2012年の黙示録

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スピリチュアルな人生に目覚めるために

心に「人生の地図」を持つ
江原哲之・著  新潮文庫  2003年刊
  この本の圧巻部分は「人生の地図を持つための8つの法則」です。
  その8つとは「霊魂の法則」「階層の法則」「波長の法則」「守護の法則」「類魂の法則」「因果の法則」「運命の法則」「幸福の法則」となっています。私もこれまでに霊界などの見えない世界に関する書籍をたくさん読んできましたが、それらの本の内容と矛盾していません。
  私自身、著者の江原氏には大変いかがわしい波動を感じていますが、この本の内容には問題がなさそうですので、思いきって採り上げました。私の推測では、この本は著者自身の執筆によるものではなく、ゴーストライターの手によるものです。テレビ出演等で名が売れた著者の名前で出版するというのはよくあるケースです。しかしながら、内容に問題がなく、また、大変わかりやすく書かれていますので、スピリチュアルな世界への入門書としてご購読をお勧めします。                 (なわ・ふみひと)
  人生の目的は「たましいの成長」

  この現世に生きる以上、誰しも簡単に幸せを得られたら楽だと考えるでしょう。また現世にいれば、どうしても物質的価値観におぼれてしまいがちです。「物質の豊かさこそが幸せ」、「長生きが幸せ」という具合に。しかし、それらは「霊的視点」を持たないからこそ起きることです。
  現世は、あくまでもたましいを成長させる学びの場なのです。だから、「なぜ現世が存在するのか」という摂理をわきまえた上でのカウンセリングでない限り、必ず行きづまりが生じてくることになるのです。
  私たちが一番大切にしなければならないことは「たましいの成長」です。それこそが私たちの「人生の目的」なのです。
  この物質界にあるものは、私たちのたましいが成長するための「学びの教材」に満ちています。物質主義的価値観におぼれるのはいけないことですが、物質界そのものが無意味だというわけではありません。私たちがわざわざこの物質界に生まれて来ている以上、物質界には物質界が存在する意味があるのです。
  霊的真理から見れば、この世に「偶然」はありません。すべてが意味のある「必然」です。人生のすべての行きづまりには、そこから学ばなければならない「何か」があるのです。学ばなければならない「間違い」があるのです。すべては「たましいの成長」のためです。

  「清貧美徳」との闘い

  よく「自分が食べていけるお金さえあればいい」などと言う人がいます。「美徳」と思っての言葉かもしれませんが、私は「利己主義」以外の何ものでもないと感じます。自分が食べていける以上に稼いでもいいのです。そして、自分が不要なら必要な人たちに寄付すればいいのです。自分の正しい動機から稼いでさえいれば、どれだけ稼いでいるかは問題ではありません。お金に罪はないのです。大切なのは、どれだけ正しい動機をもってお金を扱っているかです。
  お金は人の心のバロメーターです。お金の扱い方にはその人の品性が表れます。努力もせずに「お金がない」と愚痴ばかり言う人も、お金を貯め込んでばかりで生かせない人も、物質欲のみで人間の価値を判断し、あふれかえるモノの中で暮らしている人も、たましいに問題があるのです。
  私は「生きた」お金しか使わないと心に決めていますし、つねにお金を「生かし」、世の中に役立てていきたいという信念を持っています。

  人生で迷子にならないために

  人は、何かしらの問題を抱えたときに、ふと「生きる目的」がわからなくなります。生きている充実感のない、心の迷子となってしまうのです。
  病気になったときにも、人は壁にぶち当たります。生活の豊かさを求めて必死にがんばってきた人も、病気になってみて、今までの自分の努力がむなしく思えて失望してしまうのです。
  こうした人生の行き詰まりは、実は不幸なことではありません。霊的真理に目覚めるためには、不幸どころか「幸い」です。
  現世では、不慣れな場所に出かけるときに地図を見ます。地図で現在地を確かめ、目的地を探します。そして目的地までの道を確認するものです。
  しかし、人生に関しては、多くの人は車や家などの物質には目的を持っても、人生の目的地を考えてはいません。ですから「人生の地図」をも見ようとしないのです。人の心が人生の迷子になるのは当然です。
  スピリチュアリズムの霊的真理とは、まさにすべての生きとし生けるものの地図です。

  「浄霊」よりも「霊的真理」を

  相談者と一対一でないとできないことの1つに「浄霊」があります。しかし深刻な憑依や霊障といった相談ごとは、実際は100件に1件あるかないかで、それほど多くはありません。
  また、憑依などと言うと恐ろしい一大事のように聞こえるかもしれませんが、霊視をする私から正直に言わせていただければ、実は誰にでもあることで、取り立てて騒ぐことではありません。
  霊的な法則の1つに「波長の法則」があります。いわば「類は友を呼ぶ」という法則です。
  たとえばあなたが不平不満で悶々としていたとします。その思いの波長に引き寄せられ、同じく人生を悔やみ悶々としている霊が憑依してきます。その影響も手伝って、悶々としたエネルギーがよけいに高まり、現実の人間関係の中で他者とトラブルを生じさせます。
  トラブルは誰にとっても苦痛です。そこであなたが苦しみ、自分が悶々としていた原因を冷静にふり返り、心のあり方を改めることができれば、あなたは1つ学びを得たことになります。そして同時に、実は同化している憑依霊までがともに目覚め、浄化向上していくのです。
  私はそのような光景を霊視するにつけ、「切磋琢磨」とは生きている人間ばかりではない、人間は死後のたましいとも「共存共栄」しているのだと、つくづく感心させられます。人はみな未熟です。あたなにも、つい言ってはいけないことを口に出してトラブルを招くことがあると思いますが、それはあなた自身に内在していた本音を、波長によって引き寄せられた憑依霊が後ろ押しして口から出させていることもあるのです。その結果起こるトラブル自体はいやなものですが、しかしそのおかげで、あなたも憑依霊も、お互いにたましいを成長させることができるのです。

  憑依はこのように、体にある雑菌が人間の肉体を強くするのと同じように、人間のたましいを強く鍛えます。
  しかし、世間の霊能力者たちは、あまりにも憑依という言葉を口にしすぎるようです。これではかえって人々を不安に陥れるだけだと思います。
  もちろん、いたずらに不安に怯えて騒ぐ一般の人々にも問題はあります。騒ぐのは無知ゆえです。正しい霊的知識さえ持っていれば何も恐れることはありません。「波長の法則」からすれば、憑依現象とは自分自身をまるで鏡に映し出すようなもの。高い人格には高い霊、低い人格には低い霊が憑依するのですから、人格を高めることに精進していればいいだけなのです。
  もちろん、憑依の中には重いものもあります。たましいの幼さにより自分自身を内観することができずにいると、どんどん憑依が増えていき、しまいには通常の生活すらままならないほどになります。そのような時にはじめて、霊能力者による浄霊という、救急救命的な手助けが必要となるのです。
  その場合にも、もちろん浄霊を済ませればそれで終わりということではありません。本人に「人生の地図」に目覚めてもらわなければ、本当の意味の解決にはならないのです。結局のところ、霊的真理をしっかりとたましいに刻んでおけば、二度とそのような重い憑依をくり返さずにすむのですから。

  いま人間の「自然霊」化が進んでいる

  今はまさに「自然霊」の時代です。今の現世でもっとも考えなければならない問題は、人霊、すなわち人間のたましいの「自然霊」化です。
  最近のニュースや新聞を見ていると、あまりにも殺伐とした事件ばかりで暗澹たる気持ちになってしまいます。殺人事件ひとつとってみても、ひと昔前のそれとはまったく様相が異なっているのを感じます。憎しみ極まって、やむにやまれずに殺してしまったというのがひと昔前。事情を知れば知るほど、犯人にも同情の余地はあったものでした。ところが今は、「むしゃくしゃしていたから殺した」、「誰でもよかった」、「殺人というものを経験してみたかった」といった調子です。
  これには霊的な背景が大きく影響しているのです。それは人類が「人霊」としての感性を失いつつあり、「自然霊」に近くなっている、ということです。
  「自然霊」とは、この世に姿を持ったことのない霊のことです。いわゆる稲荷(狐)、天狗、龍神、狸と言われる霊は、この自然霊です。狐や狸といっても、動物の霊ではありません。そのような性質を持つエネルギー体、あるいはそのような姿をとって人間の前に現れるエネルギー体と考えていただくといいでしょう。樹木に宿る霊や、花などに宿る妖精も自然霊です。
  自然霊には、天候などの自然現象を司る働きがあります。自然霊界は、霊界の意志にもとづいて、雨を降らせたり、火山を噴火させたりしているのです。太古の昔から人霊は、その自然霊と調和し、畏敬の念と、生かされているという感謝を抱きながらともに生きてきました。
  その自然霊にも、高級なものから低級なものまで、さまざまな段階があります。私たちが「神」と呼ぶ愛のエネルギーは、この世に姿を持ったことのない自然霊の中でも最高級、超高級の自然霊です。
  片や、昔から「狐憑き」と呼ばれていたような、人霊に憑依して困らせる現象を起こしていた狐霊などは、低級な自然霊です。そして今の日本、いや世界中に低級な自然霊が増えているのです。
  なぜ、低級自然霊が増えているのでしょうか。それは私たち人霊が、長い歴史の中で人霊にさまざまな恩恵をもたらしていた自然霊界に対する感謝の心を忘れてしまったからです。それどころか粗末にするようになってしまい、そのために高級自然霊はこの世から離れて行き、未浄化な低級自然霊ばかり残ってしまったのです。
  人は、未浄化な人霊の憑依を受けることがあります。しかしそれは、たましいの未浄化な部分が、その人間の心の波長に引き寄せられるからです。ところが、感動や感性に乏しい人の心は、低級な自然霊とも感応してしまいます。この世に蔓延しだした低級自然霊は、無機質な波長を持つ人霊にどんどん憑依してしまうのです。人間らしい感性を失い、低級な自然霊と感応する、これが人霊の「自然霊」化です。厳密に言うと「自然霊」化とは、「低級自然霊」化ということです。

  いまこそ人霊としての感性を

  日本で、世界で、人霊の「自然霊」化は相当なスピードで進行しています。「自然霊」化した人間は、人霊らしさを失って、代わりに自然霊の性質を表すようになります。
  人霊と自然霊の大きな違いは、情があるかないかです。自然霊は情がありません。なぜかというと、自然霊は「分霊」といって、分裂することによって増えていきます。
  これに対して人霊は、母親がお腹を痛めて子供を産み、肉の家族を持つのです。このことにより、人霊は親子という関係を通して、あたたかさや情愛、葛藤などを学びます。それだけ親子とは、人霊にとって大切なもの。最大の学びのテーマです。
  しかし自然霊にはそれがないため、人間ような情愛といったものがありません。白か黒か、2つの1つしかないのです。
  「お稲荷さんに願いを叶えてもらったら、きちんとお礼参りをしないと痛い目に遭う」と昔から言われてきたのは、自然霊のこうした性質ゆえです。「気の毒だから仕方がない。なんとかしてあげよう」などという情は通じません。低級な稲荷霊には、「まつったら助ける」「礼をしなければ祟る」という両極端のこわさがあるのです。
  今の人霊は、この自然霊の性質を帯びてきてはいないでしょうか。まず幼児虐待などの親子にまつわる悲惨な事件がその表れです。戦争もそうです。やられたからやり返す。人命に対してさえあまりにデジタルになっています。
  少年たちによるホームレス殺人事件もまさに象徴的です。汚いからと、虫けらのように殺す。その人が歩んできた人生、愛し愛されてきた人たち、奥底にある人生観など、存在するとさえ思っていないでしょう。もっとも、少年たちが育った社会そのものも白か黒かの価値観に支配されているのは否めない事実です。

  世間で問題を起こしている新興宗教集団も、その内容は自然霊による憑依の産物が大半です。宗教観のようなものを語っていますが、その内容は物質主義に終始しています。
  本来宗教は高級霊界を表現しているべきものなのに、彼らの住まい、服装、行ない、言葉には、まったく神聖さが感じられません。教団のために親子の縁を平気で断ち切らせるのも、自然霊の性質の表れです。信仰のためなら親から盗んででもお金を持ってこさせるなど、低級自然霊だからこそできることです。
  増加している自殺者の心理にも、「自然霊化」の影響が見えます。自分の人生をリセットするという考えは、だめだったら死ぬという、白か黒かの自然霊的発想です。
  この事態に対し、私たちがすべきことは、今すぐにでも人霊としての「感性」を取り戻すことです。特に、人霊にしかない親子の絆を見直すことです。人霊は今、動物以下になってしまっています。動物だってわが子は守ります。

  「人生の地図」とは

  この世を生きる上で、スピリチュアルな世界、つまり霊的世界について知ることは大変重要です。この世が存在する意味、私たちが生きる意味は、霊的世界の存在が前提になければ、とうてい解き明かせないからです。
  霊的世界の存在を知ると、この世の人生が旅のようなものであることも理解できます。私たちのたましいは霊的世界というふるさとから来て、やがてまた霊的世界へと戻っていくのです。
  霊界からのメッセージによると、たましいの尺度で見れば、人生の時間などほんの短い間だと言います。その限られた時間をできるだけ有意義なものとするには、この世という旅先がどういうところなのかをよく知らなければなりません。

  この世がどのようなところか。そこへ人は何のために生まれて来るのか。そしていかにして生きていくべきなのかを、「人生の地図」は示すものなのです。
  「人生の地図」には8つの法則があります。霊的世界の法則がいかにしてこの世で働いているかを示したもの。そして、いつか迎える死の意味、死後に帰る霊的世界の実相、そしてこの世の私たちに絶え間なく注がれている霊的世界からの愛についても示しています。
  霊的な世界は、この世から遠く離れたところに、私たちと無関係に存在しているわけではありません。私たちの日常の中に、霊的世界からの神秘に満ちた働きかけは無数に見つけ出すことができるのです。「人生の地図」は、今ここに重なり合うようにして存在しているこの世と霊的世界との関係性を示したものと言えます。
  ただ学校を出る。ただ何となく働く。年頃になったから結婚する。みんなが産むから子どもを産む。みんなが建てるから家を建てる。世間に聞こえのいい学校に子どもを入学させる。――こうしてつねに目先の表面的なことばかりに懸命になっていると、どれかの段階でつまづいたときに、とたんにレールからそれたような気持ちになってしまうのです。
  あるいは、たとえ世間とうまく歩調を合わせ、つつがない人生を送れたとしても、老いてから「自分の人生は確かに平穏だったけど、それでいったい何の意味があったのだろうか」と悩むことになってしまうのです。
  ぜひ今日からでも、心に「人生の地図」を持ちましょう。日常に起きるどんな小さな出来事の意味も、人間の存在にかかわる大きな疑問への答えも、この「人生の地図」の中に必ず見つけることができます。

   ●●●● 霊魂の法則 ●●●●

  人間は霊的存在

  人はみな霊的な存在です。私たち人間は、単なる肉体だけの存在ではありません。死んでしまえばすべておしまいという空しい存在ではないのです。私たちは肉体と霊魂が折り重なった状態でこの物質界を生きています。霊魂こそが私たちの本質であり、肉体は、この世を生きる間だけ借りている乗り物のようなものにすぎません。
  誕生とともに肉体に宿った私たちの霊魂は、死と同時にまた肉体を離れ、霊的存在として永遠に生き続けるのです。
  この真実を知らなかったり否定したりしていると、生きる意味さえあやふやなまま刹那的な人生を送ってしまうことになるでしょう。人生の中で誰もが体験することになる3つの大きな苦しみから逃れることも困難になります。その3つとは、死に対する恐怖心、死別の苦しみ、そして人生を不幸と思うことです。

  死を恐れる必要はない

  子どもの頃、「もし死んでしまったらどうなるんだろう」と考えて、夜も眠れなくなった経験はありませんか。私のもとを訪れる相談者にも、死への恐怖を抱える末期ガンの患者などが数多くいます。彼らは悲嘆に暮れ、今までの人生を悔やみ、なかには恐怖のあまり錯乱状態に陥っている人もいます。
  そうかと思うとも、病気や悲しみ、貧困など、人生のすべての苦しみから逃れようと、みずから命を断とうとしている人もいます。
  両者に共通しているのは、死によって自分自身が無に帰するという考えです。しかし、それは大きな間違いです。人間の本質は霊魂ですから、死んで無になることなどありません。
  霊界の方々が語るところによりますと、あちらの世界(霊界)こそが本当の世界であって、私たちが生きるこの物質界は仮の世界。あちらが光なら、こちらは影なのだと言います。私たちが長いと思う人生も、永遠のたましいの尺度で見れば、あっという間のことなのだそうです。
  ですから、死を恐れる必要はありません。魂の旅は、そこからまた続いていくのです。

  人生に「不幸」はない

  人生で陥りがちな苦しみが、「人生は不幸なもの」という思いです。あなたはいま自分を幸せだと思いますか。それとも不幸を感じているでしょうか。
  幸せなのはなぜですか。恋人とうまくいっているから。仕事が順調だから。家族がみんな健康だから。お金がたくさんあるから。すてきな家に住んでいるから。
  不幸なのはなぜですか。
  なかなか恋人ができないから。いつ結婚できるか不安だから。職場の人間関係がつらいから。お金がないから。健康や容姿に悩みがあるから。
  それらすべてが現世的な視点、つまり物質的な視点で見た幸不幸にすぎません。
  現世的な幸せは、どれもいつ崩れるともわからない一時的なものばかりです。たとえ一生続いたとしても、肉体が死を迎えたらそこでおしまいです。死後に帰るたましいのふるさとに持ち帰れるものは何ひとつりません。
  あなたのたましいがあの世に唯一持って行けるものは、この世で味わった「経験」と、そこから得た喜怒哀楽さまざまな「感動」だけです。経験と感動だけが私たちのたましいを磨き、浄化向上させてくれます。

  人間が考える不幸とは、そのときの自分にとって都合が悪い状態というだけ。長い目で見れば、そして霊的視点で見れば、その状態こそがその人のたましいに学びを与えてくれているものであり、成長を促してくれているのです。そして、「不幸」と思えることが、実は後に用意されているより大きな幸せのための苦難であることも多いのです。

   ●●●● 階層の法則 ●●●●

  たましいは浄化向上を志している

  霊的世界は無数の階層に分かれていて、あなたは死後、あなたのたましいの成長のレベルに応じた境地に行くことになります。これが「階層の法則」です。
  人間が霊的存在で、この世に一時的な旅をしに来ているとわかると、「何のために2つの間を行ったり来たりしなければいけないの?」という疑問が出てくることでしょう。
その答えの鍵は、すべてのたましいが志向している「浄化向上」にあります。
  私たちは物質界にいる今でこそ肉体をまとい、一人ひとりがばらばらの存在になっていますが、霊的世界においては、究極的には1つのまとまりなのです。人間のたましいだけでなく、動物や植物のたましい、この世に姿を持ったことのないたましい(自然霊)も、すべておおもとは1つです。そのまとまりの中心こそが、大霊(グレート・スピリット)すなわち神です。神とは最高位の霊的エネルギーです。
  すべてのたましいは、神であるこの中心に、いつか統合されることを志しています。しかし、そのたましいに濁りや曇りがあればあるほど、中心との距離が離れてしまっています。そこでより純粋なエネルギーとなれるよう、みずからの濁りを少しでもきれいにし(浄化)、より高い境地に行けること(向上)を目指しているのです。
  たましいを浄化向上させる最適な場所が、この物質界です。だからこそ死と再生をくり返しながら、私たちは何度もこの世への旅に来ているのです。

  より高い境地に行くために

  世の人の中には、死を迎えたら天国に昇天するとか、すぐに神と1つになると考えている人がいますが、真相はそう簡単ではありません。毎日神様に祈ったり、念仏を唱えてさえいれば天国に行けると単純に考えている人もいますが、それは全くあり得ないことなのです。
  たましいが死後たどる道筋について簡単にご説明しましょう。
  人間は死とともに肉体という殻を脱ぎ、幽体と呼ばれる霊的なエネルギー体に移行します。そして、「現界」すなわち私たちが生きるこの世界と、霊的世界の中間にある「幽現界」へ行きます。一般に「死後49日間はこの世にいる」と言われますが、それは現界にとどまっているということではなく、「幽現界」にいるという意味です。
  その後、たましいは「幽界」へと向かいます。この「幽界」の中も、さらに無数の層に分かれています。霊格が高いほど高い層、低いほど低い層へ行くことになります。よく言われる「天国」と「地獄」は、この「幽界」の高い層と低い層を指していることが多いようです。
  臨死体験をした人の話を聞くと、ある人は、死後の世界はお花畑が広がり、小鳥は歌い、言葉には尽くせないほど美しい世界だったと証言しています。また別の人は、暗闇が果てしなく広がる恐ろしい世界だったと言います。これほどの開きがあるのは、その人のたましいのレベルによって行く世界が違うからです。
  たましいはやがて、この「幽界」をも離れて「霊界」へと上昇します。このとき、たましいはみずからの姿を形作っている「幽体」さえも脱ぎ捨てるため、この過程は「第2の死」と呼ばれています。
  「霊界」に行くと、たましいはみずからの類魂に帰結します。類魂と溶け合い、その一部分となるのです。そこからまた「現界」で学びが足りなかった部分をふり返り、多くの場合、もう一度学び直そうと決意を固め、「再生」します。こうしてたましいは「再生」と「帰結」をくり返し、最終的には大いなる光のエネルギー、大霊へと融合する「神界」へ向かうのです。

  「失うことの恐れ」を捨てる

  霊的世界を信じないまま死んだたましいや、死後もみずからの死を受け容れられないたましい、この世に執着を強く残すたましいは、「幽界」どころか「幽現界」をいつまでもさまよい続けます。浄化が停滞してしまった、いわば「未浄化霊」たちです。
  街中を霊視すると、そうした霊魂が無数にいます。ラッシュアワーの駅に行けば、いまだに死に気づかず電車を待っているサラリーマンの霊魂。デパートに行けば、売り場を歩き回り、商品の値札までチェックしている主婦の霊魂。交通事故の現場に行けば、「こんな場所で死ぬなんて」と、ふらふら歩いている泥水状態の霊魂。火災現場に行けば、パニック状態で走り回っている霊魂。
  「地縛霊」と呼ばれるこれらの霊魂は、死を受け容れられず、この世への執着や、悲劇的な思いを手放せないでいるのです。また、死に気づいても、「この土地は誰にも渡すものか」と、生前の土地や家にへばりついたままの霊魂や、「死んだらお墓に行くものに決まっている」という自分の固定観念にしがみつき、お墓にぽつんと座り込んでいる放心状態の霊魂などもいます。みな執拗なこだわりによって、みずからのエネルギーを地上世界に留まらせてしまっているのです。
  こうした「失うことの恐れ」や固定観念は、誰もが乗り越えなければならない、現世で共通する課題です。
  今あなたは何を恐れ、何に執着しているか、ふり返ってみてください。そして、それを手放してこそ、喜びや幸せを受け取る準備ができるのだという事実を知ってほしいのです。

   ●●●● 波長の法則 ●●●●

  想念が「出会い」を決める

  自分の心のあり方が、出会う人や出来事を決めている。それが「波長の法則」です。
  人間が心に持つすべての思いは、想念という霊的なエネルギーを生み出します。そして、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、同じレベルの想念の波長を持った同士がお互いに引き合うのです。
  今のあなたを取り巻いている人たちを思い浮かべてください。どんな人たちが日常生活の中にいるでしょうか。愛情と優しさに満ち、前向きで素直な心を持った人たちなら、あなたもそのような高いエネルギーを持っていると言えます。
  反対に、憎しみや妬み、さげすみの心を持つ人たちに囲まれていれば、あなた自身も否定的なエネルギーを持っていることになります。
  「私のまわりにはろくな人がいないわ」「人間関係に恵まれないわ」という人は、その原因は自分自身にあるのです。
  自分自身の波長は、日常の中で経験する出来事も決めています。
  「最近ろくなことがない」「どうしてこんないやなことばかり続くのだろう」と思う人は、自分の波長が低くなっていないかどうかを省みる必要がありそうです。
  このように自分自身の心のあり方を、まるで鏡のように見せてくれる「波長の法則」ですが、あなたが感謝や喜びの心、いたわりや優しさの心を持てば、波長が高まり、同じく高いエネルギーを持った人や出来事が、必ず感応して集まってくるのです。
  この法則から言えることの1つは、人との別れは悲しいことではないということです。出会った頃はお互いにかなり夢中だった恋人とうまくいかなくなったり、一時はとても親しかった友達とすっかり話が合わなくなったという経験は誰にでもあるのではないでしょうか。これは波長に差が出てきたためなのです。自分か相手が上がったのか下がったのか。いずれにしても、自然な流れであり、仕方のないことです。その関係にいつまでも執着せず、心を切り換えて新しい出会いに向かって行く方がいいのです。
  思いのエネルギーだけでなく、言葉が持つエネルギー、すなわち「言霊」もおろそかにしてはいけません。口から出した言葉は必ずエネルギーとなって、同等のエネルギーを持つ人や出来事を呼び寄せます。
  「いやだ」とか「どうせ」といった否定的な言葉は今すぐでもやめてください。「私はだめな人間だから」も禁物。たとえ謙遜で言っていても、言い続けていると本当にダメな人間になってしまいます。言霊の力はそれほど強力なのです。

   ●●●● 守護の法則 ●●●●

  守護霊はたましいの親

  「人間は生まれるときも死ぬときも一人」と言われます。けれども霊的視点でみれば、ひとりぼっちで生まれてくる人はいません。私たち一人ひとりに、いつも寄り添って見守っている霊的存在があります。これが、「守護の法則」です。
  その存在とは「守護霊」や「背後霊」と呼ばれている存在です。英語で言うと、ガーディアン・スピリット、またはガーディアン・エンジェルです。
  今やガーディアン・スピリットという言葉を知る人は増えましたが、誤解も多いようです。たとえば、「あなたに良い守護霊をつけてあげよう」などと言う霊能力者や、「私には守護霊なんてついていない!」と嘆く人がそうです。
  守護霊は私たちのたましいの親のようなもの。この世に生まれる前からともにいて、ともに生き、私たちの死の瞬間も、死後もずっと、一緒にいて温かく見守ってくれているのです。何があっても私たちを見捨てて離れていくことはありません。
  霊的心理の理解不足から、守護霊に対して感謝するどころか、「私にはろくな守護霊がついていない」などと、自分の不運や困難を守護霊のせいにする人もいます。守護霊をどんなわがままも叶えてくれる魔法使いのようなものと誤解しているのでしょう。しかし、守護霊はそのようなお人好しで便利な存在ではないのです。
  守護霊の願いは、私たちのたましいを大きく成長させ、より輝かせることにつきるのです。そのめたに、私たちの人生が学び多きものとなるよう、ただそれだけの目的に沿って私たちを導いているのです。
  親が子どもの欲しがる甘いお菓子ばかり食べさせていたらどうなるでしょう。その子が欲しがるおもちゃをそのつど買い与えていたらどうなるでしょう。すべて子どもの望み通りに動いてあげたら、子どもは正しい道を歩くようになるでしょうか。絶対に無理です。ダメな人間になって自堕落な人生を送ることにもなりかねません。
  それと同じです。守護霊はあなたのたましいの親として、霊的視点であなたの成長を見守っているだけに、現世の親以上に厳しいのです。あなたのためになることなら試練を与えることさえ厭いません。あなたが苦難のさなかにいるときも、心配しながらも安易に助けず、自力ではい上がるのをひたすら見守ります。すべてはあなたへの本当の愛があるからです。
  あなたは守護霊に見守られているという安心を胸に、愛をひとつずつ学びながら、この世を力いっぱい生き抜けばよいのです。

  守護霊のさまざまな役割

  守護霊を一人だと思っている人も多いようですが、そんなことはありません。誰もが複数のたましいに見守られています。もっとも霊的視点ですから、物質界の人間のように一人、二人とは数えられないのですが。
  守護霊は役割によって大きく4種類に分けることができます。
  まず、中心となってあなたをサポートしているのが「主護霊(ガーディアン・スピリット)」。この霊は、学校でいうと担任の先生のような存在です。
  主護霊は、あなたが霊界で再生を決意したときから、この生涯を終えて霊界に戻るまで、あなたとは切っても切れない関係にあります。つねにあなたに寄り添い、途中で入れ替わることはありません。
  多くの場合、女性には女性の霊魂、男性には男性の霊魂が主護霊としてつきます。統計的にみると400年から700年前に他界した先祖の霊魂が主護霊としてつくことが多いようです。

  2つめが「指導霊(ガイド・スピリット)」。あなたの職業や才能、趣味を指導する霊魂です。たとえば芸術家には芸術家の霊魂が、医師には医師の霊魂がついていることが多いようです。
  指導霊は主護霊と違って先祖とは限りませんし、外国人の霊魂である場合もよくあるようです。私が今までに視た中にも、英会話の教師にイギリス人の霊魂がついていたり、ヨーガの先生にインド人の霊魂がついていたりしました。
  私自身の指導霊は、昌清之命(まさきよのみこと)です。戦国時代に霊的な能力に長けた僧侶として生き、心霊治療を得意としていたそうです。

  3つめは、あなたの運命をコーディネートしている「支配霊(コントロール・スピリット)」です。人や出来事との出会い、新しい住む土地や環境など、人生において進むべき方向を調整しています。
  支配霊はあなたの10年ほど先まで見ることができます。あなたは自分の今までの人生を偶然の積み重ねだと考えているかもしれませんが、実はこの霊の支援がつねにあったのです。
  これらのほかに「補助霊(ヘルパー・スピリット)」がいます。以上の3つの守護霊たちの仕事を手伝い、補助しています。この霊魂はさほど古くはありません。あなたの身内や先祖がなっていることが多いようです。
  テレビ番組などで霊能力者が「あなたの守護霊はおじいさんですよ」などと言っているのは、この補助霊のことであり、中心的な役割を果たしている主護霊のことではありません。

  より高い導きを受けるには

  守護霊の存在を知っていても、人生があまりにも悩みや苦しみに満ちているときは、「本当に守護霊なんているのかしか」という気持ちになるかもしれません。そこで思い出していただきたいのが「波長の法則」です。
  あなたが否定的な心でいれば、守護霊がどんなに応援してくれていても、どんなに温かい手を差し伸べてくれていても、その愛はあなたに届きません。そればかりかどんどん遠のいてしまいます。
  それは雨雲と太陽の関係にたとえられます。雨雲が空に広がっていると、向こうに太陽がさんさんと輝いていてもその光は届きません。
  その雨雲とは、不平不満、妬みや憎しみの気持ちです。自分の怠慢は棚に上げて、他人に依存したり、責任転嫁ばかりする心。そしてそうした低い心境に引き寄せられて集まる邪霊や低級霊です。これら否定的なエネルギーが守護霊の愛の光を阻んでしまうのです。
  逆にあなたが、優しさといたわりの心、感謝の心を忘れずにいれば、あなたの波長は高くなります。
  守護霊は輝く太陽のようにあなたを照らしてくれるでしょう。あなたの才能を花開かせ、すばらしいひらめきも贈ってくれるでしょう。困難に直面したときも、絶妙な支援を与えてくれるでしょう。
  さらに忘れてはならない事実があります。主護霊以外の守護霊、つまり指導例、支配霊、補助霊は、あなたの波長が高くなれば、より高いエネルギーを持った霊魂と入れ替わるということです。
  たとえば仕事で、あなたが常に努力を惜しまず、向上心を持ち、謙虚に誠実に励んでいれば、高級な指導霊を呼び込むことができ、能力を飛躍的に伸ばすことも可能です。 逆に、傲慢になったり増長したりすれば、あなたの波長は著しく低下し、今ついている指導霊があなたのもとを去っていくかもしれません。代わりに、低い波長に見合う霊魂がつきます。あなたの能力は落ち、今までできたはずのこともできなくなってしまいます。

   ●●●● 類魂の法則 ●●●●

  類魂は「たましいの家族」 

  人は霊界に、現世の家族以上に深い絆で結ばれた「たましいの家族」を持っています。それが類魂(グループ・ソウル)です。
  あなたのたましいは、あなたの類魂の「一部分」なのです。
  類魂を構成するたましいは、霊界においてはみなつながっています。ですから、あなたの類魂そのものを「あなた自身」ととらえてもいいでしょう。
  この「たましいの家族」に対し、現世の家族は「肉の家族」であり、血はつながっていても霊魂の上では別々です。
  別々のたましいが集まって家族を形成しているのは、お互いに切磋琢磨して学び合うためです。ですから、それぞれのたましいのテーマを学び合うのにぴったりの者同士で1つの家族を構成しているのです。その意味で、私は家族を「たましいの学校」とたとえています。

  ともに浄化向上を目指す仲間

  あなたが生まれる前、霊界ではこの類魂の中に溶け合っていました。あるとき、類魂全体の浄化向上のために再生を志し、そこを離れてこの世に生まれてきたのです。この世でたましいを磨き、死ぬと類魂のもとに帰っていきます。
  類魂をコップの水にたとえてみます。その水は少し濁っていて、よりきれいな水になることを目指しています。濁った水をきれいにするには、物質界であるこの世に生まれ出て、たくさんの経験を積み、たましいを磨く必要があります。そのためにあなたは、一粒の水滴としてコップからこの世に出されました。
  この世であなたは、水滴の濁りができるだけ清くなるように、たましいの浄化向上に努めます。やがて人生を終え、ふるさとであるコップの中に帰っていくのです。
  一滴の水がきれいになれば、コップ全体も少しは透明度を増します。しかし、全体が透明になるには、あなたの前にも後にも、たくさんの水滴がコップから出ては戻ることをくり返さなくてはいけません。
  その中には、薄くなるどころか、ますます濁った水滴となってふるさとに帰り、類魂の浄化向上を遅らせるような人生もあります。それでも気の遠くなるような時間をかけてこの作業をくり返すうちに、コップの水はきれいになっていくのです。
  究極の目標は、完璧に無色透明なたましいになること。そうなれたときは、もう類魂ごと「神」と一体です。どの類魂もひたむきにその境地を目指しています。
  だからこそあなたの類魂は、霊界から大きな愛を注ぎ、あなたの成長を懸命に支援しているのです。あなたの成長が類魂全体の成長に必要なことだからです。
  守護霊たち、つまり主護霊、指導霊、支配霊、補助霊も、実はすべてこの類魂の一部分です。
  また、一般にあなたの前世や来世と呼ばれる存在も、あなた自身の類魂から別の時代にこの世に出されたたましいです。守護霊をあなたの前世と見ることもできるのです。あなたの守護霊たちも、かつてはあなたの類魂からこの現世に降りて、一人の人間としての人生を送っていたということなのです。
  その守護霊が類魂の中でもとりわけ熱心にあなたを見守り、辛抱強く指導してくれているのは、守護霊にとってはあなたが自分自身のことでもあるからです。霊界からあなたを指導するという経験を通じて、守護霊自身もまた学んでいるのです。
 ごくまれに、同じ類魂から2つ以上のたましいが同時期にこの世に出されることがあります。これを「双子霊(ツイン・ソウル)」と言います。双子霊はこの世では出会うことがないのが普通です。出会うとしたら、その縁は並はずれて深いものとなります。特に何かの仕事を共同で成し遂げることが多いようです。キュリー夫妻などはその良い例と言えるでしょう。

  類魂は叡智の宝庫

  私の指導霊である昌清霊は、類魂について「類魂の個性は同一。しかし経験は別々である」と説明しています。
  つまり、類魂は全体が自分自身のようなものですから、個性は同一です。あなたが今持っている個性は類魂の個性なのです。
  けれども類魂の部分部分がもつ経験はばらばらです。それぞれの前世の経験は、すべて違っています。類魂には、それらの無数の経験が包含されていますから、その経験から導き出された知恵もつまっていることになります。つまり、類魂は輝かしい記憶と叡智の宝庫なのです。
  昌清霊によると、あなたが死んで霊界に行き、類魂の中に溶け合ったとたんに、それらのすべての経験が、あたかも自分の記憶のように蘇るのだそうです。
  しかしながら、今のあなたにはその記憶はありません。肉体という鈍重な物質にこもっているために、その記憶を引き出すことができないためです。また、そのほうが日々の経験を新鮮な学びとして生きていけるのです。
  類魂に関してもう一つ、知っていただきたい大事なことがあります。それはここまで説明してきた類魂は、狭い意味での類魂であるということです。
  広い意味でいえば、すべてのたましいが類魂です。あなたの類魂は、さらに大きな類魂の一部なのです。その大きな類魂も、もっと大きな類魂の一部です。そうして遡っていくと、すべてのたましいは類魂ということが言えます。みな同じ大霊の子、神の子どもなのです。

   ●●●● 因果の法則 ●●●●

  思い、言葉、行為のすべてがカルマに

  「自分がしたことは、いつか自分に返ってくる」とよく言われます。「みずから蒔いた種子は、必ずみずからが刈り取らねばならない」という言葉もあります。「因果の法則」は、まさにこのことを指しています。
  因果とは文字どおり原因と結果のことで、カルマとも言います。今ある状況はすべて、これまでの自分のあり方(原因)の結果だというのが「因果の法則」です。この世には奇跡も偶然もなく、すべてが必然なのです。
  原因となるのは「行ない」だけではありません。あなたが話す「言葉」、心に抱いた「思い」さえ、すべて目には見えない霊的なエネルギーを放ち、いつかあなたのもとに何らかの結果となって返ってきます。この法則が働く正確さはスーパーコンピューターをはるかに凌ぐものです。

  因果やカルマというと、恐ろしいイメージを持つ人が多いのですが、「波長の法則」と同様、これも自分次第だということですから、何も恐いことはありません。愛や思いやり、努力といったプラスのカルマを積めば、必ずプラスのカルマが返ってくることを、この法則は保証しているのです。
  マイナスのカルマが返ってきても、それは罰が当たるということではありません。霊的法則に罰はないのです。ただ自分の蒔いた種子がそのまま返ってくるというだけの簡単な摂理なのです。
  「因果の法則」は、クールな法則に思えるかもしれませんが、実に愛に満ちた法則です。なぜなら、この法則が働いているからこそ、私たちは必ず自らの欠点や未熟な部分に気づくことができ、そこを矯正できるのですから。そのときは手痛い経験と感じるかもしれませんが、それがあるからこそ二度と同じ過ちをしない自分になれるのです。
  このように、どの霊的法則も、私たちのたましいがより成長できるように働いているのです。

  カルマは人間関係の磨き砂

  現世における学びのうち、あなた一人で達成できるものはほとんどないと言えるでしょう。人間は、人間同士がともに生き、ときには衝突し、感動を与え合ってこそ、お互いのたましいを磨き合うことができるのです。本当の幸せも、たった一人で得ることはできません。人間関係とはまさに、たましいに輝きを与える磨き砂と言えるのです。
  「因果の法則」はあなたと他者との関係がどうあるべきかを教えてくれます。
  あなたが、思い、言葉、行為を通じて、愛情やいたわりを人に与えれば、必ずそれは同じだけあなたのもとに返ってきます。逆に、憎しみや妬みなど思いを人に振りまいていたら、あなたのもとにそれが同じだけ返ってきます。
  この法則を知らずに、自分の悩みの原因を他人に転嫁したり、恨んだりすれば、さらに新たな否定的エネルギーを放ってしまうことになります。自分の非に気づかない限り、その苦しみは二重にも三重にもなり、いつまでたっても自分が蒔いた種によって苦しむことになりかねないのです。
  逆に肯定的なエネルギーを発していれば、それが二倍にも三倍にもなって返ってきます。これはとても心強い摂理です。

  家や国にもカルマがある

  カルマは人間一人ひとりに働いているだけでなく、家、会社、国、さらには地球にも作用しています。つまり、家には家系のカルマ、会社には会社のカルマがあり、国や地球にも、それぞれのカルマが存在するのです。すべてのたましいが1つである以上、カルマも相互に無関係ではありません。
  あなたのカルマは、あなたの暮らす国のカルマとなり、ひいては地球のカルマとなるのです。そして、地球のカルマは、各国のカルマとなり、一人ひとりの人間のカルマとなります。
  日本に生きる私たちは、日本という国のカルマを背負っています。現在の地球環境の悪化も、経済の不況も、さまざまな社会不安も、今までのツケによって表面に出てきた日本のカルマであり、私たちがともに学ばなければならない課題です。非常に大規模な国のカルマというものを、私たちは分担して背負っている仲間なのですから、責任を押しつけ合わず、どんな問題もともに考えていかなければなりません。
  たとえば今の日本には就職先が少ないという問題があります。どんなに優秀で、努力を積んでいても、就職活動がうまくいかないという人も多いでしょう。努力というプラスのカルマを積んでいるのに、不公平だと思うかもしれません。しかし、これもまた日本のカルマです。
  逆の場合も考えてみてください。地球の幸せなくして日本の幸せがあるでしょうか。日本の幸せなくして個人の幸せはあるでしょうか。
  どこか遠い国で起こっている惨事も、地球環境が破壊されつつあることも、私たちは自分自身の責任として、自分自身の痛みとして感じながら生きていかなくてはならないのです。

   ●●●● 運命の法則 ●●●●

  運命と宿命は別

  自分の人生を運命のせいにする「運命論者」がいます。しかし、あなたの運命は決して1つに定められているものではありません。「因果の法則」からもわかるように、あなたの人生の流れはあなた自身が作り出すものなのです。これが「運命の法則」です。
  もしあなたの運命が既に決められているのなら、この現世に生まれてくる理由など何もないことになります。あなたは決められた通りの人生をだらだらと生きていけばよいのですから、努力をする必要も悩む必要もありません。
  しかし人生は、あなた自身が自由意志で決めていくものであり、それが生きることの喜びなのです。
  今あなたに起きていることは、すべては今までのあなた自身が作り出した現実にほかなりません。そして今後の人生を作り出していくのも、すべてあなたの自由意志です。幸せになりたければ、波長を常に高くし、良いカルマをたくさん蒔けばいいのです。

  しかし、人生には変えることのできないものもあります。それは生まれた時から決まっていた要素、すなわち「宿命」と呼ばれるものです。
  たとえばあなたが女性、あるいは男性として生まれたこと、生まれ持った体質や容姿などは変えることのできない「宿命」です。さらに、あなたがあたなの家族のもとに生まれてきたこと、日本人として生まれてきたこと、今という時代に生まれてきたことも「宿命」です。
  こう書くと「やはり人生のほとんどは自分の意志ではないものによって決められているじゃない」と思う人がいるかもしれません。
  けれども霊的視点ではこう言えます。「宿命」さえも、生まれる前にあなたが決めたこと、あなた自身のたましい、ひいてはあなたの類魂が決めたことなのだと。
  あなたが楽に生きられる環境は、あなたにとって何も学べない環境だと言えます。何の苦難も摩擦も経験できない環境を選んで生まれたら、その人生は学びの少ないものとなってしまいます。
  あなたが生まれたのはたましいを磨くため。この世で多くのことを学び、感動し、たましいを浄化向上させて、あなたの類魂を少しでも大霊に近づけるためでした。
  そのためには、あなたのたましいの濁った部分を徹底的に磨ける環境が、人生の設定として選ばれなければいけません。そうして選んだのが、ほかならぬあなたの性別や体質であり、国籍や時代であり、家族なのです。これらはあなたの筋肉を鍛えてくれるトレーニング・マシーンのようなもの。あなたはみずからの意志でこのマシーンに挑むことにしたのです。真の幸せ、永遠の幸せをつかむために。

  宿命を受け容れて生きる

  宿命と運命の関係は、学校生活にたとえることができます。
  あなたがある学校に入学したとします。あなたその学校で学びたくて、みずからの意志で一生懸命に受験勉強しました。そして努力が報われ、入学することができました。その学校の制服、校則、授業のカリキュラムを「宿命」とすると、その学校であなたがどう過ごすかは「運命」です。
  同じ学校に通っていても、懸命に勉強して良い成績を上げることもできれば、部活動に熱を入れることで、たくさんの友達を作って友情を育むこともできます。自分が望んで入った学校であるにもかかわらず、不満ばかり言いながら過ごすこともできるし、つまらないからと毎日サボることもできます。その学校(宿命)でどんな経験をし、どれだけ有意義に過ごすかは、ひとえにあなたの自由意志にかかっているのです。
  人生も同じ。一定の宿命のもとに生まれてきたあなたの人生には、無数の過ごし方があります。今日からこの世を去る日まで、どのような人生を歩むかも、すべてあなた次第なのです。

   ●●●● 幸福の法則 ●●●●

  霊的法則は真の幸せに導いている

  ここまでの7つの法則をふり返ってみましょう。
  あなたは永遠に生き続ける霊的存在であり(霊魂の法則)、たましいを磨いて大霊に少しでも近づけるよう、ひたすら浄化向上を目指しています(階層の法則)。そのためにあなたはこの世に生まれ、自分の波長やカルマが引き寄せたものを通じて、多くを学んでいます(波長の法則、因果の法則)。
  より多くを学ぶためには、まずあなた自身の宿命を受け容れ、運命の仕組みを知ることが大切です(運命の法則)。人生の旅には苦難がつきものですが、どんなときもあなたは守護霊や類魂の愛に包まれています(守護の法則、類魂の法則)。
  これらの法則は個々に独立してではなく、渾然とからみ合い、相互に作用し合いながら働いています。どれ1つ欠けても霊的心理を語ることはできません。そして霊的法則は、時間的にも空間的にも、私たちの想像が及ばないほどの大きな規模で、しかも1つの見落としもなく正確に働いています。
  いったい、このような大がかりな法則が働いているのは何のためなのでしょう。それは、すべてのたましいが、やがていつか大霊つまり神と1つになるためです。これを個人レベルでひらたく言えば、霊的法則は私たちが真の幸福を得るために働いているのです。これが「幸福の法則」です。
  一般に考えられている「幸せ」は、この世の視点で考える「幸せ」であり、物質的価値観に基づいていることがほとんどです。しかし、霊的視点で見る「幸せ」は、ときには苦難に遭い、試練を克服しながら、愛を学び、みずからのたましいの濁りをきれいにしていくこと。それこそがたましいの真の幸せであり、神に近づいていく唯一の道なのです。

  このように書くと、「大霊に近づくなんて、私は別に望んでいない」と思う人がいるかもしれません。それよりも、今すぐすてきな恋人を見つけることや、棚ぼた式にお金持ちになることを「幸せ」として望むかもしれません。霊的心理をよく理解できないうちはそれもある程度は仕方のないことでしょう。
  では、逆を考えてみましょう。たとえば「因果の法則」が働かない世界を想像してみてください。
  あなたはどんな悪いことをしても、人をつらい目に遭わせても、仕返しを受けることもなければ、同じ目に遭って自分のしたことを思い知らされることもない。自分の欠点にいつまでも気づかされませんから、人に迷惑をかけながら一生を過ごしていきます。
  一見喜ばしいことに思えるかもしれません。欲望を叶えたい放題の、楽な人生に思えるかもしれません。でもこれは大霊に見放された状態なのです。
  あなたは罪を犯したまま、ゆがんだ性格を持ったまま、「波長の法則」に従って否定的なエネルギーの雪だるまのようになっていきます。未浄化霊や邪霊も寄り集まって来て、守護霊や神様の光のメッセージなど、まるで届かなくなってしまいます。それは周囲にも波及し、この世の人間たちは堕落していく一方になります。
  こうした地獄の状態に比べると、「因果の法則」のおかげで私たちが自分のどんな小さな間違いにも気づかされることは、とても幸いなことだと思いませんか。私たちがどんなに逃げようとしても、その間違いを改められるまで必ず挽回のチャンスが与えられるのですから。「因果の法則」は向上を約束している法則、幸せを約束している法則なのです。

  与える人生こそ幸せな人生

  霊的視点で見ると、他人に対する見方が変わってくると思います。
  他人はみなあなたと同じ大霊の一部ですから、霊界においてはたましいはつながっているのですが、この世ではその部分部分が肉体とい物質に宿るため、別個の存在になるのです。
  なぜなら、別々でいてこそ磨き合えるからです。ぶつかり合い、傷つけ合いながら、お互いに切磋琢磨していけるからです。物質界での他人も、霊的に見れば大霊を目指す仲間ですから、ともにたましいを磨くために出会い、お互いの成長を助け合っているのです。
  あなたが愛を理解して本当の幸せと出会うまでに、どんなに多くの人たちがあなたを助けてくれているか、数え切れないほどです。あなたを愛するという直接的なかたちで愛を教えてくれる人もいれば、あなたを憎むというかたちで、あなたに愛の大切さを教えてくれる人とも出会うことでしょう。
  あなたを憎む人は、あなたに「憎まれることの悲しみや苦しみを教えてくれる人」なのです。あなたは憎まれた経験から、愛のすばらしさを知るチャンスをもらえたのですから、決してその人を憎み返してはいけません。その人は、大事なことを教えてくれた上に、あなたを憎むという負のカルマを背負ってくれてもいるのです。あなたが愛を知るために、その人はたましいの部分では苦しんでくれているという事実を知らなくてはいけません。
  霊的真理を知り、常に愛と思いやりをまわりの人たちに施していきましょう。「してもらったからしてあげる」という受け身の姿勢ではなく、あなたが「まずはじめに」愛と奉仕の気持ちをまわりに与えることが大切です。
  愛情がほしければ、自分から率先して愛情を与えられる人になり、幸せがほしければ、誰よりも先に幸せを与えられる人になることです。
  もちろん、そこに打算の気持ちがあってはいけません。「これだけ愛を与えたのだから、これだけ返ってこないとおかしい」という計算ずくの愛は、本物ではないのです。

  今こそ類魂としての自覚を

  人間の想念は強力です。あなた一人が「憎しみ」の波動を放つだけで、必ず何らかの影響が生じます。それが仮に百人、千人といった単位で、今この瞬間に放たれたとしたらどうなるでしょうか。
  それは大きな「憎しみ」のエネルギーとなり、目に見えるかたちをとって現実化します。さらにそこへ、「波長の法則」にしたがって低級霊までもが感応します。その結果が、今の世の中にはびこる通り魔殺人、暴動、戦争、自然破壊だと言えるのです。地球上が、今まさに低級霊のすみかとなりつつあるのです。
  今の日本や世界の状況を見ていると、一刻も早くみんなが波長を高くし、よい種を蒔かなくては間に合わないところまで来ていると思いませんか。
  人類はすべて広い意味での類魂です。今、どんな状況も自分自身のこととして受けとめ、考え、ともに改めていく感性が必要とされています。遠い国の戦争も、日本のどこかで起きた事件も、無関心でいてはなりません。身近な社会現象にも同じことが言えます。隣の家の問題も、友達の悩みも、他人事とは言いきれないのです。
  すべての存在はもともとひとまとまりの類魂であり、ともに神を目指して向上している仲間である。――このたった1つの叡智をみなが得ることが、どれだけ世界を救うことになるか測りしれません。私たち一人ひとりが救世主であることをしかと自覚することが、今まさに急務なのです。

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