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【エッセイ】 日本社会の死生観と多様な起源をめぐって

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【エッセイ】 日本社会の死生観と多様な起源をめぐって

(『国際宗教研究所ニュースレター』23、1999年、掲載)

 10年ほどまえに研究生活をはじめたころ、私がぼんやりと関心を抱いていたのは死後世界の問題だった。祖先の霊を大切にし、さまざまな形で交流をもつ人々に小さいころから身近に接する一方で、そうした霊の実在をそのままでは信じることができない自分があった。このもやもやした感覚をすっきりさせたいというのが研究の原点にあった。

 はじめに「日本人の死生観が近代化の過程においてどのように変化したのか」という問いを立てた。私の「もやもや」の根底に伝統的観念と近代的な諸観念のあいだの相克があると考えたからである。しかし、この「死生観」ということばは耳に入りやすいが実はとらえどころのない概念である。人々が自覚しない感覚に深く根ざしており、思想の形で世にあらわれることが意外に少ない。しかも長いあいだ大きな変化をしないようで近代化の過程ではダイナミックに変容しているようでもある。

 この見えにくい変化を見るために最初に私が選んだのは「神葬祭運動」である。これは葬儀を神道式に改めようとするもので江戸時代後期にさかんになった動きである。葬儀は死生観と密接な関係にあり、葬儀の改変には死生観をもゆるがすような意味があると思われた。神葬祭運動は緩慢にしか変化しない死生観に対する「事件」であり、この運動をになう人々が意識的に死生観や死後世界のことを考えなければならなかった一方、この投げ込まれた石によってゆっくりとした「流れ」すなわち日常性もその姿をはっきりさせたのではないか。そう考えて神葬祭運動を分析したのだった。

 神葬祭運動には近世後期から近代にかけての日本宗教理解をめぐる多様な問題が集約的に含まれている。それは思想、地域社会における信仰共同体、宗教者の全国組織など考察すべきレベルも多岐にわたっている。この現象を考察しているうちに「伝統」と「近代」の対立、という私の枠組みはあまりに一面的に思われてきた。また、地域での信仰をめぐる葛藤を見て、「日本人の死生観」といったおおざっぱなテーマを問うまえに、日本社会に存在する死生観の複数性にこそ注目すべきと考えるようになった。

 さて、この複数性あるいは多様性の問題群に分け入るのに、具体的には以下の三つの態度が大切だと考えている。

 一つには死生観や霊魂・他界に関するさまざまな思想・観念を広く探索することである。これには思想史における重厚な蓄積をふまえることはもちろん、History of Ideas―「理念史」とか「観念史」とか訳されることがある―の方法が大いに参考になる。さまざまな観念が領域をこえて互いに影響を与え、思想的に新たな展開を生んでいく運動。日本での流行は通り過ぎてしまったかもしれないが、こうした運動をとらえるためには、History of Ideasはいまだ参照されるべきだと思う。例えば「因果応報」という観念ひとつとってもそれが社会のなかでいかなる広がりをもって展開したのかということについてはまだまだ研究すべき点が残っている。

 二つには思想・観念の現われ方を対象としてとりあげることである。これは現代では一般的なメディア論の視点を前近代にも取り入れることを意味する。死生観についていえば、人々は他界や霊魂についてさまざまな形で表現してきた。近世では歌舞伎・落語・説教などがすぐに思いつく。これらに関しては、近年文学研究の領域からすぐれた業績が多く出されており、宗教研究の立場からもこうした対象を含みつつ死生観をとらえる時期にきている。そのときに留意したいのは「前提としてある思想・観念があって、それを表現したものとして芸能がある」という見方になずまないことだろう。表現じたいにふれることが考えることであるような、そういうとらえ方をいずれ明示できればと考えている。

 三つには、思想・観念を抱く集団の社会的・現実的なあり方を明らかにすることである。死生観がどういう集団を単位として保たれるものなのか、という問いじたい、これまでじゅうぶんには説明されていないのである。日本人の死生観の根本には祖先観があってそれは家を単位として把持された、という説明がある妥当性をもつとして、では、家をこえた共同体の役割はないのか、あるいはある死生観の要素が共同体をこえた広範囲に共有されるとすれば、それを媒介した具体的存在は何か。これらはまだ問いのまま残されている。

 歴史的に考えることが若者のあいだで退潮するなか、このように過去ばかりにこだわる私はいかにもアナクロかもしれない。…なんて感傷的に悩んだりする時期はすっかり過去となってしまった。とりあえず、今後の課題はこの大風呂敷の中身である。


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