超能力について

[2001/08/09 Up]

 超能力の話をするとき、よく一流のスポーツ選手や棋士などの能力を以って、「常人の能力を遥かに超えているので、超能力と言って良いのではないか?」という人がいますが、とりあえず意見として聞いておくに止めます。今、このHPで取り上げるのは 「現在の科学法則をひっくり返す能力」 と定義します。

 例えば、「直接力を加えずスプーンを曲げる」や「明確な情報伝播媒体が不明にもかかわらず、意思の疎通が可能」「密閉された容器の中の物体を動かす」等などです。いわゆる「サイコキネシス」「テレパシー」など、アニメに出てきそうな能力のことです。


はじめに
玉石混合
自浄能力
科学検証
確信犯?
さいごに
空想物語

訂正箇所


はじめに -哀れなるペテン師?-

 一応の定義に、前述のとおり「現代の…」と定義しましたが、私の知る限り超能力者の出現により教科書の記述が書き換えられたためしがないことからも、 「単なるマジックをあたかもタネのない物のように見せるため吐かれてしまった悲しいウソ」 と言い切ってしまいたいくらいです。

 ほぼ断言して良いでしょう。TVで超能力ショーを見せている超能力者はマジックを演じる上での覚悟もプライドも無いマジシャンモドキです。

 私は子供の頃、超能力を信じていました。しかし、ある時「超能力はウソ」だという情報が耳に入り困惑しました。真偽を確かめるため、いろんな本を読みましたが、どうやらウソっぽい。超能力者は手品でスプーンを曲げている、そう結論付けました。そしてあるTV番組で「超能力者」として出てきたペテン師が行ったパフォーマンスを見て、はっきりしました。(ヘタクソな)マジックだと。同じ事をすぐに両親の目の前でして見せました。両親は驚きながらも笑っていました。
 やがて、したり顔で「超能力なんて…」と言っても説得力が無いのではないかと考え、今度はスプーンが曲げられるテクニックを手に入れればよりいっそう、検証に役立つのではないかと考えマジックをはじめました。

 超能力者、清田益章氏は『スプーン―超能力者の日常と憂鬱』の中で「超能力を否定する奴に限って、本当にスプーンを握って曲げようとした事がない。UFOだってそう。見たいと思って何時間も夜空を見上げた事はあるのかよ!」という様なことを言っています。

 夜空に関しては天文観測をしている人に任せ、子供の頃、超能力を信じながらスプーンを握り、今、マジックとしてスプーンを握った上で私は超能力に否定的立場をとっています。何も調べず「在るはずが無い」と頭から批判してるわけでもありません。

 また、清田氏は同書で「出るバカ、見るバカ、作るバカ」という言葉を使っていました。まったく同感です。超能力者という立場を否定しているものの、その言葉自体には賛同する部分があるというのも皮肉なものですが。

 それでは前述の「3バカ」に加え、4種類目の「判ったような顔をして皮肉るバカ」として超能力に関する考えを書いていきましょう。



玉石混合 -TVは懲りてない?-

 「出るバカ、見るバカ、作るバカ」の中で一番問題なのは「作るバカ」だと考えています。つまりは超能力を特集し、無責任に垂れ流すTVです。

 日本で超常現象を扱っているTV番組は、周期的にブームを向かえ、現在も何本か放映中です。しかし、毎週放送するほど不思議現象はあるはずも無く、すでに謎が解明されている話やインチキとばれている話を臆面も無く放送しています。ひどい時は出所を偽ってみたり逆に茶化しながら放送したりしています。茶化すのには罪が無いかと思われるでしょうが、そんな番組作りをしていると 「茶化す/茶化さない」で暗に偽物と本物とを区別しているかのような 印象を与えてしまいます。

 なんだか、日本における超常現象生き残りの手段は「玉石混合」作戦のように思えてきます。(もっとも、肯定派の人から見れば「玉」でも、傍目から見れば「石ばっかり」といったところでしょうか)

 そのくせ、各TV局もこれらの不思議現象を真剣に取り扱わず、お笑いタレントやアイドルを司会に据えていざと言う時の逃げ道を作っているのが見え見えです。その上、「バラエティーを真に受けるのがバカ」と言う考えを持ってるくせに心霊写真や不思議体験を番組内で募集している。それなら(本当に依頼者が不安に感じて)マジネタを送ってくる奴は二重にバカにされてることになりますよ。特にTBS。オウム事件で懲りたんじゃないの?番組の終わりに「あくまで噂ですから…」みたいなテロップで免罪符になると思うなら大間違いですよ!(いたずらで同番組の出演者の肩にS弁護士一家の写真を心霊写真風に貼り付けて送ってやろうか!)



自浄能力 -毒蛇同士は噛み合わない?-

 また、玉石混合を歓迎しているのは超能力者・霊能者のほうでもあります。その最たる例が『スプーン―超能力者の日常と憂鬱』に書かれていた秋山眞人氏の発言でしょう。

 彼は、「たけしのTVタックル」で綾小路鶴太郎氏と共演した際、鶴太郎氏のスプーン曲げを ほぼ間違い無くトリックであろうと判断 しておきながら、「これをきっかけに能力に目覚める子供達がいれば、それはそれで意味のある事だ」というニュアンスの寝言を言っています。つまり、 超能力者集団にはニセモノも歓迎する体質があることを明言しています。 (もっとも、本物がいない限りニセモノが入ってきても「超能力村」の“まっとうな”住人が1人増えるだけですが)

 一方で、鶴太郎氏は「オンエアでは論争に巻き込まれたくなかったので言わなかったが、超能力と思ってもらってかまわない」とまで言っています。(しかし、この本で語られている彼が超能力に目覚めた経緯と、ある掲示板で書かれていた話に食い違いがあるんですが…)

 その上、末期ガンの患者を ヒーリング能力で完治させた とも豪語していましたが、 これこそ大問題です!

 以前、「ライフスペース」や「加江田塾」などに代表される「心霊治療」による患者の死亡事件は記憶に新しいと思います。自分に「ヒーリング能力」があると思い込み、正規の治療を受ければ助かる命をみすみす見殺しにしてしまい、その上報酬を得ようとする行為をどのような言葉を使えば正当化できるでしょうか?鶴太郎氏の発言を真に受けるには問題がありますが、本当に患者が末期ガンだったのか?完治したのか?そもそも全て作り話ではないか?言っていないだけで失敗した例は無かったのか?など、検証の余地はあまりに多くあります。

 もし! 秋山氏が“本物の超能力者”だとして、その秋山氏がニセモノと判定を下した鶴太郎氏が心霊治療をしているとしたら、本物として秋山氏は鶴太郎氏を告発するべきです。超能力者集団の自浄能力を発揮すべきではないでしょうか?

 かなり意地悪な言い方をすれば、仮に超能力者同士が対立する構造を公の場(裁判など)でつまびらかにするのを避けているのでしょう。
(余談ですが、秋山氏は同本で「スプーン曲げのトリックは40通りほどあり、私も一通りできます」と言っていますが、ほぼハッタリと思っていいでしょう。40種類は多すぎます。しかし「一通りできる」必要は?なぜ?)



科学検証 -なぜ不十分な検証で終わる?-

 超常現象を(職業の一部にするほどに)信じている人達について、不思議に感じていることがあります。それは「信じる人は何でも信じる」傾向があると言う所です。

 「超能力は信じるけど、予知能力だけは疑問だ」「心霊現象はあると思うけど、UFOは信じない」などと言う人は(日本には)あまりいないようです。ジャンルだけではありません。例えばUFO関連の話でも、「それは無い!」という話もUFO信者は必死に採用します。

 しかし、海外での超能力研究は「科学の土俵」に積極的に上り、超能力肯定派の学者さんたちの段階で土俵に上る価値すらない物をきちんと篩いにかけているようです。(が、それで残ったものですらその土俵で勝ち名乗りを受ける事はほとんど無く、稀に勝てたとしても結局は差違えで負けています)

 日本ではスプーン曲げで有名な超能力者、清田益章氏を検証した防衛大学での実験があげられます。その実験には顧問に日本奇術協会の故高木重朗氏がいらしたそうですが、同実験の参加者は以下のようなメンバーでした。

>日本念写協会の宮内力
>電気通信大学の金属工学者、佐々木茂美
>防衛大学校の超心理学者、大谷宗司
>ロンドン大学の物理学者、ジョン・ハステッド
>ワシントン大学の物理学者、ピーター・R・フィリップス
>バージニア大学の精神科医、イアン・スティーヴンソン
>コロラド大学の精神科医、ジュール・アイゼンバッド
>タスマニア大学の心理学者、ユルゲン・カイル     など
>
>笠原敏雄『超心理学読本』(講談社+α文庫)より
 某掲示板の転載(つまりは『超心理学読本』の孫引きになってしまう)です。記載漏れが無い限り、上記のようなメンバーでしょうが、なぜか顧問の高木氏が参加していないのは不自然です。経緯は知りませんが、もしかしたら例によってマジシャンの出す「負のバイブレーション」(超能力を抑止する無意識に出す超能力(爆笑))を理由に被験者が立会いを拒否したのかもしれません。現に、清田氏はジェームス“アメージング”ランディー氏が出している懸賞(超能力・霊能力を持って いると証明できた人に100万ドル以上の賞金を出す)への挑戦も前述のような理由から拒否しているようです。(近く、『超心理学読本』を読んで高木氏が立ち会わなかった理由等を調べて見ますが、詳しい事情をご存知の方、教えてください)

 実験結果は “超能力の存在を肯定する” 結果でした。しかし、それで終わり…。

 なぜ! ニュートン力学を覆すような新事実一大学の一実験(一研究室?) で終わりにするのでしょうか?科学の裏づけができたのであればランディー氏に挑戦すべきでしょう。賞金目当てではありません。ランディー氏に白旗を揚げさせることができれば、否定派の少なくとも3割は考えを変えるでしょうに。(ついでに大槻教授に辞表を出させてみれば、マスコミは大喜び!)

 今のところ、ろくな追試が行われていない以上、この結果を評価するのに抵抗があります。

 それにしても、超能力信者の超能力か否かの判断基準も不明です。清田氏とマリック氏、ナポレオンズのボナ植木氏との3人がいっせいにスプーンを曲げたとしたら、誰が超能力を使い誰がマジックを使ったのか、 どういう基準で判断しているのでしょう? まさか「超能力者が曲げたら超能力」「マジシャンが曲げたらマジック」という小学生程度の回答ではないでしょう。同じく、「手から聖なる灰」を出したら神の化身による奇跡で、「ハンカチから鳩」を出したらマジシャンによるスタンダードなマジックと言う判定基準も判りません。
 もし、未知のパフォーマーがいきなりスプーンを曲げたら、もしくはまったく新しいパフォーマンスを見せたら、彼らビリーバーは 何を基準に、どういう根拠で 「超能力/マジック」の判断をするのかぜひ聞きたいものです。

追記)
 私は科学者でもなんでもありませんので、科学者の代弁をすると言うのもおこがましいのですが、すぐに科学と言う言葉を持ち出す人間に嫌悪感を感じる人達がいます。いわゆる「科学万能と考える傲慢な態度」はけしからんと。

 しかし、ある現象を化学的に検証することにより“再現”することが可能になってきます。そしてコンスタントな再現が可能になれば人々の生活にプラスになる事でしょう。
 例えば身近なもので「ご飯を炊く」事1つとってもそうです。昔はカマドで炊いていたご飯の火加減や水加減の難しさ、煩わしさも、「ご飯を炊く」というプロセスを分析した結果、今や小学生ですら大人の炊いたご飯と変わらないものを作ることができる炊飯ジャーが完成しました。再現性の勝利です。そして、さらに「カマドで炊いたご飯」の美味しさを再現すべく研究が重ねられています。

 超能力も霊能力も、その能力者だけが特権として持っている物にせず、科学で検証し、再現をできるようになれば嬉しいのですが。そのためにも、各能力者はドンドン科学の検証受けてほしいものです。
(今わかっている『超能力者が能力を発揮できる条件』と言うのは、再現場所でのマジシャンの排除ぐらいですかねぇ)



確信犯? -3バカの悪循環-

 超能力者や霊能者としてTVに出ている人間のほうこそ、それらを信じていない人のように思えます。

 「現代科学を覆す不思議な力」という振れ込みでマジックを使ったりする姿は、 「超能力など無い」と完全に思っている人の行動 ではないでしょうか?もしこの世に本物の超能力者がいたとして、そしてTVで超能力ショーを行っているニセモノを見かけて怒らせてしまったとしたら。「アイツはニセモノだ!」と、本物から告発されてしまいますよ。(もっとも、マジシャンや懐疑主義者に批判されていますが)

 霊能者もそう。在りもしない霊を見たり、ロケでパニックって気分が悪くなった女の子に「霊が憑いた」など適当なことを言って脅し、最後には除霊いう行為で落ち着かせる。このパターンは見飽きました。これも、もし本当に霊が存在し、そのような「騙り」に激怒したたりがあったとしたら。考えただけで怖くなりますが、霊能者はどうも 私以上にそんなもの信じていない ようです。

 取りあえず冗談はこのへんにして、一度TV番組で 超能力者&霊能力者の真贋判定大会 をしてみたら面白いと思っています。

 明らかに自分が他人を偽っているという認識を内に秘めたまま、パフォーマンスをしている人々。時として自らの心をも偽るため強烈に思い込んでしまった人々。卵と鶏ではありませんが、「出るバカ」と「作るバカ」のどちらが先だったのでしょうか?残りの「見るバカ」は前述の2バカを育て、場合によってはそちらのバカに行ってします。そして、もう1人の「判ったような顔をして皮肉るバカ」は2バカになることはない分ましですが、少なくとも「作るバカ」を逆説的に育てている可能性はあります。が、ほんの少しでも「見るバカ」を2バカになることの歯止めになればと思います。



さいごに -本物の出現を期待-

 最後に「お前は超能力者といわれる人々の全てを否定しているが、世界中に1人も超能力者がいないと言い切れるのか!?」と言ってくる人がいるかと思います。

 一見、この主張に反論するには否定する側が世界中の超能力者の検証しなければならないような聞こえ方をしますが、主張する論理がまったく逆です。現在発見されているいろいろな力(磁力や引力など)を組み合わせ特に不具合のない現在の法則などに「超能力」に代表される新たな力が仲間入りしようと言うのであれば、 新たな力を主張するほうこそ積極的に動かなければなりません。
 つまりは、世界中の人々を検証するのは否定する側の仕事ではなく、肯定する側の仕事です。肯定する側が「これは本物!」と太鼓判を押す人を連れてくるのがスジです。

 世界中を探したら、イアン・ソープよりも速く泳げる人がいるかもしれません。モーリス・グリーンより速く走れる人がいるかもしれません。が、それは仮定の話で 「居るんだったら出て来い!」 という事です。(まぁ、「いないことを照明する」というのは無理な話です。よく例えに使われるのですが、このような理屈で行けば サンタクロースも存在する可能性を否定できなくなります。

 しかし、肯定派がつれてくる「本物」は御粗末な物ばかりで、なおかつ(前述した内容と重なりますが)懲りていない・信じたいがゆえの甘い検証・ニセモノも歓迎の自浄能力の無さなどから、超能力者の粗製濫造はもうお腹いっぱいです。

 そして何より、超能力の肯定派・否定派がいくら口角泡を飛ばした議論をしたところで、本物の超能力者が現れればそれで問題はすむ話です。本当にいるのなら、社会に出てきて物理の教科書を書き換えてください。

 それまでは肯定派も否定派の言葉を真摯に受け止めるべきでしょう。



空想物語 -もしも超能力が実在したら-

『もし超能力が実在したら…』

 これをSFではなく真面目に想定してみましょう。

 まず、 「世界中の建物、乗物の安全基準の見直し」 が必要になるでしょう。なにしろ、ニュートン力学を覆す力が存在するのであれば、それに基づいて計算された数値は意味を成さなくなります。例えば100人載っても大丈夫な橋など、きちんと計算された上での安全基準でも、その橋の根元に複数の超能力者(もしくは一人であっても強力な能力者)が手を当て念を送ったせいで橋が落ちたとしたら…。
 橋の安全を考えれば 「超能力対策」 が必要です。超能力者の発する力がニュートン力学に換算してどのくらいの力になるかなの式も確立されなければなりません。他にも、微妙で繊細な操作が要求される旅客機の離陸・着陸も超能力者の影響を受けないように工夫する必要が出てくるでしょう。電車、バス、自動車なども同じです。

 次に、「橋を落とす大惨事の責任者」として、橋の設計者が罪に問われるかもしれませんが、本当の犯人は超能力集団でしょう。しかし、現行法では彼らを取り締まることはできません。当然、 法律の改正も必要 になってきます。橋を落とすと言う大きな力でなくても、他人の頭部に手を当て、脳に直接念力を送ることにより物理的損傷を与えることにより殺害することが可能であっても、同じく現行法では取り締まることはできません。

 また、裁判が起こったとき、本物の超能力を持った人間かそうでないかを 認定する手段 も必要になってきます。その人の持つ能力で嫌疑の掛けられている事件を引き起こすことが可能かどうかなども争点になるでしょうが、それらの判定基準も必要になります。

 逆に犯罪捜査の側からサイコメトリーなど、SFの題材になりそうなものも実在するなら、犯罪捜査もかなり楽になります。ただし、こちらもサイコメトラーの能力により捜査令状を発行できるか否かの判断が必要になってくるでしょう。同じく認定書が必要ですね。霊能者だって被害者の霊を呼び寄せれば犯人はわかりますし、背後霊などというものを持ち出すのであれば、被害者の背後霊や現場周辺の浮遊霊、自縛霊など、目撃者(霊?)は飛躍的に増えます。ぜひ協力してほしいものです。

 他に考え付くものがあればメールしてください。なるほどと思えるものがあれば、ハンドルネームと共に発表します。



訂正箇所

 ここでは上記文章の訂正や補足を行います。間違った表現など、こっそり文章を書き換えて知らん振りするのは簡単ですが、フェアではないので文章は残し、訂正を別個に用意しました。


超心理学読本について1

[2001/08/31 Up]

 最近、『超心理学読本』を購入しました。

超心理学読本 (講談社+α文庫)笠原 敏雄 (著)
講談社 ; ISBN: 4062564637 ; サイズ(cm): 15 x 11
 まぁ、肯定派の言葉を借りれば「超常現象を否定したい心理が作用している」せいでしょう。なかなか読み進みません。(はっきり言って、難しい。理路整然と話をしているかと思えば、急に論理の飛躍があったりと、難しく感じています)

 で、ここで一つ 訂正をする必要がありそう なので、記載します。

 本文中の「一実験(一研究室?)」という表現ですが、これは大々的に行われた防衛大学の実験のみを指しているわけで、笠原氏の行った実験としてはかなりの回数が行われているようです。したがって、この「一実験(一研究室?)」という表現は不適切かもしれません。
 ただし、「一実験(一研究室?)」と言えないのなら言えないでなおの事、表に出るべきだと言う考えには違いはありません。

 なお、『超心理学読本』を読んで更に疑問に感じたことなどがありましたら追記しますが、残念ながらこの本を完読する自信はありません…。まぁ、実験のレポートや否定派の否定方法に関する考察については何か書けそうですが。



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