愛の説教部屋

あなたの手がハートに触れるとドキドキします。  

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更新:2003/2/22
 


言葉の力 水に書いた文字 大丈夫教
類は友を呼ぶ 活私奉公 一本の誘惑
使わない機能は退化する@ 自分で蒔いた種
こころの使い方@ こころの使い方A 1人ピグマリオン
こころのサイズ 使わない機能は退化するA
言葉の力
●言葉には、人の運命を変える力がある。 [TOP]

 何でもないと思っていて、それが直接的には自分の心の態度を決め、そして結果において自分の人生や生命に大きな影響を与えるものとは、それはいったい何であろう。それは、諸君が日常的に使っている「言葉」というものである。 (『運命を拓く』・中村天風)

【ミニ解説】「疲れた」という言葉をよく発する人があります。ますます疲れやすい体質になっていくのではないかと心配します。「だめ」「無理」「つらい」といった言葉もあまり使いたくない言葉です。反対に「できる」「ありがたい」「ついてる」という言葉を使っていると、いつしかそういう心の姿勢が出来上がり、そのような状況が起こり始めます。ふだん何気なく使っている言葉の力は決して侮れないものであることを実感しています。
水に書いた文字
●水に書いた文字、砂に書いた文字、岩に書いた文字。  [TOP]

 私たちが、ある一つの思いを持ち続けることは好ましいことではないようです。人を憎んだり、恨みに思ったりする気持ちを持ち続けると、体調を壊したり、運勢を悪くしたりするという説もあります。心に思いを刻むことを文字を書くことに例えたのが、見出しの言葉です。
 「水に書いた文字」は書くそばから消えて行きます。腹を立てても数分後にはケロッと忘れてしまう状態です。
 「砂に書いた文字」とは、風が吹けば文字も消えてしまうように、夜寝るまでに忘れることを言います。寝るまでには、その日に腹の立つ原因となった対象を許してしまうことです。
 最後の「岩に書いた文字」は、いつまでも恨み続ける状態を表しています。その恨みの気持ちは、結局は自分のところに返ってきて、自分の運勢や健康を害していくことになります。「あいつは絶対に許さない」と歯を食いしばって言う人は要注意です。腹を立てても、人を憎むのでなく、少なくとも夜寝るまでには、恨みの気持ちをなくしておくことが大切だということです。
 ちなみにこれは仏教の聖典に出てくるたとえで、お釈迦様の教えと言われているものです。
大丈夫教
●大丈夫教のおすすめ。  [TOP]

 私は特定の宗教を信じているわけではありませんが、あえて言うならば「大丈夫教」の信者といえるかも知れません。心配な出来事が心を占領しそうになった時、私は「大丈夫」という呪文を何回も唱えます。「大丈夫。どうにかなる」「大丈夫。必ずうまくいく」と。それでも思わしくない結果に終わった場合には、「大丈夫。これが必要なことだったんだ。最終的にはこれでよかったということになる」と考えるのです。
 そして、これまでにこの「大丈夫教」を疑問に思うことは一度もありませんでした。これは「言葉には力がある」ことの証明にもなっています。
類は友を呼ぶ
●類は友を呼ぶ。
  [TOP]

 「同じ波長のものは引き合う」という単純な法則を言っています。私はこれを「発信したものと同じ傾向のものが返ってくる」という理解の仕方をしています。「発信する」とは「心で思う」「言葉に出す」「振る舞う」の3つです。仏教ではこれを「身・口・意(しん・く・い)」と言います。
 言葉の力については冒頭に申し上げた通りです。しかし、思うだけでも同種のものを引きつけるとはすごいですね。まして、振る舞うことはその状態を引きつけることだというのです。病人のふりをしているといつしか病気になる。貧乏人みたいな振る舞いをしていると、ますます貧乏になる。といったことです。そういえば、「笑う門には福きたる」「泣き面に蜂」ということわざもありますね。怖いものでは「人を呪わば穴二つ」といいます。穴とは人を埋葬する穴のことです。人を呪う気持ちは念となって対象となる人を殺し、その念は自分のところに返ってきて自分をも殺してしまう、ということです。
 こうしてみますと、他人の幸せや世の中の平和を祈り、感謝する気持ちが、自分にとっても一番好結果をもたらすということですね。はい、究極のお説教でした。

活私奉公
●活私奉公。
  [TOP]

 「滅私奉公」という言葉をもじったものです。「滅私−」は個人が自らの利益を後回しにして公のために尽くすことの大切さを説いた言葉です。「一人は万人のために」という言葉もありますが、英語を素直に訳すと「万人」は「全体」すなわち「組織」や「社会」といった公の存在という意味であることが分かります。「一人は万人のために、万人は一人のために」も、「社会のために貢献しなさい、そうすれば社会はあなたを高く評価するでしょう」と解釈すると理解できます。
 しかし、社会に貢献するときに自分の利益を犠牲にする必要はありません。自分が芸術や真理の発見など、好きな道を極める努力をすることが、結果として社会に貢献することになるということが理想だと思います。それを「活私奉公」と呼んでみました。
 走ることが大好きな高橋尚子選手は、走ることに磨きをかけてオリンピックで金メダルをとり、結果として世界中の人を感動させ、また多くの人に勇気を与えるという大貢献をしました。「活私奉公」の典型と言えます。

1本の誘惑
●1本の誘惑
  [TOP]

 禁煙にチャレンジした人が、最も挫折するのが1週間目、1カ月目などと言われています。中には1年以上もやめた後で逆戻りしている人も結構たくさんいます。その原因となるのは「1本ぐらい飲んでも大丈夫だろう」という油断の気持ちです。しかし、この「1本」を我慢するか、のみたい誘惑に負けるかで、すべてが決まります。
 もちろん、1本を口につけたからすぐに喫煙癖が復活するわけではありません。それから1カ月くらいは楽に禁煙状態を続けることができます。やがて必ず2回目の「1本の誘惑」があるのです。2回目はさらに「大丈夫だ」という油断の気持ちが強くなります。
 このようにして、せっかく1年以上も禁煙していた人が、いつしかおいしそうにタバコを吹かすようになってしまうのです。小さなことだと軽視して油断する気持ちが、ついには大きな過ちを犯す元になることを言いたいのです。
 たとえば政治家や役人と言われる人たちが、贈収賄の罪に問われるようになるときも、最初は「この程度なら誰でもやっている」「今回だけだから」と言って自分を許していくなかで、ついにはその感覚が麻痺してしまい、大きな事件を起こすことになるのです。
 スタートは小さなことからです。その小さなことで神様が人間を試しているようにも見受けられます。この小さな「神様のテスト」のことを「1本の誘惑」と命名いたしました。小さなことを軽く見る人は、結局はそのテーマでしくじると言います。肝に銘じておきたいものです。

使わない機能
使わない機能は退化する@   [TOP]

 肉体も心も、その機能を使わなければ退化します。足の筋肉などは、1週間も使わずにいると歩くのも骨を折るくらいに退化します。それと同じように、心の機能も使わなければ退化することがわかりました。感謝する心、感動する心、感激する心などをあまり使うことがなく、心を動かすことの少ない人は、年を重ねる中で必ず無機質な人間になってしまいます。顔の表情も、いつもむっつり顔の人は笑顔が作れなくなるようです。神様からいただいた機能はしっかり使って、自己表現をするようにしたいものです。
自分で蒔いた種
●自分で蒔いた種は、自分が刈り取ることができる  [TOP]

 聖書に「自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない」と書かれています。また仏教書にもこれと似た内容が「善因善果、悪因悪果」という言葉で書かれています。
 いずれも、「自分の普段の言動の結果は、自分が受け取らなくてはいけない」ということを言っています。「悪いことをしてはいけないよ」と諭す言葉でもありますが、プラス思考を心がけている私としましては「いいことをすれば、いい結果が自分に返ってくる」と受け止めることにしています。
 いずれにせよ、私たちが受け取っている現在の運命は、すべて過去に(ひょっとしたら前世で?)自ら蒔いた種の結果であるということを言ってるわけです。
 そのことが、この齢になってようやく理解できるようになりました。でも、まだまだ気づかないところで悪い種を蒔いていることが多いようで、反省させられる毎日ではありますが‥‥。
心の使い方@
●こころの使い方@  [TOP]

  お説教もだんだん佳境に入ってまいりました。こころは私たちの運命を左右するだけの大きな力を持っています。一般的に、こころには意識できる心と意識できない心があると言われています。後者のことを「潜在意識」とも言います。
 さて、あなたはご自分のこころの動きを見ることができますか。喜んだり、怒ったり、悲しんだりする度に、私たちのこころは動いているのです。その「こころ」を観察することを観念(今の心を観る)というわけです。座禅は「動き回る自分の心」を見つめ、その動きをコントロールできるようにする修行だとも言われています。
 いつも同じようなこころの使い方をしていますと、こころに癖がつきます。そして、そのこころの癖は、自分自身の肉体や境遇にまで影響を及ぼしていくのです。例えば日頃から「私は体が弱い」と思っている人は、いつしか「病弱な自分」を作り出してしまいます。日常の何げないこころの使い方が習慣となって、潜在意識そのものを変えてしまうからです。
 私たちは、私たちが(潜在意識で)考えている通りの運命を、自ら作り出していくと言われています。そういう意味で、普段のこころの動きを観察し、好ましい癖をつけることが大切です。
 こころにぜひとも習慣づけたい癖、それは「感謝癖」です。それも現在の状態を受け入れ、毎日感謝の言葉が口から出るようにすることです。いま、目が見えること、歩けること、自分の口で食べ、味わうことができること、会話のできる家族がいること、働く職場があること、叱ってくれる上司がいることなどなど、私たちの周りは感謝すべき対象であふれ返っています。そのひとつひとつに感謝のメーセージを送っていると、いつしか感謝癖がついてしまうのです。感謝の気持ちを岩に刻んでしまうのです。
 往々にして、私たちは感謝とは逆のこころの使い方をしがちです。つまり、不満癖、憎む癖を持ちやすい傾向があります。自分の今の境遇を不満に思い、他人の成功や幸せをねたんでしまいます。そのこころの傾向を持ち続けると大変危険です。
 愛の説教「こころの使い方」はまだまだ続きます。
心の使い方A
●こころの使い方A  [TOP] 

 私たちには誰にでも欲望があります。自分や自分が大切に思う存在(家族や恋人、あるいは自分の属する組織や社会、国など)の幸せや平和を願っています。それは健全な心の働きです。
 しかし、その欲望が常に満たされる訳ではありません。家族が病気になったり、生まれた孫や子どもに障害があったり、自分自身が重い病に倒れたりと‥‥。そういうとき、ともすると自分の運命を不満に思い、神さまさえをも呪う気持ちが生まれがちです。最愛の長男を病気で失ったときの私がそうでした。(その気持ちを、私は日記に書きつづっています)
 でもそれはとってもいけないことであることが、その後のいろんな気づきのなかで理解できるようになったのです。
 素敵な言葉をご紹介しましょう。
 
 二人の男が窓から外を眺めている。
 一人は窓の下に落ちているゴミを見ている。
 もう一人は、空を見上げ、輝く星を見ている。

 同じ窓から外の景色を見ても、ゴミを見るか輝く星を見るかによって、その人のこころの動きは正反対のものになるということです。この「窓の外」を「自分の運命」「○○さん」「自分の今の仕事」などに置き換えて考えてみましょう。こころの持ち方のすごいヒントが含まれていると思いませんか?
 今持っていない(と思っている)ものをほしがる前に、今持っているもの、与えられているものを数え上げ、その一つひとつに感謝することから始めたいものです。
 よくラジオから流れています。 「♪暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう♪」
 私の大変好きな表現です。そのように心がけたいと思っています。
 新しい世紀は「ギブの時代」。見返りを求めずに与える時代です。損得勘定抜きに、自分自身や親しい仲間、あるいは人間だけの幸せを考えるのでなく、地球レベルでの生き方が求められる時代であるような気がいたします。自然を大切にし、全体の調和を大切にした生き方。ひょっとしたら「縄文時代」はそういう時代ではなかったでしょうか。このホームページの看板は、そういう思いから命名したものです。
 はい、究極のお説教でした。納得のいかないところがございましたら、ぜひお便りを。議論いたしましょう。
ピグマリオン
1人ピグマリオン 〜 毎日自分をほめましょう。  [TOP]

 人を育てる手法には「欠点指摘&叱咤型」と「ほめて激励型」があります。今日では、欠点を指摘して短所を矯正する方法より、ほめて長所を伸ばす方法がすぐれているという考え方が主流となっています。ほめて人を伸ばすやり方を「ピグマリオン」と言います。
 しかしながら、他人さまが常に自分のことをほめてくれるとは限りません。そこで考え出されたのが「自分で自分をほめる」方法です。
 マラソンの有森選手がオリンピックで銅メダルをとったときに「自分をほめてやりたい」と言ったことから、この言葉が有名になりましたが、これは実際に科学的に研究され、効果の大きいことが実証されているのです。
 毎日、布団に入って眠りにつく前に、1日の自分の行動を振り返り、「今日もよくがんばった」「今日も周りの人を元気づけることができた」「お前はえらい」と自分をほめてやるのです。これは1人でできますので、「1人ピグマリオン」と命名されています。
 あなたも、自分の失敗や欠点が目について自己嫌悪にかられそうな時は、「1人ピグマリオン」を試してみませんか。

心のサイズ
こころのサイズ  [TOP]

 「大きな心」という言い方をします。こころのサイズを測る物差しは何でしょうか。実は、その人が大切に思う対象の大きさでこころのサイズを測るのです。
 自分だけが可愛いくて、他人のことなど眼中にない人。「他人の不幸は蜜の味」とばかりに、他人の幸せを妬み、その不幸を喜ぶこころが一番小さいサイズでしょう。それは動物にも劣るものです。(最近の研究で、動植物にもこころはあると言われています)
 「自分さえよければ」の次は「家族や恋人などを大切に思うこころ」へと成長していきます。親が自分の命を犠牲にしてでもわが子の幸せを願うこころは最高に深いものがあります。これは大きさというより深さとして表現します。なぜなら、「他人の子供はどうであれ、自分の子供さえ」という気持ちが隠れているからです。やはりエゴの域にあります。
 そのエゴが進化しますと、自分の属する組織や社会、あるいは国、人類、そして地球レベルで生きとし生けるものに対する愛情へと成長していきます。組織や社会の幸せのため、自分や自分の家族を犠牲にすることはよくあることです。警察官や消防士が仕事の中で命を失うことを「殉死」と言いますが、そのような職業を使命感を持って選び、任務についている人たちは、まさに広い大きなこころの持ち主と言えるでしょう。
 「一人は万人のために」の言葉を、「人間だけのため」と解釈するのは間違いで、「全体のため」と理解すべきです。その人が大切に考える「全体」の大きさ、広さがこころのサイズを決めていくのです。

 数年前、アメリカで飛行機が酷寒のポトマック川に墜落する事故がありました。氷の浮いた冷たい川に投げ出された人に、救助に駆けつけたヘリコプターから縄ばしごが降ろされました。生存していた一人の男性がその縄ばしごを手にしたのですが、それを他の人に譲ったのです。
 一人を助け上げて、また縄ばしごがその人のところに降ろされました。ところが、その人はまたしてもそれを他の人に譲ったのです。そして、次に縄ばしごが降りてくるまでに、力つきて水の中に沈んでしまったというのです。

 私はときどきこの話を思い起こして、「自分だったら同じ行為ができただろうか」「まず自分が助かることを考えたのではないだろうか」と自問しています。相手が自分の家族であれば、ほとんどの人が躊躇することなく譲るでしょう。私もそのことには自信があります。
 しかし、たまたま飛行機に乗り合わせただけの見知らぬ人にそれを譲れるかとなると、自信が持てません。見知らぬ隣人に対しても、自分の肉親と同じように愛を注げる人間になれるだろうか−−自分の生き方を考えるうえで、とても大切にしたいテーマです。

 過去に献血を60回ほど続けたことがありますが、それは命の危険を伴うものではありませんので、こころのサイズを問題にするほどのことではありません。
 ただ、たとえば世の中が騒然となるような事態(戦乱など)が起こって、全体の利益のために自分あるいは自分が大切に思う存在を犠牲にして、大きな荷物を担がなくてはならない場面に遭遇した場合、決して逃げてはいけないと肝に銘じてはいるつもりです。(笑わないでね)
 そういう意味で、今はこころのサイズを大きくすることと、「世の中に大きなギブのできる人間」になることを目指して特訓中といったところでしょうか。

使わない機能A
●使わない機能は退化するA  [TOP]

 私たちの肉体を機械に例えますと、この機械は年齢とともにだんだん性能が低下していきます。それは人間が作った普通の機械と全く同じです。しかし、使わなければ性能が維持できるかといいいますと、必ずしもそうではありません。むしろ、使わなければその性能はいちだんと退化してしまうのです。
 腕や脚を骨折してギブスをはめ、動かさずにいますと、その腕や脚は細くなってしまって、力も失われてしまいます。これと同じように、私たちの肉体のすべての機能は、それを過保護状態に置くことによって本来の機能を低下させてしまうことがわかります。
 厚着の習慣のある人は、寒さに対する肉体の抵抗力がだんだん失われ、ますます寒がりになっていきますし、ちょっとした病気でもすぐに薬に頼るようにしていますと、体の自然治癒力が弱められることになるのです。
 肉体の老化はまず足腰からと言われています。普段マイカーを乗り回している人、当然のようにエレベーターやエスカレーターに頼って、階段の上り下りを避けようとする現代人は、ますます足腰が弱り、虚弱化への道をたどっているように思えてなりません。
 これで、私が真冬でも上着の下はランニングシャツとカッターシャツだけで過ごす理由もご理解いただけましたでしょうか。

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