100 STORIES<不幸中の幸い>
■旅が好きハワイ・ポノイ 1999 02

きっかけは、NHKテレビのハワイ特集番組だった。ハワイの番組といっても知られざるハワイの歴史や文化を紹介する、という教養番組。
その番組の中で、バックに流れていた一つの歌に惹かれた。それはとても素朴な感じの歌で、子供のコーラスが歌っていた。われわれが知っているハワイアンとは違う、どっちかというとさっぱりした爽やかな感じの歌だった。
番組の中では今のハワイアン音楽と本来のハワイの伝統音楽とのずれ、みたいなこともしゃべっていたが、その歌についてはあくまでバックに流しただけで、説明のテロップも出ないので、歌のタイトルさえもわからずじまいだった。
あれは、何だ? という疑問がぼくの中に残った。
一つの歌がそんなふうにぼくの中に残ると、ぼくはいつもその答を求めて動き始める。それがきっかけだった。
うん、ハワイ行こう…
答は旧ハワイ王朝の居城だったイオラニ宮殿の脇の売店にあった。宮殿の内部を、比嘉さんという、沖縄の姓を持った上品な日系紳士の英語の説明で見学したあと、すぐ隣りの、教会のような形をした建物の中にある付属の売店に入った。
CDや楽譜がたくさんあったので、ぼくは「……、ていう歌ご存知ですか?」と、さわりだけ覚えていたそのメロディーを口ずさんでみた。
店番の女性は「あ、それはハワイポノイ。ハワイ王朝のころの国歌で、今はハワイ州歌になってます」。
そしてぼくはとりあえずその歌の入っているCDと楽譜を買つた。意外と簡単に歌の正体がつかめて、ぼくはすっかりうれしくなり、緑に囲まれた王宮のあたりを歩きまわった。爽やかな風が吹き渡って、ぼくがこれまで 考えていたハワイよりも、何倍も魅力的な場所に思えた。そして、ぼくとハワイの接点はこんなところにあったのだと思った。
「アロハオエ」
ハワイのやさしい女王様のお話

イオラニ宮殿の前に一人の女性の像が立っている。ハワイ王朝最後の王、リリウオカラニ女王。ワイキキの大通りの名前にもなっているカラカウア王の妹で、兄のあとを継いでハワイ王国の君主になったが、それからわずか二年ののち、ハワイはアメリカに併合された。今から百年ほど前の話。
世界中に知られている「アロハオエ」という歌は、このリリウオカラニ女王の作詞作曲。アメリカに吸収されていく祖国への別れの歌だとも、またそのことを悲しんでハワイを去っていくある人に捧げた歌ともいわれている。
ハワイの王室には文才や楽才に恵まれた人が多く、現代にも歌われている曲や詩を書いた人がたくさんいた。リリウオカラニもその一人だったし、その兄、カラカウア王も国歌
「ハワイ・ポノイ」の歌詞を書いている。
今、その宮殿の前に立つリリウオカラニの右の掌には、いつも花束やレイが握られている。ぼくが行った日は赤いブーゲーンビリアだったが、翌日もう一度行ってみたら、女王は白い花で作ったレイを持っていた。守衛さんに聞いてみたら、あの花は生花で、毎日取り替えるのだと言った。
「アロハオエ」の原詩をぼくは知らないが、訳詩なのか作詞なのか、素晴らしい日本語の歌詞がついていて、ぼくは中学生のころからその歌詞で愛唱している。
山辺に降る雨は、音もなく注ぎ、
小鳥の巣を濡らし、ほのかに花を咲かす。
アロハオエ、アロハオエ、
世は恵に満つれば、
心も変わらじ、また会う日まで
やさしきバラの花、海に映る山、
人の子の心は、そよりなおもうるわし
(繰り返し)
カラカウア大通りで見かけたハワイ警察のパトカー
ザ・バス
ハワイではもっぱらバスを利用した。ザ・バスとかいうやつ。市内は1ドル均一。ザ・バスに乗ると、地元の人たちや運転手がいろいろやってくれて楽しい。
ハワイのバスその1
運転手はどこへ行った?
そのバスにはアラモアナから乗った。途中、あるホテルの前のバス停で、太った黒人のおばさん運転手は降りてしまい、ころころと転がってなぜかホテルの中に消えた。
後ろのほうの乗客が「彼女はトイレだね」「そうだね多分」などと言い合い、ほかの乗客もそれぞれの席で相槌を打った。
しかし運転手は五分過ぎてもまだ来ない。するとまた後ろのほうで「大きいほうだねこれは」「うん、大きいほうだな」、そしてほかの乗客もそうだそうだと納得した。
バス停に停まっているわけだから、当然そこから乗ってくる乗客もいる。運転手がいないからきょとんとしていると、前のほうの乗客が説明している。「今、運転手はトイレ、大きいほう」。
結局10分ぐらいして運転手はホテルからまた転がり出てきて、乗客の拍手に迎えられ、バスは何事もなかったように動き出した。
ハワイのバスその2
運転手も腹は減る
あれはあのトラムの形をした観光用のバスで、イルカやペンギンのショウが売り物のシーライフパークというところに行ったときのこと。カナダから来たというおばさん一人以外は乗客は全部日本人。
ワイキキの中心街からダイヤモンドヘッドの下を回ってハナウマ湾で休憩、バスはまた走り出したが間もなく人けの少ないビーチに停車。
何だ? と思っているうちに運転手は一人下車してそこに店を出していた屋台で盛大に昼食を買い込み、運転席で食べ始めた。それを見て、客も、もちろんぼくも、一人残らず下車して運転手と同じことをした。
ちょうどお昼時で、みんなお腹はすいていたが、あと30分ぐらいでシーライフパークに着くし、着けば軽い昼食ぐらいあるだろうと思っていた。
ちなみに、そのバスの中には、「車内での飲食は厳禁」と、英語と日本語で書いてあるから、とくに海外に出るとおとなしい、というかおっかなびっくりの日本人観光客は、いいのかなあ、という戸惑いがあったのだろう。
何しろ運転手があんまりあっけらかんと禁を犯して見せてくれたので、みんな安心して食べ始めた。しばらくすると運転手から声がかかった。「さあ、みんな、食べ終わったかい?」。それがあんまり陽気で気さくな呼びかけだったので、さすがおとなしい日本人たちもいっせいに声をあげた。「イエース、フィニッシュド!」
バスはまた信じられないような明るい海岸風景の中を走り出した。バスの中では、ほかにもいろいろと小さな交流があった。
そんなどこか一本くぎの抜けたような、いや、わざと一本抜いといたようなおおらかさがうらやましい。この二つの出来事だって、これがもし日本でならどうなっていただろう? それを思うと、ハワイ人て、いや、多分アメリカ人て、ぼくは結構好きだな、と思う。
2002年3月
