黙示録

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火水伝文と○九十の理

白山大地・著  四海書房  1995年刊
『火水伝文』は1991年、東京杉並区に住む我空徳生という男性に突然神が憑(か)かって書かせたものと言われています。その神とはなんと国祖・国常立大神様だそうで、その導きのもとにこの世に降ろされたとされています。
 この国常立大神様というのは、「天をも含む地を創り、神をも含む汝らを創りせし」方だとのことです。この天地を創造したというほどのすごい神様が、わが国の一男性の肉体を借りて「神」の言葉を伝えたものが『火水伝文』だというわけです。
『ひふみ神示(日月神示)』ともよく似た内容が含まれていますが、伝わる波動は全く異種のものです。私個人は「?」と感じる点が多く、終末予言として推奨するものではありません。ちなみに、波動の粗いこの三次元の物質世界に、波動の繊細な高級神霊が降りてくるということはあり得ないと言われています。まして、「この天地はわしがつくった」と宣言されるような立派な「神様」が、自らの造物のひとつである一人の人間に憑依して神示を書かせることなど考えられないのですが、それでもこの火水伝文を信じるか信じないかは全く個人の自由です。
 インターネットで検索していただくと、全文が手に入るようですので、関心のある方は手に入れてお目通しください。  (なわ・ふみひと)
 はじめに

●ある日、私の家の郵便受けに奇妙な刷り物が舞い込んできた。
(最期の時、199XDayが始まりの時ぞ! 90年代の中葉を境に、日本人はなぜかくも悲惨な末路をたどらねばならないのか)
 記された内容はショッキングなものだった。
 ちょうどその頃、私は『大予言の真実』(93年・扶桑社刊)を執筆中で、「最期」「Xデー」という字句には敏感になっていた。内容を読むと、どうやら本の宣伝らしい。ご希望の方にはお頒けするとあった。申込先は郵便局留めになっており、どういう人が書いたものなのか、著者名は記されていない。
 その奇妙な書物の名前は『火水伝文(ひみつつたえふみ)』という。
 刷りものには、この本の、たぶんさわりの部分であろう一節が記されていた。

 時いよいよ現れきたりたぞ。これより先、新しき世に至るまでの暫しの年月、辛抱肝心ぞ。人民様、程度の差こそあれ業火の死、遂げる者。生き残りの塗炭の苦しみ、受くる者。二つに一つになりたぞよ。

 人類は大変な災難に見舞われ、非業の死を遂げるか、生きて地獄を味わうか、二つに一つだという。しかし、その災難を経て、「新しき世に至る」とも書いてある。いったいどういうことだろう。新しい予言の本かもしれない。
 私の本はまだ脱稿していなかった。もしかしたら参考になることがあるかもしれないと、私は軽い気持ちで指定先にその本を申し込み、『火水伝文』を手にしたのだった。
 衝撃的な内容だった。書かれていることは、ただすごいの一語につきた。これはぜひともほかの人にも伝えねばならないと思った。
 それから約二年。本書は、その『火水伝文』に書かれていることを土台に、『火水伝文』を降ろされた方のお話と、私なりに調べ考えたことを原稿にしたものである。
 一つだけお断りしておきたい。この本は『火水伝文』を解説した本ではない。私なりに『火水伝文』を解釈し、私見をまとめたものである。神から『火水伝文』を降ろされた方の話にしても、テープにとったわけではないので、私独自の解釈や判断もあり、さらに思い違い、記憶違いもあるかもしれない。その点はご了承いただきたい。
 宗教を学んでいる方、行じている方、それに関心をもつ方、信仰や宗教の外にいて真剣にみずからの生を模索している方に、こういう「神」もいることを知っていただき、この世紀末に起こるであろう事態にどう対処したらいいのか、一人ひとりが考えを深めていただければ幸いである。

 『火水伝文』とはなにか

●1991年5月12日、東京都杉並区の住宅地の一角で、ある男性に突然の神懸かりが起こり、自動書記が始まった。いや、始まったというのは正確ではない。その男性は、はじめ自動書記を拒絶した。かれは、その神懸かりがどういう存在からのものか計りかねたため、とりあえず拒否したのだ。突然、という言葉も適切でないかもしれない。地震ではないが、今から思えば前兆のようなできごとがあったらしい。
 さらに自動書記という言葉もふさわしくない。無意識のうちに手が勝手に書いてしまったりしたわけではないからだ。
 かれの目の前に突然字が現れたと思っていただきたい。それを紙に写せとばかりに。もちろん本人の意識は正常だ。しかし、かれは正常がゆえにそれを拒否した。それはそうだろう。どんな存在かしらないが、勝手に人の肉体を使うなというのが、そのときのかれの正直な気持ちだった。
 そうこうしているうちに、今度は目の前に浮かぶように見える文字が、消えなくなってしまい、仕事もできない状態になってしまった。喫茶店で数時間も過ごしたり、一日公園でボンヤリとしていた日もあったという。かれの仕事はデザイナーだが、引き受けていた仕事をキャンセル。やがて家賃の支払いもままならない状態に追い込まれてしまった。
 困ったかれは、仕方なくその言葉を出すことにした。とりあえず言葉を写せば、仕事が再開できると思ったからだ。そこでかれは、言葉が浮かぶまま、それを片っ端から写しとっていった。意味はさっぱりわからない。文章がバラバラで、どこがどうつながっているのかわからないからだ。けれどもそのことは考えずに、ひとまずそれを写し終えた。
 だが、作業はそれで終わらなかった。今度はそのバラバラな文章をつなぎ合わせて一つの文章、一つの読みものとしてまとめる作業が待っていた。これが簡単ではなかった。本人が書かれた内容を納得しないと先に進まないからだ。
 その作業と並行して、一枚の刷りものを作れという指示が下った。それが冒頭に紹介したものだ。その刷りものを見て、申込者が三千人を超えたら、書店などをとおして一般に販売してもいいという。しかし、三千人に満たなければ、希望者だけにお分けしろということだ。期間は三か月間。かれは一万枚をコピーして各家庭に毎日配り歩いた。その一枚が私の郵便受けにも放り込まれていたわけだ。
 結局、期間内に三千人の申し込みはなかった。それで『火水伝文』は書店に並ぶことはなくなった。それでも集まったお金で印刷ができ、表紙もついて本の体裁にはなった。申込者にはもちろん郵送した。そして指示どおり、かれは原本を焼却した。
 これで一件落着と思えたが、そうはいかなかった。以後も、かれはその神の「ゴヨウ」をやり続けることになり、デザイナーの仕事は廃業せざるを得なくなってしまった。
 その人の名は、我空徳生。「我」を空しくしろという意味で、神が名づけた名前だ。我空氏は以来ずっとその「ゴヨウ」にある。

(この間の本文は省略)

 食料について

●農の話が出たところで、食べ物の話をしておこう。
 肉食は、身を汚すという考え方から、ベジタリアン(菜食主義者)の方も少なくない。人によっては宗教上口にできない食べ物もある。
 たとえばヒンズー教やイスラム教では、牛肉や豚肉などの肉を食べることを制限している。モルモン教ではアルコールやコーヒーまで禁じている。禅宗は菜食が原則だ。
 しかし、火水伝文のなかに、それに類した「戒め」は一切ない。酒・タバコもだ。この世にあるすべてのものは、神がお創りになった。神の許しがないものは存在できないからだ、と私は思う。すべてが許されている。あれはいい、これはダメとわけることは、善悪二元論になってしまう。
 たしかに、私たちの体には、自分の住んでいる土地で収穫されたものが一番いい。けれども今の世界の状態はどうだろう。日本は先進国のなかでも自給率が低く、輸入なしではやっていけない。
 この度の仕組みは、「抱き参らせよ」と神はおっしゃってる。何事もダメだと切り捨ててはいけないのだ。今の日本や世界の状況は、すべて私たちが外した真釣りの結果だから、切り捨てるのではなく、抱き参らせて真釣りを戻さなければならない。
 これを食べ物にあてはめて考えると、外国の食料を制限するのではなく、まずそれを私たちの体に合うように神様に真釣り変えていただくことが大切になる。一気に自給率を100%にもっていくのは不可能だからだ。
 今、肉屋を営んでいる人は、肉屋という舞台が自分の真釣りを戻す絶好の舞台ということになる。それが必要だから今、自分は肉屋を経営している、と考えるのだ。
 だったらどうするか。翻訳者(=我空徳生氏)をとおして神がおっしゃるには、「肉をいただく前に、自分の体に合うように、神様に感謝とお願いをしてから食べて下さい」といってからお客に販売するとか、そのことを店頭に張り紙などして、人々に少しでも理解してもらうことが、真釣り戻しになるそうだ。イスラム教の信仰者は、羊肉でも、処理するときに信者が祈りを捧げた肉でなければ口にしない。これも同じことだろう。
 火水伝文に書かれていることが肚に入って、心の掃除が進んでくると、自分の体に合わないものは食べたくなくなってくるという。しかし、食べたいと感じているうちは、どんどん召し上がることだ。無理してやめることはない。無理することは苦になるからだ。それよりは「嬉し」で真釣りを戻したほうがいい。
 さらに、肉食はすべて悪いというのではない。それは私たちの歯を見てみればわかる。健康な人なら、歯の数は「親知らず」を含めて、上下32本。そのうち犬歯が4本ある。 犬歯は肉をかみ切るためのものだから、神は歯をとおして教えているのだそうだ。
 合成保存料、合成着色料などの化学物質が入っている食べ物も同様だ。これはイシヤの策略で私たちの体をダメにしようというものだから、なるべくなら食べないほうがいい。しかし無農薬のものは高価だし、手に入りにくい。ゆくゆくは、食べ物は自分でつくるようにしたいが、今はそうもいってはいられないという人もいるだろう。
 そこで、毎回食事の前に、神に感謝の言葉を述べて、私たちの体に合うように真釣りかえていただくことで、食べ物を安全に、そして何でも食べられるようにしていただくのがよい。ここで、そのための言葉を紹介しておこう。

 大国常立大神様(おおくにとこたちのおおかみさま)成りませる、元つ産土がご竜神様方、氏神様、先祖代々のご霊位様方、皆々様、常々の中今に食物(おしもの)下しおかれまして、誠にありがとうございます。捧げつつ、慎みていただかせていただきます。また、これらを作られました皆々様のご苦労と、すべての火土水(ひとみ)のご恩に感謝申しあげます。それではいただかせていただきます。

 食べ物の響きを変えてくださるのは、豊受大神のおはたらきだが、大国常立大神にお礼申しあげれば、それでいいそうだ。
 ほんとうに神人合一すれば、神にしていただかなくても、自分の産土力で瞬時のうちに自分の体に合うように、食べ物の響きを変えることができるという。そうならないうちは、一生懸命、神にお祈り申しあげて、好きなものを食べられたらいいと思う。(以下略)

 

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