官立姫路高等学校(大正十三年創立)

姫路高等学校は、第二十四番目の高等学校として作られた。兵庫県はすでに明治35年創立の官立神戸高商を持っていたが、神戸高商が大正十二年に予科を持たない神戸商業大学に昇格することが内定した結果、県内にこれに連絡すべき官立の進学機関が皆無という状況となり、ここにようやく、大正十三年に姫路高等学校が誘致される。すでに三高、六高、山口、松江、大阪と近隣各県が高等学校を誘致していたので、姫路は広島高等学校と定期戦を組むことになる。
姫路には師団本部があったが、姫路城の練兵場で、兵隊に反軍演説をして退学処分になった河本敏夫や、評論家の竹村健一など、変ったOBを出している。

戦後、姫路高等学校は、伝統を守るため隣接県である京都の第三高等学校とともに京都大学の教養部になるべく運動した。しかし、「1県1大学」の原則により県境をまたいでの合併は不可であるとされ、神戸経済大学と合併し、神戸大学姫路分校となる。
講和条約の発効により、米軍が六甲台のふもとにあった広大なキャンプ地から撤収したため、この広大な遊休地を利用して、神戸大学の各分校は額面通り神戸に統合されるようになった。姫路分校の校地は県立の姫路短期大学に受け継がれながく使用されたが、本館と講堂を除いて殆どの建物は昭和50年代後半に撤去、改築された。
現在は、校地はさらに姫路工大に継承されている。


昭和50年代まで残っていた旧校舎群

下のカラー写真は、上の写真とあわせて昭和57年頃に建築探偵本人が撮ったものである。しかし、保存されている本館両翼の切り落とし部分をはじめ、すべて撤去されてしまった。
ちょうど、筆者は関西学院大学在学中に姫路短期大学の改築計画を知ってあわてて現地に撮りに行った。春休みの3月頃で「桜が満開になったらすばらしいだろう」と思う反面、「見物人が多くて撮影なんかできんだろうな」とも感じた。ひっそりとしたキャンパスは、姫路高校寮歌「ああ白陵」がよく似合うキャンパスだった。

姫路短大(改築前)の構内図 姫高時代の平面図

姫路短期大学のキャンパスは、鉄筋への改築が行われるまでは、姫路高等学校の旧校舎を殆どそのまま活用していた。ただし、構内図の左側に付属幼稚園が作られたため、白陵寮の建物だけは昭和57年当時にすでに大部分撤去されていたようだ。
写真の陳列の最後に、建築探偵本人が昭和53年頃にはじめて姫路短期大学に行った際に撮影した2枚を掲載しておいた。このころは、まだ寮の一部が残ってた。どうも、短大生が部室などに使っていたようである。




本館へ導く舗石 グラウンドからプールを望む

左上の写真は、正門から本館右に大きく迂回する舗石の部分。いまは失われてしまってない両翼部分である。ペンキもり直していたので、保存にあたってまさか両翼を切り落とすとは思わなかった。
右上の写真は戦前から使用しているプール。土塁で固めたプールは、小規模なものだが当時としては最新式。



構内には至る所に桜並木が 渡り廊下から化学教室へ サクラ並木と物理、化学教室棟

キャンパスには至る所に桜の老樹が・・・。
左上の写真は、上段左の写真をグラウンド側に立って逆側から撮影したところ。
2階建て部分が本館である。桜の老樹は姫路市の記念物になっているという標識があったように記憶する。講堂から伸びて博物学、化学、物理学教室とそれを串刺しにする渡り廊下は、松本高等学校跡にも保存されておらず、撤去が惜しまれる。
女子短大だけあって、キャンパスの保存状態はきわめて良好、中庭の美しさは絶品である。



桜の老樹と図書館書庫 グラウンドから図書館書庫を望む 階段教室

図書館は、やはり松本高等学校跡にも残っていない。
木造で、書庫だけが鉄筋というのは高松高商など、他の官立専門学校と同じ仕様。
閲覧室はパブリックスペースとして、凝った内装のところも多かったようであるので、中を見れなかったのは今にして思えば残念。



かつて6棟あった寮の部屋 雨天体操場?

典型的な大正期の木造の寮である。
それだけに1つぐらい保存してもらいたかった。
いま残っているのは現在使用中のものを除けば、復元された北海道大学予科の寮のみ。
松本高等学校では、戦後防寒のため外壁にモルタルを塗ったが、山陽道の姫路では当然そんなことはしていない。

新入生歓迎会 戦前の白陵寮玄関 記念祭の街宣ストーム

昭和13年刊行の白陵寮史からリライトした写真。
桜がまだ若木である。




工事中



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