第三十一回:ラリー・グラハム
「スラップ奏法・生みの親」
冒頭でいきなりタイトルを否定するようで何だが、ベースにおけるスラップ奏法を生み出した人物が誰かという論争については、いまだに諸説ある。
一般的には今回の主人公、ラリー・グラハムであると言われているが、いまだに「初めてスラップをしたのは俺だ」と豪語して譲らないベーシストは何人かいる。
別に管理人はその論争について特定の意見を持っている訳ではないが、一般論を採用してラリー論で書こうと思う。
ちなみに、ラリーに影響を受けた豪腕スラッパーの1人、T.M.スティーヴンスは「論争は絶えないが、本当のパイオニアはラリー・グラハムだろう」と言っている。
さて、のちにエレクトリックベースの世界に新たな歴史を刻む事になる、そんなラリー・グラハムがこの世に生を受けたのは、1946年8月14日。
アメリカ合衆国・テキサス州、ビューモントが故郷だ。
ちなみに、後にラリーと共にブラックミュージック界に革命を起こす事になる、スライ・ストーンことシルヴェスター・ストーンが生まれたのもテキサス州だった。
一方ラリーの方は、2歳になった頃にはサンフランシスコへと移住したようだ。
ラリーは、彼の両親がミュージシャンという、音楽的には実に恵まれた家庭で育っている(ちなみに父親はギタリスト、母親はピアニストだったらしい)。
言うまでもない事だが、幼少の頃から音楽に慣れ親しめる環境が整っているというのは、音楽的素養を伸ばす為には重要なファクターだ。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」というヤツである(微妙に違うような気もするが(汗))。
それはラリーにとっても例外ではなく、彼も幼くしてドラムやサックス、クラリネット、ギター、ハーモニカ、更にはダンスなども習うようになった。
そして15歳になる頃には本格的にバンド活動を行うようになる。
しかし、ラリーの場合は友達とバンドを組むというパターンではなく、家族と組んだ。
彼は、母親がピアノを弾いていた3ピースバンドにギタリストとして参加。
このバンドがプロとして活動していたのかどうかは判らないが、クラブ出演などをやっていたようだ。
メンバー構成がピアノ、ギター、ドラムという編成だった為、ラリーはギターをプレイする傍ら、
エレクトーン用のペダルベースを足で操作して、1人2役をこなしていたらしい。
しかしある日、そのペダルベースがクラッシュしてしまった。
そこでラリーが考えたのは、そのままギター1本でプレイするよりも、ベースを弾いてしまおうという事だった。
考えてみれば、単純にメロディ楽器としては母親の弾くピアノがあるので、これはバンドアンサンブルの行く末(?)を考えれば当然の選択だったのだろう。
ジャズのトリオなどでもこの編成のグループは多い訳で、ラリーもその辺をよく理解していたに違いない。
こうしてラリー・グラハムというベーシストが誕生した。
ただ、当時のラリーは永久未来ベーシストに転向しようという気は更々なかったようだ。
ペダルベースが修理出来れば再び“1人2役”に戻ろうと企んでいたらしい。
が、実際にはペダルベースは復活せず、結局ずーっとベースをプレイする事になった訳だが、
逆に言えばその時もしペダルベースが不死鳥の如く復活していれば、ラリーはベーシストから足を洗ってしまっていた事になる。
これも運命のイタズラだろうか。
ともかく、ラリーの思惑とは裏腹に、ベーシストとして活動する事になったのである。
しかしそうこうしている内に、今度はドラムが抜けてしまった。リズムの要であるドラムがいなくなるとは、バンド存続の危機である。
が、しかし。
もしもここでラリーと彼の母親が、定石通りドラマーを加入させるか、或いはバンドを解散させていれば、ラリーの奇跡的な発想は生まれ得なかったに違いない。
ラリーは「ドラムがいなくなったから、自分がベースでパーカッション的な役割も果たす必要がある」と考え、
「右手の親指でベースの弦をバシバシ叩く事で、弦がフレットに当たる時のアタック音と通常の音階との両方を出す事」を思い付いたのだ。
これこそが、エレクトリックベースにおける史上初の花形奏法、スラップテクニックが誕生した瞬間である。
勿論ラリーはそれを花形奏法などと認識していた訳ではなく、ましてやベースソロとして活用していた訳でもない。
単にそういう効果が必要だったのである。
「必要は発明の母」という言葉があるが、まさにそれだ。
未知のテクニックを開発してやろうとか、アヴァンギャルドな事をやってやろうとか、ましてや自分がスポットライトを浴びてやろうとか、野心に満ちてやった事ではない。
必要に迫られてやったのだ。
しかし、必要に迫られたからと言って誰もがスラップを思い付くに至ったか?と言われると、
やはりそこにはラリー独特の合理主義的スタンスが大いに作用しているのではないか、と個人的には考えてしまう。
それ以前にギターをプレイしながら足下でベース音を出していたというキャリア的下地があったからこそ、
「1人でやれる事がひとつとは限らない」という、束縛されない自由な発想へと跳躍し得たのではないだろうか。
思うに、何かそれ以前に存在しなかったものが生まれる瞬間というのは、総じてこんな具合なのかも知れない。
やはり何かが必要になるから、それをどうにか解決しようと、人の思考はとてつもない発想を巡らせる事が出来るようになるのだろう。
そして、ラリー・グラハムという男を、一介の無名ベーシストから一躍世界的ネームにまでのし上げる事になる出会いが訪れる。
ブラックミュージック界の鬼才、スライ・ストーンとの出会いである。
当時スライは地元ラジオのDJのような事をやっていたらしいが、自身のバンド、スライ&ザ・ファミリーストーンのベーシストとしてラリーを指名。
ラリー・グラハム、弱冠20歳の頃である。
スライ&ザ・ファミリーストーンの音楽性というのは実に多彩で、一般的にカテゴライズする際にはファンクともR&Bともソウルとも言われているが、
逆に言えばそれら全ての要素を内包した(更にはゴスペルなども)、今風に言えばミクスチャーサウンドを提示していた。
そんな変幻自在のバンドサウンドの中で、ラリーはそのパワフルなグルーヴと生々しいベースサウンドとでアンサンブルの中核を担い、
スライ&ザ・ファミリーストーンの黄金期を作り出す原動力となった。
現に、スライの名作アルバムを挙げると、必ずと言って良いほどラリーが在籍していたこの時期の作品が登場するのである。
更に言えばそれらの作品は、ブラックミュージックのマスターピースとしても認識されている。
この事からも、スライ・ストーンとラリー・グラハムのコンビネーションがいかに凄かったかを理解出来よう。
ラリーがこのバンドに在籍していたのは僅かに5年ほどだったが、その5年の間にその名前と実力を世界中に知らしめたのだ。
勿論、その巨大な親指から叩き出される、人類未踏のベースサウンドと共に・・・。
スライ&ザ・ファミリーストーンを脱退した後、ラリーは自分自身のグループを結成する。
グラハム・セントラル・ステーションと銘打たれたこのグループは、その名前の通り、ラリーがバンドを率いており、
そのサウンドはスライ時代よりももう少しキャッチーなファンクをやっている。
しかしそのベースプレイはいよいよ凄さを発揮、とてつもないスピードと音圧を叩き出している。
ラリーのスラップテクニックというのは、右手の親指をピック代わりに使うような具合に弦に擦りつける。
親指を凄い勢いで弦にこすり、その勢いで親指を弦の下に潜り込ませ、そのまま親指を持ち上げて弦をはじく。
まさにピック弾きでいうオルタネイトピッキングを親指で行っているという感じだ。
だから、一般的なベーシストがピック弾きでプレイするようなスピーディなフレーズでも、そのままスラップで弾く訳である。
そしてピッキングの力が異様に強い為、音質の良くない時代のレコードでもラリーのベースサウンドはとてつもない迫力を呈しているのだ。
本人も、「とにかくパワフルにやらなければ良いグルーヴは出ない」と言い切っているほどである。
ただし、誤解なきように言っておくと、ラリーはそれをテクニカルなプレイとしては認識していない。
彼にとってはそれが普通のバッキングなのだ。
ソロを弾いている訳でもなければ、テクニックを多用しているという感覚でもない。
そこら辺が一般的なベーシストと違う点である。
現にラリーはそんな(一般人から見て)凄い事をやりながらもリードヴォーカルを取っている
(ちなみに彼の教則ビデオでは、スラップをブリブリかましながら自身のプロフィールを語っている映像もある)。
もう少し具体的に言うと、現在多くのベーシストが行っているスラップテクニックは、プリング・オフやハンマリング・オンを多用しており、
フレーズが流麗で、よりテクニカルな印象を受けるものである。
これは例えばルイス・ジョンソンやマーカス・ミラーなどがその典型だ。
一方でラリーのスラップテクニックは、本人が「親指で出す音がバスドラム、人差し指で出す音がスネア」と表現している通り、
そこにはあくまでベース&ドラムの役割を同時に担うという意味があり、装飾的に行うスラップとは根本的に異なっているのである。
だからルイス・ジョンソンやマーカスの行うスラップと比べると、ビート感という意味ではラリーのベースラインが圧倒的だ。
リズムセクションさながらのウネリ、リズムをスラップで叩き出している訳である。
ところでグラハム・セントラル・ステーションには「パウ」という名曲があるが、これなどはスラップテクニックを学ぶ者のバイブル的曲としていまだに根強い人気がある。
これからスラップテクニックを極めようとしている諸君には是非研究してもらいたい教材だ
(それからスラップの事を「チョッパー」と言うのはもうやめた方が良い。
言語的に間違っているんだし(海外で「チョッパー」と言っても通用しない。和製英語だから)、
ベルトの事を「バンド」とか、ベストの事を「チョッキ」とか、頑なに言い続けているようで情けない)。
そんなウルトラファンクバンド、グラハム・セントラル・ステーションも、ファンクミュージックが下火になるのと呼応するかのように失速してしまう
(ファンクが下火になるというより、ブラコンポップスの台頭や音楽シーンの急速な細分化→混沌化による所も大きかったであろう)。
するとラリーは、得意のヴォーカルを全面的にフィーチャーした、バラードシンガーとしての活動を開始する。
勿論常にベースを抱えてはいたが、元祖スラッパーの面影をあまり出さず、歌メインの音楽をやっていた。
意外にも結構ヒットを飛ばす。
しかし最近ではまたスラッパーとしての面目躍如とばかりに暴れまくっている。
ブラックミュージック界の麒麟児、プリンスとの共演を果たしたり、また再びグラハム・セントラル・ステーションを始動させたりと、
ガチンコファンクベーシストとしての活動を活発化させている。
インストラクションビデオも数本発売しており、生きる伝説としてその名声を欲しいままにしながら、
元祖スラッパーの親指は更にいかつく反り返って、弦をはじき続けているのである。
スラップ奏法がエレキベースの世界に与えた影響はとてつもないものがあると思う。
ベースという楽器が、サウンド的にも視覚的にもステージの花形に成り得るのだという可能性を最も端的に示す事となったし、
2フィンガー、ピック弾きに続く新たなピッキング方法として定着した事で、ベースという楽器の持つ可能性を広げ、限界点を取っ払う事にもなったのである。
それは同時に、ベースという楽器が含まれる音楽の姿も変えたという事でもある。
また、それまでは2フィンガー(1フィンガー)でしか表現されなかったファンクベースそのもののスタイルも変えてしまった。
今ではファンクと言えばスラップテクニックが不可欠なほど、両者の関係は密接なものとなっている。
今ではありとあらゆるジャンルのベーシストたちがスラップテクニックを使いこなして表現の幅を広げているし、
マーク・キングのようにスラップ奏法を特化したようなスタイルのベーシストも生み出している。
それが、1人の若者の興味深い発想の転換によって生み出されたというのは、偶然というよりも、
その後のありとあらゆる音楽が「近代音楽」として進化する為にはスラップ奏法が必要なモノとなるという、
ある種の示現の力によるものだったのではないだろうか。
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このベーシストへのいざない作品:
■スタンド!(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)
■いかしたファンキーラジオ(グラハム・セントラル・ステーション)
■魂の解放(グラハム・セントラル・ステーション)