第三回:ジョン・ポール・ジョーンズ
「飛行船を飛ばした男」
「ロックベーシストは、一歩下がって控え目にプレイする」という一般的なイメージは、
思えばジョン・ポール・ジョーンズなどによる影響が大きいのかも知れない。
レッド・ツェッペリンという、ロックの歴史上に名を刻んだバンドのグルーヴ的側面を語るときに、
最も忘れてはならないのがドラマーのジョン・ボーナムと、そしてベーシストのジョン・ポール・ジョーンズだろう。
ところが、レッド・ツェッペリンというバンドはヴォーカリストのロバート・プラントとギタリストのジミー・ペイジの二大巨頭があまりにもハデであった為、
不運にもリズムセクションの2人には・・・、殊にベーシストには、殆どスポットライトが当たらなかった・・・。
確かにジョン・ポール・ジョーンズはハデなベーシストではない。
レッド・ツェッペリン時代のCDでそのプレイを聴いても、正直ベースが目立ちまくるということはあまりない。
ライヴ映像を見ても、殆ど照明が当たることはなく、暗闇でただひたすらにビートを刻んでいるだけである。
何の意識もしないで聴いていると、ベースは殆ど記憶に残らないといっても過言ではない。
しかし。
やはりレッド・ツェッペリンのベーシストは彼でなくてはならなかったのだ。
ライヴにおいてのレッド・ツェッペリンは、自由奔放に好き放題歌うヴォーカリスト、ソリストとしてギターを無心に弾きまくるギタリスト、
「重戦車」の異名をとるパワフルなマイペースドラマーという個性的なメンバーに囲まれていて、ともすれば全くまとまりのないバンドになってしまいそうな勢いだった。
しかし、それらメンバーをそのベースプレイでうまく溶接し、サウンドのイニシアチヴを握っていた、文字通りキーマンがジョンだったのである。
それを意識してライヴを見てみると、実際にジミー・ペイジが前でソロを弾きまくっていたり、ロバート・プラントがシャウトをしまくっていたり、
ジョン・ボーナムが予告なしにフィルを入れたりして軽く無法地帯と化している場面でも、フロントの2人に対してはソリッドなリズムでボトムを支え、
最も気持ちよくパフォーマンス出来る土壌を作り出しているし、ドラムが適当にフィルを入れると即座に反応してキメを入れる。
そしてまた何事もなかったかのようにビートを刻む。
それが延々と続いてもリズムもグルーヴ感も乱れない。メンバーの中で「乱れない」と言えるのは彼だけだ。
おそらく彼のベースの音が止まった瞬間、一気にアンサンブルは崩壊するだろう。これについて、彼はこう語っている。
「ジョン・ボーナムと一緒にやっていた時、僕は自分のサウンドとラインがドラムを補って完全な“リズム”となるよう心掛けた。
彼も僕に対してそうあろうとしていたのは解っていたし、2人ともリズム体を一つのモノとして捉えていたよ。
バンドがいかに良い音を出すかというのが肝心な点であり、僕たちは出来る限りジミー・ペイジとロバート・プラントを引き立てようとした。
ジミーがソロを弾いていたら、僕たちはシッカリとしたバッキングで彼のソロを支える。でもそれは、紙に書き出しておいた計画ではない。
バンドに対して完璧に一生懸命だっただけなんだ。」。
また、冒頭で「ジョンジーのベースはあまり耳に残らない」と書いたが、それは決して彼のベースが地味だからではない。
実は色々とオイシイフレーズを散りばめてはいるのだが、それが目立ち過ぎないように、絶妙にアンサンブルの中に溶け込ませているからである。
実際にベースフレーズだけを取り出してみると「え?こんな事やってたんや」と驚いてしまうようなプレイが満載なのだ。
こういった神業的センスこそがジョン・ポール・ジョーンズの真骨頂だと言えるだろう。
そのレッド・ツェッペリンの最大の武器である生々しいグルーヴについても、後に彼はこう語っている。
「ジョン・ボーナムと僕は、乗せたいところへ自在にビートを乗せるのがかなり上手かったんだ。
拍子に対してビートを自由に移動させられるという事を知らない若いミュージシャンが最近は多いけど、僕たちはそれをしょっちゅうやっていた。
それが曲の緩急を変えていくのさ。でもそれは頭で考えていた訳ではなく、自然にやっていた事だ。
ただ、時にはそれをやっているのがハッキリと頭で解る事もあってね。そういう時は逆に、
普段の自分達がどこまでレイドバックしてやれているかが解って面白かったよ。
例えば、曲の中でもうちょっと切迫した感じが必要だけどそれ以上速くなってはいけないセクションがあるとする。
そういう時は少しだけビートを前へズラして、せき立てる感じにはするけど、速さはそのままにしておくんだ。
逆に、徐々にスピードアップさせる場合もあるね。ずっと同じテンポでいるべし、などとはルールブックに書かれてないからさ。
『天国への階段』は自然と加速していくけど、それは曲の緩急の一端を担っているんだ。そうしてはいけない事は何もないんだよ。」。
CDにおいても、ジョン・ポール・ジョーンズはベーシストとしてだけではなく、キーボーディスト&アレンジャーとしてバンドを動かしている。
これは、実は彼がレッド・ツェッペリンを結成する前から既にプロデューサーとして活躍していたという事実からも伺える。
ジミー・ペイジは、レッド・ツェッペリンより以前はザ・ヤードバーズのギタリストとして表舞台に登場していたが、
ジョン・ポール・ジョーンズもツェッペリン結成遙か以前から、プロのミュージシャン&プロデューサーとしての活動を開始していたのである。
また、名曲「アキレス最後の戦い」では、8弦ベースを使ってピック弾きで弾き通すという当時としては画期的なアプローチをしているという点も見逃せない。
しかも、ただ単に指弾きでも弾けそうなフレーズをピックで弾いているというような単純なモノではなく、音の合間合間に空ピッキングを入れる事で、
指弾きでは不可能なパーカッシヴな効果を出しているのだ。この事について、ジョンジーはこう語っている。
「昔やってたバンドではドラムがいなくてね。僕がベースでパーカッションのような効果を出す必要があったから、ピックでそういう音を出すようになったのさ。」
「『胸いっぱいの愛を』や『ブラック・ドッグ』、『アキレス最後の戦い』などではピック弾きした。
セッションの仕事でピックをかなり使っていたんで、弾くのは慣れていたんだ。でも僕は指弾きの方が好きだな。」
「レッド・ツェッペリンではジミー・ペイジがギターソロを弾き始めると、アンサンブルにスペースが出来過ぎてね。
それを上手く埋めるのに8弦ベースは最適なハズだと睨んでたんだ。ただ、最初にリハーサルで8弦ベースを使った時、ジミー・ペイジは凄く嫌がってね、
『そんなベースとは一緒にプレイ出来ないよ』って言ってた。でも実際に使ってみたらバッチリとハマったって訳。」
こういった実験的要素や冒険的精神を、必要に応じて様々な形で見事に昇華しているのが印象的だ。
ジョン・ポール・ジョーンズの恐るべき実力を伺い知れる面である。
1946年1月3日生まれ。本名、ジョン・ボールドウィン(ジョン・ポール・ジョーンズという名前の由来は何?)。
14歳の時、父親のダンスバンドにオルガン奏者、コーラスリーダーとして参加し、
その翌年には学校で自身のバンドを結成してアメリカ空軍の基地回りをしている。
若い頃に聴いていた音楽はR&Bやソウルミュージック、ジャズなど。
特にルイ・アームストロングやドナルド・ダック・ダン(映画「ブルース・ブラザース」でもお馴染み)、モータウンのジェームス・ジェマーソン、
ウィリー・ウィークス、チャールズ・ミンガス、ソニー・ロリンズ、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィー、
マイルス・デイヴィスなどをフェイヴァリットに挙げている。
16歳になった1962年にはプロに転向、クラブや劇場、また英国駐在アメリカ空軍キャンプを回っていたバンドに参加。
その後、特にアレンジャーとしての才能を開花させ、多くのアーティストと仕事をすることになる。
18歳の時から、レッド・ツェッペリンを結成する22歳までの数年間に仕事を共にした主なアーティストは以下の通り。
ローリング・ストーンズ(数年前にMacのCMでフィーチャーされてリバイバルした名曲『シーズ・ア・レインボウ(オリジナルリリースは'67年)』のアレンジをしたのはジョンである)、
P.P.アーノルド、ハーマンズ・ハーミッツ、ドノヴァン、ルル、ジェフ・ベック、ヤードバーズ、フランソワーズ・アルディ、クリフ・リチャード、マーク・ボラン、キャット・スティーヴンス、
P.J.プロビー、ダスティ・スプリングフィールド、ウェイン・フォンタナ&マインド・ベンダーズ、フレディ・&ザ・ドリーマーズ、ファミリー・ドッグ、マジック・ランターンズ、
ピーター・ゴードン、トム・ジョーンズ、エヴァリー・ブラザーズ、バート・バカラック、サミー・デイヴィスJr.、ポール・アンカ、デル・シャノン、エンゲルベルト・フンパーディンク、
ウォーカー・ブラザーズ、エタ・ジェイムス、ダイナ・ワシントン、ジェイ&アメリカンズ、マリアンヌ・フェイスフル、スプリームス、ボ・ディドリー、デトロイト・スピナーズ、
シャーリー・バッシー、ミッシェル・ポルナレフ、ジョージ・マーティン etcetc・・・。
つまり、レッド・ツェッペリンを結成する前からジョン・ポール・ジョーンズは、ロンドンの音楽業界ではちょっとした存在だったのだ。
先述したとおり、ジミー・ペイジがヤードバーズで活動していた以外は全員無名だったバンド内で、かなり異色のメンバーだった。
そしてレッド・ツェッペリン以前にプロデューサーとしての頭角を表していた彼が、
レッド・ツェッペリンという「世界最強の飛行船」を飛ばすキーマンになっていたのは当然と言えば当然だったのである。
しかしバンドは、1980年9月25日にドラマーであるジョン・ボーナムが急死したことであっけなく解散。
レッド・ツェッペリンという名の飛行船も、着陸しなければならない日を迎えた。
ジョン・ポール・ジョーンズは、そのジョン・ボーナムについてこう分析している。
「彼は物凄く音楽性豊かだった。沢山の音色を持ったドラマーだったよ。彼の事を、単なるヘヴィに叩き付けるドラマーだと思っている人が多いけど、
実は彼は様々なフレーズやフィルを叩いていたんだ。単なる在り来たりなバックビートを必要とする曲でない限り、単純なビートを叩いて満足するドラマーではなかったね。
そして彼は、自分の周りで起こっている事を常に意識していたんだ。常に聴いていた。僕たち全員がそうだったんだ。
ライヴでは全員が互いの音を聴き、互いを見つめている。そうする事によって、全てが凄くタイトになっていく。
ツェッペリンは誰でも曲を好きな方向へ持っていくことが出来たし、みんながそれに付いて来てくれる事も常に解っていた。
まるで鳥の群れがいて、一羽の鳥が別の方向へ飛んでいくと、突然群れ全体が向きを変えるような・・・、そんな感覚だったよ。」。
この言葉こそ、伝説のロックバンド「レッド・ツェッペリン」の凄さを端的に表しているような気がしてならない。
間違いなく世界の頂点に立っていた、レッド・ツェッペリンというバンドの・・・。
バンドがなくなったジョン・ポール・ジョーンズだったが、そのまま'80年代は、学校で作曲を教えてみたり、ポール・マッカートニーの映画に出演したり、
同じく映画のサントラをプロデュースしたり、ジョン・レンボーン、ベン.E.キング、ザ・ミッション、ブライアン・イーノのアルバムをプロデュースしたりと、
かなりセーブして仕事をしていた。
しかし'90年代に入ると、再び仕事を増やし始め、メルセデス・ベンツのショウやスペインのセヴィリア万博でのスペイン館に作曲・プロデュースしたり、
ピーター・ガブリエルのアルバムに参加したり、他にもR.E.M.、バットホール・サーファーズ、レニー・クラヴィッツ、ディアマンダ・ギャラス、ハートなどをプロデュースしたり・・・・・。
そして'99年には初のソロアルバムとなる「ズーマ」を、'01年には第二弾ソロアルバム「サンダーシーフ」を発表。
これらのアルバムは、本人曰く「自分がベーシストとしてステージから遠ざかっているのを寂しく思い、再びステージでプレイする為に製作した」アルバムだそうで、
激しいロック・インストを、強烈なベースプレイで表現している。殆どの曲をレッド・ツェッペリン時代以上と思わせるような激しさで弾きまくっていて、
「これがあの『飛行船』を飛ばしていた男の、現在の姿なのか・・・」と思うと、アドレナリンが逆流するのを感じる。
「ロック・アンド・ロール」も「ブラック・ドッグ」も「移民の歌」も「天国への階段」も、この男がいなければあれほどまでに伝説的な曲には成り得なかっただろう。
イヤ、レッド・ツェッペリンという名の飛行船も、あれ程遠く、高く飛ぶことは出来なかったに違いない。
そして2003年には、それまでツェッペリンのメンバーが、そんなモノをジミー・ペイジが保管していたという事すら忘れていたという、
ライヴ映像&音源を新たに編集したDVDとライヴアルバムをリリースした。
私たちのような、オンタイムでツェッペリンを体験出来なかった世代にとって、また新たな宝物が増えた訳である。
また、スティーヴ・ハケット(ジェネシス)、ポール・ギルバート(元Mr.BIG、レーサーX)、ヌーノ・ベッテンコート(元エクストリーム、モーニング・ウィドウ)からなる
「ギターウォーズ」にも参加し、いまだ冴え渡るレスポンシビリティなベースプレイやマンドリンプレイを披露したりもしている。
この共演では各ギタリストの持ち曲は勿論の事、レッド・ツェッペリンのナンバーもプレイしたが、その時の事についてジョン・ポール・ジョーンズは
「若いヌーノやポールの方が僕よりもツェッペリンのナンバーをよく覚えていたよ(笑)。リハーサルは4回だけしか出来なかったけど、凄く素晴らしかったね。
セッションをしても年齢のギャップなんて感じなかったよ。やはりロックやブルーズといった音楽は、僕たち共通のルーツなんだ。」と語っていた。
日本のある評論家が、1995年にジョン・ポール・ジョーンズに会った時の話。
前年の'94年に、かつてのメンバー、ジミー・ペイジとロバート・プラントの2人が「ペイジ=プラント」という名義でアルバムを製作・発売した。
言ってみればジョン・ポール・ジョーンズは蚊帳の外の扱いになっていたのだ。
その評論家はジョンと会ってすぐに「ペイジ=プラントのアルバムを聴いたけど、最悪だったよ」と話した。
するとジョン・ポール・ジョーンズは右手の親指を立ててニヤリと笑い、一言「そうか」と言ったそうだ。
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このベーシストへのいざない作品:
■リマスターズ(レッド・ツェッペリン)
■ズーマ(ジョン・ポール・ジョーンズ)