第五回:沢田泰司
「Voiceless Screaming」
「沢田泰司」と言っても一体誰の事なのか、理解出来ない人もいるかも知れない。
「元エックスのベーシスト、TAIJI」と言えば、多くの人は「あー、あの人・・・」となるだろう。
これは、エックスというバンドが、日本のロックシーンにどれほどの知名度を持ち、かつ実績を残したかを物語る、実に解りやすい例ではないだろうか。
具体的に言えば、「ヴィジュアル系」と呼ばれるミュージシャンの昨今の台頭ぶりを見ても、その先駆けとなったエックスの、
後続に与えている影響力の大きさは想像に難くない。
エックスは、インディーズ時代から「サイケデリック・ヴァイオレンス・クライム・オブ・ヴィジュアル・ショック」を謳い文句にしており、
この中の「ヴィジュアル」という言葉が「音楽のみならず、見た目も重視する」という彼らのスタイルと相まって、
その後のフォロワー達をジャンル付けする言葉になった訳である。
ただ、エックスはそのパイオニアだったというだけではなく
(もっとも、ヴィジュアル系の始祖が誰かという事については諸説あり、人によって色々な言い方があるが、
いわゆる一般的にイメージされる音楽的方向性や見た目の演出の方向性を最もわかりやすく体現し、
かつ大成功した例としては「エックス=パイオニア」という言い方をされて間違いないだろうと考えている)、
例えばインディーズにおけるアルバムセールス記録を塗り替え、自らがインディーズレーベルを立ち上げ、
メタルバンドとして初めてアルバムをミリオンセラーにし、メタルバンドとして初めて紅白歌合戦に出場し、
国内アーティスト初のドーム連続日程公演をし・・・
などなど、記録や伝説にまみれたバンドである。
こういった実績は、単にヴィジュアル系アーティストがどうのこうのという範疇のみならず、
日本におけるロックという音楽の立場や在り方を大きく変えてしまったとも言える。
そんな日本の音楽史を塗り替えたモンスターバンドのキーマンだったのが、ベーシストの沢田泰司だった。
・・・だった、という言い方の通り、エックスの歴史において、彼が在籍していたのは僅かに6年間であり、
解雇されて'92年の東京ドーム3DAYS公演を最後に脱退した。
すぐに後任ベーシストが加入して活動を続けたものの、バンドの活動はスローペース化し、1枚のアルバムを残しただけで5年後に解散した。
つまり、沢田泰司の脱退は単にベーシストが抜けた、といった単純なものではなく、同時に大きな何かをも失ってしまった、という事なのだ。
話は少し逸れるが、管理人がベースをプレイし始めたキッカケが彼の影響である
(もっとも、その時はあまりの難易度の高さにコピーすらままならなかったが・・・)。
そしていまだに最も尊敬するベーシストの1人だ。
正確無比なピッキング、ギタリスト顔負けの縦横無尽なフィンガリング、
単なるメタルというジャンルの範疇にとどまらない、ライトハンドタッピングやスラッピングを駆使した表現技法、
多彩なアレンジ力、作曲センス、ベースサウンド、歌を大事にしながら地味に治まらないフレージングなど、あらゆる面で強く感銘を受けた。
ただ、当初はプレイの難易度ばかりに目が(耳が)行って、上記のような他の面には意識が向かなかったが・・・。
ベーシストという視点からだけでは彼の魅力は計り知れないのだ。
勿論、単に「ベーシスト」として見てみても、プレイやアティテュードなど、沢田泰司のスタイルは実にカッコいい。
こんな言葉にもその信念は見て取れる。
「バンドなら、ベースがシッカリしていないと他のメンバーが戸惑い、音がバラバラになってしまう。
だから俺は常日頃から、揺るぎないベースでいるために練習を重ねた。
つまり、団体プレイ(=バンド)というのは、個人プレイの集大成であり、1人1人の自己が確立してこそ成り立つモノだと思っている。
いつまでも努力せずに同じミスを繰り返すヤツには、それは永遠にわからないのだ。」
また、例えばある時期の彼の使用機材を見てもそのアティテュードを垣間見る事が出来る。
沢田泰司の使用ベースと言えば、キラーギターズのベースが最も有名だろう。
そしてある時期のメインアンプは「ピーヴィー・マークVIII」と「ピアス・BC-1」。
「何故アンプが2台?」と一瞬思ってしまうが、これはベースの「クリーントーン」と「歪みトーン」を別のアンプで使い分ける為なのだ。
多くのベーシストは音を歪ませる時、コンパクトエフェクターやラックエフェクターなど、エフェクターを使用するのが常套手段である。
しかし、エフェクターではノイズや音ヤセの面で満足出来なかったそうで、歪み専用のプリアンプを用意して使用しているのだ。
彼が愛用するこの「ピアス・BC-1」は、別名「ビリー・シーンアンプ」と呼ばれている通り、ビリー・シーンのベースサウンドような、
クリアでパワフルな歪みが得られるアイテムだ(勿論ビリー・シーンも愛用している)。
沢田はベースからアウトプットした音を、パッチメイトでこれらのアンプへと送っている。
そしてワウペダル。「クライベイビー・ベースワウ」を愛用しているのだが、これの使用方法もこだわっている。
御存知のようにワウペダルはペダル操作により音を「ワウワウワウ・・・」と変化させるアイテムだが、
彼はその通常の使用方法だけではなく、イコライザーとしても使用しているのだ。
・・・と言っても解りにくいが、ワウペダルはそのペダルを踏み込む量によって、
ハイがカットされたモコモコサウンド〜中域が出た少々クセのある音〜ハイが強調されたトレブリーサウンドという具合に変化していく。
これを素早く行うのでハイが出たり消えたりする「ワウワウワウ・・・」という変化が生まれる訳だ。
沢田はこれをうまく利用し、ペダルを踏み込む途中の微妙な位置で止めて(=半開きにして)サウンドのニュアンスに変化を付けているのだ。
この手法は、マイケル・シェンカーや松本孝弘など、ハードロック系ギタリストでは時々行っているのを見掛けるが、
ベースでこういう使い方をしているミュージシャンはごく稀である。
しかも彼の場合、このワウペダルによるサウンドの変化を「どの曲のどの部分で使う」と決まっている訳ではなく、
その時の気分で使ったり使わなかったりするそうだから、ちょっと驚きである。
次にサンズアンプ。ベースからの音を、ナマ音とは別にこのサンズアンプを通してP.A.卓へと送り、それをナマ音とミックスしてモニター&メインスピーカーへと送る。
これは音にこだわるベーシストなら多くの人が行っている手法だが、沢田の場合、そのサンズアンプの中身を、
より自分好みのサウンドが出しやすいように改造して使用している。
彼のコダワリは更に一歩上をいっていると言うべきだろう。
そしてシールド。音の劣化等の面でなるべくワイヤレスシステムは使用したくないそうで、ドームクラスの巨大な会場ではともかく、
中規模な会場でのライヴでは10mのシールドを用いている。
勿論、これほど長いシールドを使用すればそれはそれでサウンド劣化は起こりうる訳で、
沢田は更にラックインターフェイスを使用する事で、メインアンプ&スピーカーへとつなぐ段階での音ヤセを極限まで抑えている。
また、メインアンプの一つであるピーヴィー・マークVIIIにはコーラスエフェクトが内蔵されており、これをペダルスイッチでON/OFFするのだが、
これまたどこで掛けるかは決まっていないらしく、気分で使ったり使わなかったりするらしい。
ある時期の彼の機材をザッと挙げてみたが、こうして見てみると、サウンドに大幅な変化をもたらす物(エフェクターなど)を殆ど使用していない事に気付く。
エフェクターとしてはワウペダルとピアスBC-1、そしてピーヴィーアンプの内蔵コーラスくらいなもんだが、
これらは先述した通り、使ったり使わなかったりで絶対的なものではない。
ベーシストなら大抵が使用するリミッター/コンプレッサーさえも使っていない。
P.A.卓へ送る前の音作りの為にサンズアンプは使用しているが、殆ど「ベース→アンプ直入れ」に近い状態なのである。
では、どのようにして沢田はベースのサウンドに変化を付けているのか?
その答えは簡単だ。
それは沢田本人がエフェクターに頼る事無く、自分のテクニックでそれに対応しているのだ。
ピック弾き、指弾き、スラップと様々な奏法を自由にこなすだけではなく、それぞれピッキングする場所や弦にヒットする角度、またその強弱、
或いはベース本体のピックアップセレクターによる、フロントピックアップとリアピックアップとの微調整などでサウンドに変化を加えている訳だ。
こういった面を見ても、彼が並のベーシストではない事が伺い知れよう。
話は逸れてしまったが、沢田の魅力の違った一面として楽曲のアレンジで言えば、
初期〜中期エックスのナンバーをアレンジしていたのはギタリストのhide(当時はHIDE)と彼である。
エックスのあのドラマティックかつハードな楽曲構成は、彼ら2人の仕事によるところが大きいのだ。
実際、沢田泰司が脱退してからのhideは、エックスにおいては殆どアレンジ作業に参加していなかったようだ。
もっと具体的に言えば、ドラマーでありコンポーザーであるYOSHIKIの作る「歌謡曲メロディ」を歌謡曲で終わらせないよう、
アレンジによってバンドサウンドに仕立て上げていたのが彼ら2人だった、ということだ。
もう一つ、作曲。
エックスと言えば、曲作りをしているのはYOSHIKIというイメージばかりがあるが、実は他のメンバーが作った曲にも名曲は多い。
そんな中でも沢田泰司の作った曲は、ある評論家の言葉を借りるとするならば「エックスの男臭い部分を表現している」といった感じで、
「イージー・ファイト・ランブリング」、「デスパレート・エンジェル」、「ファントム・オブ・ギルト」など、
YOSHIKIが作るメロディアスで繊細な曲とは明らかに一線を画した、ハードで泥臭いイメージの曲が多い。
同じく沢田泰司が作曲したアコースティックナンバー「ヴォイスレス・スクリーミング」は、
某雑誌で「日本人版の『天国への階段』だ」とまで評されたほどの名曲である。
本人曰く「エックスにこんな曲があってもいいんじゃないかと思った」そうで、CDとライヴで自らアコースティックギターもプレイしている
(その「ヴォイスレス・スクリーミング」における沢田のギタープレイは、
彼がプレイしている所を見たhideが「高度だから俺には弾けない」と言ったほどの腕前でもある)。
エックスが沢田泰司を解雇した時、同時に失ったのは、ただ単に「ベーシスト」だけではなく、
当時バンド最年少にして最強のアレンジャー/コンポーザーだった。
それはつまり、沢田の脱退を機に、エックスという集団が本来の意味での「バンド」というモノから逸脱したモノになりつつあった、という事である。
事実、日本のメタルシーンを見渡しても、プレイヤー兼アレンジャー兼コンポーザーという3役として見た場合、
これほどの才能を持ち合わせたベーシストはそうはいまい。
エックスを脱退した後に参加したラウドネスでの最初のアルバム「ラウドネス」が発売された時、
彼が契約上の都合で作曲&アレンジに参加出来なかったことが悔やまれてならない
(もっとも、ラウドネスの高崎晃と樋口宗孝はこのアルバムの事を「最強のメンバーで製作された、最強のロックアルバム」と評している。
ラウドネスの司令塔であった2人にとってもこの時のメンバーがいかに好感触であったかが想像出来る)。
しかしラウドネスに加入して1年、事務所とのトラブルにより活動停止を余儀なくされる。
長い沈黙の末ラウドネスがまた活動する事になり、ドラマーの樋口宗孝に「また一緒にやろう」と誘われたが、
既に沢田泰司は個人事務所を立ち上げ、次の行動に移ろうとしていた時だった。
(彼がラウドネスを正式に脱退した直後に樋口宗孝もラウドネスを脱退。その後スライを結成する事になる。
余談になるが、樋口宗孝は殆どミュージシャンを褒めない事で有名だが、
即興で叩いたドラミングに合わせて沢田が弾いたベースフレーズを絶賛したり、
後に故コージー・パウエルのトリビュートアルバムを製作する際にも、長い間音楽活動をしていなかった沢田に声を掛け、
そのトリビュートアルバムの中でもハイライト的ナンバーである「キル・ザ・キング」を沢田にプレイさせたりもしている。
また、樋口がラウドネスを脱退した直後にも沢田に「TAIJIとはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と声を掛けたりしていたそうで、
樋口にとってかなりお気に入りのベーシストであるようだ。)
樋口以外でも、ふとしたことから沢田泰司とステージに立つ機会があったセッションドラマーのそうる透も、沢田の印象についてこう語っている。
「TAIJIのライヴパフォーマンスは抜群だし、曲に対するアプローチが凄く良い。性格も良い。
光ってるベーシストに今まで何人も会ったけど、TAIJIは僕の探してるドラゴンボールの1つのようなベーシストだ。」。
また、エックス時代の戦友・hideが、エックス解散後にバンドを立ち上げた際、とあるインタビューで
「ベースをhideさんが弾いているので、ベーシストが弾くベースじゃなくてギタリストらしいベースになってますよね」と質問され、
それに対して「結構ね、影響されてるベーシストってTAIJIだったりするんですよね。
あの人はもともとギタリストだったから、かゆいところに手が届くフレーズを弾いたりするんですよ。
それにすごい影響されてるかな?」と、沢田を分析・評価している。
その後沢田泰司は、自分にはエックスの時と同様、メンバー探しから始めるバンドの方が合っていると考え、
結成したのがD.T.R.(ダーティー・トラッシュ・ロード)だった。
このバンドでは、それまでに彼が渡り歩いてきたバンドから見れば、拍子抜けするくらいに肩の力を抜いた、'70年代テイストを全面に押し出した、
日本人離れしたサウンドを出していた(本人の言葉を借りると、「ドゥービー・ブラザーズにヘルス・エンジェルスがついてくるようなバンド。」)。
沢田の魅力の一つであるアコースティックナンバーも大きくフィーチャーしていたし、ベースプレイもドッシリと貫禄があって味わい深いものである。
D.T.Rの音楽性を無理矢理ジャンル分けすれば、当然「ロックンロール」とかいう事になるだろうが、
よく聴いてみればその一言ではくくれないほど多様な楽曲があり、
ファンキーなものからブルージーなもの、そしてグランジっぽいものやメタリックなものなどまさにミクスチャーと呼ぶべき内容で、
沢田をはじめとするメンバーの懐の深さを見せ付けている。
エックスやラウドネスを好まなくともこのバンドは好き、というファンも多い。
しかし、ヴォーカリストの脱退を契機に、沢田個人としても離婚問題などが同時発生し、D.T.R.は空中分解。
そしてそれを最後に、沢田泰司は音楽界から忽然と姿を消した。
1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。
小学2年生でアコースティックギターをプレイし始める。
その3ヶ月後、特訓の末に「禁じられた遊び」をマスターし、クラス会で披露。これが彼の生涯初のライヴである。
またこの頃初めてビートルズやクイーンを聴き、物凄い衝撃を受けたそうだ。
「いつかはこんな風になりたい。彼らのように、初めて音楽に興味を持った人に対して、影響を与えられるような音楽をやりたい」、と・・・。
幼い頃の趣味は、料理(本人曰く「一時は料理人になろうかと考えた」事もある程の腕前)、
サッカー、野球、卓球(どれも市内で2位とか県大会優勝などの輝かしい成績を持つ)、
釣り(ウナギ釣りで一晩に10尾を釣り、その日だけで\5000を稼いだ事もある)等。
その後、スポーツに関しては中学卒業の時点で見切りを付け、本格的に音楽に入れ込み始める。
高校1年生の時に初めてエレキギターを持った(この時点で既に8年のキャリア!)事から、エレキギターとバンドへの道を突き進み、
16歳の時にヘヴィメタルバンド「トラッシュ」結成。
その頃はまさに音楽漬けの日々を送っていたそうで、高校の軽音楽部ではビートルズのコピーバンドを組み、
ライヴハウスではラウドネスや子供バンド、モーターヘッド、レインボーなどのコピーをしていたらしい。
17歳の時、友人のバンドでベースをプレイした事をキッカケにベーシストに転向。
高校入学後1年間で中退、そして家出。ラブホテルで住み込みのアルバイトを始める。
その後、ディメンシア、プロウラー、デッド・ワイヤーなどのバンドを経て、'86年、20歳でエックスに加入した。
当時のメンバーはTOSHI(Vo.)、YOSHIKI(Dr.)の2人。
その後、元ジュディのPATA(Gt.)と元サーベルタイガーのhide(Gt.)が加入。
その後YOSHIKIが社長の座に就く(ただし通称は“組長”)」インディーズレーベル「エクスタシー・レコード」を設立。
アルバム「ヴァニシング・ヴィジョン」をリリース(その後、このレーベルからはルナシーやジキル、レディース・ルーム、東京ヤンキースなど、
その後の日本のロック界を席巻するバンドを数多く輩出している)。
'89年、アルバム「ブルー・ブラッド」でメジャーデビュー。
総製作時間600時間、フルオーケストラとの共演など、当時の新人バンドとしては破格の扱いを受け、鳴り物入りでのデビューだった。
'91年にはアルバム「ジェラシー」リリース。
この頃から、沢田のみがパーマネントメンバーではなく、スタジオミュージシャンとしての契約になったらしい。
'92年1月、東京ドーム3DAYS公演を最後にエックスを脱退。25歳。
同年4月、元EZOの山田雅樹と共にラウドネスに加入、アルバム「ラウドネス」をリリースする。
しかし僅か1年間で脱退、ダーティー・トラッシュ・ロードを結成。
アルバム3枚をリリースするもバンドは空中分解、そのまま家庭から出て、放浪の旅人となった・・・。
リュックサックとオベイションのギターだけを持ったまま上野公園などで寝泊まりの日々。
毎朝、公園の水道蛇口をペンチでひねり、身体を洗うことから1日が始まった。
それまでの酒の暴飲で、肝臓がボロゾーキンのようになってしまっていた。
生きる事がイヤになり、自殺未遂も何度か起こした。
暴漢に角材で殴られ、前歯を4本とも失い、アゴが思うように動かせない程の傷を負った。
「自分はいつ死ぬんだろうか・・・」、毎日そんな思いに支配されていた・・・。
そんな日々が2年ほども続き、また偶然にもエックスのメンバーと再会したのは、かつての朋友、hideの葬儀会場だった。
そこで無惨な姿の沢田を見かねたエックス時代のメイク師が、自宅に連れて帰り、通院させたり住居を与えたりした。
入院して肉体と精神の治療をし、やっと人並みの生活が出来るようになった彼は再びバンドを結成。
クラウド・ナインと名乗ったそのバンドは、インディーズながら動き続けていたが、メンバーとの話し合いの結果、脱退。
その後は細々とチャリティーイベントに参加したり、作曲活動やリハビリを行ったりしていた。
そして'03年、沢田泰司は目黒鹿鳴館でのライヴを足掛かりに、また音楽界にその勇姿を現した。
それは意外にもメタルバンドではなく、また沢田本人もベーシストという立場に縛られないグループとなっている。
そのグループの名は「音風」。
このグループでは沢田はギタリストとして在籍している。その事について沢田は、
「長年の夢であったギタリストとして活動していこうと考えている」と言っている(とは言っても、ライヴではド派手なベースソロをブチかましているが)。
また、彼の実妹であるMasayoもヴォーカリストとして参加している。
その他にも多くのメンバーに囲まれているが、沢田はあくまで自然体で音楽をやっていく事を重視しているようだ。
一度は脳梗塞に冒された彼の肉体が、まだまだ完全には回復していない事や、それまでの活動とは反対に、
ミュージシャンとして必要以上に気を張って走り続けていくのはやめようという事を決意している為であろう。
ライヴやレコーディングなどもあくまでマイペースでやろうとしているようだ。
が、そんな軌道に乗りかけた沢田を襲ったのは、またもやあまりにも皮肉な事故だった。
交通事故によって足の腱を断裂してしまい、松葉杖無しでは歩行困難なほどの大怪我を負ってしまったのだ。
しかも、完全回復は不可能なほどの。
沢田泰司本人もこれには当初かなりショックを受けたようだったが、それでも今は
「足がダメでも両手があればギターもベースも弾ける。車椅子に乗りながらでも音楽をやり続ける」
と、再度自分自身を奮い立たせ、また音楽に対する情熱を沸々と燃やしているようだ。
過酷なリハビリも行っているようで、最近では医者にも不可能かもと言われた「杖なし歩行」が出来るほどにまで回復しているという。
ちなみに音風のライヴでは、沢田本人がリードヴォーカルで、今は亡きhideの曲「ロケット・ダイヴ」をやっている。
これは彼なりの、hideへの友情と敬意とを込めたレクイエムのようなものなのかも知れない。
「そびえるロケット 錆び付く前に発射さ 何度でも打ち上げよう Ready?3,2,1, Go!」
・・・「ロケット・ダイヴ」のこんな詩がまた、沢田の魂を揺さぶったのではないだろうか。
そして2006年、大きなニュースが飛び込んできた。
何と、空中分解したままになっていたD.T.Rが復活するというのだ。沢田泰司はこう語る。
「俺の中では『解散』なんて一言も言っていないし、そう思ったこともない。
『いつかまた』ってずっと思っていたタイミングが、やっと今、合ったんだ。」。
確かにD.T.Rは解散するというようなアナウンスは流してはいなかったし、メンバーの口からそのような事が語られた事もなかった。
ファンから言わせてもらうと、何かよくわからない内に活動停止になっていた、という感じだった。
いずれにしろ、何か釈然としない休止だった訳だが、まさか再始動するとは。嬉しい意外さである。
しかし実際の所は、ギタリストの藤本泰司は「音風」にゲスト的に参加していた事もあったし、
ヴォーカリストの竹内光雄は、自身のイベントで沢田と共演した事もあったし、
音信が不通になっていたという訳でもなさそうだ。
或いは随分前から、本人達の心の中では再始動という案が生まれていたのかもしれない。
いや、そう信じたい。あんな風に中途半端な形で活動休止せざるをえなかっただけに。
沢田は2006年の大阪でのライヴの後、以前から患っていた椎間板ヘルニアの手術を受けた。
体の不調を少しずつ少しずつ治していき、機は熟していそうだ。
まさにこれからが沢田の新しい音楽人生の出発だと言えるだろう。
思えば、これまでの彼の人生というのはバンドを中心としていながら、同時にバンドに振り回されてもいた。
才能がありながら、人間関係や事務所との問題、そして身の上に起こる様々なトラブルに悩まされてきたのだ。
名曲「ヴォイスレス・スクリーミング」を生み出した彼だったが、実は誰よりも“声無き叫び”を発していたのは、沢田泰司本人だったのではないか。
しかし、2006年は彼にとってリスタートとも呼べる年。まだまだこれからである。
そして、先日出版された自叙伝でのあとがきでも、こう結んでいる。
「今更ながら俺は思う。
『人は一人では生きていけない』
エックスのメンバーを始め、俺と関わりを持ってくれたたくさんの人々、
そして俺を救ってくれた命の恩人に、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。
『やってやれないことはない。やらずにできるわけがない』
この、エックスの信念を胸に刻み、必ずや、俺は生き返ってみせる。」。
更に、D.T.Rが再始動する事についての心境を、「船は港から出港しました。目指す場所は、いずれわかるでしょう」と語っている。
今後は怪我と闘いながらも、「音風」では彼のナイーヴさを素直に表現する“自然体の音楽”を、
D.T.Rではロックベーシストとしての才能を剥き出しにして“ロックンロール”を追求していくに違いない。
それが、かつてエックスという巨大な旋風の中で“破滅へ向かって”走り続けた沢田泰司という男の、これから新たに歩んでいく道なのだ。
彼はとてつもない成功を手に入れ、その後に人間として最悪の辛酸を舐め、そして今の境地に辿り着いた。
そう、彼のベースに刻まれているのは不死の鳥、フェニックスである。
--------------------------------------------------
このベーシストへのいざない作品:
■ブルー・ブラッド(エックス)←2007年2月から、期間限定でデジタルリマスター盤が発売中。
■ジェラシー(エックス)←2007年2月から、期間限定でデジタルリマスター盤が発売中。
■ラウドネス(ラウドネス)
■ダーティー・トラッシュロード(ダーティー・トラッシュロード)