洗濯洗濯と臣民耳にたこできるほど申しているのざ。

  ひふみ神示が一環して伝えているのは「身魂の洗濯(掃除)」の必要性です。それは、「神が憑かる」ために必要なのです。神が憑かることによって、私たちは終末の一大カタストロフィーを乗り切ることができ、見事次元上昇できるわけですから、そのためには、身魂を磨いて「神かかれる」肉体になっておく必要があるのです。
  これがひふみ神示の「本旨」といってよいでしょう。あとの部分は「いかにすれば身魂が磨けるのか」という処方箋と言ってもよいと思います。単に終末の悲惨さを伝えるだけの予言とは、予言の趣旨が違うのです。ただ、最近では進化した宇宙人を装って、「終末には天変地異も何も起こらない。人の意識は宇宙人の手助けによってひとりでに次元上昇するから大丈夫」といったメッセージが伝わってきます。これは人を惑わす誤ったメッセージであると断定していいでしょう。
  「身魂磨きはしなくても大丈夫だよ」「カルマはひとりでに消えるんだよ」「みんな助かることになってるんだよ」というメッセージに聞こえますが、それはけっして神の意図するところではありません。それであれば、人が魂の気づきのために何回も何回も生まれ変わって学んできたことが、まったく無意味だったことになります。
  この終末の一大カタストロフィーは、人の気づきの総決算のために必要なイベントなのです。そのイベントを乗り切るために、しっかり身魂の洗濯をしなければならないのです。しかし、人が魂の洗濯をして波長を高めることを有り難く思わない霊的存在がいることも確かです。終末にはそれらが跳梁跋扈しますので、それには十分注意しなければいけません。それは聖書の中にも、このひふみ神示のなかにも、出口王仁三郎が表したいくつかの予言の中にもきっちり記されています。
  ひところは「天照大神」とか「観世音菩薩」、外国では「聖母マリア」といったこの世的な権威を利用してメッセージを届けてくることが多かったのですが、昨今は「進化した宇宙人」という形でもっともらしいメッセージが届けられています。これらには要注意です。玉石混交というより、大半が「石」であると考えて間違いないと思います。「100の真理に毒1つ」を注意しなくてはいけません。
  それを審神(さにわ)する物差しとして、「身魂磨きの必要性を述べているかどうか」に注目してほしいと思います。「プラス思考で、毎日を嬉し嬉しで過ごすことが大切」といった点は確かに真理に近いことを述べていますが、それは毒を隠すためのカムフラージュと思ってよいでしょう。
  要するに「終末は地球と人類のカルマの清算のための儀式であり、そのことを通じて地球も人類も一緒に次元上昇する。一見悲惨に見える一大カタストロフィーも、そのために必要なことである。大難を小難にできるかどうかは、ひとえに人の身魂の洗濯次第にかかっている」と考えるべきです。少なくとも、 「何もしなくても、宇宙人を頼れば助けてあげるよ」というメッセージなどは、全くの「毒」であることを肝に銘じていただきたいと思います。
  しかしながら、終末には神次元の霊的存在や進化した宇宙存在の手助けも必要なのは確かです。その手助けを得るためには、「神にまつらふこと」つまり、「神にまつわりつくこと」と述べられています。「信じきってすべてを任せること」という意味です。子どもが親を信じきって、まつわりついてくる姿を思い浮かべてください。自分の意志で勝手に行動されては、親としても守ることができないのです。
  そして、神にまつわりつくためには「洗濯せなならんぞ」ということです。身魂の洗濯をすれば神が懸かって、人知を超えた力を発揮できるのです。「だから、耳にたこができるほど言ってるのだ」とおっしゃっています。この一点はこの神示の本旨として、ぜひ心にとめていただきたいと思います。

 天地がうなるぞ。上下ひっくり返るぞ。悪の仕組みにみなの臣民だまされているが、もうすぐ目覚めるぞ。

  「悪の仕組み」とは、お金が支配する現在の資本主義経済のことです。私が「陰の世界政府」と呼ぶ闇の権力に牛耳られているこの世界のことを言っています。しかし、このお金本位の社会が行き詰まっていることに、多くの人が気づき始めています。目が覚めつつあるのです。これも、終末が近づいている予兆とも言えるでしょう。
  天地もすでにうなり始めています。ここでの「上下」とは、今日社会での身分の上下、富める者と貧しい者という意味に使われているようです。

 世界中まるめて神の一つの王で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ。百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ。身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ。茄子の種には瓜はならんぞ。茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組み。この世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世にないものぞ。神とアクとの力くらべぞ。今度はアクの王も神の力にはどうしてもかなわんと心から申すところまで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に回してやるぞ。神の国を千切りにして膾(なます)にするアクの仕組みは分かりておる。アクの神も元の神の仕組みを九分九厘までは知っていて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬところに仕掛けてあるが、この仕組み、心で取りてくれよ。神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ。と言うて鼻高になると、ポキン折れるぞ。

  ここはじっくり読んでいただければ、真意がつかめると思います。魂の修行のため、人はこの世でいろいろな役回りをしてきましたが、新しい世界では魂の因縁どおりのポジションにつくということです。今日の社会では、世を治める政治家のような立場の人がお金や権力に執着し、自分の幸せしか考えないような人もみかけますが、新しい世界では「茄子の蔓に瓜をならす」ことはなくなるということです。
  「残る一厘」は誰も知らぬところに仕掛けてあるので、心で取れと述べられています。この神示を読み進んでいただくと、自然に理解できてくると思います。それは、魂の波動が繊細にならないと理解できないものだからです。一緒に考えていきましょう。
生かさなならん
 ☆「生かさなならん臣民、どこにいても生かさなならん  [TOP]

 死んでも生きるひとと、生きながら死んだ人とできるぞ。神のまにまに神の御用してくれよ。殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ。まだまだ悪魔はえらい仕組みしているぞ。神の国千切りと申してあるが、喩えではないぞ。いよいよとなりたら神が神力出して、上下ひっくり返して神代に致すぞ。とは(永遠)の神代に致すぞ。

  ここは大変重要なポイントなのですが、理解しにくいところでもあります。まず「死ぬ」と「生きる」の定義が2通り使われています。つまり、「肉体の生死」以外にもう一つの生死があるということです。「魂の死」ということでしょうか。これはもう少し読み進んで結論をみつけましょう。
  「悪魔(サタン)はえらい仕組みをして、神の国(日本)千切り(にする)と申してあるが、喩えではない」ということです。「いよいよとなりたら」つまり、国が九分九厘荒らされてしまって悲惨きわまる極限の状態になったら、神一厘のシナリオによって、上下ひっくり返して神代(次元上昇した新しい世界)にしてくださると言うわけです。
  ここでの「上下」はいまのところ理解できていませんが、多分「上」はサタンに操られて国民を支配する層とそれに追随する「時の権力者たち」のことではないかと思っています。「下」はその彼らが「ゴイム(家畜)」と呼んではばからない一般の国民です。世界中で陰の世界政府が進めているシナリオはまさしくその通りに進んでいます。
  では、神はなぜ九分九厘まで助けてくれないのか、という疑問が湧くと思いますが、これは終末のカタストロフィーを経験することなしには人類のカルマの解消ができないからです。カルマはエネルギーですから、宇宙の法則によって決して消滅することはないのです。ゴミのようにどこかに捨てれば誰かが処理してくれるという発想こそ、カルマづくりの一因になっていると言えるでしょう。

 元の神代に返すというのは、たとえでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ。生の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違いばかりしているぞ。何もかも、一端は天地へお引き上げぞ、われの欲ばかり言っていると大変ができるぞ。

  私も大変な取り違いをしておりました。次元上昇したあとは嬉し楽しのハッピーランドかと思っていましたが‥‥。

 人の上の人、みな臭い飯食うことできるから、今から知らしておくから気をつけてくれよ。お宮も一時はなくなるようになるから、その時は、磨けた人が神のお宮ぞ。早う身魂磨いておけよ。お宮まで外国のアクに壊されるようになるぞ。

  戦後、日本では国の支配層だった人がすべて戦犯とされ、処刑されるか獄中の人となりました。それと同じようなことがまた起こるということでしょう。予言がなされた当時の「臭い飯食う」は「獄中につながれる」ことをさしています。
  お宮は日本神霊界とこの三次元世界をつなぐパイプとなっています。このパイプを通じて、高級神霊界からこの国の守護がなされているのです。その配置も非常に計算されていると言われています。
  「外国のアク」すなわちサターンの霊的指導を受けた闇の権力は、最終的には間違いなくわが国の神社を狙ってきます。そうすると神霊界からのパイプが詰まってしまうわけです。

 残る者の身も一度は死ぬことあるぞ。死んでからまた生き返るぞ。三分の一の臣民になるぞ。これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合いするぞ。かなわんというて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。

  「死んでから生き返る」「三分の一の臣民になる」とは穏やかではありません。「日本の臣民同士が食い合いする」「外国へ逃げていく者も‥‥」このリアルな表現には寒気がします。解説の必要はないと思います。

 何もかも捨てる神民、さいわいぞ。捨てるとつかめるぞ。

  やはり、物欲・名誉欲を初めすべての執着心をなくしておくことが大切なようですね。もちろん、究極は自分の命(肉体生命)に対する執着を捨てなければなりません。命に執着し、死を怖がる気持ちでは波動は高まらないからです。「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ‥‥」という言葉もありました。

●『ひふみ神示』(上巻)の全23巻(章)のうちの1つ「上つ巻」(全42帖)は以上で終わります。収録率は文字数にして20%といったところです。(なわ・ふみひと)
下つ巻
 ☆ 今の仕事を十人分もしてくだされよ  [TOP]

 この道(おしえ)は宗教(おしえ)ではないぞ。教会ではないぞ。道ざから、今までのような教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ。神の国が満ちることぞ、神の国の中に神が満ちみつることぞ。金儲けさせんぞ。欲すてて下されよ。

  江戸時代に黒住宗忠によって始められた黒住教を皮切りに、金光教、天理教、大本教と続く一連の神次元からの啓示は、このひふみ神示を持って終わりとされています。それは、大本教教主の出口王仁三郎が、「霊界物語」をはじめいろいろな神次元の書を遺したあと、「自分のあとにとどめの予言が出てくる」と予言した通りに世に出されたのがこのひふみ神示だったからです。
  内容的には、天理教の「おふでさき」や大本教の「大本神諭」「伊都能売(いづのめ)神諭」などとも重なる部分がありますが、終末の後の神の世の様子や、神の世にいくために必要な今の暮らし方についての記述が具体的で、しかも圧倒的に充実しているのがひふみ神示となっています。
  さて、既発の各神示よりもさらに内容をレベルアップさせたひふみ神示ですが、これをもとに教会をつくってはならんと随所で警告しています。そして、その違いを「宗教」と「道」で表現しています。この「道」の概念が分かるのは(本来の)日本人だけと言われてきました。外国語では説明がむずかしいのです。
  柔道、剣道、合気道、茶道、華道、‥‥と、古来から心の調律を目指すという概念を含んだものにはすべて「道」がついています。そこでは、ある特定の存在に権威や権力が集中してしまうことはないのです。達人は出てきても、「教主」的なものは生まれません。(最近は金儲けに走って、「道」を間違えている分野もありますが‥‥)
  「道」は常に生成化育、進歩を続けていきます。宗教のように、特定の神や教典によって縛っていくという狭い考え方ではないのです。この予言を表した元の神さまが、いかに霊格が高いかということがわかります。聖書の神(多分進化した宇宙人)とはレベルが違うのです。なかでも 「道とは臣民(人民)に神が満ちること」という言葉は素晴らしいと思います。聖書には全く見られない温かい表現です。
  このひふみ神示をもとに宗教をつくったりして、金儲けをすることは許さないと警告されていますが、単なる脅しではなく、「欲捨てて下されよ」と、まさに臣民(人民)のことを思っての言葉であることがわかります。
  ひふみ神示を読んでいると、「神=親」「臣民(人民)=子」という関係が自然に感じられてきます。比較の対象としては全く不適切ですが、ただ未来の出来事の発生メカニズムを表現したノストラダムスのような立場とは次元が違うのです。
  このあとも読み進んでいただければ、ひふみ神示の元の神さまが、いかに人類を愛し、終末を迎えてその身魂磨きを望んでおられるかがひしひしと伝わってくると思います。親が、いたいけな我が子を、いかにして立派な人間にしていこうかと心を砕いている姿とだぶります。

 今度岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ。大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いてくれよ。(中略)
 神の御用と申して自分の仕事休むような心では神の御用にならんぞ。どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しざから、つぎつぎによきようにしてやるから、欲出さず、素直に今の仕事いたしておりてくれよ。その上で神の御用してくれよ。


  自分の天職と思える仕事を通じて、身魂を磨けということです。仕事の技術を高めることも大切な身魂磨きなのです。そのためには、人の十倍も働くような意欲、気力、などがないといけないとのことです。神さまのおつとめをするからと、職業をもたずに布教活動に専念している宗教団体などもありますが、それでは岩戸は開けないわけです。つまり、高位次元とのパイプはつながらないということです。
  まずは今の自分の仕事、役割に全力投球するということでしょう。専業主婦であれば、主婦道を極めること、つまり主婦としてのピカイチをめざすことだと思います。

 神の民の言葉は神たたえるものとおもえ。てんし様たたえるものと思え。人ほめるものと思え。それで言霊幸はふぞ。それが臣民の言葉ぞ。悪き言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与えているのざから忘れんようにな。

  ことばの使い方の大切さが強調されていますが、これは宇宙の法則なのです。口から汚い言葉(他人の悪口、不満、不安、弁解などの言葉)をはかないように努力しないといけません。「悪き言葉言ってはならんぞ」――肝に銘じておきましょう。

 この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ。しかし、無理には引っ張ってくれるなよ。この神は信者集めて喜ぶような神でないぞ。世界中の民みな信者ぞ。それで教会のようなことするなと申すのぞ。世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うていると見当とれんことなるぞ。

  この神示の内容は人に知らせ、気づきを広げなさいと言われています。しかし、気づきは自発的なものですから、きっかけは与えても無理には引っ張るなということです。「ひふみ教」の信者が増えることが神さまの喜びではないのです。なぜなら、世界中の人民は最初からみな信者だからということです。自覚しているかどうかは別にして‥‥。
  これから世界中の大洗濯をされる元の神さまですから、他の神さまと比較はできない高位次元の存在なのです。概念的には「地球神」という感じでしょう。その神が、霊的に澄んだ日本という国と、そこに住む人民を使って、いよいよ世界の大洗濯にかかっておられると考えていいと思います。

 この神示(ふで)皆に読み聞かしてくれよ。一人も臣民おらぬ時でも声出して読んでくれよ。まごころの声で読んでくれよ。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。神々さまにも聞かすのざから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。

  誰もいなくても、声を出して読んでくれとおっしゃってます。
  私はかつて、ここでご紹介している『ひふみ神示』の上巻(559ページ)と下巻(350ページ)を、それぞれわが家の仏壇の前で毎日少しずつ声を出して読み上げ、計4〜5回は読みました。「神々さまにも聞かすのざから」という言葉に忠実に従ったのです。
  ここでいう神々さまとは守護霊、背後霊、守護神のことでしょう。つまり、「霊界にいて、私たちをリードしている神的存在」ということです。そのような存在でも、地球始まって以来の今回の終末現象についての意味は理解できていないわけです。その知識は、基本的には人間がこの世界の情報を通じて得るしかないということです。
  声を出して読むと、言霊が響き(波動)となって、周りのすべての存在によい影響を与えるののだろうと思われます。この抜粋部分だけでも、ぜひ声を出して読み上げていただくことをお勧めします。

 逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな。上にいては足も苦しかろうがな。上下逆さまと申してあるが、これでよく分かるであろう。足はやはり下の方が気楽ぞ。あたま上でないと逆さに見えて、苦しくて逆さまばかりうつるぞ。この道理わかりたか。岩戸開くとは元の姿に戻すことぞ。神の姿に返すことぞ。

  人品卑しい人物が、金と選挙地盤をもとに政治家のセンセイとなっている場合も多くあります。このように、本来は人の上に立つ資格のない魂が、この世では上に立つこともできました。国のことよりも、自分の選挙地盤を潤すこと、利権を得ることに血眼を上げている大政治家もいました。
  逆に、社会的には目立たない存在でありながら、現在の仕事を誠実にこなし、まわりの人達の幸せのために日夜汗を流している普通の人達がたくさんいます。まさに、上下が逆転しているのです。もちろん、ここでは政治の世界のことだけを言っているわけではありません。すべての職業や教育などの分野において、上に立つ人と下の立場に甘んじている人に、逆転現象が起きている場合がよくあります。
  岩戸が開いた新しい神の世では、元の姿つまり本来のその魂のレベル通りに戻すということです。最近の世の中の動きを見ていましても、「正直者が馬鹿を見る」時代は間違いなく終わりに近づいています。

 金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ。手は手の役、うれしかろうがな。足は足の役、うれしかろうがな。足はいつまでも足ぞ。手はいつまでも手ぞ。それがまことの姿ぞ。いよいよ世の終わりが来たから、役員気つけてくれよ。神代近づいてうれしいぞよ。

  新しい時代にはお金は要らなくなるということが、ひふみ神示には随所に述べられています。仕事も生活費を稼ぐためのものではないのです。仕事そのものが楽しくなくてはならないのです。これは現在の世界においてもいえることです。今の仕事、今の自分の役割が御用です。その御用をすることが嬉しくなってきたら、神の心に近づいたといっています。つまり、神の世の生き方を身につけてきたということです。
  そして、その仕事(役割)がいつまでも変わらないということを「足はいつまでも足、手はいつまでも手。それがうれしかろう」とおっしゃってます。
  いよいよ世の終わりが来たということです。役員というのは、多分大本教の役員のことだろうと思います。終末のひな型は大本教で作られているのです。それが日本に移写されて、さらに世界へと転写されていくはずです。
  大本教の2回目の弾圧は想像を絶するすさまじさだったと言われています。それを出口王仁三郎は全く動揺することもなく静かに見守っていたのです。ひな型創造の計画の一部ということだったのでしょう。
  この2回目の弾圧の内容が、ひふみ神示で述べられている「外国が束になって攻めてくる」ことだろうと思われます。これからは、出口王仁三郎によって作られたシナリオ(ひな型)通りに出来事が起こります。しかも、そのひな型の内容は大変悲惨なものです。終末のカタストロフィーのすさまじさが予感されます。
  いずれ日本が世界の混乱の張本人であると非難される時がくると思われますが、それをその始まりと見ることができます。
神はこの世に
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 一二三(ひふみ)の仕組みとは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ。三四五(みよいづ)の仕組みとは、みよいづの仕組みぞ。御代出づとは神の御代になることぞ。この世を神の国に練り上げることぞ。

  特に解説する必要はないのですが、三四五が「御代出づ」という意味を含んでいることを初めて知りました。もともとこのひふみ神示自身が、和数字を中心とした文章の自動書記によって降ろされたものです。また、生前にたびたび霊界行脚をしたことで知られるスウェーデンボルグも、「高級神界でのコミュニケーションは数字を使って行なわれている」と報告していますから、数字はその組み合わせによって高い波動が宿るのだろうと思われます。

 この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまわねばならんのざから、お役いくらでもあるぞ。神さまと臣民同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂磨いてくれよ。磨けただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。

  今回は三千世界の立て直しですから、物質界全般と霊界も含む世界の次元上昇をはからないといけないわけです。このひふみ神示の元の神さまも大変お忙しいのです。身魂が磨けて高い波動となった人には、神さまをつけてもらえるとのことです。そして、神と人が一体となって、この世界の立て直しをするということです。

 世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから。神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見えるときが来たら、神の世近づいたのぞ。いよいよとなりて来ねば分からんようでは、神の御用出来んぞ。

  「キの国」が日本をさしているのは確かですが、「キ」の意味は定かではありません。「ひふみ神示」下巻の「白銀の巻・第1帖」には「キとは気の気であるぞ」と表現されています。個体や液体と比較して、より繊細な波動をもつ物質という意味に取れます。要するに「波長が高い」ということです。その繊細な波長を持つ日本は一時は潰れたようになり、「この世に神さまはいないのか」と思うようなムゴいことになるというわけです。そして、外国が勝った(日本という国を破壊しつくした)と思うようになったら、神の世が近づいたということです。

 智恵でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなりたら神をたよるより外に手はなくなるから、そうなりてから助けてくれと申しても間に合わんぞ。イシヤの仕組みにかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して、仏教の精神やキリスト教の精神ばかりぞ。こんどは神があるかないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。

  やがて日本は、もう神を頼るしかない状態になるのです。ところがそれでも日本人の大半はイシヤすなわちフリーメーソン(もとは石工の集まりだった)の仕組みにだまされたままということです。仏教やキリスト教の教えを日本精神と勘違いしていると指摘しています。
  今度はハッキリと神力を見せて、サタンに支配されているフリーメーソンまでも改心さすとのことです。

 因縁のある身魂はこの神示(ふで)みれば心勇んでくるぞ。一人で七人ずつ道伝えてくれよ。その御用がまず初めの御用ぞ。この神示どおり伝えてくれればよいのぞ。自分ごころで説くと間違うぞ。神示どおりに知らしてくれよ。

  この神示をそのままで、1人が7人の人に伝えよとおっしゃってます。ぜひこのサイトをお友達にご紹介ください。m(_ _)m

 上・中・下の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白いように出来ていくぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ。今でも臣民神ごころになりたら、何でも思うとおりになるぞ。臣民近欲なから、心曇りているから分からんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けたようになったときに、まことの神力出して、ぐれんとひっくり返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世といたして、天地神々様にお目にかけるぞ。

  人の魂は進化のレベルの違いで三段階に分かれているようです。神の世にならなくても、神のような心をもてば自分の思うとおりに事が進むということです。行く手に障害が発生する人は、まだ神心になっていない証拠でしょう。
  神力と学力との戦いという表現はひふみ神示にはよく出てきます。「学」とは科学、物理学、医学、などといったものを指しているのだと思います。その「学」の力が勝ったかのように見えるとき、ぐれんとひっくり返して、神の世にしてもらえるのです。
  ‥‥が、ここで突然「てんし様」という言葉が出てきます。天皇のことだと考える人もいるようですが、どうもそうではない感じです。これからも出てきますので、ここでは結論をペンディングにしておきましょう。

 臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりてきたぞ。

  ついに「神と獣を区別する」という表現が出てきました。新約聖書にも同じような表現は随所に出てきます。終末にはすべての人が救われるのか、それとも選別がなされるのかと、現時点でも意見が分かれています。このことは終末を考える上でもっとも重要なポイントです。以下にマタイによる福音書から引用します。

  人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左におくであろう。
  そのとき、王は右にいる人々に言うであろう。「わたしの父に祝福された人たちよ。さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに訪ねてきてくれたからである」。
  そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか」。
  すると、王は答えて言うであろう、「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」。
  それから、左にいる人々にも言うであろう。「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。あなたがたは、私が空腹のときに食べさせず、‥‥
(中略)‥‥獄にいたときに、わたしを訪ねてくれなかったからである」。
  そのとき、かれらもまた答えて言うであろう、「主よ、いつ、あなたが空腹であり、‥‥
(中略)‥‥私たちはお世話をしませんでしたか」。
  そのとき、彼は答えて言うであろう、「あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである」。
  そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。

                          ―― 新約聖書「マタイによる福音書」

  これが、人を導くための方便なのか、現実にこのような選別が実施されるのかはまだ結論を出さない方がよいと思います。ひふみ神示がやがて結論を出してくれるでしょう。

 改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ。臣民のものというもの何一つあるまいがな。草の葉一枚でも神のものぞ。

  この世で身につけたものはすべて神さまから預かったもの、と考えるといいと思います。知識や気づきの数々も、結局は神さまの手のひらで身につけたものです。まして財産や名誉、地位などは、この世での修行のために神さまから貸し与えていただいたものと考えるべきでしょう。そのようなものに執着する心があると神の世には行けないのです。

 臣民はすぐにも戦すみてよき世が来るように思うているが、なかなかそうはならんぞ。臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民幾人もないぞ。みな曇りているから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ。

  この神示が降ろされたのは昭和19年からです。まさに先の戦争のまっただ中だったのです。「すぐに戦すみてよき世が来るように思うているが」とあるなかの「戦」は太平洋戦争のことです。しかし、戦争が終わってもよき世は簡単にはこないと言っています。実際は戦後の苦難の後に高度経済成長が始まり、物質的には非常によい世の中になったと思う時期があったのです。
  しかし、このひふみの神さまにはそのような物質的繁栄は全く眼中になく、ひたすら終末の困難が見えていらっしゃるかのようです。神うつれる臣民がたくさん必要だから、身魂を磨いてくれと、いつもおっしゃっています。

 何もかも持ちつ持たれつであるぞ。臣民喜べば神も喜ぶぞ。金(きん)では世は治まらんと申してあるのに、まだ金追うている醜しい臣民ばかり。金は世をつぶす本ぞ。臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は、モトの光のやり方ぞ。

  神と臣民(人民)は持ちつ持たれつの関係であるとのことです。金、すなわち貨幣では世の中は治まらず、逆に世をつぶす本になるということです。まもなく、そして間違いなく訪れる世界経済のカタストロフィーが、世をつぶす原因(本)となるのは確かでしょう。

 世が変わりたら天地光り、人も光り、草も光り、石も物ごころに歌うぞ。雨もほしいときに降り、風もほしいときに吹くと、雨の神、風の神申しておられるぞ。

  次元上昇した新しい世界では、人も、草も、みんな光り輝くといわれています。聖書にも同じような記述があります。この世に生きた状態でも、悟りを開いた高僧が、「修行の終わった朝、周りのものがすべて光り輝いて見えた」と話している方がありました。
  これはたぶん、脳の感知力が高まるということでしょう。波動感知力が高まることによって、いままで見えなかった世界、聞こえなかった音などが知覚できるようになるということです。五官の外の第六感以上の世界が普通に感じられるようになるということだと思っています。すでに、現代の子どもたちは、ちょっとした訓練でそれに近い能力を発揮できるところまで来ているのです。要するに、新しい世界では、誰もがいまの私たちからみたら超能力者といえる状態になるということだと思います。

 臣民は神の入れものと申してあろが。あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ。民草とは一人をまもる入れものぞ。ひつくの民草は神がとことん試しに試すのざから、可哀想なれど我慢してくれよ。その代わり御用つとめてくれたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめているのざから間違いないぞ。この世ばかりでないぞ。生まれ変わり死に変わり鍛えているのぞ。ひつくの臣民落ちぶれていると申してあろがな。今に上、下になるぞ。逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ。逆立ち苦しかろがな。改心した者から楽にしてやるぞ。御用に使うぞ。

  「臣民は神の入れもの」というのがひふみ神示を一貫して流れる考え方です。現実に、人は守護霊を初めとするさまざまな背後霊に守られ、干渉されて生きているのです。その人が人生で修行することが、背後の霊団にとっても大切な修行になるのです。その霊団のなかでもその人にもっとも強く影響を与えているのが守護霊ですが、これは人の成長によって入れ替わると言われています。霊格を高めれば、それにふさわしい守護霊が配置されるようです。
  「あめのひつくの民」と「民草」と二段階に表現されています。民草は神さまがとことん試して、あめのひつくの民として使えるかどうか判断されるということです。「何事も神は帳面につけている」というこの時代の人に理解できる表現になっていますが、要するに「神さまは人のすることはすべて見ているぞ」というわけです。
  それも、終末のこの時期に至るまでに、生まれ変わり死に変わりする過程で鍛えてきたということです。いまでは、世界を治める身魂であるひつくの民の方が、この世的には落ちぶれたようになっていますが、今に上下が元に戻るのです。本来人の上に立つべき人が上に立つということです。そのためには、早く現世利欲を捨てて「改心」せよとおっしゃってます。

 日本の臣民みな取次ぎぞ。役員ぞ。この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、神の臣民は世界一つに丸めててんし様に捧げるお役ぞ。この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて、世界丸めるお役ぞ。

  日本という国は高級霊界・神界とのパイプとなっていますが、そこに住む国民も同じように高級霊界とのパイプ(取次)となっているのです。この方(ひふみ神示を表した元の神様)は世界中を丸めて、大神様(絶対神かまたは宇宙神)にお目にかける役とのことです。私たち神の臣民は、世界を一つに丸めててんし様に捧げる役となっています。またてんし様が出てきました。
  この方には配下としての神々がたくさんいるわけです。その神々を、身魂の磨けた臣民にかからせ、あの世とこの世を丸めて(一つにして)、半霊半物質の新しい世の中をつくるのが役割だということです。

●全23巻(章)のうちの2巻目「下つ巻」(全38帖)は以上で終わります。収録率は文字数にして30%といったところです。(なわ・ふみひと)
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