100 STORIES<不幸中の幸い>
sound:Hard Times, come again no more この歌のあらまし この歌は日本ではなぜかマイナーなのだが、スティーブン・フォスターStephen.C.Foster (1826〜1864) のヒット曲の一つで、1855年の作曲。初版の楽譜の売上でも、 1. Old Folks at Home (Swanee River) 故郷の人々(スワニー川)、 2. My Old Kentucky Home マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム 3. Old Black Joe オールド・ブラック・ジョー 4. Come Where My Love Lies Dreaming きみは楽しき夢路をたどりぬ 5. Massa's in de Cold Ground 主人は眠る に次いで第6位になっている。津川主一「フォスターの生涯」(音楽の友社) また、フォスターの死後60年余り後の1929〜1933年の世界大恐慌のときには、極端な不景気の世相を受けてアメリカで盛んに歌われたと聞いている。 フォスター家のメイドだったオリビア・パイスは、彼の両親の許可を得て幼いフォスターをよく黒人教会に連れて行った。そこで彼が聞いた黒人たちの賛美歌を、彼はのちに「忘れてしまうには素晴らしすぎる」と言い、彼の作曲に多くの影響を与えたといわれる。とくにこの歌には、そんな黒人教会での彼の記憶がはっきりと映し出されている。 ぼくの中のハードタイムス、そしてフォスター 少年がはまるにはちょっと憂鬱すぎる歌だとは思うが、中学生のころ、ぼくはなぜかこの歌がすごく気にいっていた。学校で英語を少し習い始めたころだから、フォスターのわかりやすく歌いやすい歌詞にはすぐに馴染んだ。 ネルソン・エディーというバリトン歌手が歌ったレコード、実は78回転という、昔のレコードだが、それが確か4枚組みのアルバムが2冊、その中に35曲の歌が入っていた。そしてそれを、ぼくはみんな憶えた。その歌手の歌い方から英語の癖まで真似てそっくりに歌った。憶えようと思ったわけではないが、記憶力の一番いい年齢だから、憶えるのは瞬く間だった。 昭和20〜30年代(1950年前後)だから、今のようにいろいろな歌が簡単に聞ける時代ではない。歌といえば演歌調の流行歌とか美空ひばりとか、アメリカのポピュラーソングのコピーとか、そうでなければクラシック。そのどれにも興味が持てず、でも歌が大好きなぼくは、自分の歌の世界を、たまたま出会ったフォスターに見つけていた。 日本語訳の試み フォスターの歌はみんな歌詞がいい。詩としても美しいけれども、楽譜に無理なくついているし、単語の発音と強拍・弱拍が一致しているので歌いやすい。そして、彼はほとんどの曲に自分で歌詞を書いている。 たとえば、「スワニー川 Swanee River」、別名「故郷の人々 Old Folks At Home」は彼の代表作の一つだが、でも彼はスワニー川を見たことがない。伊良湖岬に流れ着いた椰子の実のことを柳田国男から聞いただけで、「椰子の実」 を書いた島崎藤村のエピソードとちょっと似た話。 作詞の過程で、川の名前は最初スワニーではなくピディー>だった。何か適当な2音節の川の名前はないか、と兄モリスンにも相談している。 Pedee と書いて、線を引いて消し、そこへ Swanee と書き直した作詞メモが残っている。彼は音の感覚だけで川を選んだということで、それは彼の冷徹な創作力を物語るエピソードとして、彼の文学的才能の証明として語り継がれている。スティーブン・フォスターは、楽才と文才を兼ね備えていたわけだ。 でも、世の中にそういう人はそう多くはない。だから、…ちょっと話が角を曲がるが、訳詩というのはとくに難しい。フォスターの歌の日本語訳は、フォスター研究では第一人者といわれた津川主一さんのがあるが、あの人の訳詩にぼくはどうも納得できないでいる。 訳詩というのは、英文学者がやると元の意味をよく伝える訳詩になるが、音楽的に楽譜にうまく乗らなかったりする。音楽家がやると、日本語の詩としてちょっと、という結果になりやすい。詩人が、原詩の意味をまったく無視して日本語を当てはめ、別の歌にしてしまった例もたくさんある。まあ極端な例が、ということだが。 つまり、翻訳者、音楽家、詩人、の三者の能力を兼ね備えていなければ訳詩はうまくいかない。 ところが、この歌、ハードタイムスをぼくの小さなコーラスでやろうということになったとき、ぼくは不遜にも、よっしゃ、オレが、なんてことをまあ考えちゃったものだ。英語もいいかげん、音楽の知識も中途半端、文学的な能力もやっぱり中途半端。だけど、待てよ、それは逆にいうと少しは英語がわかるし、少しは歌のこともわかるし、それにぼくは一応ライターだから、日本語の作文能力も一応ある、っちゅうことではないか。 それでおっちょこちょいにも、よし、やったるでえ、ということになったわけ。そもそもぼくのコーラスのメンバーが揃って極度の外国語嫌悪症、というのがいかん。 もちろん、まったく別な詩を、自分の感覚で作ってしまうということを、考えなかったわけではない。訳詩か、作詞か、少しは迷ってみたが、ぼくは誰よりも自分の才能を知っているつもりである。まったくの創作はあまりうまくいったためしがない。結局、やっぱりあくまで原詩に沿って、訳詩に徹しよう、と思った。 そして、この歌の曲想だけはもう十分理解しているはずだからそれを生かすこと、原詩に完全に忠実な訳というのは無理だけれども、なるべく原詩を生かすこと、そして歌いやすい歌詞であること、日本語の詩として少なくともあんまりみっともなくないこと、という方向で、ぼくはこの大それた仕事をやっつけた。 結果的にはだいぶ原詩の意味から離れたところも多く、2節、3節と進むにつれて、もう勢いにまかせた感じで、ほとんど訳詩というより作詞になってしまったが、歌詞としてはまあこんなもんでしょうか、と思える程度には出来たつもりである。 繰り返しの最後の行はあえて英語のままにした。津川主一さんが訳したときと違って、まあ今どきこのくらいなら、外国語アレルギーのみなさんもがまんしてくれるだろう、と。 たとえば、You have lingered around my cabin door というところがあって、このdoor というのはフォスターの歌にはわりとよく出てくる単語だが、日本語の詩にうまく取り入れるのがむずかしい言葉だと思う。津川主一さんはそのまま「戸口にたたずみしが」としておられるが、トグチ、という言葉はそこのメロディーにどうもなじみが悪い。戸口にー、の 「に」で音程が上がるのもいやだし、たたずむの「た」が弱起で、しかもこの単語が下降音形になるのも避けたいと思った。 いろいろ悩んだ末、ぼくは結局、扉も戸口も捨ててしまって、窓、に置き換えた。linger around (徘徊する) も、直訳では日本語の歌詞としてどうしてもうまく落ち着かず、結局メロディーの起伏を優先して 「窓を叩く」としてしまった。もう苦し紛れ、という訳詩だが。 ただ、この歌詞で歌ってみたときに、音形に合わせたり、強拍のところにバとか、ガとかが来ないように、とか、各節であまり不揃いにならないように、とか、そんな形にばかりとらわれて、メッセージ性が薄まってしまったな、という反省はある。でも、ま、それもぼくの才能の限界、というか、これもまた自分の個性なんだろうなと、そんなことを思う。 1. 人は悲しみ見つめながら、 ああ涙数えて 歌は夜も日もわたしを責め、 ああ今日も暮れゆく (繰り返し) 歌は弱き者の嘆きか溜め息か、 今日もわたしの窓を叩く Oh, Hard Times, come again no more. 2. 人は喜び求めながら、ああ望みはかなく 歌は小さな願いこめて、ああ星のささやき (繰り返し) 3. 人は悩みの海に浮かび、ああ波間漂う 歌は悲しく低く流れ、ああ悩み果てなく (繰り返し) ちなみに、以下この歌の原詩。 HARD TIMES COME AGAIN NO MORE Let us pause in life's pleasures and count its many tears. While we all sup sorrow with the poor. There's a song that will linger forever in our ears, Oh! Hard Times, come again no more. 'Tis the song, the sigh of the weary, Hard Times, Hard Times, come again no more. Many days you have lingered around my cabin door, Oh! Hard Times, come again no more. While we seek mirth and beauty and music light and gay. There are frail forms fainting at the door. Though their voices are silent, their pleading looks will say, Oh! Hard Times, come again no more. There's a pale drooping maiden who toils her life away. With a worn heart whose better days are o'er. Though her voice would be merry, 'tis sighing all the day Oh! Hard Times, come again no more. この曲のCD フォスターの曲をいろいろ歌っているロジェー・ワグナー合唱団のものが一番よく知られているが、あれはぼくに言わすれば作りすぎ。原曲をいいだけいじりまわして、「ロジェー・ワグナー作曲 フォスターの主題による合唱組曲」みたいになってしまった。原曲よりも演奏者の遊びが突出してしまった、その手のコーラスにはまあよくある例だが。ぼくはフォスターを聴きたいのであって、ロジェー・ワグナーを聴きたいのではない。 スミソニアン博物館の古楽器を使って当時の演奏を出来るだけ忠実に再現しようという試みをしている「アーリーアメリカン・ミュージック・シリーズ」の中にフォスター曲集がある。その中のこの歌 Hard Times は、表現を極力押さえたソプラノと少人数の合唱に古楽器の伴奏が加わり、19世紀アメリカの雰囲気や、この曲の素朴な感情をうまく出している。 ただし、このCDの日本盤にはこの曲が省かれており、輸入盤でしか聞くことが出来ない。日本ではこの曲はなぜかあくまで軽視されるようだ。 このCDは 「SONGS BY STEPHEN FOSTER Best Warner 100 Classics」 の中の一枚で、WPCS-21097 コーラスはワシントン室内合唱団。ピアノ、フルート、ピッコロなどの伴奏楽器がめちゃくちゃ美しく、中でも伴奏ピアノの美しさに聞きほれる。店では一応クラシックの声楽・合唱曲のところに置いてある。 ちなみに、この盤には 「金髪のジェニー」や 「夢見る人」など、日本でもよく知られている曲も入っているが、ぼくのおすすめはそれよりも、フォスターの子守唄 「Slumber my darling」の愛らしいメロディーと、彼が夜会に行く途中、一人の少女が馬車に轢かれたのを見て夜会に行くのを中止し、息絶えていく少女アニーに付き添ったという出来事から生まれた美しいバラード「Gentle Annie」。そしてもう一つ、彼が南北戦争のときにリンカーンの北軍のために書いたといわれる軍歌「We are comming, Father Abraham」。 またこの歌、Hard Times は上記のほかフォーク、ポップ系の人も歌っていて、たとえば、ボブ・ディラン「Good as I been to you」(ロック・ポップス)、ナンシー・グリフィス「A trip back to bountifull」 (フォーク・カントリー)、そして、アイリッシュ・トラッドの大御所メアリー・ブラックの「Mary Black collected」というアルバムにもある。彼女のはやや熱唱型で、この歌としてはちょっと変わった歌唱。 ジェニファー・ウォーンズの 「Shot through the heart」 (ロック・ポップス) のアルバムの最後に入っているHard Timesは、ぼくの一番のおすすめ盤。ジェニファーはベテランのポップシンガー、2002年秋に放映されたドラマ「アルジャーノンに花束を」 のエンディングテーマ「ソング・オブ・バーナデット」 を歌っている。 →別項「ジェニファー・ウォーンズ」 彼女はこの歌、Hard Timesを男声コーラスとともにアカペラで歌っている。歌は二部になり三部になり、四部になり、またハミングコーラスをバックにソロになり…という手法で、一切の楽器の音を省いた、シンプルで研ぎ澄まされた和声を聞かせてくれる。和音の進行の美しいこの曲には一番の歌唱ではないかと、ぼくは思っている。CDは輸入版で、歌詞カードも解説もない。 「Beautiful Dreamer, The songs of Stephen Foster」 というアルバムは、カントリー、ゴスペル、ソウルなど、ポップ系のアーティストに、クラシックのチェリスト、ヨーヨー・マなどもチェロで加わって、フォスターの歌18曲をそれぞれ自分のスタイルで歌っている楽しいアルバム。その中ではゴスペルグループ、ステイプル・シンガーズのメイヴィス・ステイプルズがHard Times を歌っている。 このアルバムには、ほかではなかなか聞けない珍しい曲も入っていて、とくに18曲目、ロン・セクスミスの歌う Comrades fill no glass for me は、日本ではほとんど知られていないが、ぼくのお気に入りの一曲。4分の3拍子の美しい旋律を持った曲で、「私の盃にもう酒を注がないでくれ、友よ…」という歌詞は、晩年、酒に溺れていく自分に向かって書いたのだろうか。どこか性格に弱さを持っていたといわれるフォスターが、そんな自分の弱さを自ら告白しているようにも思える。 こういうのを聞くと、やっぱりこの歌 Hard Timesは、というかフォスターは、クラシック系よりも、フォーク、ポップ、あるいはカントリー系などの歌唱が合うのではないかと思う。「金髪のジェニー」 みたいに、演奏会用の曲もあるが、やっぱり大部分は、少なくとも、クラシックの歌手が目一杯声震わせて歌うものではないだろうし、ロジェー・ワグナーみたいな大編成のコーラスで大げさに歌うものでもないだろう、という気がする。 今、世はまさにハードタイムス 2002/10 HMVの沖縄音楽のコーナーを物色していたら、「ハードタイムス・カム・アゲイン・ノー・モア」というタイトルが目に入った。 沖縄の歌はここんとこずっといろいろ聞いているから、店に入ると必ず琉球ポップのコーナーを見るのだが、そこでこの歌に出会うとは思ってもみず、自分の目を疑った。同じタイトルの別の歌ではないかと思ったくらいだ。でも、帯に 「フォスターの名曲をカバー」 とあり、間違いなくあの 「ハードタイムス」 だった。 我如古(がねこ)より子が三線を弾きながら歌っている。そして吉川忠英のギター。歌詞は日本語で、訳詩ではなく作詩。売り場にあったパンフには、「故郷沖縄への感謝の気持ちを歌い込んだ」となっているが、時代の嵐の中を、あるがままに生きていこうよ…みたいな、歌詞で、スティーブン・フォスターの原詩からは離れながらも、メランコリックなその雰囲気をよく伝えている。繰り返しの最後の行はぼくの訳詩(前述)と同じく、英語のままになっている。 ちなみにぼくが買ったのはシングル盤で、沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」が入っている。また、この2曲を含む15曲を収めたアルバム「唄遊び」も出ている。このアルバムはかなり売れているようで、どの店にも試聴盤があった(2003年1月)。 この歌、「ハードタイムス…」とは、中学生のころから自分だけの愛唱歌と思って付き合ってきた。日本では本当にマイナーな歌で、自分が生きているうちに、この歌にどこかで出会うなんてことはほとんどあり得ないものと思っていた。実際、アメリカで発売されたレコードやCD以外には、この歌を聞くことはこの50年間一度もなかった。ところがここにきて、こんなふうに沖縄の歌手が歌ってそのCDが結構売れたりするという、ほんとに思いがけないことが起こった。 もしかしたらこの歌はこれからブレークするのかも…、なんてことを考えてしまう。そういえば今、世はまさに不景気、ハードタイムス。 追記 このサイトを読んでくれたある人から、関西を中心に活躍している稲葉和裕という人がこの歌を歌っている、という情報が届いた。カントリーやアメリカ民謡などを歌っている人だが、この人が「Hard Times Come Again No More」というアルバムを出している。ただ、このCDは関西地区限定なのか、だいぶ探したが、東京で見かけることはない。ぼくはそのことを教えてくれた人が送ってくれたカセットテープでそれを聞いている。カントリー調の歌唱だが、アーリーアメリカンの雰囲気をよく伝えていると思る。 フォスター作品の中の差別語 先に書いた「アーリーアメリカン・ミュージック・シリーズ」のCDでは「おおスザンナ」や「草競馬」のような、いわゆるプランテーション・ソングは省かれている。 フォスターの時代、白人が顔を黒く塗って黒人に扮して歌うミンストレル・ショウというのが盛んで、フォスターのプランテーション・ソングはそんなミンストレル・ショウでよく歌われたといわれる。そんなことから、現代では差別ということにからんで、それらの曲の演奏が自粛される雰囲気があるようだ。 またプランテーション・ソングばかりではなく、たとえば代表作の 「スワニー川」 や 「ケンタッキーホーム」 などにも、darkys という言葉が出てくるし、他の曲にも、darky や nigger などの差別用語もたくさん使われている。それに、有名な 「Old Black Joe」 などは、タイトルからしてすでに black という、現代では禁止語になっている言葉を使っている。どれもみんな黒人を表す言葉で、日本語にすると 「くろんぼ」 みたいな感じだろうか。 前記のVA盤の中では darkys、は brothers に直してい.るし、稲葉和裕さんも 「ケンタッキーホーム」 の中でdarkys を children と歌っている。 また 「スワニー川」 の歌詞でも、the が de、there は dere、river は ribber と、黒人なまりの英語で書かれている。当時はまだ、奴隷としてアフリカから連れて来られた一世とその子供たちぐらいの世代も多かったわけで、th や v の発音が出来なかったのだろう。そんな黒人なまりの英語で書かれた歌詞は、フォスターの曲にはたくさんある。 バラード風の歌では、なまりは直して歌ってもそれほど差し支えはないだろうが、プランテーション・ソングのように軽快なリズムを持った歌ではそうはいかない。詩人でもあったフォスターは、黒人なまりのdの音をうまく生かした作詞をしているからだ。 たとえば、De camptown ladies sing dis song! では、d音の繰り返しがあるから、次の doo-dah, doo-dah! も生きるわけで、これが The camptown ladies sing this song ではあの躍動感は出ない。 日本ではあまり知られていない歌だが、Louisiana Belle という歌の4節には次のような箇所が出てくる。Dere's first de B and den de E and den de double L… と、ここだけで黒人なまりを使った6個の d音を重ねている。その上、double の d と、B、Eも加えて、歯切れのよいリズム感を強調している。ここでもし、6個の d を thに直したら、とてもこのリズム感は出ないと思う。 フォスターは南北戦争では北軍サイドの人であり、リンカーンのもと、奴隷制度廃止を主張する側にあった。前述の通り、リンカーンの北軍のために、「We are comming, Father Abraham」を書いているぐらいだから。 またこれも前に書いたが、彼が少年のころ、黒人のメイドに連れられて黒人教会の礼拝に出席していたことはよく知られている。彼の両親がそれを許した、ということも、当時の世の中ではかなり思い切ったことだったと思われる。彼の中に、黒人を蔑む気持ちが生まれる環境などなかった、と考えてよいのではないだろうか。ちなみに、当時、黒人と白人は教会も別々だった。 婚約者ジェーンの家を訪れると、いつも年取った黒人のジョー爺やが出迎えてくれ、何かと親切にしてくれた。そのジョー爺やのことを歌ったのが名曲 「Old Black Joe」 である。 フォスターはいつも黒人たちに優しい目を向けていた。それを今さらそんなふうに black はいけないなんて、「差別語」 の偏狭な枠で彼を裁かないでほしい、と、今の世には確かにいくらか無理があるかもしれないことも承知の上で思っている。差別語云々が偏狭だというつもりはない。差別というものを、偏狭なとらえかたで、せせこましい思想で、とらえないでほしいと思う。 とは言うものの、難しい問題であることに変りはない。ただぼくは、あまり簡単に、差別語を使わなければそれでいい、という結論にはいきたくはないと思っている。 差別語については別項「気になる日本語」の項にも書いたので、興味のある方はどうぞ… 2002年12月