100 STORIES<不幸中の幸い>



放浪のころデンマーク放浪

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@. フュン島の農家
言葉のまったく通じない老夫婦との不思議なコミュニケーション

A. カーリ・ヤコブセンの部屋
ネグリジェ姿の長身美女が、あたしのベッドで寝ていけと言う…

B.小さな国・小さな町

小さな国の、小さな町で出会った優しい一家のこと






@ フュン島の農家


ドイツのヴッパータールという町にクラウスの家を訪ねたとき、クラウスは、自分の知り合いだと言って、デンマークの二軒の家族を紹介してくれた。

クラウス・シュティーベリンクとは東京のYHで会った。ぼくが渡航手続きで上京していたとき、彼は日本で英語教師の仕事を探していた。そして、ぼくの放浪の計画を聞いて、自分の実家と、何軒かの知人の住所をくれた。

ヨーロッパ貧乏旅行中のぼくは、1泊2食の宿泊料が浮くというので、軽い気持ちでよくそういう家族のお世話になった。クラウスの実家自体、そんな只泊まりの宿の一つだった。

「知り合いって、どういう知り合いだ?」、と聞いたらクラウスは、「そんなことはどうでもいい。ともかくあいつらは客好きだから行ってみろ」

手始めにぼくは、フュン Fyn 島の南西部にあるフレムレーゼ Flemloese という町にまず一軒の家を訪ねた。フュン島というのは、オデンセという町以外の大部分は大変のどかな農村ばかりの島である。

ところで、ぼくはその家族の名前をまったく覚えていない。というか、覚える気は初めからなかった。し、その必要もなかった。その家を探し当てさえすれば、もう名前なんかあってもなくてもよかったのだから。

その家族は、家族といっても老夫婦だけ。かなり大きな、典型的な農家風の家に二人きりで住んでいた。二人は農業を営む、らしかった。そして突然やって来たナニ人かもわからない青年をとても歓迎してくれている、らしかった。

クラウスの手紙を渡して、「ひと晩お世話になります」とぼくが言うと、「いいや、今夜だけじゃなく、2、3日ゆっくりしてらっしゃい」、と言ってくれている、らしかったが、そこは推測するほかない。

「いいや、とんでもない、今すぐ出て行ってくれ」、と言っているのかもしれないけれども、何しろわかるのは「ヤー(イエス)とナイー(ノー)」ぐらいなので、まあ表情から推して、出て行け、のほうではないと、都合のよいほうに解釈して居座った。

二人は言葉が通じない、などということにはまったく無頓着に、デンマーク語一本で押してきた。これは困った、先が思いやられると、最初は思ったが、コーヒーが出、ケーキも出て、通じないなりに雰囲気がほぐれ始めると、これはかえって気楽というものかもしれないと思い始めた。

べつに無理にしゃべることもあるまい…。そういう心境に達してみると、ここはとても居心地のいい宿なのだと思えてきた。相手もまた、無理に話し掛けては来なくなった。

二人はぼくの前でコーヒーをすすりながら盛んにおしゃべりをし、あはは、と笑い、フムフムと相槌を打った。そして三度に一度ぐらいの割りでぼくのほうを見て、ニッ、と笑った。だから、つまり、そのときはぼくもニッ、と返したりした。

ぼくがケーキを食べ終わると、奥さんが、もうひと切れいかが、とすすめてきた。そのひと切れも食べ終えると、またもう一つすすめてくれた。ぼくは腹のところに両手で丸く弧を描き、謹んで辞退したら、二人はさもおかしそうに笑った。で、つまり、ぼくも笑った。笑いながら、今のはちょっと、妊娠してます、みたいだったかなと思った。

いい雰囲気のうちにあたりは暗くなり、夕食の後、ぼくは部屋に案内された。ここがあんたのベッド、ここがトイレで、こっちが風呂だと、奥さんはニコニコと説明してくれた。説明はもちろん一言もわからないが、ベッドとか、便器とバスタブの区別とかは見ればわかる。

「おやすみ」、それぐらいのことならぼくも言える。「おやすみなさい」、静かな、気分のいい夜だった。

2日目、
起きてきたら、もう二人は畑でひと働きしてきた様子だった。朝食が終わると、出かける支度をしなさいと言った、らしかった。

古い、ほこりまみれのフォード・タウナスは、広々とした田園地帯を走り出した。ご主人は農民らしいごわごわの手でハンドルを握り、その隣りに小柄で小太りの奥さんがコロンと座って、また盛んにおしゃべりをした。そして、3分ごとに振り向いてぼくに声をかけた。で、ぼくも「はい、そうそう、そうですね」と、相槌を打った。

道路標識に、オデンセまで何キロ、というのが見え始めた。オデンセにはいずれ行くつもりだったからちょうどいい…。少し都会らしい町並みが見え始めて、車はオデンセに入った。

壁を赤や黄色に塗り分けた愛らしい家並の一角に、アンデルセンの生家があった。中は小さいながらアンデルセン博物館になっていて、狭い室内に観光客がひしめいていた。

それからぼくたちは駅前の広い緑地に面したレストランで、スミョルブロイというデンマーク風のオープンサンドイッチを食べた。小エビや酢漬けのニシンや、サーモンなどをのせたパンが、空腹にとても心地よく吸い込まれていった。

食べながら、二人はやっぱり勝手にしゃべくっては、2、3分おきにぼくに相槌を求めた。「……だべや、な、そうでねえか」、「ああ、んだ、んだ」、だまって食っているのもナンだから、ぼくも応じた。英語と、少し覚えたドイツ語と、あと日本語と、それから、べつに何語ということもない「音」とか。

結局ぼくはその老夫婦のところに2泊した。

3日目の朝、
ご主人はまたご親切にもぼくを車に乗せて送ってくれた。行く先はやっぱりオデンセだった。オデンセしかないんだ、この島では、ぼくは納得した。車には、もちろん奥さんもコロンと乗っかっていた。

「タック、マンゲ・タック!」、サンキュー・ベリーマッチ、のデンマーク語。デンマークに着いて最初に覚えた単語だ。オデンセのユースホステルの前で、ご主人は人のよさ丸出しの目を少し潤ませ、僕の肩を叩きながら、繰り返し、何か言った。「気をつけてな、がんばれよ。いつでもまた来ていいんだよ」、かな? いや、きっとそう言ったのだと、ぼくは今も信じている。

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A カーリ・ヤコブセンの部屋


クラウスに紹介された二軒目は、コペンハーゲンの街外れにある5階建のアパートの一室だった。ぼくが訪ねたときはその家は不在らしく、いくらブザーを鳴らしても反応がなかった。それならそれでいいや、とあきらめて去ろうとしたら、隣りのドアが開いて、太ったオッサンがまあ入れと言った。

そこの人は今外出しているが、そんなに遠くには行ってないから、こっちに入って待てと、すごく下手な英語で言った。でも、そんなまさか見ず知らずの人の、そのまた隣りの家に上がり込むなんて、と、ちょっと戸惑っていると、旦那と同じぐらい太った奥さんが転がり出てきて、コーヒーを入れるから早く入りなさいと、やっぱり下手な英語で言った。

「あいつら客好きだから…」。クラウスの言ったのはこういうことか、とふと思った。二人とも、英語はすごく下手だが、二人ともそれより少しマシにドイツ語が出来るらしく、ぼくがクラウスのところでいくらか覚えたドイツ語の単語を並べたり、また英語の単語も交えたりすれば、何とか話は通じた。少なくとも、あの農家の老夫婦とは違って、何語でもいい、何とか通じさせようという気があるのが何よりだった。

結局ぼくはこの気のいいご夫婦のところにあがり込んで、二人を相手に英独の単語の並べっこをしているうちに、隣りが帰ってくる気配があった。ぼくはまた「マンゲ・タック!」を言って、握手をして、ようやく本命のほうに上がり込んだ。

「いやあ、ちょっとタバコ買いに行ってたもんで、待たせて申しわけない」、隣りの人より少しだけインテリ風のその人は、インスタントコーヒーに湯を注ぎながら言った。「二年前に妻を亡くしてねえ、まあいろいろ不自由してるんですよ」、これはインスタントコーヒーの言いわけだと思った。こっちの人はあまりインスタントコーヒーは飲まない。でも、上手なわかりやすい英語だった。

「ところで、あんたは?」、ぼくを何者だと思って家に上げたのか、そこんところはぼくもさっきから気になっていた。ぼくはクラウスの紹介状…、といったって、ここの住所と氏名と、その下に小さく自分の名前を書き込んだただの紙切れだけれども…、を差し出した。
 
「ああ、これは私じゃない。このカーリ・ヤコブセンというのは私の娘です。半年前までここに住んでいたが、一人で暮らすといって出て行った。今はストロイエの近くに住んでいます」そう言って彼は、娘の住所を紙に書き、略図まで添えてくれた。


その住所を頼りに、ぼくがカーリ・ヤコブセンの部屋を訪ねたのはその日の夕方だった。ストロイエという、コペンハーゲンの繁華街の、すぐ裏通りの、ちょっと小汚いアパートの1階に、カーリは一人で住んでいた。

その、絵に描いたような長身美女は、突然の客にもべつに驚いた様子もなく、さあ入って、とぼくを招き入れた。しかもしかも、彼女の格好はスケスケのネグリジェ姿。そしてそのままベッドに無造作に座って、ぼくが渡したクラウスの「紹介状」を見ながら、ぽんぽんとベッドを叩き、ほらここよ、とそこに突っ立っているぼくをうながした。

なまなましい女の匂いを立てる彼女の横に、ぼくはこわごわ座った。大柄な女の全身が、ぼくからほんの数センチのところで揺れていた。「このクラウスだけど…」、彼女はしきりに首をかしげながら続けた。「クラウスていうのはたくさんいるのよね。これはどのクラウスだか…」、「だからその、ドイツの、ヴッパータールの…」。

それから彼女は、ちょっと失礼、と立ち上がり、部屋の隅の扉を押した。そこは浴室で、バスタオルや化粧道具が鏡の前に散乱しているのが見えた。「まあべつにいいのよ、どのクラウスだって。あなたはよかったらここに泊まっていけばいいわ」

そう言いながら彼女は長い金髪を梳かし始めた。浴室の扉は開けたままである。ベッドに座っているぼくからは、化粧する彼女の後姿がどうしても目に入る。目のやり場に困ろうかと思ったけれども、せっかくだから困らないことにした。

少し赤みのある金髪がひと櫛ごとに輝きを増し、見事に整えられていくのを、不思議なものを見るような思いでぼくは見ていた。

それにしても、だ、泊まっていけと、彼女は軽く言うが、あまり穏やかではない話だ。どうする? そんなぼくのカットウを見透かしたように彼女は説明を始めた。「問題ないのよ、何も。あたしは看護婦なの。今夜はこれから夜勤。だからね、ベッドは朝まで空いてるの」

拍子抜けした。それなら確かに問題ない。問題ない、というのが、この際問題かもしれない。少しは問題あるほうが…

彼女は、着替えるからと言ってようやく浴室の扉を閉めた。ほっとした。それと、ちょっとだけがっかりした。扉の向こうから衣擦れの音が届いた。

しかし…、ぼくはまだ迷っていた。いくら今夜彼女は不在だといったって、見ず知らずの若い女性のベッドに? ぼくが?それに彼女だって、どのクラウスの、どういう知り合いだかわからない男が、自分のベッドを使う、というのは、それはなんともないのかな、というのも気になった。

扉が開いて、濃紺の地味なワンピースに着替えたカーリは、ハンドバッグの中身を確かめながら言った。「悪いけど夕食はどこかで食べてね。あたしはもう行かなきゃ。そこの角を曲がったところにカフェテリアがある。安くておいしいのよ。明日は町を案内するわ」

なんのこだわりもない彼女の様子を見ていると、ぼくも少し落ち着いてきた。まだ多少のためらいはあるけれども、ここは彼女の好意に甘えよう、という気になりかけていた。

どちらかというと質素な、そういえば看護婦にふさわしい身なりの彼女は、入口の扉に手をかけながらぼくのほうを見た。170cmくらいありそうな長身を、もう一度じっくりと拝んだ。

「じゃあたしは出かける。ゆっくり休むといいわ」
「ありがとう。おやすみ」
「あたしは朝6時にはここに戻るけど、気にしないで」

えっ、と思った。彼女はそれだけ言うと出かけて行ったが、最後の一言に、ぼくはまた引っかかっていた。朝6時、ぼくはまだ眠っている。夜勤上がりの彼女はそれからどうするだろう? やっぱり寝る。そりゃ寝るでしょう、寝てないんだもの…。で、どこで寝る。ベッドはこれしかない。ほかにソファーとか、そういう家具も見当たらない。

ぼくはまた急に気が小さくなってきた。今まで座っていたベッドが、なまめかしい匂いを立て始めた。カーリの白い肌の上に、自分が腰をおろしているような、そんな落ち着きの悪さが、にわかにぼくを追い立てようとしていた。

やっぱり…、
結局、ぼくはカーリに置手紙を書いた。やっぱりここに泊まるのはやめます。ご好意にそむいてごめんなさい。明日また来ます。いろいろありがとう。

その日は YMCA に空室を見つけて泊まり、翌日、夜勤明けの彼女がひと眠りした頃を見計らって訪ねたが、彼女は不在だった。

その日の夕方、ぼくは予定通りスウェーデンへ発って行った。だから、カーリ・ヤコブセンにはあれきり会っていない。

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B 小さな国・小さな町


カーリ・ヤコブセンに会ってから10か月が過ぎていた。ノルウェーのスキー場でひと冬を過ごしたぼくは、4月の初め、またふらふらとデンマークに戻ってきた。

ユトランド半島の北端から、まだ牧草が黄色い冬の色をしたデンマークの平野を、ヒッチハイクで南下した。親切で人懐こい人たちに次々と拾われて、それはもうヒッチハイクというよりは素早い自動車リレーで、ぼくはユトランド半島の真ん中あたりのベクマルクスボーという長い名前の、ものすごく小さな町にやって来た。

その町のチーズ工場に、あのカンボジュ号の三等船室で神戸からマルセイユまでの35日を共にした酪農実習生の加藤が滞在している。

マルセイユに着いたときに加藤からもらったそこの住所を頼りに、ぼくはそのラーセン・チーズ工場を訪ねた。ほんのひと握りの家並だから、場所はすぐにわかった。そこで加藤と久しぶりに日本語の会話を楽しんだら、あとは一気にドイツまで走ろうと、ぼくは考えていた。

着いたのは昼前だった。そこは小さな酪農製品の工場で、工場に隣接して経営者のラーセンさんの家がある。エプロン姿の奥さんが出てきて、もうすぐ午前中の仕事が終わるからここで待つようにと、加藤の部屋に通された。

すぐに小さな遠慮がちなノックが聞えて、8、9歳ぐらいの少女が紅茶を運んできた。少女はちょっと腰を折ってはにかみながら微笑み、大きな茶色の目でじっとぼくを見た。それがラーセン家の長女のリーネだった。しばらくするとまた彼女が現れて、何か言いながらぼくを手招いた。

食堂に昼食の用意が出来ていて、奥さんがぼくに席をすすめた。リーネと、3歳になる妹のインゲはぼくのトイメンに座ってじっとぼくのことを凝視している。加藤と同じ、黒い髪、黒い目の人間がもう一人いる、というのはやっぱりかなり不思議なことなのだろう。

そこへ外から帰ってきたらしい長男のアーネも現れ、ラーセンさんと加藤と、もう一人のデンマーク人の若い使用人も作業着のままで着席した。

加藤がぼくをみんなに紹介し、奥さんの短いお祈りで昼食が始まった。ラーセンさんは英語が出来ないが、ぼくにとても興味があるらしく、いろいろと質問してくる。通訳は、少し英語のわかる奥さんと、デンマーク語がかなりわかるようになった加藤。

「カトウと同じ船で来たのなら、それから今まできみは何をしていた?」
「旅行して、それから少し働いたり…」
「この冬はどこに?」
「ノルウェーのユースホステルの住み込みヘルパー、それから町に出てきてモーテルのペンキ塗りとか」
「何、ペンキ塗り?」
「はい、それが何か…」
「そうか、いや、実は工場のペンキを塗りなおそうと思ってたんだ。よかったらお願いできないかな?」

ここに着いて 30 分後、ぼくはラーセン家の「客」ではなく「使用人」になった。加藤と少しおしゃべりをしたらまっすぐドイツに行く、という計画は少し先になりそうだと思った。


それから一週間、ぼくはペンキの入った缶と刷毛を下げて、ラーセンさんと、加藤と、若いデンマーク人がバターやチーズを作る作業を横目で見ながら、工場のペンキ塗りに精を出した。

小さな町だから、ラーセンさんの工場にまた新しい日本人が来た、という話はその日のうちに町じゅうに伝わって、ぼくが外の通りに面した窓枠のペンキを塗り始めると、近所の子供が集まってきて、ぼくを見物した。いや、子供、だけではなかったな…

11 歳になる長男のアーネは母親似の賢い子だが、そんなぼくのことをおもしろがってつけまわした。言葉もわからないのにぼくによくなつき、学校から帰るといつもぼくを誘い出した。行く先は自分の学校とか、友達とサッカーをするグラウンド、それに母親に買い物を頼まれたときもきっとぼくを誘う。

一週間の滞在で、アーネとも仲よくなり、加藤とはマルセイユ以後の積もる話もゆっくり出来た。奥さんの手料理はとてもぼくの口に合って食事はいつもおいしかったし、長女のリーネはあの大きな茶色の目でぼくを見据えながら、毎日根気よくぼくにデンマーク語の単語を教えてくれた。そして、ラーセンさんはいつもぼくに優しかった。




一週間が過ぎた。工場のペンキはあと半日で塗り終える。いつものようにペンキの缶を下げて工場に入ろうとすると、ラーセンさんがさえぎった。

「今日は日曜日だ。ゆっくり休みなさい」
「いえ、午前中で塗り終わりますから、もう少しやってしまいます」
「いや、日曜日はみんなお休みだ。みんなで教会に行こう」

ぼくはもう少しねばってみたが、ラーセンさんはついに、「日曜日に休むのは世の中の秩序だ」、などととんでもないことを言い出して、ぼくはついにあきらめて従うことにした。

教会は町はずれの小さな木立の中にあった。そこは要するに町の社交場的な役割も果たしているらしく、敬虔な信仰の場、というよりは、町の公民館の雰囲気が強かった。

そして、こんなたいした話題もなさそうな町のことだから、当然、みんなの視線はぼくに集中した。好奇心と親しみの混じった、デンマーク人らしい視線をくれて、それから例外なく握手を求めてきた。ある意味、歓迎されている、というのはよくわかった。

「長生きはするものだ、珍しいものが見られる」、という視線のばあちゃんもいた。動物園で珍しい動物に会ったときと同じ目つきの坊やもいた。ちょっとウインクなんかしてくる女の子もいた。

うん、悪くない…
その日は結局とくに何もしないで終わった。一泊だけさせてもらうつもりが一週間になったのはいいとしても、いくら急ぐ旅ではないといったって、もうそろそろ切り上げどきだ、などと考えていたらラーセンさんがたずねた。

「明日でペンキは塗り終わるのか?」
「はい、明日の午前中で」
「それでもう行ってしまうのか?」
「はい、そうします」
「…もう2、3日いなさい。もうちょっとペンキを塗ってほしいところもあるし」
「どこですか?」
「あ、あそこだ、住居のほうの、そう、階段の壁とか」
「そこなら半日あれば塗れます。明日の午後、ついでに…」
「まあいいじゃないか、あと2、3日ゆっくりしていきなさい」

ぼくはもうどうだっていいやという気になった。べつにここにいるのがいやというわけでもない。それどころか、ぼくはここの一家がとても気に入っている。

結局ラーセン家には12日間滞在した。発つ日、ラーセンさんはペンキ塗りの給料を払うと言い出した。「そんな、とんでもない」、泊めていただいたのが給料ですからと、ぼくは言い張った。でも、ラーセンさんは払うといって聞かなかった。「払うのが当然だ。ノルウェーでのペンキ塗りはいくらだった?」、「1日 10 クローナ」、「それじゃ 15 でいいかな?」

思いがけないお金までもらって、奥さんが作ってくれたサンドイッチをリュックに収めて、ぼくはまた旅立った。玄関で、アーネやリーネもちょっと改まって右手を差し出した。ラーセンさんの工場で作ったチーズをコペンハーゲンに運ぶトラックの助手席から、ぼくは一家に手を振った。

春浅いデンマークの平原に薄日が差していた。まだ牧草地に出ている牛はいないが、あちこちに丸いサイロのある牧舎が見える。振り返ると、ベクマルクスボーの小さな家並が、弱々しく黄色い早春の光の中に溶けていくところだった。

出発の朝、朝食の席で奥さんがゲストブックを出してきてサインを求めた。ぼくは何か感謝の気持ちを表したいと思った。そして日本語でこう書いた。

"小さな国、小さな町、心の温かい人たち…"



1978年、国際情報社「すばらしい世界」第9巻 <白夜に暮らす人々> に掲載したものに手を加えました。


2003年2月