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フツーの人が書いた黙示録 〈 神示編 ― @ 〉
ひふみ神示(日月神示)(下巻)超解釈 
岡本天明・筆  コスモ・テン・パブリケーション
縄 文人 (なわ・ふみひと)
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☆ 霊人と語るのは危ないぞ
☆ 学問や金を頼っていては改心できない
☆ 人はみな神かかっているのであるぞ
☆ 全体のために働くことは喜びぞ
☆ 新しき御代の始めはタツの年
☆ 親呼ぶ赤子の声で神を求めよ
☆ 人民のみで世界連邦はつくれない
☆ 大掃除で人民は三分の一になる
天変地異は神の怒りではない
☆ 自分の足で歩まねばならん

 霊人と語るのは危ないぞ  [TOP]

  下巻は「黄金の巻」から始まっています。ここでは特に終末の時代における生き方に関する内容だけを拾いました。文章量は「黄金の巻」全体の3〜5%ということになります。

●外にあるもの内にあるぞ。(黄金の巻・第8帖)

●自分の中にあるから近寄って来るのであるぞ。厭なこと起こって来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。(黄金の巻・第66帖)

●世界がそなたに映っているのぞ。世界見て己の心早う改心致されよ。(黄金の巻・第71帖)

  「外にあるもの」とは、「私たちが五感を通じてこの人生で体験していること」です。「内」とは「奥の心」つまり仏教でいうところの「末那識(まなしき)」「阿頼耶識(あらやしき)」の領域をさしています。一般的には「潜在意識」と理解しておけばよいでしょう。
  私たちが体験している「現実」は、潜在意識の中身が反映されたものであるということです。もし不愉快な「現実」を体験させられているとすれは、それは私たちの心の中に、そのような「現実」を起こす要因が含まれているということです。
  私流の表現をするならば、「類は友を呼ぶ」という波動の法則によって、心の磁石が外の世界の「現実」を引き寄せて来るという真理を述べています。「笑う門には福来たる」「泣き面に蜂」などの諺がそのことを表現しています。
  「世界が映る」も「映る=体験する」という意味で、同じことを述べています。

●霊人と語るのは危ないぞ。気つけくれよ。(黄金の巻・第18帖) 

●霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。
(黄金の巻・第50帖)

●悪神憑かりたれば、自分では偉い神様がうつりていると信じ込むものぞ。可哀想なれど、それも己の天狗からぞ。取り違いからぞ。(黄金の巻・第57帖)

  正式な修法に則った修行をしていない普通の人が、霊的存在(一般的に神様や高級神霊の名を語りますが、最近は進化した宇宙人を装う場合も多いようです)と交信することの危険性を述べています。「危ない」と警告される意味は、霊人(=異次元の存在)と通信をしていると次第に波長が合ってきて、やがて完全憑依される恐れがあるということです。その結果、極端な事例としては、自分ではまったく意識しないまま異常な行動(殺人など)に走るといったことが起こります。
  当サイトを登録している「精神世界」サイトには、霊界通信をもとに作られたサイトやプログがたくさん登録されています。それらは普通の人では審神(さにわ)が難しいので、十分な注意が必要です。

●己の行できておらんと、人の悪口言わなならんことになるぞ。(黄金の巻・第19帖)

  「身・口・意」をコントロールするのが行(=身魂磨き)です。他人の悪口を言わなければならないのは、身魂磨きができていない証拠だということです。

●国々、所々、村々、家々、みな何なりとしてめぐりだけの借銭済まし致しくれよ。(黄金の巻・第19帖)

  めぐり(=カルマ)は自分だけのものとは限りません。自分が属している集団――家庭はもちろん、勤務先や市町村、国、民族――が生み出した善くないカルマもきれいに借銭済まし(=清算)してしまわないと、みろくの世へのアセンションができないということです。


●悪も善も、もう隠れるところなくなるぞ。(黄金の巻・第30帖)

  カルマが清算されるということは、隠されていた秘密が人々(=利害関係者)の前に明らかにされることを意味しています。今日、政治や行政、企業などが行なってきたさまざまな不正や不祥事(年金問題や食品の原料の偽装表示など)が暴かれつつあるのは、その表れとみてよいでしょう。

●めぐりないもの一人もこの世にはおらん。(黄金の巻・第37帖)

  たとえ聖人君子のように見える人でも、やはりカルマは背負っているのです。

●この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。(黄金の巻・第38帖)

  カルマが生まれるメカニズムを表現しています。私たちが発信している善くない「身・口・意」は幽界に届き、そこからまためぐりとなってこの世に戻ってくるということです。

●平等愛とは、差別愛のことぞ。公平という声に騙されるなよ。数で決めるなと申してあろうがな。群集心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。(黄金の巻・第56帖)

  「多数決の論理」は間違いであるということは、拙著『2012年の黙示録』でも力説しています。マスコミに誘導された大衆には、一時的に邪霊が憑依していると見るべきです。2005年夏の「小泉フィーバー」や、2007年の参院選における「安倍バッシング騒ぎ」も、邪霊に誘導されたものと見て間違いないでしょう。今後も「二大政党化」を旗印に、多数決の論理を追求するわが国の政治はますます不安定な状態が続き、結果として、この国はたいへん悲惨な事態に導かれていくと思われます。

●世を捨て、肉を離れて天国近しとするは邪教であるぞ。合わせ鏡であるから、片輪となっては天国に行かれん道理じゃ。迷信であるぞ。(黄金の巻・第59帖)

●天国に行く人、この世でも天国にいるぞ。(黄金の巻・第60帖)

●死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮らす人天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。
(黄金の巻・第75帖)

  この世は大切な「身魂磨き」の場ですから、この世での生活をおろそかにする考え方は間違っているということです。この世での厳しい「現実」に負けて、死ねば天国に行けると思って自ら命を断つ人は、死後も同じような「現実」に直面するのです。そもそも現在の心の状態がこの世での「現実」を創り出しているのですから、肉体を捨ててあの世に行けば、同種の「現実」がさらに過酷さを増して表れることになります。あの世では、心の状態がこの世の数十倍、数百倍のスケールで展開されるということを、新約聖書の中でもイエスが「からし種」や「パン種」にたとえて説明しています。

 
学問や金を頼っていては改心できない  [TOP]

●金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世と致すのぢゃ。(黄金の巻・第59帖)

●学問や金を頼っているうちは、まだまだ改心出来ないぞ。(黄金の巻・第82帖)

  「金で世を治めて」というのはこの資本主義社会の秩序がお金を中心に組み立てられていることを表現したものです。次はそのお金で「この世を潰す」と述べられています。形としては、世界大恐慌ということになるはずです。お金を持っていてもどうにもならない社会が生まれるということです。一番困るのは、お金に生活と心を支配されている人ということになります。
  「お金持ちが神の国の住民になるのは、らくだが針の穴を通るよりも難しい」というイエスの言葉とも相通じるものがあります。
  この世での幸せを、持っているお金の額で測るのでなく、お金がなくても十分幸せを感じることのできる人が、やがて訪れる神の国の住民に相応しい人ということになります。

●身魂磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。(黄金の巻・第67帖)

  これは親子の関係に置き換えて考えるとわかりやすいと思います。親が子供のためを思って、いろいろと正しいことを教えても、それを子供が実行しなければ間違った方向に進んでしまうことになります。あるいは、時間が迫ってきて間に合わなくなるということもあるでしょう。
  この「親」に当たるのが神様(守護神)であり、「子」が私たち人間というふうに置き換えれば、神様から繊細な波長で送られてくるメッセージ(善いと感じること)をすぐに実行に移してほしいと思うのは親心と同じでしょう。しかしながら、そのような微弱な神の波長は、低級霊の憑依のような強制力がないので、人は善いと思ったこともなかなか行動に移さないものです。
善いことを行動に移させないように低級霊が干渉する(=「一本の誘惑」がある)ためでもあります。ひふみ神示(日月神示)の神様の嘆きの声が聞こえませんか。

●めぐりと申すのは、自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。めぐりは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。(黄金の巻・第77帖)

  めぐりは「自分が蒔いた種を刈り取る」ということであって、他人や世の中のせいにできないのは言うまでもありません。

●先祖は肉体人を土台として修行するぞ。めぐりだけの行をせねばならん。(黄金の巻・第78帖)

  「親の因果が子に報う」という諺もあるように、肉体を失って霊界にいる先祖の霊は、縁ある子孫の守護霊や背後霊となって身魂磨きをしているのです。そういう意味では、いま終末の時代に肉体を持って人生修行をしている私たちの責任は重大なのです。

●損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによってめぐり取っていただくのぞ。めぐりなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済ましぞ。世界のめぐり大きいぞ。(黄金の巻・第83帖)

  経済的な損失も、病気や怪我などの不運と思われる出来事も、すべて悪いカルマが発散されていることの現れですから、それはありがたいと思うべきなのです。終末の時代を迎えている今、私たちはもはや生まれ変わって始める次の人生はありませんので、この人生で「借銭済まし(=カルマの清算)」をしなければならないのです。「世界のカルマ」の清算は、経済の大恐慌や大天変地異となる可能性大と思われます。その覚悟は必要でしょう。

●他のために行ぜよ。神は無理は申さん。初めは子のためでもよい。親のためでもよい。自分以外の者のために、まず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。(黄金の巻・第93帖)

  「与えたものが返ってくる」というのが宇宙の法則です。まずは自分の身近な存在からでも、「利他(奉仕)」の行為の実践を始めなさいということです。新約聖書やシルバー・バーチの霊言にも全く同じ内容が述べられています。

●生命捨ててかからねば、まことの理解には入れん道理。身慾信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられん道理。(黄金の巻・第97帖)

  「身慾信心」とは「現世利益を求める心」という意味です。この世での幸せを追い求め、財産や地位などに執着する「我善し」の気持ちでは、神の国の住人に必要な「まことの理解」は得られないということです。新約聖書にも、これと全く同じ趣旨のことがイエスの言葉として次のように述べられています。

 
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイによる福音書)

 「あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」(マタイによる福音書)

 「世が改まって、人の子が栄光の座につく時には、(中略)わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍をも受け、また永遠の生命を受け継ぐであろう」(マタイによる福音書)

●悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪じゃ。(黄金の巻・第97帖)

  「悪」とは「自分や世の中に対して害を及ぼしている存在」と考えたらよいでしょう。そういう存在を憎んだり、そのことによって心を曇らせることは、結果として善くない波動をこの宇宙に発信することになります。つまり「悪」の波動に同調して、自らも「悪」を演ずることになってしまうのです。「悪」と見えることもすべて神様の手のひらの上での出来事と考えて、心を曇らせないことが大切だと教えてくれています。

●日々の祈りは行であるぞ。百年祈り続けても、祈りだけでは何もならん。それは祈り地獄じゃ。祈り地獄多いのう。肉体人は肉体の行せねばならん。(黄金の巻・第100帖)

  「肉体の行」というのは、「この世での人生体験を通じて学ぶ」ということです。神頼みだけをしていても駄目だと戒めています。現在の人生を毎日しっかり生きることが「祈り」そのものだ、と教えています。当サイトの「フツーの人が書いた黙示録」の「祈り編」も全く同じ結論を述べています。よろしければ一度ご覧いただきたいと思います。


 人は皆、かみかかっているのであるぞ  [TOP]

●人間は皆、かみかかっているのであるぞ。かみかかっていないもの一人もおらんのじゃ。…(中略)…霊人は人間の心の中に住んでいるのであるぞ。心を肉体として住んでいるのじゃ。その中に住んでいるのじゃ。(白銀の巻・第6帖)

●人間の言うかみかかりとは幽界のカミかかりじゃ。ろくなことないのじゃ。かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構じゃなあ。
(白銀の巻・第6帖)


●神は人間の想念のなかに入っているのじゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝わるのぞ。人間の言葉となって人間に現れる。言葉は神であるが、人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理よく心得なされよ。(黒鉄の巻・第27帖)

●人間は肉体をもっている間でも、その霊は霊の国に住んでおり、霊の霊は、霊の霊の世界に住んでいるのであるぞ。この道理よくわきまえよ。(黒鉄の巻・第33帖)

  この項につきましては当サイトにアップしております
死後の世界と魂の成長』(ジョージ・W・ミーク著/宗教心理出版)が参考になると思いますので、以下に引用しておきます。神示と特に関係の深い最後の部分を赤い文字にして強調しました。

  憑依(ひょうい)――悪魔や霊が人間にのりうつったり、外部からその人間に働きかけて、一定の行為をさせること。
  霊の支配――何ものかに支配されている状態(たとえば、自分以外の人間、悪魔、情熱、観念など)。ある人間のふだんの人格が他の人格と取り替えられた状態。

  人間の心や魂は、何らかの原因で死を迎えたとき、ごく自然になめらかにその肉体から離れますので、その人自身も何が起こったのか全く気づかない、という場合がよくあるのです。死んだとき、多くの人びと(とくに霊的な事柄について知識のない人)は、自分が別な存在の次元に移ったということに全く気がつかないのです。
  彼らは実際は、ある一つの領域にいるのです。今日ではその領域をアストラル界と呼んでいます。この領域は、さらにいくつかの層(レベル)に分かれています。私たちは肉体を脱ぎ捨てたあと、たいていは3日以内ぐらいで、「自分はアストラル界の中の一つの層にいる」ということに気がつきます。この場合、アストラル界の中のどの高さの層に住むようになるかは、地上で生活していたとき、その人間がどういう行為をしたかによって決まります。
  何層にも分かれたアストラル界の最下層は、この地上の世界に浸透していて、私たちの住んでいる世界と重なり合っています。私たちは、私たちの感覚器官でとらえられたこの世界が、いかにも堅固で、物体が充ち満ちているように思っていますが、それは私たちの感覚器官の能力が不完全なためにそう思われるだけだということを、現代の科学は示しました。私たちの肉体も99.99999パーセント以上は何もない空間であることがわかっています。ですから、肉体を離れた霊が私たちと同じ空間に住んでいられるはずがないという考え方を捨ててみてください。
生きている1人の人間の肉体に、何人もの死んだ人間の霊が入り込むことだってできるのです。
  新約聖書には、ある1人の男にとりついたたくさんの「悪霊たち」を、イエスがその男の肉体から追い出して、豚の群れに乗り移らせたという有名な話(マルコによる福音書)があります

       ――『死後の世界と魂の成長』(ジョージ・W・ミーク著/宗教心理出版)


●たとえいかなる現在も、その現在を祝福せねばならん。喜びせねばならん。(黒鉄の巻・第1帖)

●一切に向かって涙せよ。ざんげせよ。一切を受け入れ、一切を感謝せよ。一切が自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。(黒鉄の巻・第2帖))

 
「1回だけの人生だから、できるだけ楽しまなくちゃ損」という考えの人には理解できない内容かも知れません。しかしながら、人生の目的が「自らの魂を磨くこと(身魂磨き)」であることを自覚するならば、自分に降りかかるあらゆる出来事はすべて神様が与えてくださった大切な教材ということですから、感謝し、祝福する必要があるということです。
  「いまは苦しいけど、これを乗り越えればいつかは幸せになるだろうから我慢しよう」という考え方は必ずしも正しくないということを述べています。苦しく感じられるような状況であっても、その“いま”がすべてなのです。“いまの状態”に感謝できなければ、これから訪れる“未来”も、常に“いま”の連続でしかないからです。いま自分の周りで起こっているすべての出来事に感謝できるようになることが、大切な身魂磨きだということです。

 
全体のために働くことは喜びぞ  [TOP]

●他のために苦労することは喜びであるぞ。全体のために働くことは喜びぞ。光の生命ぞ。誰でも重荷負わせてあるのじゃ。重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ。この道理、涙で笑って汗で喜べよ。それとも重荷外してほしいのか。早く花が見たく、実がほしいからあせるのじゃ。人間の近慾と申すもの。神の大道に生きて実りの秋
(とき)待てよ。まいた種じゃ。必ず実る。誰も横取りはせんぞ。万倍になってそなたにかえると申してあろう。(黒鉄の巻・第3帖) 

  「他のために苦労する」とは利他の行為です。「我善し(自己中心主義)」の対極にある行為で、同じことが仏教や新約聖書、「大本神諭」などでも述べられています。まさに「身魂磨き」の真髄ともいうべき内容です。「他」とは、自分の親兄弟や愛する恋人も含まれますが、もっとも大切なのは不特定多数である「全体」に奉仕することです。
  西洋化される前の日本人は「世の中のために」という価値観を大切にしていました。戦後教育の中で、「個人主義」「権利主義」を植え込まれた日本人がつくり出した今日の殺伐とした社会が、古き良き時代といかに様変わりしたかをご覧になれば、自分本位の生き方が間違いであることがよくわかります。
  「蒔いた種は万倍になって返る」ということも、新約聖書やシルバー・バーチの霊言などで共通して述べられていることです。種を蒔く時の苦労(昔の田植え作業などを想像してみてください)も、刈り入れの時の喜びとなって結実するのです。当サイトでたびたび解説してきました「カルマの法則」をわかりやすく述べています。


●気づいたことから早う改めてくだされよ。トコトンまで行って神がさすのでは人間の面目ないから。人間同士でよく致しくだされよ。ただ有り難いだけではならん。仕事せねばならん。努力せねばならん。じっとしては進めん道理じゃ。
(黒鉄の巻・第6帖)

  感謝の気持ちや言葉を表すだけでなく、行動に移して努力しなければ前には進めないということです。身魂は磨けないのです。「ありがとうという言葉を何万回も唱えれば、ひとりでに幸運が舞い込んでくる」といった教えは、一歩間違うと人を堕落させるだけの結果に終わる危険性があります。やはり、常に向上心を持って目の前の課題に挑戦することが大切なのです。

●悪の大将は奥に隠れてござるのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組み、もう九分通りできているのじゃ。
(黒鉄の巻・第14帖)

  「悪の大将」とは「ユダヤの最高賢哲」と言われる存在のことを指していると思われます。最近では、「イルミナティ」という得体の知れない存在を隠れ蓑に使っていますが、それも計算済みのことなのでしょう。九分通りできあがった「世界支配層」の仕組みは、もはや人間の力ではどうすることもできません。
  「一の大将と二の大将が大喧嘩するように見せる」手口は、まさに「分割して統治せよ」そのものです。国家間はもちろん、世界中のあらゆる国や組織の中に「一の大将と二の大将」が計画的に作られています。例えば、かつての「アメリカ対ソ連」がそうですし、アメリカ国内では「共和党対民主党」、日本でもいま二大政党制の確立が巧妙に仕上げの段階に入りつつあります。
  そのような対立構造を作り上げて、世界や国をワヤ(=めちゃくちゃ)にするのが狙いなのなのだと警告しています。


●霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違い多いぞ。心せよ。
(黒鉄の巻・第18帖)

  幽界(霊界の低層界)に勢力を張る存在からすれば、現界人を騙すことは簡単なことなのです。歴史上の偉人のように見せかけたり、進化した宇宙人を装ったりして、間違った通信を送って人を惑わすことが多くなると忠告しています。

●死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。奇跡を見せ、病気を治してやるのもよいのじゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなことくらいでマコトの改心ができるならば、人間はとうの昔に改心してござるぞ。今までのような宗教は亡びると申してあろうが。(黒鉄の巻・第30帖)

  この項は、わが国の仏教をもとにした宗教団体を批判しているものと思われます。そのような宗教は亡びるということです。

●何事も咎めるでないぞ。咎める心、天狗ぞ。神の前にへりくだり、へりくだってもなお過ぎるということないのじゃ。人間は、色とりどりそれぞれの考え方を自由に与えてあるのざから、無理に引っ張ったり、教えたりするでないぞ。今あるもの、今生きているものは、たとえ極悪ざと見えても、それは許されているのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ。
(黒鉄の巻・第31帖)

  他人を咎める気持ちを持つことはよくないということです。自分の考えだけが正しいと思って他を排除する気持ちを持つな、と戒めています。要するに「傲慢になるな」「謙虚であれ」ということです。イエスやホワイト・イーグル、シルバー・バーチの教えとも一致しています。私もこれまでの人生体験の中から、「謙虚であるかどうか」が人の魂のレベルを測る有効な指標になることを確信しています。


 新しき御代の始めはタツの年  [TOP]

●新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生まれ出で給いぬ。(春の巻・第1帖)

  ひふみ神示(日月神示)には「新しき御代の始めのタツの年」という表現が2カ所に出てきます。もう1カ所は次のような表現になっています。

●新しき御代のはじめのたつの年あれ出でましぬかくれいし神。(紫金の巻・第9帖)

 要するに「
それまで隠れていた神様が現れ(生まれ)て、辰年から新しい世界が始まる」という意味です。「新しき御代」とは「ミロクの世(=神の国)」のことと思われますので、この物質世界がアセンション(次元上昇)によって新次元(五次元?)に移行する年が、わが国の干支では辰年ということになります。
  これから訪れる辰年は2012年、2024年、2036年‥‥と12年ごとになりますので、次元上昇の年もそれらの年のいずれかと見ることができます。今日の世界の人口増による食糧不足や石油資源の枯渇、あるいは深刻さを加える環境破壊の問題等から判断しまして、これから10年も20年も世界経済が今のような成長を続けられるとは考えられません。中国という一つの国の状態を観察するだけでも、すでにこの世界があらゆる面で行き詰まっていることは明らかです。
  というより、このまま世界経済が成長を続ければ、あと数年以内に大恐慌が起こるのは避けられないでしょう。世界経済のバブルが一斉に崩壊し、あらゆる国の国民が(ごく一部の富裕層を除いて)路頭に迷うことになると思われます。近年でもアルゼンチンとロシアで経済破綻によるハイパーインフレが発生し、多くの国民が日々の食べ物もまともに手に入らないような事態を経験したのは記憶に新しいところです。
  また、今日では世界中で貧富の格差が異常なほどに広がりつつあり、この状態で世界大恐慌が起これば、ほとんどの国がかつてのアルゼンチンやロシアのような悲惨な事態に直面すると思われます。しかも、その状況は更に深刻なものとなるはずです。
  ひふみ神示(日月神示)によれば、日本の国も「一度はつぶれたようになる」ということですから、並大抵の状況とは思われません。しかし、そのような悲惨な状況の後に「神一厘」と呼ばれている神のシナリオが発動されて、「ミロクの世の誕生(=次元上昇)」になることがシナリオとして述べられています。「スメ大神」については、私も解説できるだけの知識がありませんが、「隠れていた神」と表現されていますから、「艮(うしとら)の金神」の別名なのかも知れません。
  「艮の金神」はひふみ神示(日月神示)の中心となる神様です。ミロクの世を治めることになる神様ということですから、ミロクの世における地球の主宰神となられる存在でしょう。この神様の登場によって、これまでは悪神の世となっていた日本と世界の大掃除・大洗濯がなされ、見事澄み切った神の国の誕生ということになるシナリオだと思われます。
  もちろん、その「大掃除・大洗濯」は各種の天災が起こることを意味していますので、人類にとっては決して心地よいものではないでしょう。そのことについても、神示には次のように述べられています。


天災や地変は大き肉体の応急処置の現れであるぞ。部分的に、人間苦しめるように思うてはならん。一日一度は便所へ行かなならんであろうがな。人間この世の五十年をもととして考えるから判らなくなるのざ。(春の巻・第49帖)

  今日、世界中で多発している自然災害の数々は、長年の間に人類が造り出したカルマを精算する姿だということでしょう。神様が人間を懲らしめるために天災や地変を起こしておられるのではなく、地球が人間の悪想念によって穢れているのを清めるために(人間が毎日トイレで排泄するのと同じ意味で)、肉体としての地球が行なっている代謝の働きということです。
  しかしながら、現実に人はそのような地球の代謝の働きによって、生活の基盤や命さえも失うことになります。それにはどう備えればよいのでしょうか。それは、天災を恐れて身構えるのでなく、むしろ神に任せきって、自らの心の中身を見つめ、身魂磨きをするしかない、と教えてくれています。自分の内にあるもの(自分や自分の家族だけは助かりたいとか、今の幸せな生活を守りたいという執着心)が、外のもの(恐怖心に見合う災害など)を呼び寄せているということです。次の神示をご覧ください。


 
親呼ぶ赤子の声で神を求めよ  [TOP]

神は理屈ではない。理(みち)であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん絶対であるぞ。ただ求めるより外に道はないぞ。親呼ぶ赤子の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。すべてを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現れてくるぞ。理屈の信仰に囚われると邪道。赤子心の理解は第一ぞ。(黒鉄の巻・第26帖)

  理屈でなく心の底から神を信じることを「赤子心」と表現しています。まったく同じ内容が新約聖書の中でもイエスの言葉として繰り返し述べられています。幼子が親を信じ切って任せきる(全託する)気持ちこそが、この終末の時代には特に大切になってくるのです。


●神まかせがよい人民であるぞ。この神と認めたら理解して、まかせ切れよ。(中略)雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ。受け入れずにはね返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。何か迫りくるのは、何か迫りくるものが自分のなかにあるからぞ。内にあるから外から迫るのじゃ。自分が呼び寄せているのじゃ。(春の巻・第16帖)

  大切なのは「神に任せ切ること」だと諭してくださっています。「雨降らば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ」ということです。「自分に降りかかる出来事は、すべて(身魂磨きのために)必要なことなのだ」という考えに立てば、一つひとつの出来事に心を煩わせ、過去を悔やみ、未来を不安に思う必要はなくなるのです。

  もちろん、自分は何の努力もせずに、ただ「神様お願いします。守ってください」という姿勢は良くないのです。「天は自ら助くる者を助く」という言葉の通り、自助の努力は大切だと述べられています。その努力とは、この世で生き延びるための努力ではなく、自らの内にあるものを浄化する努力というべきものです。「世の中全体が平和であるようにと祈り、そのために自ら実践する」ことが大切なのです。「自分や自分の身近な者だけが助かりたい」という我善しの気持ちでは助かることはないということです。次の神示にそのことが述べられています。

神にまかせきると申しても、それは自分で最善を尽くしてあとのことじゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせじゃ。悪まかせ多いのう。(春の巻・第26帖)

●カミヒトと申すのは、神の弥栄(いやさか)のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ。神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのじゃ。自分のためばかりで祈れば迷信、我善しの下の下ぞ。(春の巻・第2帖)

  「
身魂磨きの要諦は、良くない心の癖を直すこと」というのが、私がこの人生で到達した結論です。そのことは日月神示にもたびたび出てきます。次の神示もその一つです。

●なくて七癖、七七四十九癖。悪い癖直してくだされよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ、外へひびくものが変わってくるぞ。よくなってくるぞ。変わってくれば、外からくるもの、自分にくるもの、変わってくるぞ。よくなってくるぞ。幸せとなるぞ。よろび満ち満つぞ。(春の巻・第12帖)

●自分はよいが、世の中が悪いのじゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(みち)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかってくる一切のものは最善のものと思え。いかなる悪いことも、それは最善のものであるぞ(中略)世を呪うことは自分を呪うこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば、一切はそこから開けくるぞ。十のもの受けるには十の努力。(春の巻・第13帖)

  ここでは「
悪い心の癖を直すことが天国に行く鍵」と表現されています。私は「終末への備え」はこれに尽きると思っています。食糧危機に備えて田舎に疎開したり、核爆弾を恐れて核シェルターを準備したりしても、助からない人は助からないのです。逆に「助ける人はどこにいても助ける」という日月神示の神様の言葉を、私は文字どおり「赤子の気持ち」になって素直に信じています。


 人民のみで世界連邦はつくれない  [TOP]

●みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。じゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながっているのであるぞ。地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、また自ずから異なる小天国ができ、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となるように思うているが、人間の浅はかな考え方ぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのじゃ。(秋の巻・第9帖)

 いまイルミナティやフリーメーソン、300人委員会、あるいはユダヤ地下政府(サンヘドリン)といった「陰の世界支配層」によって、「NWO(New World Order)=新世界秩序=世界政府」の樹立が画策されていると言われていますが、民族の独立性を無視して一色にぬりつぶすような世界政府をつくることはできないと、はっきり述べられています。その理由は、霊界が国ごとに独自のものとなっているからです。この世界は霊界との合わせ鏡となっていて、霊界で起こることが移写されてくる(=霊界の通りになる)のです。
  ですから、霊界が独立性を保っているかぎり、「地上天国(=神の国)」と呼ばれる新しい世界においても、民族の独立性はなくならないということです。そういう意味で、「陰の世界支配層」が進めている「サタンのシナリオ」は必ず破綻すると見るべきです。神の力を信じることのできる人であれば、決して恐れる必要はないのです。

人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談。片輪車と申してあろうが。目に見えぬ世界、目に見えぬ人民とのタテのつながりつけねばならん道理。人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。(扶桑の巻・第9帖

  ここでも同じ内容が述べられています。いま「陰の世界支配層」が、国連という看板を使って世界政府を樹立しようとしていますが、それは実現しないということです。その理由は、この物質世界は霊界の「写し世」ということですから、霊界と現界を結ぶ「タテのつながり」を作らないと、いくらこの地上の「ヨコのつながり」を作っても駄目なのです。霊界こそがこの物質世界の「元の世界」であるという仕組みを理解しないと解けない神示でしょう。


 
大掃除で人民は三分の一になる  [TOP]

●神の仕組み、狂いはないなれど、人民に判らねば、それだけこの世の歩み遅れるのじゃ。この世は人民と手引かねばならんから、苦しみが長くなるから、千人万人なら一人ずつ手引いてやりてもやりやすいなれど、
世界の人民、動物虫けらまでも助ける仕組みであるから、人民早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。(秋の巻・第25帖)

  今回の世の立て替え・立て直しは「(日本人だけでなく)世界中の人々、および動物や昆虫、バクテリアに至るまで助ける仕組み」と述べられています。この物質体としての地球を置き去りにして、人間だけがアセンション(次元上昇)するということではないことがわかります。
  ただし、どうやら人間に関しては、自ら波長を高める必要があるようです。神様(高級神霊?)といえども「手を引いてはやれない」とおっしゃっています。後で出てきますが、「神頼み、人頼みをせずに、自分の足で立て」ということなのです。


三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地がはじまっているのであるぞ。何もかも三分の一じゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組みじゃ。三分むつかしいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ。(扶桑の巻・第7帖)

  「人民も三分の一になる」とあります。すでにその“実地”は始まっているようです。世界中で大規模な自然災害が発生し、多くの人が亡くなっているのはその現れかも知れません。この神示で気になるのは、「では残りの三分の二の人たちはどうなるのか」という点です。大掃除によって死んでしまうということではないようです。なぜなら、日月神示によれば、「この地球はこれから半霊半物質の世界になる」ということで、いま霊界にいる存在(私たちの先祖霊など)も終末の大掃除の対象になっているからです。三分の二の人が死んで霊界に行けば大掃除が終わる、ということではないのです。
  そういう意味では、日月神示の神様が「一人でも多く助けたい」とおっしゃってる内容は、単に「肉体の生命が失われないように守る」ということではないのです。そこが難しいところでもあり、大切なことなのです。いずれまた詳しく説明いたしますが、ここでは「現在地球上に生きている65億人の三分の一の人だけが救われるという意味ではない」ということを記憶にとどめていただきたいと思います。


 
天変地異は神の怒りではない  [TOP]

●神に怒りはないのであるぞ。
天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん。(扶桑の巻・第8帖)

  終末において私たちが直面すると思われる天変地異は、決して神の怒りではないと述べられています。では、なぜ天変地異が必要なのか。それは「新しい世界に生まれ変わるための産みの苦しみ」なのです。
  地球がこの物質世界を卒業するために必ず越えないといけない峠というもので、それを恐れて避けるようとする心が間違いなのです。そのような心、つまり「楽をしよう、苦しいことを避けよう」という心こそ卒業しないといけないものなのです。もろちん、苦しむことに意味があるのではなく、「産みの苦しみ」をできるだけ小さくして安産になるようにと、自らの身魂磨きを怠らないことが必要だ、というのが日月神示の神様の一貫した教えとなっています。


何事が起こって来ても、まず喜んで迎えねばならんぞ。近づいてくるのは呼び寄せたからじゃ。こんないやな、きたないものはごめんじゃ、と申す人民もあるなれど、それは皆己の心の写しではないか。内にないものが外から近寄る道理ないのじゃ。どんなものでも喜んで迎えると喜びとなる仕組み。よく会得せよ。(扶桑の巻・第10帖)

  すでに当コーナーでもご紹介してきましたように、この神示と同じ内容は日月神示の中でたびたび繰り返されています。それをあえてここで取り上げましたのは、前後の内容との関連で改めて「カルマの法則」を確認していただきたいからです。
  私たち個人のカルマであれば、自らの身魂磨きによって嬉し嬉しの出来事ばかりを呼び寄せるようになりそうなものですが、現実はそうでもありません。毎日のテレビや新聞を賑わしている異常な犯罪の数々や、政界や企業において続発している不正事件などを見ていますと、とてもこの国に地上天国が近づいているとは思えません。
  「いやなもの、きたないもの」が近寄るのは、私たちの先祖やあるいは日本民族そのものがつくり出したカルマが現象化しているからと見るべきでしょう。国のカルマは、その国を構成している国民が等しく背負うことになるのです。もちろん、人類のカルマは地球環境の破壊といった形で、世界中の人たちに影響を及ぼしていきます。「自分が身魂を磨けばすべてハッピー」とならないところが、この世界の奥の深いところです。「人類の連帯責任」と言ってもよいでしょう。
  大切なことは、どんなことが起こっても不満に思わず、「これが身魂磨きのために必要なことなのだ」と喜んで受け止めるということです。
「喜んで迎えると喜びとなる」仕組みを、早く会得したいものです。
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自分の足で歩まねばならん  [TOP]

●天のことは今までは人民には判らなかったのであるぞ。時めぐり来て、岩戸が開けて、判るようになったのぞ。今までの人民であってはならん。地そのものが変わっているのであるぞ。人民は我が強いから一番おくれているのであるぞ。
人民の中では宗教人が一番おくれているぞ。神人(かみひと)とならねば生きては行かれんのじゃ。天地がアメツチとなっているからぞ。天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、気つけてありたのに、目さめた人民少ないぞ。今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ。他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ。もうその時は過ぎているのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ。大地をふみしめよ。大地の気が身内に甦るぞ。(扶桑の巻・第15帖)

  この神示を読みますと、「岩戸が開ける」というのは「霊界(天)とこの世(地)の間にパイプが通る」という意味であることがわかります。たとえば最近のスピリチュアルブームを見てもわかりますように、霊界からの通信などがこの世に伝わりやすくなってきています。日本古来の神様や聖母マリアからのメッセージ、あるいは進化した宇宙人を名乗る存在などからさまざまな霊界通信が届くようになっているのは、まさに「岩戸が開けた」ことによるものです。
  ただ問題なのは、パイプは通じてもそこには冷厳な宇宙の法則が働くということです。その法則とは、私が拙著『2012年の黙示録』で詳しく説明しております「類は友を呼ぶ」という法則です。別な言葉で言えば「同じ波長のものだけが通じ合う」ということでもあります。これこそ、この宇宙を貫く大法則ということができます。
  先ほどの神示にも「
近づくものがあるのは呼び寄せたからじゃ」とありましたように、私たちは自らが持つ波長と同じものを霊界(天)からこの世(地)に引き寄せるということです。宗教も、たとえば仏教などは本来そのような教えから成り立っているのですが、宗教人はそれがわからなくなり、葬式のための儀式のように捉えている人が増えていることを批判されているものと思われます。
  まして、現世利益を説いて人を集めるような宗教の関係者は、文字どおり「一番遅れている」人たちと言ってよいでしょう。終末の時代に大切な身魂磨きとは逆の方向に人を導いているのですから、大変罪が大きいということができます。
  「
天も近うなり、地も近うなる」というのは、天(霊界)と地(この世)に住むそれぞれの存在に対して述べられた言葉です。霊界にいるのは私たちの守護神、守護霊を初めとする存在です。日月神示の神様は私たち肉体人間だけに語りかけておられるのではなく、その肉体人間を守護し、導く役割を持っている様々な霊界の存在に対しても語りかけています。このことからも、霊界の非常に高い位置におられる存在からのメッセージであることが読み取れます。
  言葉の意味をそのまま解釈しますと「天と地がそれぞれに接近する」ということで、先ほどの「岩戸が開けた」ことと連動しています。これから終末の大峠にかけて、その傾向はますます強くなっていくでしょう。その結果起こることは、「二極分化現象」です。同じ波長のものが霊界から引き寄せられる結果、その波長がますます強調されることになるからです。既にその現象は社会の至るところで確認することができます。「善悪」の価値基準でも、「貧富」の色分けによっても、世界的に「格差」が広がる一方です。
  「
昇り降りで忙しくなる」という言葉も、日月神示にはよく出てきます。この世界は波長の違う存在が同居していますが、半霊半物質化が進むことによって、本来の波長に応じたレベルの調整が行なわれていくということです。そのことがこの世界に現象として現れるときは、地位や立場の上下が逆転したりするわけで、時には「衝突する」ような形も見られると述べられています。
  「
他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民」というのは、今日社会で親の財産や地位を引き継いで裕福な暮らしをしている人たちを想像していただけばよいでしょう。たとえば政治家なども、最近では二世議員たちが親の七光りで高い地位を占めているケースが多く見られますが、これからは自分の足で歩むしかなくなるということです。自分で自分の身魂を磨いただけ、地球のエネルギーが魂に力を与えてくれるということが述べられています。
まさに「自業自得」ということで、自分が蒔いた種だけを自分で刈り取ることができる世の中になるということです。

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