第十回:T.M.スティーヴンス

「グルーヴマスター」

 

「ボクは年中ベースに触ってないと気が済まないタチでね。ボク自身がベース中毒なのさ」と豪語するこの男、よわい40代後半。

もうベーシストとしてはベテランの部類であり、そろそろプレイに年季が出てきても良さそうな歳である。

多くのベーシストはこのくらいの歳になると、プレイも落ち着いてきてドッシリと構えるのが一般的だが、

この男に関しては「大人しくなる」とか「地味になる」とかいう図式は一切当てはまらない

(そう言えば同世代のベーシストにはビリー・シーンブーツィー・コリンズがいるが、皆一様にして落ち着いてない・・・)。  

 

このベーシストの名は、トーマス・M・スティーヴンス。通称T.M.スティーヴンス。

アフリカ系アメリカンである。7月28日、アメリカ合衆国・ニューヨーク、サウスブロンクス生まれ。

この地域は通称「ゲットー」などと呼ばれる、黒人貧民街の一種で、T.M.も「ボクが生まれ育った街は、みながとてもタフなストリートキッズで、

そうでもなけりゃやっていけないような街だった。ボク自身、ストリートギャングにいて銃を持ち歩いていた事もある。

まぁ今は銃の代わりにベースを持ち歩いている訳で、今のボクの武器がベースだって事だね。

だからボクのベースにはどれも『T.M.'s WEAPON(T.M.の兵器)』と書いてあるだろ。」と語っている。

ところがT.M.の誕生年には諸説あり、どれが本当かは不明だ。雑誌などによると1951年生まれと1953生まれとする両ケースがあるし、

'95年に発売された彼のファーストソロアルバムのライナーノーツには「現在39歳。」と書いてあり、これを逆算すると1956年生まれ ということになる。

インタビューなどで本人が断言している機会がないので結局正しいのがどれなのかは判断出来ないが、

T.M.がベースを弾き始めたキッカケの一つに「11歳の時、ジェイムズ・ブラウンのライヴを見てからだ。その時のベーシストこそがブーツィー・コリンズだった」と言及している。

これから考えると、ブーツィー・コリンズがJB'ズに在籍していたのはブーツィー17歳の時であり、

それを見たT.M.がその時11歳だったと言うのなら、単純に両者の年齢差は6歳。ブーツィーの誕生年は1951年だから、T.M.は1957年生まれ、

ということだろうか。・・・ということはライナーノーツに書いてあるデータによる1956年生まれ説が最も信憑性があるようだ。

(ちなみに欧米人というのは日本人と違ってあまりプロフィール的なデータに固執するという文化はなく、例えば自分自身の血液型を知らない、

という人が凄く多い。ビリー・シーンなどは血液型を質問された時、「日本人にはしょっちゅう質問されるんだけど、本当に知らないんだ。

今度調べてくれないかな?」などと答えていたが、これは自身のルーツや血脈をとても重視したがるアメリカ人としては何か矛盾した、不可思議な点だ)

・・・まぁそれほど重要な事でもないかも知れないが、実はT.M.はベーシストとしては遅咲きな方である。

プロとしてのキャリアをスタートさせたのは10代の頃だったが、当時は医療機器を扱う勉強をするカレッジに通っていたそうだ。

しかし勉強そっちのけでジミ・ヘンドリックスばかりを聴いていたT.M.を見ていた教授から「お前はやはり音楽の道に進むべきだ」と言われてその気になった。

T.M.はこの事について「その教授とはいまだにいい仲さ。」と語っている。

 

プロとしてまず仕事を共にしたのはノーマン・コナーズやナラダ・マイケル・ウォルデンのバンドなど。

'79年にリリースされたナラダ・マイケル・ウォルデンのアルバム「ダンス・オブ・ライフ」には、ベーシストとして、そして1曲ではコ・コンポーザーとして、

T.M.の名がクレジットされている。

今の彼からはちょっと想像しにくいが、最初に頭角を表したのはジャズの世界だった(上記「ダンス・オブ・ライフ」は決してジャズではないが。

むしろポップファンク、ファンクロックといった具合)。

また、当時アメリカで活動していた日本人ジャズギタリスト、増尾好秋のバンドのベーシストを務めたり、

レコード化されてはいないが、マイルス・デイヴィスやアル・フォスターなどとセッションしたりしていた。

人曰く、当時のニューヨークの音楽業界ではとにかく何でも弾けないと人前では演奏出来なかったらしく、特にファンキーな物を弾けないといけなかったそうだが、

T.M.はジャズを弾くときもファンクを弾くときも常に「ロックプレイヤー」のつもりで弾いていた、と後日告白している。

 

そう、当時から目指すところはロックもファンクもジャズも関係プーのベーシストであり、全てをゴチャ混ぜにしたような、まるでスープのようなプレイヤーだった訳だ。

これは、彼が子供の頃からモータウンやジェイムズ・ブラウンと同時にレッド・ツェッペリンも大好きで、ジミー・ペイジの大ファンだったという、

音楽的に柔軟だった彼らしい在り方である。影響を受けたアーティストは?と尋ねられれば

「ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、ラリー・グラハム、ジェイムズ・ブラウン、モータウンにジェームス・ジェマーソンブーツィー・コリンズ、P-ファンク、

他にも初期の実験的なジャズなどだね」と言い、最近好きなアーティストは?と尋ねられれば間髪を入れずに

「キングスX、レッチリ、メタリカなどだ」と言う。

この世代のベーシストで、ジャズもメタルもファンクも同時にプレイして、これほど節操ない嗜好を持つ人もそうはいないだろう。

そしてあの派手な衣裳に七色の髪をドレッドに編み上げたヘアースタイル(ちなみに彼の奥さんは日本人で、T.M.のヘアスタイルを始め、

ィル・リーのヘアーメイクも行っていた事がある人らしい)だ。強烈この上ない。キャラとしてもオイシイ。

 

そんな彼がロックの世界でも名前を響かせるようになったのは'80年代に入ってから、プリテンダーズの大ヒットアルバム「ゲット・クロース」に参加し、

P-ファンクの重鎮キーボーディスト、バーニー・ウォーレルと共にプリテンダーズのツアーに同行してからである

(ちなみにこのアルバム「ゲット・クロース」からの曲「ドント・ゲット・ミー・ロング」が、数年前に三菱自動車のCMソングとして起用されてリバイバルしていた)。

この前後から急速に活動のフィールドを広げていっている。ジェイムズ・ブラウンの「グラヴィティ」、ビリー・スクワイアの「イナフ・イズ・イナフ」、

グレゴリー・アボットの「シェイク・ユー・ダウン」、ノーナ・ヘンドリックスの「フィメール・トラブル」、ジョー・コッカーの「ワン・ナイト・オブ・シン」「ナイト・コールズ」

「アンチェイン・マイ・ハート」、ティナ・ターナーの「フォーリン・アフェアー」、ビリー・ジョエルの「リヴァー・オブ・ドリームス」、ミック・テイラーの「シャドウマン」、

リトル・スティーヴンの「フリーダム・ノー・コンプロマイズ」、スティーヴ・ヴァイの「セックス・アンド・レリジョン」、

スティーヴィー・サラス・カラーコードの「バック・フロム・ザ・リヴィング」「エレクトリック・パウワウ」、HIDE(元X JAPAN)の「ハイド・ユア・フェイス」、

JKの「ホワッツ・ザ・ワーズ」、マーク・ホイットフィールドの「テイク・ザ・ライド」、JKとマーク・ホイットフィールドのコラボアルバム「ソウル・カンヴァーセイション」、

ミック・テイラーの「シャドウマン」、バーニー・ウォーレルの「ダ・ボム」、ジェル・ピッチェル・アンド・テキサスフラッドの「ヘヴィ・リッター」などのアルバムに参加している。

ほんの1曲だけ参加した作品やら友情出演した作品なども挙げ始めるともうキリがないのだが、これらの他にもジャン・ポール・ブレリーやアル・ディ・メオラ、

シンディ・ローパー、リトル・リチャードのアルバムやツアーにも参加していた。

その一方でソロアルバムを4枚発表、自身のプロデュース(ベースもプレイ)でディープ・パープルのトリビュートアルバムを制作したり、

「リムジン・ドライヴ」という映画で主演&サウンドトラック制作をこなしたりと、多忙な生活を送っている。

'02年には日本を代表するセッションドラマー、そうる透らと共に「03(ゼロサン)」と呼ばれるグループを結成、CDをリリースしたりもしている。

この03でT.M.と共演したそうる透は、かつてT.M.が共演していたナラダ・マイケル・ウォルデンに多大な影響を受けたドラマーである。その事について

「自分が影響を受けたドラマーとかつて共演したT.M.とやれたのは良かった。T.M.と共演してみて、それまでは気が付かなかった自分の欠点がよく解った。

とにかくT.M.のベースは16ビートのキレがハンパじゃないから、合わせてみると自分のストロークはまだまだだって感じた」と語っている。

しかしこれらは全て'80年代半ばからの活動ペースであり、それまでは地道にセッションを繰り返していたT.M.が、

人脈を広げていくのと平行して急に活動の幅を広げた感がある。

「ボクの活動は全て偶然に依っているんだ。

誰かと活動すると、その人が『面白いヤツがいるよ』なんて具合に他のミュージシャンにボクを紹介してくれる・・・っていう感じでね」

・・・それこそ彼の人間性をよく表しているというものではないか。

 

例えば、T.M.は自分がアフリカン・アメリカンであるということとその文化に大変な誇りを持っている。

しかし、T.M.のソロアルバムのクレジットを見てみると、参加しているギタリストはスティーヴィー・サラス、リッチー・コッツェン、アル・ピトレリなど、

いわゆる白人ギタリストばかりである(スティーヴィー・サラスはインディアンの血も入っているが)。

この事についてとあるインタビュアーが質問した時、T.M.は単純明快にこう答えている。

「良い質問だね。ボクは黒人であるという事に誇りを持っているが、自分の文化を大切にすることと、他の文化をないがしろにすることとは別の問題でしょ。

自分のルーツばかりを大切にして他のものは除け者にしてしまう。それこそが今この世の中で問題の元を起こしてるんじゃないか」。

実に解りやすい。これぞT.M.のアティテュードなのである。

別に黒かろうが白かろうが、ロックだろうがジャズだろうがファンクだろうが、別にそんな部分での分別は必要ない。

誰がどんなことをやろうが、カッコ良い音楽が完成すればいい。

T.M.がベーシストとしてこだわるのは、自分がどんなベーシストであるか、ということよりも、自分がどんなベースプレイをするか、ということである。

いつもインタビューなどで言うメッセージは、

「ベースを弾くのであって、ベースに弾かれるな。どんなことを弾こうかと頭で考えている内はベースを弾けてはいない」

「ベースを手にしたときは全力でプレイする」

「自分が何を弾いているのかを把握すること」

そして「最も重要な事は『グルーヴ』である」というものだ。

T.M.はとにかく、何をするにもグルーヴを重視する。

しかも、それを意識して表現するのではなく体から自ずと出てくるグルーヴを感じるのだ、という。

それを知って彼のベースプレイを聴くと、確かに恐ろしいほどにグルーヴィであり、彼の言葉通り、体中からグルーヴがにじみ出ているかのような音世界だ。

とにかく音がナマっぽいし、実に人間臭い。本能のままに弾いている、という感じもよく伝わってくる。

その辺、同じセッションプレイヤーでも機械のような正確さや無味乾燥さが特徴のベーシストとは全く正反対である。このことについてT.M.は

「ボクはちゃんとした教育を受けてきたミュージシャンではないから、みんなと違う弾き方をしたりフレーズを弾いたりする。でもそれがどうしたんだ?

これはボク自身が今までの活動の中で、様々なフィールドでそれぞれどんなことをすればいいかを判断・吸収してきた結果だ。」 と言い切る。

自分が表現したいことが表現出来れば、別に基本やマニュアルなど関係プーなのだ。

これこそが自由奔放なベースプレイと、グルーヴの塊のような音世界を築いている根本なのである。

ベースプレイヤーという人生を何よりもポジティヴに捉え、ベースを弾くという事を何よりも楽しむ。

本能の赴くままに弾き、体の感じるままにノる。

そうして出来上がるモノは全てグルーヴィ。

 

T.M.のファーストソロアルバムのライナーノーツに書いてある、本人のコメント。

「このCDには、メロディックなファンクもあれば激しくてヘヴィなサウンドもある。重要な

ことは全ての曲がボクのハートであり、本質であり、ルーツであるという事だ。多くの先駆

者達が創り上げてきた音楽を受け継ぎ、そこに自分のアイデアを加えて新しいユニークなサ

ウンドを創り上げる事は、アーティストとして特権であるばかりか、この上もない名誉でも

ある。

マーケット戦略上では音楽をそれぞれのカテゴリーに分ける傾向にあるが、それとは反対に

、新しい音楽とはあらゆるスタイルの音楽の要素を組み合わせる事によって生まれるものだ。

ボク達は皆、あらゆる時代の先駆者(ルーツ)の総結集であり、故に、頭ではなく心が自然に

感じるままにプレイすることが、オリジナルでリアルなサウンドを生む・・・・・・・」。

 

これぞグルーヴマスターの真髄。

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このベーシストへのいざない作品:

■グラヴィティ(ジェイムズ・ブラウン)

■バック・フロム・ザ・リヴィング(スティーヴィー・サラス・カラーコード)

■シャカ・ズールー(T.M.スティーヴンス)

■03(03)