第七回:ビリー・シーン
「霊長類最速の男」
世の中には、あらゆる分野においておよそ人間とは思えない程に身体能力をブーストさせたような人間がいるものだ。
特にスポーツ界では、あらゆる競技において世界記録というモノが存在し、
それらを樹立した人々は正にそういった能力の限界点を極めた、数少ない人たちなのだろう。
音楽界においても例外ではなく、記録云々はともかく、人間離れした能力を持つ音楽家が多くいる。
ベーシストにおいて言うなら、ビリー・シーンがそうしたミュージシャンの一人であろう。
ビリーは、1953年3月19日午前11時28分、アメリカ合衆国・ニューヨーク州、バッファローのケンモア・マーシー・ホスピタルで生まれた。
四人兄弟の末っ子だったビリーは、自分は将来科学者になるもんだと思って百科事典などを読み漁る子供だったという。
そんなビリーが音楽の世界に足を踏み入れるキッカケになったのは、中学二年生の時に生まれて初めて見たコンサートで衝撃を受けた事だった。
そのコンサートの主はジミ・ヘンドリックス。
それから、まずは姉が持っていたというアコースティックギターを弾き始めた。
その後すぐにギブソンのレス・ポールを手に入れるも、2年ほどですぐにベースに転向。このことに関して後日、
「本当は最初からベーシストになりかたっかんだ。でも当時ギターよりベースが高価で買えなかったから、ギターでベースラインを弾いていたんだ。」
と語っている。
こうして、若干の寄り道をしたのちに「ベーシスト・ビリー・シーン」が誕生した。
ベースを弾き始めてまず影響を受けたのは、当時B,B&A(ベック・ボガート&アピス。
ギタリストにジェフ・ベック、ドラマーにカーマイン・アピスがいた3ピースバンド)のベーシスト、ティム・ボガートだった。
指弾きにこだわり、ギターやドラムの脇役にならず、お互いが鬩ぎ合うようなベースプレイは、
ティム・ボガートからの影響でベースを弾き始めた頃から既にビリーの中で確立していたのだ。
そしてジャック・ブルース(クリーム)、ポール・マッカートニー(ザ・ビートルズ)などのような、ベースの音が前面に出ているベーシストにもことごとく影響を受けたらしい。
また、同時にラジオから流れるモータウンのナンバーや(ベーシストは勿論ジェームス・ジェマーソン)、フランク・シナトラなどの歌モノにも注目しており、
その後バンドを組む際に徹底的に「歌を大事にする」事にこだわったビリーのアティテュードは、この頃にはほぼ完成していたと言える。
しかも、ベースを弾き始めてから数年後に参加したジャズバンドでのライヴ写真を見ると、何とビリーのベースは既にステレオ・アウトプット仕様に改造されているのだ。
これは現在ヤマハから発売されている、ビリー・シーンのシグネイチャーモデル「アティテュード」の仕様でも有名な、フロントに搭載されたハムバッキングピックアップと、
リア(というかセンター)に搭載されたプレシジョンピックアップを別々に出力し、別々のエフェクトを通して別々のアンプにつなげるという、
ビリーの専売特許とも言うべき独特の仕様である。
僅か18、9歳のビリーがこの改造をベースに施していたというのは驚くべき事だが、
逆に言えばベーシストとしてのスタイルを決定付ける時期がかなり早かった、とも言える。
こうしてベーシスト・ビリー・シーンは完成していった。
その後、自身のバンド、タラスを結成する。
ビリーも含めてメンバー全員が無名だったこのバンドが1979年にデビューしたとき、アメリカ中の音楽関係者が度肝を抜かれた。
・・・何に?
・・・勿論、当時26歳だったビリー・シーンという名のベーシストのプレイに、だ。
ギターよりも派手な音で、ドラムよりもボリュームがデカく、そして取り敢えず速い。音数が多い。
それは正にそれまでのエレクトリックベースの概念を覆すアプローチだったのだ。
一気に注目の的となった。
事実、そのデビューアルバムが発売された年に、ドイツ人ギタリストのマイケル・シェンカーから自身のグループ「マイケル・シェンカー・グループ」への参加を要請されている。
これはイギリスでセッションをするだけに終わっているが、その4年後の1983年には、
同様にマイケル・シェンカーからUFOのツアーに参加してくれないかと要請され、同行している。
この当時には既にビリーの派手なベースサウンドとプレイは、ロック界ではかなりの波紋を呼んでいたのである。
「ベースのヴァン・ヘイレン」という称号もこの時期に有名になった(もっとも、このことに関してビリーは
「ベースのヴァン・ヘイレンなんてみんなが勝手に言ってただけで、僕はヴァン・ヘイレンのことを『ギターのビリー・シーン』って言ってたよ(笑)」と語っている)。
そしてタラスが徐々に有名になってくると、実際にヴァン・ヘイレンのツアーのオープニングアクトを勤めたりと、ビリーの名もそれと等加速度的に有名になっていった。
ある日、ビリーはエディ・ヴァン・ヘイレンからバンドへ入らないか、と誘われたのだそうだ。
「現ベーシストのマイケル・アンソニーをクビにするから、メンバーにならないか」、と・・・。
・・・しかしこの話はどうもエディの気紛れによるものだったらしく、結局半年後に「やはりメンバーを変えたくない」と言われて実現しなかった。
しかし、ヴァン・ヘイレンのメンバー同士が不仲だったのは事実だったようで、それから数ヶ月後にヴォーカリストだったデヴィッド・リー・ロスが脱退、
ソログループを作る。そしてそのグループのベーシストとして白羽の矢が立てられたのは、やはりビリーだった。
そしてドラマーにはグレッグ・ビソネット、ギタリストにはスティーヴ・ヴァイという、文句なしに「世界最強のロックバンド」が誕生したのだ。
特にスティーヴ・ヴァイとビリーの強烈なアドリブバトルやユニゾンプレイはどちらも人間離れした超絶技巧であったため、当時はえらく話題になった。
スティーヴも「僕が適当に弾いたフレーズに対して、ビリーはユニゾンやハーモニー、挑発的なフレーズを瞬時に弾くんだ。
デヴィッド・リー・ロスもこれをとても気に入ってくれて、僕も自分たちを『世界最強のストリングスセクション』だと思っていた」と語っており、
本人達にとってもいかに好感触だったのかは想像に難くない。
しかし、あくまで自分のソロプロジェクトを望んでいたデヴィッド・リー・ロスにとって、そんな2人のスタイルは徐々に鬱陶しく感じられていたようで、
次第にプレイの制限や指示をするようになり、それに嫌気が差したビリーはアルバムを2枚作っただけで脱退、新しいバンドを作ることを決意する。
そして、自分はやはりバンドでプレイしなければならない、今こそ長年思い描いてきたバンドを結成する時だ、と決心し、
それまでの音楽活動で得た人脈を利用して探し当てたメンバーが、エリック・マーティン、ポール・ギルバート、パット・トーピーだった。
「(またもや)世界最強」、Mr.BIGが誕生した瞬間だった。
これは今までビリーが歩んできたバンドの音楽性や経験値を集約したようなバンドで、あくまでも激しいロックンロールでありながら、
ソウルフルな歌を最重要視する、というコンセプトで結成された。
そんなMr.BIGだったから、このメンバーは正に最適な人選だったのだ。
そしてMr.BIGは、祖国アメリカのみならず、極東の島国、日本で爆発的に売れた。
ビリーの構想通り、あくまでエリック・マーティンの歌を重視しながら、インストゥルメンタルパートではポール・ギルバートのド派手なプレイと、
ソリッドなパット・トーピーのドラミングにビリーが絡む、という凄まじさが人気を呼び、一躍スターダムにのし上がった。
ビリーのプレイは、タラス時代のようにひたすら弾きまくるでもなく、誰かのサポートをする時のように黒子に徹することなく、
あくまで出るところではめちゃくちゃに出る、引くところでは引く、という実にメリハリのあるもので、その派手なサウンドとは裏腹に貫禄すら感じられるほどだ。
ビリーは言う。
「何だかんだ言っても、結局最も大事なのは曲だ。テクニックはそれを表現する為のモノに過ぎない。」と。
これこそがビリーの真骨頂なのだ。
一見(一聴)するとやたらと歪んだサウンドで、派手なフィルを弾きまくっているということばかりに耳が行ってしまいがちだが、
よく聴けばボーカルのバックではシンプルにルートを刻んでいるだけ、という箇所も多い。
シャッフルビートやスウィングビートでも、ビリーのプレイは実にヘヴィでグルーヴ感に溢れている。
ビリーは実はとても「ベーシスト」なのだ。
ボトムをキープする事に徹する事もあれば、世界中のどんなミュージシャンよりも速く派手に弾く事も出来る。
要するに「色んなことが出来る」ベーシストだ、ということだ。
Mr.BIGは、看板の一人だった(と言うか全員が看板だったが)ポールが脱退、今ではビリーもクビになってしまい、結局バンドも崩壊してしまった。
日本において「20世紀で最も成功したバンド」の一つだったMr.BIG。
しかし、今になって思えば、それもビリーにとっては単なる通過点だったのかも知れない。今はナイアシンというインストゥルメンタルバンドで、
かつては踏み込まなかったような新境地に挑戦したり、“世界の手数王”テリー・ボジオとのコラボレーションでアルバムを製作したりして、
ハイペースに活動を続けているビリー。
ソロアルバムの製作にも力を注いでいる(ちなみにソロアルバムとは言うものの、ビリーお得意のテクニカルベースばかりがフューチャーされているものは少なく、
歌をメインとしたロックや、アンサンブルを重視したインストナンバーなどが中心となっている。
ここら辺にもビリーの、音楽やベースに対するスタンスを垣間見る事が出来る)。
歪みサウンド、ボスハンズタッピング、3フィンガーピッキングでの速弾き・・・・・・
しかしそれらは全てこけおどしではなく、全て芸術的レベルにまで達した名人技である。
ビリーがエレクトリックベースで切り開いた領域は計り知れない。
ビリーが、ロックにおけるエレクトリックベースそのものの、立場や地位を向上させ、可能性を広げた。
言葉やパフォーマンスではなく、そのプレイで革命を起こしたのだ。
人類史上、最も大きな功績を残したベーシストの一人である事は間違いない。
ベースは脇役、というイメージがいまだ根強いロック界で、あらゆる常識や定石をぶち壊し、カリスマ的存在となった今でも尚、前進を止めようとはしない。
そしてこれからも止まることなく走り続けて行くだろう。
ビリーが表舞台で活躍し始めた頃、彼のプレイを「あんなのはベースじゃない。邪道だ」と批判する人々が多くいた。
それについて日本のある評論家は痛切に皮肉っている。
「ビリーのプレイが邪道だの外道だの言うヤツは多くいるが、そういうヤツは全員、ビリーのようにプレイしたくても出来ない人間ばかりだ」。
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このベーシストへのいざない作品:
■ザ・タラス・イヤーズ(タラス)
■リーン・イントゥ・イット(ミスター・ビッグ)
■ジャパンデモニウム(ミスター・ビッグ)
■ナイアシン(ナイアシン)