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スプーン―超能力者の日常と憂鬱

[2001/07/30 Up]

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 この本は超能力者をドキュメント番組の取材対象として番組を制作したディレクターが、超能力者と呼ばれる人々との出会いから番組制作の苦悩、裏話を書いた本です。

 私がマジックに興味を持ち始めたきっかけが「超常現象批判」からであり、当然ビリーバー(超常現象信仰者)とは逆の立場からその本を読みましたが、超能力が在るかどうかわからない人が目の前で不思議現象を目撃したために信じてしまうというプロセスがものの見事に描かれています。

 著者は番組の素材として超能力者にアプローチした段階では「胡散臭い」と思いながらも、その人物と親交を深めていくうちに完全なビリーバーになっていきます。本の中では「番組制作の立場上、中立であるべき」とのスタンスを取り続けていますが、傍目から見たら超能力支持者になっています。

 仮に、誰かと友達付き合いをしていく上で「信仰する宗教」「支持する政党」などが違ったり、その事で意見が対立しても、お互い差し障りのない範囲でその対立を回避し、深入りしないものです。しかし、「自称超能力者」に対して超能力を否定したままの付き合いは不可能でしょう。番組制作担当のディレクターである著者が、取材対象との関係を保とうとしているうちに…。

 また、取材対象となった超能力者3人(秋山眞人氏、清田益章氏、堤裕司氏)のうち、堤氏以外は少々理解に苦しむ発言があります。宇宙人と600回も会っているだの、火星にテレポーテーションして探査船バイキングに手を振っただの、語っている本人も信じてもらえないことを承知の上で語っています。(昔、ダウンタウンの松本さんが「UFOを見た!宇宙人が乗ってたが、気分が悪そうで窓から顔を出していた。顔色も悪かったし」と言っていましたが、このギャグを思い出してしまいました)

 堤氏は(ご存知の方も多いかもしれませんが)マジックをされるので、マジシャンの目から清田氏の超能力のトリックの可能性を示唆しているシーンもありました。が、暗に見破れない(=本物)ものが多いとのニュアンスで、(清田氏が)本当の超能力者であるかのような雰囲気を漂わせています。同時に否定派の人々を糾弾したような切り口の文章をあり、とても気になりました。いわゆる「大槻教授的」批判の批判で肯定派がよく口にする言葉を使って中立的立場(のつもりでいるようです)から超能力擁護をしています。(学者の立場上、否定の武器は当然学問ですが、それについていけない人々の拒絶反応がそうさせるのでしょう)

 更に、看過できない所として、本の冒頭、綾小路鶴太郎氏のスプーン曲げに対し秋山氏は超能力ではなくトリックではないかとの見解を示しますが、鶴太郎氏のTV出演をきっかけに能力に目覚める少年・少女がいればそれで良いとの発言がありました。子供は思い込みが強く、イメージすれば誰でもできるような印象を与えてしまうと、なかなか抜けきれないものです。雑誌「ムー」の読者が増える程度の影響で収まれば良いのですが、種のあるエンターテイメントが本来の姿と違った方向で使われるのは悲しいことです。(この本の中でも、清田氏の能力を研究すべく勤めていた会社を退職し、研究所を立ち上げた人物が登場しますし、当の本人たちの「能力の目覚め」のきっかけがユリ・ゲラーだったりと)

 最終章の否定派に対するコメントは、本人が気付いていないだけで、バリバリのビリーバーの理論が目白押しです。「一回くらいトリックを使っただけで、超能力者の能力を否定するのはおかしい!」とお前のほうこそおかしいだろうと言いたくなるような事が書かれています。が、全体を通して超能力に対し明確な批判的見解を持っていない限り、超能力の存在を信じてしまいそうな本です。

 最後に、前述の「否定派批判」のなかにジャパンスケイプティクスの会長である安斎郁郎氏の著書に校正漏れがあり、版数を重ねているにもかかわらず直されていない誤りに恣意的なものを感じるとあります。しかし、この本の冒頭、ナポレオンズの背の高いほうの方を「ボナ鈴木」と書いてありました。人名をここまで明確に間違うのは失礼でしょう。インターネットでちょっと調べれば「ボナ植木」さんの名前は出てくるし。また、本のなかで何個かマジックのネタバラシのような記述が在るのはかなり気に障りました。 この点に関しては版を重ねるにあたって訂正・削除してほしいところです。

 今回、超能力を肯定しつつ、中と半端なマジックの引用があった本でしたので、のでついつい熱くなりってしまいました。



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