第二十五回:ジョン・エントウィッスル

「そして誰もいなくなった」

 

1944年10月9日、その男はイギリスのロンドン郊外、チズウィックで生まれた。

7歳の頃にピアノを習い始め、14歳の頃にベースを手にする。

一旦は公務員としての仕事を始めるものの、数年後にザ・デトゥアーズという名のバンドに加入し、

狙ってか狙わずか、ロックの世界に、そしてベースの世界に、誰にも成し得なかったほどの偉大な足跡を残す事になる。

 

その男の名はジョン・エントウィッスル。

ザ・デトゥアーズは、後にザ・フーというバンドに変身する。

 

ザ・フーは'65年、シングル「マイ・ジェネレイション」でデビューした。

この素っ頓狂な名前のバンドが、現在のロックンロール/ハードロックの世界で最も影響力の大きなバンドの1つである事は、疑いのない歴史的事実と言えよう。

ザ・フーの偉大さは、シングルヒットした曲を多く持っている事もその理由の一つではあるが、

やはりそれ以上にその独創的なキャラクター性やパフォーマンスが見逃せない。

ギタープレイよりもアクションを重視したかのようなピート・タウンゼント、ハイハットを殆ど使わず

というか殆どの場合ドラムセットにハイハットが含まれていなかった)、ひたすらタイコをシバきまくるテクニカル(?)なドラミングと、

プライヴェートでも破天荒な伝説を数多く残したキース・ムーン、若き青春の感情を濃い顔で歌い上げるロジャー・ダルトリー・・・。

ザ・フーと言えば、メンバーの誰もが主役だと言っても良いほどそれぞれのメンバーのキャラ性が際立っている

(もっとも、それはほぼ同時期に活動していたビートルズやローリング・ストーンズ、クリームなどにも言える事ではある。

この時代は本当に、その後何十年も伝説として語り継がれるようなバンドが綺羅星のようにひしめいていたんだという事を改めて認識させられてしまう)。

こういったメンバーで構成されていたザ・フーだったから、ジョン・エントウィッスルのキャラ性というのは、

バンドの中で見てみると若干弱いように感じてしまうかも知れない

しかし、その代わりと言うべきか、ザ・フーの音楽的支柱は間違いなくベーシストであるジョンだ。

事実、ジョン・エントウィッスルは、ハードロックバンドとして最初に“リードベース”と呼ぶべきスタイルでベースをプレイをしていたベーシストなのである。

リードギターではなくリードベース。

もっとも、当時からそういった表現があったかどうかは不明だが。

ザ・フーのデビューシングルである「マイ・ジェネレイション」でいきなりベースソロをフィーチャーしているというハミ出しっぷりを見ても、

その独創性が伺えるというモノである。

そしてその後、ザ・フーのナンバーの数多くでベースソロは唸りをあげる事になる

ピート・タウンゼントが、ギターソロを殆どプレイしないタイプのギタリストだった事

(というか殆どコードストロークしかしてないような・・・(汗)。しかし、ギターをメロディ楽器としてではなくリズム楽器と割り切り、

ステージでギターを叩き壊すといったようなパフォーマンスを含めたこのピートのギタースタイルは、後に多くのフォロワーを生み出したばかりか、

その後に世界を席巻する事となるパンクムーヴメントのスタンスの原型とも言うべきモノであったというのは見逃せない事実だろう)

もそういった“ジョンの暴れるスペース”を増やす原因にもなっている。

そして、ギターとベースとがその本来の役割を逆転させているというのが、ザ・フー・サウンドの特徴なのである。

 

そんなジョンのベースフレーズには大きな特徴がある。

それは、ペンタトニックスケールと呼ばれるスケーリングを多用しているという点である。

多用しているというか、殆どそれしか弾いていないと言い切っても過言ではない。

ソロでもバッキングでも、とにかくペンタトニック。

メロディアスに攻める時はマイナーペンタトニック。

現在、ロックンロールなどにおけるギターソロやリフなどでもペンタトニックスケールを用いるのは王道中の王道であるが、

それを最も早い時期に実に解りやすい形でベースプレイに昇華させたのがジョン・エントウィッスルなのだ。

これは、現在でもベースソロを頻繁にプレイするロックベーシストに脈々と受け継がれているのは言うまでもない。

更にジョンの凄い所は、ペンタトニックスケールという、ともすれば単調な響きになりかねない音運びを多用しているにも関わらず、

そのフレージングは無尽蔵の豊かさを持っているという点。

特にザ・フーのライヴでそれが顕著になるが、アドリブでオカズを入れたり1曲を長く引き延ばしてプレイしたりする時でも、

実に表情豊かなベースラインを奏で続けているのだ。

これこそ、ペンタトニックスケールを本当の意味で使いこなしているという証だろう。

近年ではギタリストのザック・ワイルドがペンタトニックスケールばかりを多用したプレイをしているが、

彼のギタープレイが実に抑揚に富んでいるのも同じ事が言える。

要するにペンタトニックスケールだろうが何スケールだろうが、結局はそれを使う人間次第なのだという事を、彼らは教えてくれるような気がする。

話は逸れたが、ジョン・エントウィッスルのベースプレイのもう一つの大きな特徴として、ハンマリングやグリッサンドを効果的に用いているという事が挙げられる。

これはギターにおいてはもはや当たり前のテクニックだし、勿論ベーシストでも必須テクニックだが

単に技術的観点からではなく、それをフレーズの中で絶妙に使いこなして表情を付けるという点で、ジョンのベースプレイはまさにお手本的なモノだと言えるだろう。

楽曲の中でドライヴする、というロックベースの基本を誰よりも上手く盛り込んでいたのだ。

 

また、ギターを凌駕するような、強力なディストーションサウンドをベースに持ち込んだパイオニア的存在でもある。

これまでにここで紹介したポール・マッカートニージャック・ブルースティム・ボガートなども歪んだベースサウンドをいち早くスタイル化して取り入れていたが、

ジョン・エントウィッスルもそんな1人だった。

ただ、ジョンが少し違っていたのは、あくまで歌モノロックのバックでしかもギターが派手なソロやテクニカルなプレイをやっていないにも関わらず、

何食わぬ顔してブリブリと弾きまくっているという点だ。

フィンガーボードの上を縦横無尽に駆け巡りながら、しかもトレブルとミドルを持ち上げた、ドライヴしまくり&目立ちまくりのベースサウンド。

更に、ジョンのアタッキーなピッキングとの相乗効果で、彼に付けられたニックネームは「ミスター・サンダー・フィンガー」。

同じようにディストーションサウンドをブチかましていたジャック・ブルースティム・ボガートですら、ジョンほどのトレブリーかつエグい音は出していない。

そういう意味でジョンのベースサウンドは完全にギターを凌駕していると言えるだろう。

また、ライヴ中にあまりにも爆音で弾きまくるジョンに、他のメンバーが音量を下げるよう注意した所、

ジョンがブチ切れてステージを降りてしまった事もあったらしい。

 

そして、数十年に渡るミュージシャン生活の中で、非常に多くのベースやアンプ、機材を使い分けているというのもジョンの特筆すべき点であろう。

多くの機材を使う事の何が特筆すべき点なのかと疑問を持たれるかも知れないが、

一つの楽器や機材に満足せず、どんどん新しいモノを取り入れていくというのは、一重にベーシストとしての進化を止めていない事の証だ。

そういった中で、見た目も重視した変形ベースというモノをメジャーな存在にしたのも、他ならぬジョンの功績であるという事は、意外と知られていない。

例えばザ・フーがデビューした頃にはフェンダー社のプレシジョンベース、ジャズベース、エピフォン社、ヴォックス社、リッケンバッカー社のベースを

好みによって使い分けていたし、デビューシングルの「マイ・ジェネレイション」でのベースソロではダン・エレクトロ社のロングホーン・ベースを使用していた。

ジョンは当時の事について後にこう語っている。

あの曲の為にベースソロを結構何テイクもプレイしたんだけど、そのどれも最終的にレコードに入ったバージョンよりももっと速かったし、

面白い事をたくさんやってたんだ。

1本、凄く速いソロをプレイしたら、皆が『それじゃキチンと録音出来ないから、もうちょっとシンプルなのを演ってくれないか』って。

で、入手可能な中で一番の高音弦を張ったんだ。そいつでソロをプレイしたって訳。

何でトレブリーなベースにこだわるかっていうと、高音でプレイすれば音がちゃんと聴こえるからさ。」。

 

また「トミー」のレコーディングではギブソン社のサンダーバードを使用したが、その後のライヴではネックだけをフェンダーのモノに交換した

“フェンダーバード”なるベースを使っていた。

後に様々なオリジナルモデルのベースやカスタムメイドのベースを使い分ける事になるジョン・エントウィッスルの独創ぶりが判る話である。

その後もエクスプローラーベースや稲妻をかたどったベースなど、エンターテイナーとしての姿勢をベースに反映させる事に余念がなかったが、

'70年代に入るとアレンビック社のベースも愛用するようになった(当然レギュラーラインナップとカスタムメイドの両方を使い分ける)。

'85年の再始動後は、ハゲタカをモチーフにしたオリジナルモデルである“バザード・ベース”を、

モデュラス社、ワーウィック社、ステイタス社の3ブランドに作らせてプレイしていたが、これはライトハンドタッピングや速弾き、

フィンガーボードを動き回るようなテクニカルなプレイがしやすいように工夫が凝らしてあった。

そしてアンプでは、初期のマーシャル、ハイワット、サン、トレース・エリオット、アッシュダウンなど、多岐に渡って使い分けているのだ。

そしてベースのみならず、レコーディングではフレンチホルンやトランペットなどもプレイしていた(キーボードやシンセではなく管楽器という所がなかなか渋い・・・)。

こういった実験的な姿勢や探求心の旺盛さは、単にジョン・エントウィッスル本人にとっての意味だけではなく、

数多くの楽器・機材メーカーにも影響を及ぼしたに違いない。

このように見てみると、ジョンの存在が及ぼした影響というのは単にベースプレイにとどまっておらず、

実にロックベースそのものの基盤となっている要素を、実に多く含んでいる事が解る。

彼もまた、偉大なる開拓者だったという事は疑う余地がない。

 

2002年6月27日。

ザ・フーが全米ツアーを開始するまさにその前日、アメリカ・ラスベガスのハードロック・ホテル&カジノで、

ジョン・エントウィッスルは誰にも気付かれずにこの世を去った。

享年57歳。

 

いつだったか、ジョン・エントウィッスルはこんな事を語っていた。

「最近になって、ピート・タウンゼントはようやく俺がベースプレイヤーじゃないって事を悟ったみたいだね。

俺はベース・ギタリストなんだ。

プレイしてるのはギターだけど、そいつがたまたま低い音が出るってだけなのさ。」。

 

ベースという楽器のイメージには囚われず、ロックンロールに囚われる事を望んだ男。

ザ・フーというバンドが、これからどうなっていくのかは判らない。

しかし、'60年代から自らのバンドでずーっとベースを弾き続け、後続に絶大なる影響を与え続けたという点で、

ジョン・エントウィッスルはロックベース界“最後の砦”だった。

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このベーシストへのいざない作品:

■ライヴ・アット・ザ・リーズ(ザ・フー)

■ゼン・アンド・ナウ1964-2004(ザ・フー)