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イコンの奇跡



 【イコンとコプト教会

 一度だけ、ロシア正教のニコライ堂の祭典に参列したことがあります。
 もしかすると、キリスト教人口の少ない日本では、キリスト教の祭典などカトリックもプロテスタントも東方正教会も、どれも大差ないものと思い描いている方もいらっしゃるかもしれません。しかしそれはとんでもない誤解です。今までプロテスタント教会の礼拝しか知らなかった私には、東方正教会の典礼は何もかもが新鮮な体験で、多くの意味でのカルチャーショックをひき起こしたのです。
 豪奢な司祭の衣装、聖堂内にきつくたちこめる乳香の香り、なんども繰り返される接吻、一時間以上立ち通しで行われる祈祷・・・・どれも聖書の記述や教会の伝統に確かに根ざしたものと納得しながらも、西方とは違う発展を歩んだ東方教会の様式はしかし、どこか真言密教を連想させるものがありました。初めての体験なのにそれらはなぜか懐かしく、さほど違和感を覚えず受け入れている自分に気づきもしました。プロテスタントのクリスチャンであると同時に東洋人でもある自分の根に触れられたようで、思いがけず複雑な衝撃を受けたことを、今でも強く印象に残っています。

 その中でも何よりも圧巻だと感じたのは、聖堂の前面の壁に大きく描かれたイコンの数々に接したときでした。それまでにもギリシャなどで東方正教会の聖堂内に足を踏み入れ、イコンを見たことはむろんあります。しかしそれはあくまでも観光客として、美術品を鑑賞するような気持ちでイコンを眺めていただけです。実際の典礼に参加してはじめて、それらが信仰の中に生きる物として対峙していることを漠然とながら実感できるものでしょう。
 私はといえば、司祭からバラの香料を混ぜた乳香を全身に降り注いでもらいながら『イコンって曼荼羅に似てるんだなな・・・』と、はじめて味わう乳香の香りに半ば酔い、『こんな感想をうっかり述べれば正教会から反論されるのかな』などと、自分自身の脳裏をかすめた素朴な比ゆに少々混乱しつつ、イコンを眺めておりました。

 そもそもプロテスタント教会にはイコンに匹敵するものが存在しないのです。宗教改革者たちは絵画・彫刻の類を「偶像崇拝」として排除してしまい、その代わりに「教会音楽」を重視してきました。「神秘」を視覚から感じる体験は、プロテスタント教会の中ではあまり得られません。

 もっとも厳密に言えば、東方正教会でもイコンはそれ自体が崇拝の対象とあがめられているわけではないようです。イコンはあくまでも神的なものの模像であって、信仰の対象は描かれた事柄の本体にあると考えられています。ですから「イコンは信仰の扉」と規定され、「偶像崇拝」からは厳しく一線が引かれています。
 そうはいっても、聖なる物自体に何がしかの霊的な力が存在すると考えたくなるのは世の人の常。イコンの意匠は信仰者の神秘主義的な想像力を駆り立てるにはもってこいの素材でもあります。民間レベルでは、イコンにまつわる奇跡物語も幅ひろくいきわたってきたのが現状です。

 ただし、コプトの教会ではロシア正教会で見られるほど多く、イコンにまつわる奇跡物語は記録されていないようですね。民衆の素朴な信仰や伝説により魅力を感じる人々にとっては、いささか残念な気もします。
 なぜロシアではイコンが民間の信仰と密接に関わってきたのでしょう? これはロシア正教会の布教政策が大きく作用しているようです。10世紀ごろロシアでは、キリスト教改宗を奨めるために、ロシアの民衆の間にいきわたっていた異教の土着の信仰を吸収したイコンを大量に製作してきました。その結果、イコンに関わる伝説も多く伝えられ、またあらたに誕生し続けてもきたのでしょう。
 他方、コプト教会では、そもそもイコンの製作自体が東方正教会におけるほど大きな発展は見なかったようです。まず、偶像を徹底的に排除するイスラム文化の影響が大きな理由のひとつとしてあげられるでしょう。第二に、ビザンチン教会はイコン反対勢力(イコノクラスム)との抗争の中で、イコンに関する独自の神学体系を発展させ、イコンの地位を定着してきたのですが、当時イスラム勢力下にあったコプト教会ではその影響を受けることはまったくなかったのです。
 でもコプト教会が必ずしもイコンを軽視してきたわけではありません。それどころか、ルカ(注:福音書記者。キリスト教史上最初のイコン製作者としても知られている)が、アレクサンドリア教会に聖母のイコンを描いたという記録は、コプト教徒の誇りとするところでもあります。ある意味ではコプト教会が、ルカ以来のイコンの伝統や様式が、素朴なまま忠実に保ち続けられてきたという見方も許されるのではないでしょうか。

←自作のイコンを左手で指し示すルカ
子授けのイコン
 まず、最も古いイコンの奇跡伝承から。
 ペテロ一世(注:A.D.285年、17代目のアレクサンドリア総主教に即位。デキウス帝の迫害下、教会を導いた)の出生にまつわる奇跡譚。
 3世紀、ペテロとパウロを記念する祭典の日の出来事です。重要な記念日ですから、町中のキリスト教徒が教会に集まりました。そして、自分の子供たちをペテロとパウロのイコンの前に立たせては、司祭たちからランプの油で聖別してもらっておりました。
 二人の聖人のイコンの傍に座っていたペテロ一世の母ソフィアは、こんな光景を見て、深く嘆き、ため息をつきました。『ああ、私にもこんな子供が欲しい・・・・』。ソフィアは長く不妊の身だったのです。
 寂しさから、ソフィアは二人の聖人像に向かってとりなしの祈りを捧げました。すると、それからわずかの後に彼女は身ごもり、男の子を授かりました。当時の教会の人々は、それをイコンの力によるものと信じ、16代アレクサンドリア総主教のテオナスは、彼女に「ペテロ」と名づけるように勧めたという事です。
 他に、コプトの聖人伝にはこのような話も記録されています。
 聖人メナス(注:Menas。3世紀頃の聖人。ミナとも呼ぶ)の母は、あるとき、子供を授かるように聖母のイコンの前で祈りを捧げました。すると、驚いたことにマリアの絵が「アーメン(Amin)」と唱和したというのです。それからまもなく、果たして彼女は息子を授かりましたが、このエピソードを記念して子供はミナ(Mina)と名づけられたのだそうです。
 このように、古い時代では、聖人の出生にイコンの力が関わったという伝説が好まれたようです。
 
イコンの癒し
 まだ医学が発達していなかった頃、病気や心の病が起これば、コプト教徒たちはイコンに癒しを求めていました。これは基本的に今日までも続いている習慣です。今でも慢性的な病気など医師では治しにくい病気の折には、人々は聖母や聖ゲオルグ、聖メナなどの聖人にとりなしを求め、イコンの前で祈ります。
 イコンが実際に癒しを行ったという奇跡物語でとりわけ有名なのは、ハンセン病にかかったマクラ司教の伝説でしょう。
 11世紀の出来事です。ある日、マクラ司教は自分がハンセン病に侵されていることを知りました。病はたちまち全身にひろがり、あちこちの皮膚が恐ろしい白色に変わっていっても、なすすべもありません。そこで、64代アレクサンドリア総主教のザカリウスは、司教にティマ村にある聖母教会で祈るように進言しました。
 絶望的な気分で、司教はその教会のイコンの前で、3日間断食し祈り続けていました。すると、ちょうど3日目の9時、奇跡は起きたのです。
 疲れと飢えから司教は眠気を覚え、うとうととイコンにもたれかかりました。するとイコンの絵が手を差し伸べ、彼の身体をさっとぬぐったのです。まどろみながら、司教はその光景を目に留めていました。そして目が覚め、ふと見れば、彼の身体から白い斑点がすっかり消えていることに気づきました。祈りが聞き届けられたのでしょうか。聖母の手によって、病気はすっかり癒されていたのです。
 これは、『総主教史(History of the Patriarchs)』にも記されている奇跡譚です。
涙を流すイコン
 この種の奇跡は、特にイスラム勢力の迫害や圧制に苦しんでいた時代に多く記録されています。コプト教会の人たちは、「涙を流すイコン」の話を書き記すことによって、試練や苦難を世に訴えていたのです。特に教会の確立に大きな役割を果たした聖人像がしばしば登場し、教会の現状を憂えて涙を流したのだという説明が添えられます。
 54代総主教のコスマス二世(851-58)の治世、こんな出来事がありました。イスラムの支配者はコプト教会に圧制を強い、教会から十字架を隠さなければならない状態にまで追いつめていました。そんなある日、聖マカリオスの修道院で、すべてのイコンに描かれた聖人たちの像が、涙をはらはらと流したのだそうです。やがて、聖マカリオス修道院だけでなく、各地のイコンに描かれた聖人も涙を流し始めました。それらは泉のように湧きいで、何日も聖堂の床をぬらし続けていました。
「われわれが十字架を隠したので、聖者たちが涙を流しているのだ・・・」
 当時の人々は、そう確信し、それからは信仰を奮い立たせたということです。
 この他、「教会が犯す罪を憂えてイコンが涙を流した」と説明する伝説も多く、いずれにしてもこの類の奇跡譚には、信仰の再確認を促すためのメッセージが含まれているようですね。
血を流すイコン
 イコンが血を流したという奇跡も、試練や苦難の時代にはよく出現します。中世、総主教クリストドゥーロス(1047-77)の時代に、特に多くの奇跡が記録されているようです。
 今でも、聖マカリオス修道院にすむ修道僧は全員、主キリストの絵からと血が流れるのをしばしば目撃しています。これを見た僧は皆おそれ、奇跡をなした神を心から称えるようになるのだそうです。
 最近起こった話では聖ゲオルク教会のイコンが有名です。
 1989年、5月17日水曜日、聖ドロローサの絵の右の目から、血がにじみ出ているのが目撃されました。この奇跡は二週間続き、地元の話題をさらいました。血の跡は今でもイコンにくっきりと残っていて、その原因を知ろうと多くの巡礼者が訪れています。
 

光を放つイコン
 聖書の時代から、光を放つというしるしは、神の現存か特別の聖者の臨在であると考えられています。ですからイコンが光を放ったという奇跡は、信者への祝福のしるしとして非常に歓迎されます。
 1988年9月23日、金曜日の夕方、カナダのトロントでの出来事です。アギンコートの聖マルコ教会で、五人のコプト信者の少女が、イエス・キリストのイコンが光を放っているのを発見しました。少女たちが息を呑んで見守る中、キリスト聖画は、目もくらむばかりの光の洪水におおわれていったそうです。証言によると、それはあたかも立体画像のような光景で、キリストの右の手は十字架の上で上下に動いていたという事です。
 

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