2012年の黙示録

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 まんが 八百長経済大国の最期

ベンジャミン・フルフォード・著  光文社  2004年9月刊
  著者は、米経済誌「フォーブス」アジア太平洋支局長。1961年カナダ生まれで、日本で約20年間ジャーナリスト活動を続けている人物です。前著の『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』は衝撃的な内容でした。それは、この国を動かしている権力(政・官・業)がヤクザと癒着していることを告発する内容だったのです。だから、不良債権の処理も進まないし、国の財政再建は期待できないというものでした。
  その情報収集力は独特のものがあり、分析にも大変説得力があります。前著では、日本がアルゼンチンのように国家破産をして、国民が大変悲惨な状態になることを懸念し、警告を発していましたが、今回はついにそのことを確信する内容に変わっています。
  普通に読むと悲観的になる内容ですが、これがわが国の現実であるということを直視することが大切だと思います。そうすることで、これから起こる事態に大きく動揺することなく、日本再生のための産みの苦しみであると考えて、冷静に対処していかなければなりません。                                   (なわ・ふみひと)
 国家破産が迫っているのに首相は知らん顔

●あなたは、日本をどんな国だと考えているだろうか? こう聞けば、日本人なら誰もが「経済大国」と答えるだろう。しかし、それは本当だろうか?
  たしかにいまのところ、日本経済の規模はアメリカに次いで世界第2位であり、「経済大国」と呼ぶのにふさわしい。しかし、その内実は、本当に「経済大国」と呼ぶのにふさわしいだろうか?
  あるいは、「資本主義国家」、「自由主義経済国家」と呼ぶにふさわしいだろうか? さらに、日本人自身が信じているような「民主主義国家」と呼ぶのにふさわしいだろうか?
  私には、絶対にそうは思えない。
  では、いったい、日本はどんな国家なのか?
  それは「インチキ資本主義」に基づいて、「八百長経済」をやっている「八百長経済大国」=「泥棒国家」なのだ。
  このことはこの本のなかで順次説明していくので、とりあえずここでは、この国家のリーダー・小泉純一郎首相から話を進めていきたい。

●2001年、「改革なくして成長なし」という絶叫とともに小泉純一郎が日本の首相になったとき、日本国民の多くが「これで本当の改革が行われる」「日本は生まれ変わる」と信じたに違いない。当時の彼の内閣の支持率が80%以上あったことを思えば、日本国民なら、まず間違いなくそう信じたはずである。(中略)
  残念ながら私は、小泉が就任した当時から、彼を改革者だとは信じてこなかった。改革者というより、むしろ改革を逆行させる男だと断じてきた。
  私はある時から、この国を「政・官・業・ヤクザ」の「鉄の4角形」が支配する国だと確信し、「失われた10年」は「ヤクザ・リセッション」だと言ってきたが、小泉はこの頂点に立ち、このシステムを温存するために首相になっただけの人物だと思ってきた。
  それは、小泉の言う「改革」がニセモノであること、また、その「改革」が進むごとに、日本の衰退がどんどん加速されてしまうからである。
  そればかりか、「政・官・業・ヤクザ」の支配はますます強まり、日本の破産はもう目前に迫っている。つまり、日本がアルゼンチンのようにデフォルト(国家破産)し、私の最初の著書『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』が現実になってしまう日が近づいている。

●2004年7月に参議院選挙があったが、その争点は「年金改革」と「イラクの多国籍軍参加問題」だと、この国の大メディアは規定した。しかし、そんなことが、いまの日本が直面している大問題なのだろうか?
  どうか本当に冷静になって、考えてみてほしい。
年金改革も多国籍軍参加問題も、国家の破産が目前に迫っている状況を前にして、大問題であろうはずがない。それは、むしろミクロの問題であり、日本はマクロがどうしようもなく病んでいる。
  このマクロを解決しないで、ミクロが解決できるわけがないのは、誰にでもわかるだろう。
  現在、日本の破産に関しては多くの本が書かれているし、内外のエコノミストやメディアも警告をたびたび発している。しかし、不思議なことに、日本人自身にその自覚がない。
  そして、小泉は知らん顔を決め込んでいる。
  国家財政が事実上破綻しているのに、それを選挙の争点としない政治家が本当の改革者かどうかは、言うまでもないだろう。

 日本の財政制度はそもそもがインチキ

●国家財政が破滅的な赤字だというのに、なぜ日本ではムダな公共工事が続けられるのだろうか? 
  その答えは、この国の財政が根底からインチキだからである。
  一般的に国家の財政というのは、単年度の予算(一般会計)を見れば、ある程度わかるものである。
  しかし、日本ではこの常識がまったく通用しない。それは、この国には「一般会計」とは別に「特別会計」があるからだ。この「特別会計」は、驚いたことに議会の審議なしに国家が勝手に予算を組めて使えるということになっている。私がなぜ「日本は民主主義ではない」と言い続けているか、これでわかってもらえると思う。
 「特別会計」をわかりやすく言えば、一般企業の「裏帳簿」であり、つまり、これがあるおかげで、日本政府はいくらでも借金を隠せるし、不良債権を飛ばすこともできるようになっている。しかも、この「特別会計」は「一般会計」より、その予算規模が大きい。
  2004年度の政府の「一般会計予算」の総額は約82兆円だが、「特別会計」は正確な数字が発表されないものの、規模としては約330兆円あるとされている。そして、この「特別会計」には「財政投融資」という制度があって、これによって政府は勝手に国民のお金を公共工事につぎ込めるようになっている。
  もちろん、「一般会計」であろうと「特別会計」であろうと、その財源は国民の税金である。つまり、政府は年金や郵便貯金などの国民のお金を「特別会計」に入れ、議会の干渉を受けることなく、「財政投融資」という名目で使いまくってきたのである。
  議会などといっても、そこにいるのは官僚と結託した族議員だから、ここでも「民主主義」は機能せず、まじめに働いている国民は、いりもしない公共施設、道路、ダムのために際限もなくお金を巻き上げられてきたのだ。

●ここで話を戻して、「一般会計」についてもう一度ふれると、2004年度の総額は82兆円である。これに対して、国民からの税収は約42兆円だから、引き算をしてみれば、ここですでに40兆円足りないことがわかる。これが家計ならこんな予算は成り立たないだろう。収入の倍のお金を使うことなど、それに見合う貯蓄がなければできないからである。
  しかし、国家というものは貯蓄がなくてもお金を使うことができるようになっている。それが、国債という国家の借金で、これは簡単に言うと「国が発行する借用証」だ。ただし、これには利回りがあるので、購入してくれる投資家や金融機関があるかぎり、発行することができる。2004年度予算の国債(新規国債)発行額は、36兆5900億である。日本政府はこのように、毎年新規国債を発行しては、現在にいたるまでムダ使いを続けてきた。
  では、これまで日本政府は、いったいどれくらいの国債を発行してきたのだろうか?
 財務省が発表しているところによると、日本の国債の発行残高の予測は、2004年度予算に計上された分を含めると483兆円である。つまり、2005年3月時点で、日本政府は483兆円にものぼる借金を持つということになる。なんと、この額は日本の1年間のGDP(国内総生産)に匹敵する。(中略)

●日本のこの公的債務の大きさは、世界の主要国に比べると、本当に異常である。
  483兆円という額は、「一般会計」税収のおよそ12年分に相当する規模だから、国民1人当たりの借金に置き換えると378万円になる。しかも、日本という国家の借金はこれだけではない。なぜなら、地方も地方債という債権を発行しては借金を重ねてきたからだ。それで、この地方債も含めると、借金は719兆円まで膨らんでしまう。
  経済協力開発機構(OECD)の調べでは、対国内総生産(GDP)比で161.2%。主要先進国で最悪の水準である。
 日本(161.2%)  イタリア(116.7%)  カナダ(73.6%)   フランス(72.0%)
 ドイツ(66.7%)   アメリカ(66.0%)  イギリス(55.0%)

 「国のバランスシート」は債務超過

●さらに、日本政府の借金物語は続く。
  前記したように国債残高は483兆円とされているが、実はまだ政府が借金できる財政投融資に使う「財投債」というものがある。これは、政府が公共事業のために使うお金を調達する目的で発行される。それでこの「財投債」まで含めると、政府部門だけでも、その借金は600兆円を超えてしまうのだ。しかも、これを単年度でみると、2004年度だけで、国債の総額はなんと162兆円にまで達してしまう。
  これは、誰が考えても狂気の沙汰だ。「一般会計」の税収の総額が42兆円しかないのに、その4倍もの借金をかかえ、しかも、毎年新しい借金をし続けているのだから、これを返せると考えられる人などいないだろう。
  ただし、どんなに借金を重ねても、それに見合う資産さえあれば、その借金は正常債権ということができる。資産を換金すれば、借金は返せるからだ。そこで重要になってくるのがバランスシート(貸借対照表)だ。(中略)
  日本はこれまで「国のバランスシート」をいっさい公開してこなかったのである。(中略)当然、日本政府に対する批判は強まり、ついに2003年になって、日本政府は「国のバランスシート」をはじめて公開することになった。
  このバランスシートを見て、海外の投資家は驚いた。なぜなら、それまで経済大国だから相当の資産を貯め込んでいるだろうという予想が、完全に裏切られたからだ。

●日本の「国のバランスシート」は病んでいた。とんでもない債務超過だった。なんと、その超過額は約885兆円である。日本政府の持っている「資産の方」は、現金、預金、有価証券、固定資産などを総計して約822兆円だが、これに対して「負債の方」は、合計して1707兆円もあった。「負債の方」とされるのは、民間保有の国債、公債、地方債などのほかに、郵便貯金や簡易保険料などが含まれる。
  では、債務超過ということはなにを意味するのだろうか?
 それは、民間企業なら即倒産ということである。つまり、日本はもう事実上倒産しているのである。だから、「構造改革」というのは、この事実をごまかすために行われている「先送り」にすぎないのだ。

 国債が日本の「国家破産」の引き金を引く

●ウソにウソを重ねてすべてを「先送り」してきた結果が、天文学的な大借金と債務超過である。つまり、この先、日本は景気のちょっとした変動で「破産宣告」しなければならない事態に追い込まれると考えていいだろう。
  2008年の北京オリンピックのとき、日本はどうなっているだろうか。それは、この年に国債を大量に償還しなければいけないからである。
  これは、直接的には1998年に小渕内閣が景気対策で大量の国債を発行したツケであり、そのために今後は約135兆円もの国債(借換債)の発行が必要になるからだ。
  が、はたして、こんな異常なことが平然と続けられるものであろうか? 結論から言えば、続けられるわけがない。それは、発行量が増えすぎて、やがて引き受け先がなくなること。さらに、利回りの上昇(つまり国債の暴落)で、日本のすべての金融機能がマヒしてしまうからだ。
  つまり、国債が日本の「国家破産」の引き金を引くときが必ずやってくる。
  2004年度に市中で消化される国債は約118兆円である。これは、前年度より5兆円増えるだけだが、2005年度には130兆円台、4年後の2008年度には170兆円台まで膨らむと予想されている。
  これまで国債を積極的に購入し、政府のインチキ資本主義につきあってきたのは、国内の金融機関だった。低迷する貸し出しの代わりに、日本の銀行は国債を大量に買い続けてきた。そして、その国債保有額は、いまやトータルで約90兆円に達し、5年前の約3倍に増えている。もはや、これ以上買うのは無理だと誰もが思い始めている。

●国債発行額がこれほどまでに大きくなると、必然的にやってくるだろうリスクがある。それは、国債発行額の増大によって生じる長期金利の上昇である。景気情勢や買い手の動向次第で相場が不安定になり、長期金利はいつ上昇してもおかしくないのだ。
  こうなると、政府はその利払いに追われ、金融機関は含み損を抱えて、軒並み倒産することになる。日本の長期金利は2004年に入ってから、じわじわと上昇している。これがいつ急上昇するかは誰にもわからない。

 泥棒たちは本当にあなたにお金を返してれるのか?

●英語に「ラスト・リゾート」という言葉がある。これは、そのまま「最後の楽園」という意味だが、経済用語として使うと「最後の貸し手」という意味になる。つまり、この「ラスト・リゾート」がなくなれば、「インチキ資本主義国家・日本」は倒産することになる。 もうおわかりだろうが、この「ラスト・リゾート」というのは日本国民であるあなた自身のことである。なぜなら、日本国債というのは、その96%が日本国内で消化されているからだ。日本国民であるあなたが金融機関に預けたお金は、そのほとんどが国債を買うために使われている。いまでは、郵便局から、メガバンク、地方銀行にいたるまで、ほとんどの金融機関は国債漬けである。その額は、銀行保有分だけで2004年度には92兆円に達し、この5年間で3倍に増えている。
  つまり、あなたは国債を個人的に購入しようとしまいと、「最後の貸し手」なのである。なぜなら、こんな借金まみれの国の国債を買う海外の投資家などいないからだ。

●あなたが国債を買っているとしたら、あなたが買ったのは不動産や金などの目に見える資産ではないことを、改めて認識すべきである。それは、ただ単に国が発行した「借用証」という紙切れにすぎないのだ。その紙切れをいずれ政府が買い戻してくれる約束になっているが、本当に日本政府にそんな力があるのだろうかと‥‥。

 金利上昇で国債償還ができなくなる日がくる

●不思議なことに、国の財政が破綻しているも同然なのに、日本の金利はいまだに上昇しない。しかも、インフレもまだやってこない。それは、日本がいま国家総がかりで国債の暴落を防いでいるからだ。国が発行する国債をほぼすべて国内市場で賄って、国家統制のもとに金利を抑え込んでいるからである。しかし、これもやがて限界にくる。国内金融機関が永遠に国債を買い続けるなどということが、できるわけがないからだ。すると、金利は上昇し、すさまじいインフレがやってくるかもしれない。「ハイパーインフレになる」とか「預金封鎖」などと言われているのは、けっして絵空事ではない。
  財政赤字が膨らむと金利が上昇するのは、経済学では初歩的な話である。国債は財政赤字の穴埋めで発行されるのだから、発行量が増えれば、価格は当然下がる。国債が値下がりすれば金利が上昇する仕組みは、以下のような話で説明できる。

  ここに、発行価格が100円の国債があったとする。この国債は1年後に105円で国が買い戻す(償還する)ことになっている。つまり利回りは5%である。しかし、国債は次々に発行されるので、だぶついて100円では取引されなくなる。すると、価格は下がる。それで、90円ということになると、利回り(金利)は15%ということになってしまう。つまり、金利は上昇する。

●いまのところ、長期金利はなんとか2%以下に保たれているが、1%上昇するだけで、約1兆2000億円のお金が国の金庫から消えていく。つまり、これもあなたの税金である。国債の金利が跳ね上がり、ついには償還不能で、財政破綻する日がいつくるかは誰もわからない。現在、不思議な均衡状態が続いているから、日本人全体がまだピンときていない。そのため、いくら心あるメディアや専門家、そして一部の政治家が訴えても、小泉改革のペテンは続き、「泥棒国家」の怠慢を許している。財政赤字がいかに怖いか、改革が遅れるといかにひどい目にあうか、想像できないのである。
  1980年代にイギリスが、1990年代にアメリカが財政改革をやれたのは、いずれも金利が上昇し、国民生活を直撃したからである。高金利でローンが払えなくなれば、国民は目を覚ます。そして、国家の野放図なお金の使い方に口を出す。それが、民主主義の国のパワーの源泉でもある。
  しかし、いまの日本は腐敗した泥棒紳士たちが支配する国だから、もはや手遅れとしか言いようがない。

 「日が昇らないこともある」と知るべきだ

●結局、日本は戦後の一世代だけの繁栄で終わる、というのが私の結論だ。いや、もう終わっているかも知れない。その一世代とは、つまり「団塊の世代」である。彼らだけが繁栄を享受し、後始末せずに幕を閉じるのではないだろうか。
  1960年代から1980年代の終わりまで、四半世紀だけの繁栄国家で終わるのだ。戦後の生き残り世代の技術者たち、松下幸之助、井深大、本田宗一郎などが必死で築いた資産を、その後の「団塊の世代」が食い尽くし、アルゼンチンのような終局を迎えるしかないのではないだろうか?
  これはなにも私だけの意見ではない。ソニーの大賀典雄・前会長をはじめ、多くの政府に頼らない日本企業の経営者が言っていることだ。そして、世界の多くのメディアも、これまでずっと警告してきたことである。(中略)

●日本には美しい四季がある。だから、人々は冬が終われば必ず春が来ると信じている。同じように、夜はやがて明け、日は必ず昇ると信じている。
  しかし、本当にそうだろうか?
  歴史をひもとけば、国家はいくつも滅亡し、衰退を防ぎきれなかった国家のほうがはるかに多い。日が昇った国はいったいどれくらいあるだろうか?
  つまり、「日は再び昇らない」こともありえる。

 

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