第二十三回:櫻井哲夫
「“技”の総合商社−侍編−」
ミュージシャン同士で会話をするとなると、しばしば話題に出るのが「世界一上手いプレイヤーは誰か?」とか
「日本で一番上手いプレイヤーは誰か?」といった類のモノである。
確かに老若男女を問わず様々なプレイヤーの名前を出して分析し、あーだこーだと話し合うのは盛り上がりもするし、楽しい面もある。
しかし、当たり前の事だが、ミュージシャンとして大成している全ての人にはそれぞれの持ち味や個性がある訳で、
そんな事を比較してみたって結論は出るハズはないし、上手いとか下手とかの判断基準にもなる訳はない。
作曲能力をウリにしているミュージシャンもいれば、ルックスやスタイルをウリにしているミュージシャンもいる。
自分では表に出ず、誰かをプロデュースする事で才能を発揮するミュージシャンもいる。
要するにまぁぶっちゃけて言ってしまえば、こんな議論には何の意味もない訳だ。
ただ、強いて言えばそういった議論の中で頻繁に名前が挙がるミュージシャンがいるとすれば、
そのミュージシャンの“ウリ”は多くの人が一致した印象を持っている、と言う事は出来るであろう。
例えば「歌唱力が飛び抜けているヴォーカリスト」というカテゴリーで話をすると、ほぼ必ず美空ひばりの名前が挙がるように、
あるプレイスタイルにおいてそのカテゴリーの中で最大公約数的な存在として名前が挙がるミュージシャンは、
確実に“その道”での代表選手である、と判断出来るという事である。
ベーシストにおいて言うならば、歌唱力における美空ひばりと同様に、テクニックにおける代表選手としてほぼ間違いなく名前を挙げられるのが、
櫻井哲夫である。
そう、あらゆる技を駆使して華麗に使いこなすという「テクニカルベーシスト」のカテゴリーにおいて、櫻井哲夫の名前が挙がらない事はほぼ有り得ない。
例えばこれまでに紹介したビリー・シーンなどは、4弦・エレクトリックベースのテクニックならばロック界でこの人の右に出る者はいないだろうという、
ある種の一点豪華主義的なテクニカルプレイヤーである。
ビリー本人が「僕が若い頃は、白人は“親指テクニック(=スラップ)”は必要とされなかったんだ」と語っている通り、スラッピングは殆どやらないし、
あまり得意ではないというような事も言っている(まぁそれでも十分ウルトラCなテクニカルぶりであるが)。
しかし、櫻井哲夫のテクニカルさは、そういう手段や道具を限定するような種類のものではない。
逆に言えば、どんなベースでどんな事をやってもテクニカル、なのである。
もっとも、これは櫻井がジャズ/フュージョンという、傾向的にテクニックが要求されるケースが多いフィールドで活動している事にも起因しているが、
それでも同じフィールドで活躍しているベーシスト達の中で見ても頭一つ飛び抜けた技術力を持っているのだから、
そのテクニックぶりはハンパではないという事がお解りいただけるだろう。
例えばエレクトリックベースにおいては、ヤマハの6弦ベースを自在に操っているのだが、
まぁエレクトリックベースにおけるテクニックで、櫻井がこなしていないテクニックなど殆どないだろう。
よく言われるのは速弾き、スラップ、タッピングなどだろうが、どれを見ても超弩級、完全なる達人の域である。
速弾きもスラップも、以前所属していたバンド「カシオペア」時代からベースソロでガンガン駆使して弾きまくっていたし、
タッピングに関しては“モントゥーノタッピング”という超絶技巧までをもモノにして使いこなしている。
モントゥーノタッピングとは、ギターで言うボスハンズタッピングと似ているが、ソロにおける音域を広げるという一般的なタッピングの目的とは多少異なり、
バッキングのコードとソロとを同時に奏でてしまうという世紀末的テクニックであり、ジャズギタリストのスタンリー・ジョーダンのスタイルに近いモノがある。
一般的には、ベースでバッキングとソロとをレコーディングする時には、それぞれをオーヴァーダビングする訳だが、
櫻井は一発録りにこだわってモントゥーノタッピングをやっている。
そしてフレットレスベース。
フレッテッドベースに比べるとよりシビアな音感とテクニックが要求される訳だが、当然櫻井は鬼のフレットレステクニックをかます訳だ。
・・・ただ、主にメロディアスなバラードやソロで活用する場合が多いようだが。
当然ウッドベース。まぁ厳密にはレコーディングではサイレントベース(ウッドベースのボ
ディ部をなくし、エレキ同様音を電気信号化して出せるようにしたアップライトベース)を
使用する場合が多いようだが、エレクトリックよりもパワーや音感を必要とされるウッドベースでも狂気のように弾きまくったり、
ハイポジションでソロをぶっかましたりしている。
「ウッドベースと言えば4ビートに乗せてのんびりとウォーキングしている」というイメージが強い人も多いだろうが、
「櫻井哲夫、使い方間違ってるやん」などというツッコミは無粋だ。本人は語る。
「インストをやってるけどヴォーカルものも好きですし。そして勿論ハイテクなベースプレイもやりたいし、ファンクやロック、それからジャズ、ラテンもやりたい。
その中にオリジナリティがあればいいと思ってます。」と。
逆に言えば、オリジナリティが出せれば何でもアリ、という事だ。
その言葉通りというか、ドラマーの神保彰とのユニット「ジンサク」を始めてからはピッコロベースも使いこなし、
これまた櫻井哲夫一流のテクニカルさを発揮している。本人曰く
「ベースという低音楽器が前面に出過ぎると、やっぱり変な感じがするんですよね。その点ピッコロベースだと違和感がないんです。
そういう意味でピッコロベースは僕にとって大切な楽器ですね。」
だそうで、逆に言えばピッコロベースは前面に出まくるフレーズを弾く用にプレイしていると言っても良いだろう。
テクニカルなソロの為には楽器を選ばない、とまで言うのは言い過ぎだろうか。
また、櫻井哲夫のプレイの特徴として、様々な音楽の要素が溶け込んでいる、という点が挙げられる。
勿論、カシオペアなどは完全なるフュージョンバンドな訳で、パッと聴いただけでは櫻井のベースプレイもフュージョンベースとして聴き流してしまうが、
よくよく聴いてみると、8ビートでドッシリとプレイする時などは、ジャズ/フュージョンプレイヤーが弾いているとは思えないほど弾きなれた感じが出ているのだ。
よく言われる事だが、ジャズしかプレイした事のないミュージシャンがロックをプレイするとどうも違和感があるもので、
櫻井が8ビートに馴染んだプレイをしているというのは意外かも知れないが、実は櫻井はベースをプレイし始めた頃には、
8ビートを中心としたようなビートロックもプレイしていたそうで、そういったルーツがプレイに如実に表れている訳だ
(そう言えば以前どこかで、櫻井のフレージングにはどうもジャズ/フュージョンとしては違和感のあるようなモノが多い、
テクニックは認めるが好きにはなれない、というような批評を目にした事があるのだが、
これも櫻井の守備範囲の広さゆえに純血ジャズリスナーには何らかの違和感を感じさせる事があるのかも、と今思ってしまった)。
櫻井哲夫。
1957年11月13日、東京都に生まれる。
14歳の頃にベースを手にする。当時はグランドファンク・レイルロードのメル・サッチャーが好きだった。
1976年、慶應大学商学部入学後に、ギタリストの野呂一生と共にフュージョンバンド「カシオペア」を結成。
1978年には、当時アマチュアミュージシャンの登竜門的コンテストであったイースト・ウエスト大会に出場、
見事中野サンプラザでの決勝大会まで勝ち進んだ。
結果的には野呂一生がベストギタリスト賞を、櫻井がベストベーシスト賞を受賞したのだった
(ちなみにこの時ベストヴォーカリスト賞を受賞したのが、後に日本ポップス界の至宝となるバンド、サザンオールスターズを率いる桑田佳祐だった)。
1979年、アルバム「カシオペア」でプロデビュー。
その翌年にはハーヴィ・メイソンとボブ・ジェイムスがアルバムをプロデュースするなど、早くも活動がインターナショナル化していき、
'81年には4thアルバムがグラミー賞のジャズ部門にノミネートされる。ちなみにこの年に櫻井は慶應大学を卒業している。
翌年にはリー・リトナーやネイザン・イースト、ドン・グルーシンと共演を果たし、
10枚目のアルバムをリリースした後にはロンドンのドミニオン・シアターで初の海外公演も実現する。
更に翌年にはモントゥルー・ジャズフェスティバルに出演、国内ツアーも敢行。
'85年にはヨーロッパツアー、アジアツアーも成功させ、名実共に世界的なミュージシャンへと成長していったのだった。
櫻井哲夫、28歳の頃である。
'86年には初のソロアルバムをリリース、翌年にはカシオペアでのブラジルツアーへ。
しかし、'89年にはドラマーの神保彰と共にカシオペアを脱退する。
もっとも、これはよくある「メンバー同士の音楽性の相違」とかそういった類の理由ではなく、
「カシオペアでは10年以上やって来た訳だから、それとは違うモノもやってみたい」という感じだったと後に本人が語っている。
いずれにしろ、こうしてドラマーとベーシストのみという異色のユニット、ジンサクを結成する。
ちなみにこの名前は神保彰の“神”と櫻井哲夫の“櫻”の2文字をくっつけたという、恐ろしいほどストレートなネーミングである。
ジンサクでは、カシオペアとは違い、2人の共通する音楽でもあるラテンを前面に出したフュージョンを展開し、
またリズムセクションの2人が中心になるという事もあって、よりテクニカルで興味深いリズムメソッドを展開している。
また、2人以外のパートを様々なミュージシャンにサポートしてもらう事で、これまでにない多彩な共演も果たすようになった。
アルバムによっては積極的にヴォーカルをフィーチャーし、単なるインストゥルメンタルユニットの範疇を越えた作風にも挑戦している。
'95年にはインドネシアツアーとジャカルタツアーを行い、ジンサク8枚目のアルバム「ブレイズ・オブ・パッション」が、
アドリブ誌でその年のベスト・レコードに選ばれる。
'98年を境にジンサクは活動を休止するが、櫻井哲夫はコンスタントにソロアルバムをリリースし、ジンサクで得た人脈をフル活用して、
今なお幅広い活動を繰り広げている。
これまでに日本全国各地は勿論、世界約20ヶ国でのライヴ活動を繰り広げ、バンドとソロで合計38枚のアルバムをリリースしているというパワフルさである。
なお、恐ろしくどーでもいい話題だが、櫻井はその爽やかなルックスを武器(?)に、TVのCMに2度ほど出演した事がある。
それはメルセデス・ベンツのCM('92年)と、シャープのワープロ「あざやか書院」のCM('94年)だが、日本にベーシスト数多しと言えども、
CMに2度出演した経歴を持つのは櫻井くらいではないだろうか(汗)。
激しく人間離れしたテクニックを持ち、浮世離れしたバイタリティをも持ち合わせている男、櫻井哲夫。
我々素人から見ると、もうこれ以上上達するのは不可能なんじゃないかと思ってしまうほどの激ウマベーシストだが、
本人はサクッとこんな言葉を言っている。
「所詮私なんざぁ、限界が見えてますよ。自分の理想とするモノが表現出来ないという事は多々ありますね。
勿論テクニック的な意味でもね。とにかく僕はまだまだです。」。
この男のベースプレイ、一体どこまで行くんだろうか・・・。
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このベーシストへのいざない作品:
■ゴールデン☆ベスト(カシオペア)
■ベスト・セレクション(ジンサク)