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終末には時間のスピードが速くなる  
2006年9月9日(土) 更新


 2012年12月に時間がゼロ・ポイントを迎える

  私が「終末予言」として最も信頼する『日月神示』は、大本系の神諭と大変よく似た内容となっています。手元にある『大本神諭・天の巻』『伊都能売(いづのめ)神諭』『大本神諭・火の巻』といった大本系の一連の神示を読みますと、『日月神示』と同じ霊系統から降ろされたものであることがすぐにわかります。いずれも、この世の立て替え・立て直しを司る神さまとして「艮(うしとら)の金神」が登場します。
  各神示で述べられていることの核心は、「この世の立て替え・立て直しをする時節が近づいた。新(さら)つ世にしてしまうから、身魂を磨いて備えよ」という点で一致しています。
  今回は『大本神諭・天の巻』に焦点を当ててみます。このなかには、明治31年旧6月9日から大正7年旧10月29日までの間に出口ナオに降ろされた神示93編が収録されています。
  各神示は、内容的には重複しているものがありますが、特に「これから時間のスピードが速くなる」という意味にとれる表現が、以下のように繰り返し出てくるのです。「終末が近づくと時間のスピードが速くなる」ということは、その他のいくつかの予言にも示されていますので、そのことを見ても、まさに私たち人類はいまこの物質文明の終わりの時を迎えていると言えるのではないでしょうか。
  『大本神諭・天の巻』から拾った「時間が速くなる」という神示を以下に列挙してみます。

●神が忙(せわ)しくなりて、何も物事が迅(はや)くなるぞよ。(明治33.8.2)

(艮の)金神の世になると何も
物事迅(はや)くなるぞよ。(明治33.8.5)

●時節が参りて金神の世になるから、
物事は速くなる(明治36.4.1)

●何かの
時節が迅(はよ)うなるぞよ。時節には、何でも適わんぞよ。何もかも一度に出現(くる)ぞよ。昔から待ち焦がれた松の世に神界ではなりておるなり。(明治43.8.7)

代わりかけたら速いぞよ。時節が来たら何事でも速く代わりて、善い事も悪い事も何事も、一度に開く梅の花、一度申してある事は皆出て来るぞよ。(大正4.11.6)

●時節が参りて来て、日の出の守護となりて来たから、向後
(このさき)
物事が迅(はや)ぞよ。直(=出口ナオ)の口で言わしてあることも、遅い事、速い事はあるなれど、皆出て来るぞよ。(大正7.3.15)

●今度の二度目の世の立替は、太初
(むかし)の事から、天と地と世界中の事から、この世へ出ておいでる神の因縁から、守護神の性来(しょうらい)の事から、何も一切の事を速やかに審査(あらため)を致して、三段に分けてある霊魂(みたま)の性来の事から、神界、仏界、人民、鳥類、畜類、餓鬼になりておるものまでも、助けなならん大望な立替であるから、何につけても大望ばかりであるぞよ。この前途(さき)は、
なにかの事が速うなりて来るから、申すように致されよ。(大正7.3.15)

  ここで参考までに、私が『2012年の黙示録』の中で「時間が速く感じられる」ことの意味について述べている内容を引用しておきます。私が、これから2012年にかけて時間がますます速く感じられるようになると考えるのは、次のような理由からです。

いま時間がスピードアップしている

  私たちはいま、時間の川を舟(地球)に乗って下っています。「地球の次元アップ」という滝が近づきつつあります。滝に近づくにつれ、流れが速くなっていくように、いま時間の流れがますます速くなっているように感じませんか?
  アメリカのテレス・マッケンナという科学者によると、現実に時間は短縮されているらしく、計算すると現在は1日が16時間ぐらいしかないそうです。そして2012年12月22日には、時間がゼロ・ポイントを迎えるといいます。
  マッケンナのタイムウェーブ・ゼロ理論の特徴は、「人類の歴史を振り返ると、同じような現象が何回も繰り返し現れてきているが、その時間的な間隔はどんどん短くなっている」ということです。
  これと同じことを『ホワイトホール・イン・タイム』(地湧社)のピーター・ラッセルも言っていて、「生活の加速化現象」と表現しています。
  私たちの生活のペースがどんどん速くなっているのは、ほとんどの人が気づいていると思います。通信の手段にしても、直接会ってコミュニケーションをはかる時代から、手紙、電報、電話、インターネット‥‥とどんどん高速化してきました。これは生活のその他の分野においても言えることです。その結果、私たちが処理しなければならない情報の量は増えていく一方です。
  私たちが見ている時計は1日24時間で計時されていますので何も変わっていないように見えるのですが、同じ時間に起こる出来事が加速度的に増えていることをみますと、確かに実際の時間のスピードは速くなっているような気がします。
  ピーター・ラッセルによると、この時間の加速化は人類の進化に伴うもので、ある一定のパターンを持っているというのです。そのパターンとは、「時間はらせん状に進んでいる」ということで、そのらせんの輪がどんどん小さくなる形で、時間のスピードが速くなっているということです。
  確かに、私たちの周辺でも、「最近、時間の経つのが速い」とつぶやく人が多くなっています。そのことがどんな現象を引き起こすのかについて納得のいく説明はされていませんが、私は人間の脳の働きが速くなっていくのではないかと見ています。
  今、普通の人の脳は本来持っている機能の3%程度しか使われていないそうです。天才といわれる人でも10%に満たないとか。しかも、残りの部分は機能しないように封印されているとも言われます。もし、何かのきっかけでその脳が20%〜30%と活性化されれば、人間はとてつもない超能力を発揮するようになるかもしれません。
  最近、「速読」だとか「速聴」によって脳の活性化をはかるというCD等が売り出されていますが、これらも時間のスピードアップと関係があると思われます。人間の脳の封印が解かれ、超能力者がつぎつぎに現れてくる時代を迎えているような気がするのです。このように、時間のスピードアップと人間の進化には深い関係があると思うのです。
                      ――『2012年の黙示録』32ページ


  この中でも引用していますが、「時間のスピードが速くなっている」ことの理由やメカニズムについて『ホワイトホール・イン・タイム』(地湧社)のピーター・ラッセルの説明が大変説得力があります。以下にその部分を抜粋して掲載します。

タイム・ウェイブ・ゼロ

  アメリカの科学思想家のテレンス・マッケンナの研究は、古代中国の時間の見方から始まりました。中国の古代の暦と『イチン(易経)』という本との間の不思議な一致に気づいた彼は、新しい物事が世界に現れる全体的な速度を示す「タイム・ウェイブ」という数式を導き出しました。そこから出てくるカーブはなだらかな曲線ではなく、人間の歴史の山や谷に対応して、山や谷のあるカーブでした。
  マッケンナのタイム・ウェイブの最も顕著な特徴は、同じ1つの形が何回もくり返されて現れてくるが、どんどんその時間的な間隔が短くなってゆく、ということです。彼のグラフによると、紀元前1万5000年から8000年のおよそ新石器時代と農業の出現に対応する時期に1つの大きな波が現れています。それとまったく同じパターンが紀元1750年から1825年の間に、さきほどの波のほぼ64倍の速さでくり返されています。(中略)
  この何回もくり返されている歴史のパターンは、次の1周が前の1周の64分の1になるらせんに対応しています。このカーブは無限にくり返されてゆきますが、このタイプの他のらせんと同じように、その全体の長さは有限です。つまり、定まった終わりがやってくるのです。
 変化のサイクルが年単位から月単位に、さらに週単位へ、また日単位へと圧縮されてゆく時こそ、その終わりなのです。マッケンナはこの点を「タイム・ウェイブ・ゼロ」と呼んでいます。そして、
「タイム・ウェイブ・ゼロ」になる日とは、彼の計算によれば2012年12月です
  2012年は、おそろしいほどすぐに来てしまいそうな年です。「そんな短い時間に変化の速度がそれほど変わるはずがない」というのが普通の反応かもしれません。しかし、未来のペースを考えるとき、私たちは今のペースを基本に考えてしまいます。そして、私たちの最初の予測はほとんどいつも、予想より早く現実化してしまうということを忘れないでください。まだ予測もつかない多くの発展や革命が、今の私たちに想像できる範囲を超えた速度で変化をもたらすかもしれません。
  それと、このように
非常に速く変化してゆくのは、物質的な世界ではなく、私たちの内的な世界であるということもぜひ覚えておいてください。

目まぐるしい変化を生き抜くには

  私たちの心が、急速な変化に耐えてゆけるかどうか問題です。たとえば今の2倍の速さか、または10倍の速さくらいまではうまく対応できるかもしれません。でも、百倍とか千倍になったとしたら、どうでしょうか。人間の心が適応できる限界が、はたして存在するのでしょうか。
  現在の私たちの意識のあり方からは、こうした天文学的な速度の変化に自分たちが対応してゆくなんて、とても想像できないかもしれません。しかし、
もし私たちの心が物質世界への執着から自由になったら、どんなことが起こるか誰にもわかりません。私たちは、これまでとはまったく違うやり方で変化に関わるのかもしれません。そして、私たちの心もまた、まったく違ったペースで働くようになるでしょう。
  これに似たことが、人が死ぬときに起こるようです。
五感との結びつきを解かれて、心はそれまでと全然違うスピードで作用するようになります。死にかけた体験をした人の中では、「目の前に自分の全人生が映し出されたのを見た」と報告している人もいます。時計の時間で言えば、それはほんの1、2秒の出来事でしょう。しかし、その“一瞬”で彼らは何年分もの体験を生き直すことができたのです。
  最後に、私たちの進化のらせんの将来の輪は、今までよりずっと物質的ではない性質のものになるでしょう。もし、私たちが困難な時期を乗り越えて、進化のプロセスを続けてゆくとしたら、
加速度的に変化してゆくのはまわりの世界ではなくて、私たちの認識、態度、考え方、意識なのです。私たちの内的な覚醒が、加速していくらせんを体験してゆくのです。これはずっと扱いやすいものだとわかってくるでしょう。きっと、私たちはこうした変化を大歓迎するかもしれません。
          ―― 『ホワイトホール・イン・タイム』(ピーター・ラッセル・著/地湧社)

 三千世界一度に開く梅の花

  ピーター・ラッセルの説明は大変わかりやすかったと思いますが、さらに「時間のスピードが速くなることが、これからこの世界で起こる出来事とどう関係してくるのか」ということについて考えてみたいと思います。ここでは「時間」という言葉を2つの意味に使っていきますので、その言葉の定義をしておきます。
                       ☆ ★ ☆
  私たちはいま、「時間」というレールの上を走る列車に乗って旅をしています。行き先はこの世界の終点となる「大峠駅」です。その列車内には時計が掛かっています。乗客である私たちは、その掛け時計を見て時の流れを判断する癖がついていますので、列車はいつも同じスピードで走っていると思っています。
  でも、時々窓の外を眺めてみますと、なぜか景色の移り変わりが速くなっているような気がします。列車内の掛け時計の示す時間と、外の景色の変化から感じる時間がズレているように思えるのです。ここで、列車内の掛け時計が示す時間を「時計時間」、窓の外の景色を見ることによって感じる時間を「認識時間」と呼ぶことにします。
  列車内の掛け時計だけを見ていますと、時間のスピードの変化に気づくことはありません。1日はいつも24時間ですし、1週間が6日になったりはしていないからです。しかしながら、外の景色(=自分の周りで起こっている出来事)に注目しますと、列車がだんだんスピードアップしているのが感じられます。それは、多くの人の「認識時間」が変化しているためです。
  「認識時間」は「脳が認識する時間」ですから、脳の働きが変化(活性化)しているということを表しています。どうやら私たちの脳は、いまものすごいスピードで活性化しつつあるようなのです。
  なぜいま脳が活性化しているのでしょうか――。それには、私たちの脳がこの三次元の物質世界と異次元(霊界)をつなぐ「扉」の役目を果たしている、ということを理解していただく必要があります。科学や芸術の分野で天才と呼ばれる人や、俗に「超能力者」と呼ばれる人たちの脳を科学的に検査した結果、脳の働きが一般の人とは明らかに違うことがわかっています。
  天才的なひらめきというものは異次元(霊界)から来ると言われていますが、その中継となっているのが脳なのです。私たちは脳(特に右脳)を通じて異次元と交信しているらしいということが、最近の研究で明らかになっています。
  そして、その脳が活性化するにつれて、異次元(霊界)との境界が薄くなっていくのです。つまり、脳が活性化した程度に応じて、人は異次元とのつながりが強くなる(異次元からの支援や干渉も受けやすくなる)ということです。
  わが国においては昔から、座禅などの瞑想によって脳の機能を開発し、異次元である霊界とのつながりを強める手法が知られていますが、最近ではそういう特殊な修行をしなくても、スポーツや芸術、あるいは将棋などに打ち込むことによって、超人的なすごい能力を開花させる人が出てきています。
  もともと私たちの肉体と重なり合っているといわれる幽体は、毎晩睡眠中に肉体を離れて(=幽体離脱)霊界を訪問しているらしいのです。肉体を離れた幽体が霊界で体験したことを、私たちは目が覚めたときに「夢」として記憶しているのだと言われています。ですから、霊界とのつながりがいま突然始まったということではありません。
  これまでは夢の中だけで訪れていた霊界との境界が、これからますます薄くなっていくとすれば、その結果どういうことが起こるでしょうか。そのことに対する私の結論は、「私たちのカルマの表面化するスピードが速くなる」ということです。列車の譬えに戻って考えますと、列車の窓から見える景色は「カルマが表面化した姿」ということになります。
  つまり、私たちが過去(前世も含めて)において作り出したさまざまなカルマが、今まで以上のスピードで表面化するようになってきたために、「認識時間」のスピードが速くなっているように感じるのです。異次元にプールされているカルマは、この三次元世界に現象として表れるまでは消滅することはありません。『大本神諭』や『日月神示』を読みますと、終末現象というのはカルマの大掃除、大洗濯であることがわかります。終末の大峠までに、異次元に蓄積されているすべてのカルマが現象化することになると述べられているのです。そして、その現象化のスピードが、これからますます加速されていくということです。
  異次元に蓄積されたカルマの現象化は脳が媒介することになりますから、それが一度に出てくると脳の処理能力をオーバーする危険性があります。すでにその処理能力をオーバーして、あたかも異次元とコードが繋がったような状態になっている人を見かけることが多くなったのはそのためです。いつもぶつぶつと独り言を言ったり、見えない空間に向かって語りかけたりする人を見かけますが、そのような人たちは霊界の特定の波動を持ったエリアとのつながりが強くなりすぎた結果だと思われます。
  また、最近では、突然異次元(神や進化した宇宙人を名乗る存在)からメッセージを受け取るようになったという方が増えていますが、そのような存在とコンタクトし、チャネリングを続けていますと、そのうち脳ジャックをされる危険性があることは既に警告してきました。「身魂磨き」が十分にできていない段階で異次元との交信を行なうことは大変危険なのです。相当の霊能力を備えた人であっても、いつの間にか低級霊に憑依されて、現世利益(人気やお金)の追求に走ってしまっている事例を、私はいくつも見ています。
                       ☆ ★ ☆
  テレス・マッケンナが言うように時間(認識時間)がスパイラル(らせん状)に進んでいるとすれば、いまその渦が中心(ゼロ・ポイント)に向かって集束しつつあると考えられます。その結果、渦の回転するスピードがどんどん速くなっているということです。
  渦は水面近くのところはゆっくりと回っていますが、中心部分ではものすごいスピードで回るようになります。それと同じ形で時間のスピードが加速されるとすれば、これからどんな出来事が私たちを待ち受けているのでしょうか。
  『大本神諭・天の巻』に、「時節が来たから、何もかもが速くなる」と繰り返し述べられていることを、冒頭でご紹介しましたが、ここで「時間がゼロ・ポイントを迎えたとき」のことが述べられていると思われる内容を引用しておきます。

  三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。(明治25年旧正月…日)

  時節が近寄りたぞよ。世界一度に開くぞよ。(明治34年旧3月7日)

  何事も時節が一度に参りて来て、世界中の困難が到来するということが、毎度知らしたことが、実地になりて、一度に開く梅の花、おいおい分からなんだことが明白(ありやか)に分かりて来て、キリキリ舞いをいたさなならん、夜の目も眠られんようなことになると申しておいたが、一度筆先に出したことは皆出てくるぞよ。(大正7年旧正月12日)

  三千年余りての仕組みが、
一度に実現(なり)て来て、一度に開く梅の花、万古末代萎(しお)れぬ花が咲いて、三千世界は勇んで暮らす神国になるぞよ。(明治31年旧5月5日)

  「時節が一度に参りて来て、世界中の困難が到来する」ということは、たとえば地震や洪水、ハリケーンなどの自然災害が一度に発生する、とも受け取れます。あるいは地軸の移動によって「陸が海になり、海が陸となる」ような現象が起こることを述べているのかも知れません。
  「一度に開く梅の花」という言葉は、『大本神諭』の中では繰り返し使われています。私はこれこそ「時間がゼロ・ポイントを迎えた瞬間」のことを指しているのではないかと思っています。
                       ☆ ★ ☆
  それでは、ここでもう一度「時間列車」の譬えで考えてみます。車内の掛け時計が示す時間(時計時間)は常に一定です。しかし、列車のスピードはどんどん速くなって行くわけですから、外の景色の移り変わりもますます速くなります。それが現実のこの世界にどのような形で表れるかと言いますと、物事の起こる間隔がどんどん縮まってくるということです。
  既に、ファッションや音楽の全盛期が短くなり、短期間で新しいものに移り変わっていくようになっています。1年間ロングランで大ヒットする音楽や小説はありません。次々に新しい作品が生まれ、それが前の作品に取って代わって人気を集めるようになっているからです。
  同じように、好ましくないことの起こる頻度も増加しています。地震やハリケーン、豪雪、干ばつ、洪水などが発生する頻度は、過去10年を見ても恐ろしいほどの勢いで増え続けています。しかも、そのような自然災害のスケールがますます大きくなってきているのも特徴です。それはなぜなのでしょうか。そのことを説明するためには、もう少し踏み込んで、この三次元の物質世界と異次元(霊界)との関係について、共通認識を持っていただく必要があります。
  当サイトにアップしている『サタンが降りた』(でくのぼう出版)の中で、桑原啓善さんは大変わかりやすい譬えで説明しています。以下にその文章を引用しておきますのでお目通しください。

因果律がこの世を支配している

  あなたの現在の状態は、あなたが過去において投げたボールが、白いボールであったか黒いボールであったかの結果です。白いボールは愛と奉仕であり、黒いボールとは自己中心主義です。この世には因果律があり、白いボールを投げると白いボール(幸福)が、黒いボールを投げると黒いボール(不幸)が返ってくると、心霊研究は教えます。これは正確無比で寸分の狂いもないそうです。人が因果律という壁に向かってボールを投げている姿が人生だと教えます。
  人はこうして、人生とは因果律が支配しており、自分の現在は自分が過去に投げたボールの結果だということを知るのです。ですから、現在の自分の状態を変えたかったら、今日あなたが投げるボールを変えればいいのです。あなたはいつも自分の未来を創造する「現在」に立っています。(中略)
  だから、現世(物質界)においても、人は想念で人生と住む世界を作る神である。ただ、あの世とこの世の相違点は、あの世では思ったことがすぐ実現するが、この世では実現に時間がかかるという点です。
  しかし、現在が自分の過去に投げたボールの結果である点は、あの世でもこの世でも何の違いもありません。また、このことは輪廻転生、つまりいくつもの生まれ変わりの人生の中でも、寸分の狂いもなく実現されています。あなたはあの世でもこの世でも神なのです。想念で世界を創る神と同じ仕事をするからです。
               ――『サタンが降りた』(桑原啓善・著/でくのぼう出版)


  「この世は因果律によって支配されている」ということは、仏教では「自業自得」「善因善果・悪因悪果」という言葉で、新約聖書でも「人は自分が蒔いた種を刈り取らなければならない」という表現で、それぞれ同じことが述べられています。最近の言葉でいうと「原因と結果の法則」ということです。
  人がこの世で体験する内容は、すべて過去において(前世も含めて)自ら発信したこと(思ったこと、表現したこと、行動したこと)の結果だということです。たとえば、他人を傷つける黒いボールを投げれば、一定の時間を経て、今度は自分が他の人から同じ黒いボールを投げられ、傷つけられることになります。
  投げ返されたボールによって痛みを感じるため、私たちは自分が投げるボールを変えなくてはいけないことに気づくのです。ボールには色がつけられていて、必ず同じ色のボールが返ってくるようになっているからです。これが「自業自得」ということなのですが、このように大変ありがたい法則であることがわかります。
  桑原さんが言うように、私たちの投げたボール(思ったこと、言葉、行為)は、異次元(霊界)を経由してきっちり同じ種類のボールが返ってくるということです。
  その一番極端な事例を、『2012年の黙示録』では、「人を呪わば穴ふたつ」という譬えで説明しました。わら人形に釘を打ちつける「子の刻参り」という呪いの儀式を行なうことによって、恨みに思う人物を呪い殺すことができると言われています。しかしながら、その呪いの念は「黒いボール」ですから、それはやがて自分のところにも同じ黒いボールとして返ってくるのです。その結果、自分も死んでしまうため、埋葬する墓穴が2つ必要になるということです。
  この「必ず同じものが戻ってくる」という宇宙の法則があるために、私たちは過去において投げたボールをこの人生で受け取っていることになります。各神示の伝えるところによりますと、人生でどんなボールを受け取ることになるかは、生まれる前に霊界ではわかっていて、私たちはそれを覚悟して生まれてくると言われています。ところが、現実にこの世界で生活を始めてしまうと、「なぜ自分はこんなに運が悪いのか」「なぜ自分は他の人よりも苦労をしないといけないのか」などと不満に思ったり、悩んだりするようになるのです。
  そして、神社や霊能者のところに足を運び、「どうか運がよくなるようにしてください」とお願いをします。でも、これはおかしいのです。「私が投げた黒いボールを、どうか受け取らなくて済むようにしてください」とお願いしていることになるからです。その人が投げたボールの行き先がなくなってしまいます。
  「親の因果が子に報う」という言葉があるように、祖先の投げた黒いボールを子孫が受け取る場合はもちろんあります。しかし、全く関係ない人が、他人の投げたボールを受け取ることはありません。「自業自得」がカルマの法則だからです。
  この物質世界を貫いている法則(エネルギー不滅の法則)から見ても、ボールは途中で消えてしまうことはなく、ブーメランのように必ず投げた人のところに返ってきます。その法則があるために、この宇宙の秩序が保たれているのです。
  個人として投げたボールだけでなく、国家や民族、あるいは人類全体として投げたボールも、同じように返ってきます。今日の地球の環境破壊や異常気象は、これまでに人類が投げてきた黒いボールが返って来ているのだと考えることができるのです。
                       ☆ ★ ☆
  ここで再び「時間列車」の譬えに戻しましょう。私たちが窓から風景を見ているという譬えは、「過去において投げたボールを受け取っている」ことを意味しています。
  ですから、外の景色が次々と変わっていくように、私たちの身辺ではさまざまな出来事が起こります。ある時は黒いボールが返ってきて、悲しみや怒りを覚えることもあるでしょう。それらはすべて過去に投げてきたボールの結果なのです。
  列車のスピードが速くなると、外の景色の移り変わりも速くなります。過去に黒いボールをたくさん投げてきた人は、悲しみや怒りを覚える出来事の起こる頻度も増えていくということです。
  そして最後は、「一度に開く梅の花」――まさにビッグバンとも言える現象を伴って、この三次元世界の次元上昇、つまり「ミロクの世の誕生」ということになると思っています。その時に二極分化した魂の行き先も完全に分かれてしまうということでしょう。
  最後にもう一度、『大本神諭・天の巻』の中から、時間のスピードに関係が深いと思われる内容をご紹介して、この項を終わります。

  艮の金神、国常立尊が、変性男子の身魂の出口直の手を借りて、明治の25年から今に引き続いて知らしておいたことが、何もかも一度に破裂いたす時節が近寄りて来たから、何時までも我を張り欲に迷うて、利己主義(われよし)のやり方ばかりいたしておる守護神よ、人民よ、ここまでに神が気を付けてやりておるのを、何時も啼く烏のように思うて油断をいたしておると、思いがけないことが出来いたして、ビックリ虫が出るぞよ。腰が抜けて顎が外れて、物もろくろく言われず、「アフンといたして、四つん這いになりて苦しむようなことが出来いたすぞよ」と、毎度申して知らしてあることの実地が現れて来るに近うなりてきたぞよ。
  今までの人民は、神がいい加減な嘘を申して、人民を脅すように思うて、まことにしておらんから、今に神が知らして気を付けるのであるぞよ。嘘のことならこれだけ何時までもくどうは申しはせんぞよ。
実地が一度になりて来たら、どうにもこうにもしようのないことが、日本の国にもでけるから、万古末代取り返しのつかんことであるから、これだけに気を付けるのであるぞよ。(大正7年旧正月23日)
                           ――『大本神諭・天の巻』(平凡社)



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