黙示録

 
 [HOME] > [SPACE NAVIGATOR] > [SPACE LIBRARY] > [1号室]   
     

月はUFOの発進基地だった!

コンノケンイチ・著  徳間書店  1992年刊
● なわ・ふみひとのコメント ●
  「100匹目のサル」の話はご存じでしょうか。宮崎県の幸島という小さな島に群棲している野生のサルの一匹が、あるとき泥のついた芋を海水で洗って食べることを覚えました。やがてそれを真似るサルが1匹、2匹と現れ、その数が100匹に達したとき、島中のサルがいっせいに芋を洗って食べるようになったという話です。しかも、はるか海を隔てた別の島のサルまでが、同じように芋を洗って食べるようになったというのです。
  最近、UFOのことがだいぶ話題になり始めましたが、まだ一笑に付してしまう人の方が多いのが現実でしょう。しかし、この本を読みますと、いよいよ「100匹目のサル」の出現が間近になってきたことを予感させます。
  科学者でもある著者のコンノ氏は、秘密ルートから入手したNASA(米航空宇宙局)の写真にもとづいて、月面にUFOの基地があることを証明して見せます。アメリカがアポロ計画で月に有人宇宙船を送り込むことを計画したのは、ケネディ大統領の時代でした。計画実現後30年も経つのに、そのとき撮られた数万枚の月面写真のうち、一般に公開されたのはほんの3〜4%だといいます。
  公開された写真も、多くはNASAの手で修正を加えられているようです。はたしてそれは月にあるUFOの基地を隠蔽するためなのでしょうか。だとすれば、アメリカ当局はなぜ事実を隠さなければならないのでしょうか。その疑問に対しても、著者は見事な分析で答えてくれています。
  さらに、著者はケネディ大統領が暗殺された背景にも、アポロ計画とUFOの問題が密接にからんでいるとしており、その推論もなかなか説得力があります。月に行ったアポロ飛行士のうちの何人かが、「月面で神と出会った」と告白していますが、著者は、「彼らが出会った“神”こそ、われわれよりもはるかに進んだ文明をもつ宇宙人である」として、「UFO(地球外文明)が月を前哨基地化し、人類を監視下においているのは確かな現実である」と断言しています。
  あなたのこれまでの常識をつくがえし、あなたをUFO問題に関する100匹目のサルにしてしまう可能性を秘めた本として、自信をもってお薦めしたいと思います。
                                            (1994年記)

UFOは太陽系外文明から飛来した飛行物体で、月を前哨基地化している。アメリカ当局はその事実を少なくとも30年以上前から知っていながら、あらゆる謀略手段を使って隠蔽してきた。

●月は異星文明によって基地化され、常に地球は監視下に置かれていた。それゆえUFOは地球にも頻繁に飛来して、大勢の人に目撃されてきた。アポロ計画は、月のUFOの基地の偵察が目的だった。その現実を公表しようとして暗殺されたのが、アポロ計画を最初に発表したケネディ大統領だった。 アポロ計画は27号まで予定されていたにもかかわらず、突如として17号で中止が決定され、20余年たった現在でも、誰一人として月に行っていない。行きたくても行けないのである。

●アポロ11〜17号の全着陸地点は、地球から観測できる表側だけで、裏側には一度も着陸していない。

■月に行ったアポロ宇宙飛行士たちへのインタビュー記事をまとめた立花隆氏の『宇宙からの帰還』は、私も発売と同時に購入し、興味深く読ませてもらいました。ぜひご一読をお薦めしたい好著です。 コンノケンイチ氏は、「アポロ宇宙飛行士たちは、UFOを見たという発言を当局から厳重に口止めされているため、どうしても微妙で抽象的表現にならざるを得ないという前提のもとにお読みいただきたい」とことわりながら、この本からジム・アーウィンの体験談を引用されています。(なわ・ふみひと)

  ――あなたが宇宙で神に出会った、月で神の臨在を感じたというのは、そういう直感的洞察を得たということをさしているのですか。稲妻に撃たれたように、一瞬のうちに神の恩寵の認識を得られたというような。

  「いや、それはちがう。宇宙船の窓から小さくなっていく地球を眺める。(中略)そして、宇宙と地球と自分を見比べて、そこに神の恩寵を感じ取る。そういう洞察と、月にいるときに得た、神がそこにいるという実感とは、また別のものなのだ。その臨在感は、知的認識を媒介にしたものではない。もっと直接的な実感そのものなのだ。私がここにいて、君がそこにいる。そのときお互いに相手がそこにいるという感じを持つだろう。それと同じなんだ。わかるかな。すぐそこにいるから、語りかければ、すぐ答えてくれる。きみと私がこうして語り合えるように、神と語り合える」

  「人はみな神に祈る。さまざまのことを祈る。しかし、神に祈ったときに、神が直接的に答えてくれたという経験を持つ人がどれだけいるかね。(中略)すぐには何も答えない。それが普通だ。神と人間の関係はそうしたものだと私も思っていた。しかし、月ではちがった。祈りに神が直接的に即座に答えてくれるのだ。祈りというより、神に何か問いかける。するとすぐ答えが返ってくる。神の声が声として聞こえてくるというわけではないが、神がいま自分にこう語りかけているというのがわかる。それは何とも表現が難しい。超能力者同士の会話というのは、きっとこういうものだろうと思われるようなコミュニケーションなのだ。神の姿を見たわけではない。神の声を聞いたわけではない。しかし、私のそばに生きた神がいるのがわかる。そこにいる神と自分の間に、ほんとうにパーソナルな関係が現に成り立ち、現に語り合っているという実感がある」

  「これはどうしたって、すぐそこに神は実際にいるはずだ。姿が見えなければおかしいと思って、何度も振り返って見たぐらいだ。しかし、その姿を見ることはできなかった。だがそれにもかかわらず、神が私のすぐ脇にいるというのは事実なのだ。私がどこに行っても、神は私のすぐ脇にいる。神は常に同時にどこにでもいる偏在者だということが、実感としてわかってくる。あまりにその存在感を身近に感じるので、つい人間のような姿形をした存在として身近にいるにちがいないと思ってしまうのだが、神は超自然的にあまねく偏在しているのだということが実感としてわかる」

  ――では、神はあなたに何を語りかけたのですか。

  「私が求めるすべてに答えてくれた。月の上の活動は、すべてプログラムされていたとはいえ、無数の予期せぬシチュエイションに出会って、どうすればいいのか迷う場面が沢山あった。通信基地の装置を組み立てるときに、ヒモを引けばピンが外れる仕掛けになっていたのに、そのヒモが切れてしまうとか、漏れないはずの水が漏れるとか、予期せぬ困難が次々に起こってくる。ヒューストンに問い合わせて、答えを得るまで待っていては時間がかかり過ぎて間に合わないことがある。自分がとっさの判断を下さなければならない。どうすればいいのですかと神に問う。するとすぐに答えが返ってくる。誰か人間にたずねて答えてもらうのとはプロセスがちがう。全プロセスが一瞬なのだ。迷う、問う、答える、と言ったのは説明のためであって、実際には一瞬なのだ。まるで自分がどうすればいいかすべてわかっていたみたいだ。ジェネシス・ロックの発見が神の啓示だといったのも同じ意味なのだ。探検家が苦労に苦労を重ねて、ついに発見したというのではない。我々はいささかも迷うことなく、そこにまっすぐに行き、それを手に取った。まるで、そこにそれがあるのを前から知っていたみたいだった」

  「神に祈っても直接の答えがない。仕方なく自分で判断を下す。あとからそれが最良の判断であったのだと結果的に思う。こういうことはよくあることだ。しかし、そうしたいわゆる神のお導きとは質的に全くちがうのだ。もっと直接的に神が導くのだ。自分と神との間の距離感が全くない導きなのだ。要するに啓示なのだ」

●月に行ったアポロ飛行士たち皆が、地球に帰還後、人生航路を大幅に変更した。それは月に行った者のみで、地球を周回した宇宙飛行士には変化が見られないのは注目すべきである。

 現在、ジム・アーウィンはハイライト教会というキリスト教団体の会長として、世界中を歩いて布教を行なっている。

  チャーリー・デュークは、半世紀前のゴチゴチとした雰囲気さえ感じさせる宗教家となった。 エドガー・ミッチェルは、超能力研究所を設立。自ら所長におさまった。

  スコット・カーペンターはヒッピーになり、アラン・ビーンは宇宙絵画家、ドン・アイゼルは平和部隊に身を投じ、もっとも敬虔なクリスチャンだったバズ・オルドリンは、精神に異常を来して、長らく入院した‥‥等々。

●アポロ14号で月に行ったエド・ミッチェルは、月面でアーウィンと同様に「神に触れた」と言い、テレパシー能力が増幅されることも発見した。ミッチェルとシェパードとの間で、何も言葉を交わさないのに、彼の考えていることが直接わかったという。(中略)
  ミッチェルはこうした月での体験のインパクトがとても大きかったようで、翌年NASAを辞めると、サンフランシスコに移ってESP(超能力)研究所を設立し、自ら所長になった。

  以下、ミッチェルが述べるのは『宇宙からの帰還』(立花隆著)からの抜粋である。

  私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。人間は知的動物に過ぎないのか。何かそれ以上のものなのか。宇宙は物質の偶然の集合に過ぎないのか。宇宙や人間は創造されたのか。それとも偶然の結果として生成されたのか。我々はこれからどこに行こうとしているのか。すべては再び偶然の手の中にあるのか。それとも、何らかのマスタープランに従って、すべては動いているのか。こういったような疑問だ。
  いつも、そういった疑問が浮かぶたびに、ああでもない、こうでもないと考え続けるのだが、そのときは違った。疑問と同時にその答えが瞬間的に浮かんできた。問と答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといった方がよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に心理を把握したという思いだった。

  世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。個別生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。一体である全体は、完璧であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。自分は神の目論見に参与している。宇宙は創造的進化の過程にある。この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。進化は創造の継続である。神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。人間の意識はその神の思惟の一部としてある。その意味において、人間の一瞬一瞬の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。

  こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。

  神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であると言ってもよい。宇宙知性(コスミック・インテリジェンス)と言ってもよい。それは一つの大いなる思惟である。その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。人間の意識はその思惟の一つのスペクトラムに過ぎない。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。

 

[TOP]