コプト語について




















パピルスに記されたコプト語

マタイによる福音書 17:20−27
推定作成時期:A.D.8世紀頃
21.2×13.0 cmのパピルスに記されている。

RareBook,Manuscript, and Special Collections Library
Duke University
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1) 用語「コプト」について

 「コプト」の語源は古く、古代エジプト語にまで遡る。もともとはメンフィスの別の呼称、「ヘト・カ・プタハ」(プタハの精霊の館)に由来するものであった。(このプタハはメンフィスの主神であり、フネム神と共に創造を司ったとされ、技能の神、創造の神と伝承されていた神である。)
 のちに、紀元前7世紀頃にエジプトに移り住み始めたギリシア人たちが、これを「アイギュプトス 'aiguptos」とギリシャ語読みをするようになり、それがエジプト全土を指す言葉となった。
 さらに641年、エジプトを征服したアラブ軍は、それをアラブ化して「キプト」と発音したのである。(ただし、エジプト全土は「ミスル」という名称で呼ばれていた。)
 この「キプト」という用語が、後にヨーロッパ人たちの間で「コプト」と呼ばれるようになったのである。
 現代では、特にエジプト人キリスト教徒を指し示す用語として使われることが多い。
 なお、正確なコプト語読みによる「コプト語」は、remenkimiである。

2)コプト語の歴史

 コプトという用語そのものが、古王国時代から歴史の波にさらされてきたことは、コプト語の歴史を考える上でも非常に暗示的である。コプト語もまた、数々の歴史的な変遷を経て最後に辿り付いた、古代エジプト語の最終段階にあたる言語だからである。
 コプト文字の母体となった民衆文字は、紀元前七世紀頃に案出されたヒエログリフの早書き文字で、商用などに用いられていた。その後、紀元前332年、アレキサンダー大王のエジプト征服により、新首都アレキサンドリアを中心に、急速にエジプトのヘレニズム化が始まり、エジプト民衆語とギリシャ語の混交がすすんだ。早くも紀元前二世紀には、エジプト語をギリシャ文字で表記した、いわゆるコプト文字が存在していたことが記録されている。
 紀元2世紀、キリスト教宣教師たちが、エジプトへの伝道のため、聖書の翻訳に着手し始める。この翻訳作業に彼らが採用した文字が、表記の複雑なヒエログリフではなく、母音表記も可能なコプト文字だったのは、当然の成り行きであったろう。しかし、この出来事は、三千年の歴史を持つヒエログリフ記述法の終焉を、ほぼ決定的にした。その後、このコプト語訳聖書は多くのコプト語文学を産み出し、コプト語を発展させていった。
 コプト語が体系的に完成したのは、3世紀の終わりから4世紀にかけてであると、一般に考えられている。
 7世紀のアラブ人の侵入以降、エジプトにおけるアラビア語化政策が始まった。これよりコプト語は急速に衰退し、アラビア語からの借用語も増す。しかし少なくとも10世紀までは、キリスト教会内ではコプト語とギリシャ語が併用されつづけ、アラビア語が使われることはなかったようである。事実この時代まで、コプト語によるキリスト教文学が記されていて、豊富な文献を今にいたるまで残している。
 しかし、その後、ファーティマ朝以降、十字軍の遠征などの影響で、コプト教会はさらに多くの試練(イスラム教徒はコプト教会の十字架を忌み、他方、十字軍はコプト教を異端として扱ったのである!)をうけた。が、コプト教会は辛くも「最後のエジプト語」であるコプト語の砦でありつづけた。
 現代では、もっぱらコプト教会の典礼用の言語として用いられ、オールドカイロのコプト教徒たちも、日常ではアラビア語を母語として用いている。

3) コプト語の方言

 コプト語には、少なくとも五つの方言が存在していたことが確認されている。

@ サヒド語(Sahidic)
 テーベ語とも呼ばれている。名称からいえば、「上エジプト」という意味である。しかし、言語学的考察では、メンフィスや東部デルタ地帯の近隣で使われていたと考えられている。もっとも、当時、テーベとメンフィスは共に文化活動の中心的役割を担っていたので、この両域でサヒド語が使用されていた可能性も捨てがたい。
 サヒド語は、4世紀までには標準語としての地位を確立していた。そして、10世紀に消滅するまで、新・旧訳聖書、多くのキリスト教文学、世俗文学がサヒド語で書かれた。
 現存ずるテキストの多くは、ギリシャ語からの翻訳文学である。
 コプト語人によって書かれたオリジナルテキストは比較的少なく、パコミウス(Pachomius c.300)、シェヌート(Shenute c.400)、シェヌーダの弟子であるベサ(Besa)による著作が、現在われわれに残されている程度である。
 なお、シェヌーダの書物は「サヒド語の古典」と呼ばれ、完成度の高いものであるが、その統語上の複雑さや非日常的な言い回しなどは、翻訳文学に基づいて研究されたサヒド語理解の範囲を超えている。

A ボハイル語(Bohairic)
 ボハイル語はサヒド語以降、コプト語の標準語となった言語である。現代のコプト教会の礼典で使用されているのも、このボハイル語である。
 ボハイル語テキストの存在は、早くも9世紀に確認されているが、コプト教会の公用語として採用されるようになったのは、11世紀からである。以来、多くのボハイル語テキストが編み出されるようになった。ただし、その多くはサヒド語からの翻訳である。
 ボハイルと言う用語はアラビア語に由来し、下エジプトを指す。アレクサンドリアを含む、西部デルタ地帯で使われていたと、一般に考えられている。

B ファイユーム語(Fayyumic)
 北方エジプト、ファイユーム盆地の近辺で、4〜11世紀に渡って使用されていたことが証明されている。
 しかし、サヒド語ほどの影響力をもつにはいたらなかった。

C アクミーム語(Achmimic)
 一般に中エジプトの南部地方の言語として知られている。3〜5世紀にかけての短命に終わった。

D 準アクミーム語(Subachmimic)
 正確な地理は定かでないが、アクミームとテーベの中間で使用されていたと仮定されている。4〜5世紀までの、極めて短命な言語である。
 マニ教やグノーシス主義の文献が、この言語で翻訳されている。また、ナグハマディ写本の多くは、準アクミームか準アクミームに影響されたサヒド語で書かれている。これら異端文書との密接さと、準アクミーム言語の文学用語としての早い消滅には、何らかの関連があった可能性は高い。