黙示録

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体によい食事 ダメな食事 

幕内秀夫・著  三笠書房  2004年刊
  私がこれまでにいろいろな文献から得てきた「肉食および牛乳信仰の弊害」について、この本の著者も明快に指摘しています。まさに「わが意を得たり」といってもよい本です。ぜひご一読をお勧めします。ちなみに私は長年牛乳は1滴も飲んでいませんが、骨密度の検査をしましたところ、同年代の最高水準をさらに上回っており、20歳の男性の平均値よりもはるかに高い「密度の濃い固い骨」をしていることがわかりました。
  最近では『牛乳には危険がいっぱい』という本も出されています。日本の成人の間に生活習慣病が蔓延するようになっている今、私たちもそろそろ戦後の栄養学信仰から目を覚ますときではないかと思います。                (なわ・ふみひと)

 「全部、丸ごと食べる」がバランスのいい食事です!


  現在の食生活では、いろいろな食物が精製されています。
  別ないい方をすれば、どんな食物であれ、その「一部分」しか食べません。だから、ビタミンやミネラル類などの微量栄養素が不足するのです。
  よく、「野菜を食べてビタミン、ミネラルをとりましょう」という言葉を耳にします。たしかに、野菜を食べることで、ある種のビタミンやミネラル類はとれるでしょうが、それでは根本的問題は解決しないのです。
  氷の上で生活するイヌイットの人たちは、基本的に穀類や野菜などを食べないで生きています。
  しかし、アザラシやカリブーなどを食べるときには内臓まで食べています。野菜や果物がとれない氷の上では、内臓を食べることでビタミンCを補っているのです。
  また、南米メキシコで、トウモロコシを主食にするインディオの人たちの食生活は、ほぼトウモロコシだけといえるほど、副食の少ないものです。
  ただし、彼らはトウモロコシを私たちのようにゆでてかじったりはしません。からからになるまで天日で干して、一粒ずつ手でむしり、それを粉にします。その粉からパンのようなものをつくって食べています。つまり、そのようにすればトウモロコシの胚芽の部分まで全部食べることができるわけです。ゆでてかじると、たいがいは胚芽の部分が芯に残ってしまうものです。(中略)
  まさに世界の民族の食生活は、さまざまです。「バランス」などという言葉では理解できないような食生活をしている民族がたくさんいます。
  しかし、そこには1つの共通点があるのではないでしょうか。
  つまり、主となる食物は「全部、丸ごと食べる」という共通点があるようです。

 「枝肉しか食べない」――日本人の肉の食べ方は異常です

  「全部、丸ごと食べる」――このことによって、人間は、食生活である程度のバランスをとることが可能なのだと思います。
  また、肉の大量消費国ドイツには、たくさんの種類のソーセージがあります。材料を見ても枝肉(筋肉部分)だけではなく、血、舌、レバー、腎臓、心臓などを腸に詰めたもの、また、胃袋や膀胱にそれを詰めたものもあります。
  肉食の歴史の長い国では、まさに「血の一滴もむだにしない」。つまり、頭からしっぽまで食べるのが普通なのです。
  しかし、現在の日本はどうでしょうか。肉屋さんに売っているのは、ロース、ヒレなど枝肉がほとんどです。肉料理といえば、しゃぶしゃぶ、ステーキ、すきやき、焼き肉、ハンバーグ、牛丼など、やはり枝肉を使ったものがほとんどです。世界全体を考えてみれば、日本はきわめて特殊な肉食の国なのです。
  よく、肉を食べたら野菜を食べてバランスをとりましょう、といいます。それはそれで、まったく意味のないことではないかもしれませんが、肉食の歴史の長い国の食べ方を見ると、牛なら牛1頭をなるべく偏らずに頭からしっぽまで食べる。ステーキだけではなく、内臓なども食べることでバランスをとっていると考えるほうが普通なのではないでしょうか。

  どのような食物であれ、「全部、丸ごと食べる」のは手間がかかり、工夫が必要です。食生活の知恵とは、食べにくいものを、上手に、おいしく食べる工夫が、長年にわたって親から子へと受け継がれてきたものなのです。
  たとえばアイヌの人たちには「鮭は神から人間への贈りもの。食べられるところをすべて食べつくしてはじめて、鮭の魂は神のもとへ帰ることができる。そこで蘇生した鮭は再び神から人間のところへ戻ってくる」という伝説があるといいます。
  そのような教えを「伝統の知恵」というのではないでしょうか。それを忘れさせてしまったのが、戦後の栄養教育であり、「バランス」という言葉ではないでしょうか。
  つまり、「不完全な食物」でも、組み合わせれば「バランス」がとれるという錯覚をつくり上げてきたのです。
  その結果、白米、精製した小麦粉、精製塩、白砂糖、油、そして、内臓は捨てられた魚の切り身、ジュース‥‥私たちの食生活は、「一部分」しか食べない食物だらけになってしまったのです。

 世界の国々の人は偏食をしている

  現在の日本人の食生活に対する考え方は、かなりおかしくなっているようです。
  そのことは、偏食という問題を考えてみるとわかるのではないでしょうか。
  学校の先生やお母さんなどがよく子どもたちに「偏食はいけません」といいます。私などは小学校のころ、給食で出る脱脂粉乳のミルクがいやで残したためにゲンコツをもらったものです。食べ物を大切にするという意味では怒られても仕方がないのかもしれませんが、こと健康という点では怒られる理由があったのだろうかと、最近では疑問に思えてなりません。
  たとえばアメリカ人が納豆とかたくあん、刺身、しおからを食べなくても「偏食」とはいいません。むしろ、納豆を食べるアメリカ人がいれば、「よく食べられますね」とほめることになります。
  ところが、日本人がミルクやチーズ、ステーキを食べなければ「あなたは偏食だ」と言われることがあります。フランスの子供たちはフランスの料理を、中国の子供たちは中国の料理を食べていれば、偏食と言われることもなく、罰を受けることもないのです。
  それなのに日本の子供たちは、あらゆる国々の料理を食べなければなりません。やはり、少しおかしいと思います。

  動物の世界に目を移してみると、どの動物もある一定の食物を食べる性質があります。それを食性といいます。それぞれの動物によって食性が異なるように、人間もまたさまざまです。氷の上に住むイヌイットの人たちは植物性の食物はほとんど食べず、カリブーなどの肉を食べています。
  パプアニューギニアの高地人は、動物性の食物をほとんど食べず、1日に1キロ以上のサツマイモを食べ、タイのアカ族は1日に1キロ以上の米を食べ、アンデスの高地に住む人たちは朝から晩までジャガイモを食べるといいます。
  このように考えてみると、それぞれの民族はまさしく偏食なのです。それぞれの民族は、自らの住む風土に適した食物を偏食しています。私たち日本人も、日本の風土に適した食物を偏食すべきではないでしょうか。それが本当の意味でのバランスというものだと思います。

 日本人の体には「粗食」が一番合っている!

  「河豚(ふぐ)は食いたし命は惜しし」という言葉があります。
  河豚の多くが猛毒を持っていることは、だれでも知っています。その猛毒性物質をテトロドトキシンといいます。この猛毒性物質は、河豚の種類によって存在する部位が異なり、また季節によって毒の強さが異なることもわかっています。
  現在、私たちがこのようなことをどうして知ることができたのだろうか、と考えてみると、間違いなく、食べて死んだ人がいるからです。ところが、食べて死ななかった人もいる。それを見ていた人が「どこが違うのだろう」と考えたと思うのです。
  よくよく両者を比べてみると、「食べた部分が違う。どうも卵巣と肝臓を食べた人が死んでいる」「違う種類の河豚を食べて死んだ人は皮を食べている」といったことがわかるわけです。
  長い年月の間にたくさんの犠牲者がいて、そういった情報が集まり、どの種類の河豚にはどの部位に毒があるのかがわかってきたと思うのです。
  現在の私たちがこのような有毒のものを口にしないですむのは、河豚の毒はテトロドトキシンだということを知らなくても、何千年、何万年という間に蓄積された知識、情報が、人から人へ、親から子へ、子から孫へと伝えられてきたからです。
  長い歴史の中で、よりよく生きるために、人間は多くの食物を選択し、調理法を工夫し、その知恵を人から人へと伝えてきました。それを伝統というのでしょうが、別ないい方をすれば人体実験の集積と言えると思うのです。その人体実験に十分に耐えたものだけが伝承されてきたのではないでしょうか。

  日本人も、長い年月の中で、四季の変化が激しく、山が多く、湿度の高い、四方を海に囲まれた自然環境の中で、よりよく生きるための食生活の知恵を伝承してきました。その知恵を忘れ、「科学的」という名のもとに食生活を変えてしまったのが戦後の栄養教育なのではないでしょうか。
  数少ない日本人の栄養学者・鷹觜(たかのはし)テル(岩手大学教授)は、「若いころは本を片手に、近代栄養学の立場から農村の食生活を批判し、動物飼育実験によって、その合理的な食生活の方向性を見出していた私であるが、長年農村の食生活と健康の生態学的研究を行なっているうちに、農民の昔からの食慣行の中に、生活からにじみ出た尊い教訓が潜んでいることに気づいたのである」と述べている。

 伝統色の否定――それが「戦後の栄養教育」だった

  私たちは「文明開化」という言葉がさかんに使われた明治時代から約百数十年、「欧米に追いつき、追いこせ」、そして「欧米的なものには価値があり、日本的なものには価値がない」という色のついたメガネを、知らず知らずのうちにかけてしまっているのではないでしょうか。
  戦後のわが国について、哲学者の梅原猛氏は「戦後のわれわれは、いかにヨーロッパを理想として憧憬したことか。近代化、ヨーロッパ化が、戦後のわれわれの理想であった。マッカーサーが日本人に与えようとしたのは、一種の近代教というべき宗教であった。(中略)すべてのヨーロッパ的なもの、すべての新しいものを進歩と名づけて肯定する単純な論理が、どんなに大手を振ってまかり通ったことであろう」と述べています。
  政治家や思想家だけでなく、栄養学者といわれる人たち、そしてその教育を受けた栄養士の人たちは、ヨーロッパ的な食生活を「進歩的」とし、それこそが健康をつくるという教育をしてきたわけです。まさに単純な論理をもって「伝統食の否定」をしてきたのが戦後の栄養教育だったのです。残念ながら、それは今でもあまり変わっていないのではないでしょうか。
  何かといえば「牛乳を飲みなさい」――。もうそろそろこのような考え方から脱皮してもよいのではないでしょうか。

 平均寿命とは実際の年齢でなく「期待余命」のこと

  読者の中には、次のような疑問を感じている人も多いのではないでしょうか。
  「粗食だった昔の日本人は寿命が短く、食生活が豊かなになって平均寿命が延びたではないか」
  「食生活が豊かになって、子供の体位は見違えるほどに立派になったではないか」
  といった疑問です。
  そのように考える人がいたとしても、当然のことだと思います。しかし、本当に日本人の平均寿命は延びているのでしょうか。
  平均寿命というのは「0歳の子供が、あと何年生きられるか」という、0歳の子供の期待余命のことです。その算出法は次のようになります。
  まず、0歳の子供が1000人いるとして、そのうちの5人が死ぬとすれば995人になります。次に1歳の子供が7人死ぬとします。そうすると988人になります。
  このように各年齢で死ぬ人の数を引いていくと、最後には0になります。0になる人の年齢を平均寿命といいます。
  しかし、産まれたばかりの子供が各年齢で何人死ぬかはわかりません。だから、各年齢別の平均死亡率を当てはめるわけです。つまり、現在0歳の子供が70歳になったときにどれくらい死ぬかはわからないので、現在70歳の人たちの平均死亡率を当てはめるわけです。
  現在0歳の子供たちの70年後の死亡率が、現在70歳の人たちと同じであると考えるのは無理があるのではないでしょうか。でも、こうやって算出したのが平均寿命なのです。
  この数字を押し上げている最大の理由は、医学の進歩と衛生の発達によって、乳幼児死亡率と結核をはじめとした細菌性感染症の死亡率が低下したことによるのです。その一方では生活習慣病が増加し、医療機関の保護によって「生かされている」老人が増えているのが現状ではないでしょうか。
  現在の私たちがこれからも長生きするということを証明する数字でもないし、私たちがより健康であるということを証明する数字でもないわけです。

 アメリカの小麦戦略――日本人の食生活を変えて輸出を増やす!

  戦後の栄養教育は、理由なき「欧米崇拝思想」によって、米を中心とした食生活を批判してきたわけです。“意図的な米叩き”ともいうべき運動が行なわれていたのです。
  アメリカの対日小麦戦略を最前線で指揮したリチャード・バウム氏は、『アメリカの小麦戦略』を書いた高島記者に対し、次のように話しています。

  学校給食の拡充、パン産業の育成など、私たちは初期の市場開拓事業の全精力を日本に傾けました。ターゲットを日本にしぼり、アメリカ農務省からの援助資金を集中させたのです。その結果、日本の小麦輸入量は飛躍的に伸びました。
 特に若い人の胃袋に、小麦は確実に定着したものと理解しています。日本のケースは私たちに大きな確信を与えてくれました。それは、米食民族の食習慣を米から麦に変えてゆくことは可能なのだということです。


  具体的に行なわれた事業は、キッチンカー(内部に料理台などが取り付けられた大型バス)によって、「小麦食を基本とした料理」の講習会、学校給食のパン導入、パンを焼く職人の育成などでした。そして、それらの事業で行なわれた内容は、「米はいかに悪い食べ物か」を訴えるものがほとんどだったのです。

 「日本人は不思議なほど達者である――ザビエルが日本食を絶賛した理由

  パプアニューギニアの高地に生活する人たちは、食事の90%以上がサツマイモで、肉や牛乳はほとんど口にしません。それでいて、筋骨たくましくよく働くといいます。日本の長寿村といわれた山梨県の棡原(ゆずりはら)村の長寿者も、肉や牛乳などはほとんど食べなくても、なんら困ることなく重労働をこなしてきた人たちです。
  あるいは、宗教的理由つまり戒律によって「肉を食べない」という人たちが世界にはたくさんいます。しかし、それらの人たちに特別に貧血が多いとか、がりがりにやせて力仕事もできない、などという話も聞いたことがありません。

  日本の土を踏んだフランシスコ・ザビエル神父が本部あてに出した手紙には、次のように書かれています。

  日本人は自分たちが飼う家畜を屠殺することもせず、またこれを食べもしない。彼らはときどき魚を食膳に供し、ほとんど米麦飯のみを食べるが、これも意外に少量である。ただし彼らが食べる野菜は豊富にあり、またわずかではあるが果物もある。それでいて日本人は不思議なほど達者であり、高齢に達する者も多い。したがって、たとえ口腹が満足しなくても、人間の体質は僅少な食物によって十分な健康を保てるものであることは、日本の場合によっても明らかである。

  まさに、日本人は肉や牛乳などほとんど口にせずに生きてきたのです。しかも、その歴史は10年や20年ではありません。現在の栄養教育の主張するように、本当に肉や牛乳が健康を維持するために必要なら、とっくに日本人は滅びていてもおかしくはないはずでしょう。
  そして、現在の栄養教育からすれば栄養失調だったはずの私たちの祖母は、子供を10人も産んできたのです。それも特別な話ではなく、ごく当たり前の話だったのです。

 「成長は早いが病気だらけ」の家畜――それを子供が食べているのです

  肉そのものの性質を考えても、私は肉食に否定的にならざるを得ません。
  畜産関係者にとってもっとも関心が高いのは「飼料要求率」だといいます。その動物の体重を1キログラム増やすのに何キログラムのエサを必要とするかという割合です。
  少ないエサでどんどん体重が増えてくれれば、それだけコストが安くすむからです。特に最近では大規模な集約農場が増え、ニワトリなどでは何十万羽と飼っているところもありますので、コストに大きく影響します。
  いかに早く太らせるか。養豚業者にとっても、ブロイラー業者にとっても大切なことになります。
  そこで多くの業者が密飼いをしているのです。豚、牛、ニワトリなどは、放し飼いをすると運動をするので、せっかくエサを与えてもエネルギーを消耗して肉付きが悪くなります。そこで考え出されたのが、動けないほどぎゅうぎゅうづめで飼うことです。それを密飼いといいます。
  成長を早くするために、エサも現在の配合飼料は高タンパク質でできています。その結果、たしかに成長は早く、飼料要求率もどんどんよくなっています。
  ただし、それに伴い病気も増えています。食肉検査は、屠殺場にきた牛や豚の内臓や肉に病変があれば、その一部または全部を廃棄処分にします。農水省の出した『家畜衛生統計』(平成14年)によると、屠殺禁止・全部または一部廃棄の牛は約95万頭で全体の76%、豚の場合は約100万頭で全体の66%になります。
  最近では狂牛病が問題になり、牛丼が販売中止になる騒ぎが起きました。あれはおもにアメリカの牛肉の話でしたが、日本でも次々と感染牛が発見されています。起こるべくして起きたと言わざるを得ません。飼料添加物の名で、多種多様な薬がエサに混ぜられているといいます。このような肉を食べることが本当に健康によいといえるのでしょうか。
  そして、高タンパク質・高エネルギーのエサを食べて、成長は早いが病気だらけだという家畜を考えたとき、現在の子供たちの姿と重なって見えてしまうのは私だけでしょうか。

 「牛乳=健康」は牛の赤ちゃんだけの話、と考えてください

  「牛乳は完全栄養食品。朝食を食べられないときは牛乳を1本」――このように考えている人は少なくありません。
  実際、医療機関で患者さんに「食生活でどのような点に注意していますか?」と聞くと、「牛乳は嫌いなんですが、無理して飲んでいます」と言う人が必ずいます。「牛乳=健康」、場合によっては「牛乳さえ飲んでいれば大丈夫」と考えている人さえいます。
  それも仕方のないことかもしれません。昭和30年代には、保健所などの栄養士さんたちが、牛乳入りキンピラ、脱脂粉乳入り味噌汁といった料理を指導していた時期もあったのです。
  まさに「牛乳=健康」という迷信こそ、戦後の栄養教育の最大の弊害といえるのかも知れません。

  最近、「完全栄養食品」という言葉を耳にすることが多くなっています。「それさえ食べれば、ほかに何も食べなくても生きることができる食物」ということです。そんな便利な食物はあるでしょうか。
  たったひとつだけあります。ただし、年齢制限があり、残念ながら大人にはありません。それは、健康なお母さんのおっぱいから出る乳汁です。これは正真正銘の「完全栄養食品」です。生命を維持し、成長するうえで必要なものは全部含まれています。
  牛乳もまた「完全栄養食品」です。
  しかし、人間にとってではありません。あくまでも、牛の赤ちゃんにとっての完全栄養食品なのです。しかも、ビンや紙パックに入ったものではなく、母牛の乳房から直接飲んだ場合に完全栄養食品としての価値があります。

  成長の早い動物ほど、その乳汁にはタンパク質やミネラルが多く含まれます。牛は約50キロで産まれてきますが、2年後には500〜600キロにも育ち、おおよそ10倍にも大きくなります。
  それに比べ人間は、約3キログラムで産まれてきます。2年後にはおおよそ12キログラム、約4倍に増えるに過ぎません。
  2年で10倍にも体重が増える牛は、骨格の発達も早くなければなりません。それがそのまま乳汁の成分にも現れているのではないでしょうか。牛乳と人間の母乳を比べると、牛乳はカルシウムが約4倍、リンが約6倍も多く含まれています。骨をつくるのに都合よくできていると考えてもよいのではないでしょうか。
  人間の赤ちゃんは他の動物よりも成長は遅く、しかも1年あまりも立つことができませんが、漫然と1年あまりを過ごしているわけではありません。人間はどうも、身体が大きくなることよりも脳細胞の形成を優先させて成長する動物といえるようです。赤ちゃんのあまりにも大きな頭がそれを物語っています。
  牛乳は牛の赤ちゃんにとっての完全栄養食品であり、人間の母乳は人間の赤ちゃんにとっての完全栄養食品なのです。人間の、しかも立派に歯の生えた大人にとって、牛乳が完全栄養食品であるはずがないのです。

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