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| 国旗 | 「血と金の旗」と呼ばれ、「黄」は豊かな国土、「赤」は外的を撃退 した時に流れた血の象徴。紋章は合併してスペインを作った昔の 5王国の紋章を組み合わせたもの。 |
| 面積 | 504,788ku。これは日本の総面積の1.3倍にあたります。 フランス国境には3,000m級の山々が連なるピレネー山脈が あり、これらの山々や海流の影響によい変化に富んだ気候になっている。 |
| 気候 (1) |
<カタルーニャ、バレンシア、バレアレス> 地中海に面していて1年中温暖な地中海性気候です。 天候と肥沃な土地に恵まれ、野菜・果物栽培がさかん。 <マドリッド、カスティーリャ・ラ・マンチャ> メセタと呼ばれる広大な台地に位置し、夏は暑く冬は寒い大陸性気 候。雨が少なく、日中の寒暖の差が大きい。 <ナバーラ、アラゴン> ピレネー山脈からエプロ川流域にかけて広がり、山岳や丘陵など 変化に富んでいる。比較的雨が多い。 <バスク、カンタブリア、ガリシア、アストゥリアス> カンタブリア山脈と海にはさまれたこの地域は年間を通して雨が 多く、緑が豊かな所です。リアス式海岸をもつ。 <エストレマドゥーラ、カスティーリャ・イ・レオン> マドリッドト同じくメセタに位置し荒涼とした台地が広がっている。 乾燥が激しく、昼夜また夏冬の寒暖の差が大きい。 <アンダルシア> 1年中太陽に恵まれ、海岸地域はリゾート地として人気が高い。 ただ内陸部は夏に40度以上になることもある。 |
| 気候 (2) |
マドリッドの月平均気温は東京とほぼ同じです。 |
| 時差 | 日本より8時間遅いんです。 4月〜9月にはサマータイムが適応されますので時差は7時間へ。 |
| 民族 | カスティーリャ人、アンダルシア人、バスク人・・・72% カタルーニャ人・・・16% ガリシア人・・・8% |
| GNP (国民総生産) |
5515億6001万9968USドル・・・(1999年度) |
| ヨーロッパでファシズムが吹き荒れる中、1936年7月、ドイツとイタリアの 援助のもとフランコ将軍が反乱を指揮すると、スペイン国内は共和国軍と 右翼反乱軍の2つの勢力に分かれました。そして、3年後の1939年1月 にバルセロナが陥落。3月にマドリッドが反乱軍の手に落ち内戦は終結した。 フランコ独裁政権は反民主主義、反共産主義を柱にした。政権は言論、労働 組合の結成を一切認めず糾弾した。カタルーニャ、バスクの言葉、文化の弾 圧の対象とされたのである。 1975年にフランコ将軍の死が原因でスペインは独裁政権から開放された。 フランコ将軍没後国王のファン・カルロス1世は自ら統治を行わないことを表 明し民主主義の導入の動きへ進んで行った。しかし、同時期には弾圧され ていたカタルーニャ、バスクでは民族主義運動を生んでいる。特にETA(バス ク祖国と自由)によるテロ活動は現在でもスペインの大きな問題になっている。 |
| 1902 | アルフォンソ13世即位 |
| 1914 | 第1次世界大戦に中立を宣言 |
| 1923 | アルフォンソ13世、プリモ・デ・リベラの軍事政権を承認 |
| 1930 | プリモ・デ・リベラ辞任 |
| 1931 | 第2共和政が成立、アルフォンソ13世亡命 |
| 1936 | 内戦勃発、第2共和政が崩壊。フランコが国家主席へ |
| 1937 | ゲルニカ爆撃、共和国政府がバルセロナへ |
| 1939 | フランコ内戦終結を宣言 |
| 1955 | 国連に加盟 |
| 1975 | フランコ没、ファン・カルロス1世即位 |
| 1978 | 新憲法制定。カタルーニャ、バスク、ガリシアの自治権を承認 |
| 1986 | ECに加盟 |