100 STORIES<不幸中の幸い>


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1.Christchurch

ニュージーランドには前からちょっと興味があった。山の見える風景も魅力的だし、気候もよさそうだ。それにうまいマトンも食べられる! でも、ぼくがニュージーランドに行くことになったきっかけはやっぱり一つの歌だった。

マオリ族の歌を初めて聴いたのは、民放のスポット番組「世界の鉄道」のニュージーランド編で、バックにマオリ民謡の断片が流れたときだった。素朴でシンプルなそのメロディーと和音にぼくは惹かれ、ちょっと興味を持った。それがきっかけだった。

「キリ・テ・カナワ・マオリを歌う」、というCDが出たとき、ぼくはそれをぜひ聞いてみたいと思った。だが、何しろぼくは貧乏であるから、3,000円もするCDを、中身もよくわからないのに簡単に買ってしまうようなことはぜったいしない。
そのCDには幸い、東京上野の都立音楽資料館で会った。

そこには試聴室があって、無料で聴くことが出来る。で、ぼくはその、マオリ出身のオペラ歌手キリ・テ・カナワの透明なソプラノがマオリ族のコーラスをバックに歌うマオリ民謡に魅せられた、というわけだ。

これは買ってもいい、いや、買うべきだ、とぼくは思った。そしてそこで思いついたのがニュージーランド旅行だった。


4月4日(火)10時55分クライストチャーチ(時差:+4時間)着。

桜の日本から来ると、黄色い葉っぱの秋の色にちょっと調子が狂う。とりあえずインターネットカフェから日本にメールを何本か打った。日本語版がなかなかうまく出なくて、日本語の上手な韓国人の若い店員が親切に付き添って教えてくれた。

そのすぐ近くに市立図書館を見つけ、誰でも入れそうな雰囲気なのでどんどん入っていくと、CDルームがあって、山のようにCDが並んでいる。柱の周囲に試聴用のイヤフォンがセットされているので、聴くことも出来そうだ。

恐る恐るたずねてみると、「フライド・グリーン・トマト」のメアリー・スチュアート・マスターソンみたいなきりりと聡明そうなお姉さんが、「もちろん、旅行者だって大歓迎です。何をお聴きになりますか?」ときた。それで「マオリ民謡を、出来れば合唱のを」とお願いして、何枚か出してもらった。

試聴機のセットされた柱から折りたたみの椅子を引き出して、とりあえずひと通り聴いてから、そのうちの二枚のタイトルを控えた。係のお姉さんは「ちょっと待って」と資料のファイルを繰り、そのCDの歌詞カードの内容を英語に直したものなどの資料をコピーしてくれた。完璧だ。

でもこれではまだ実は「完璧」ではないことに、クライストチャーチを出てからぼくは気づいた。そう、楽譜。マオリ民謡の楽譜なんて、この国でしか手に入らないに違いない。

ぼくは一週間後、この国最大の町オークランドでまた市立図書館を訪ねた。「このCDの最初のこの曲の楽譜が手に入らないでしょうか?」。今度はキアヌー・リーブスのような素敵なお兄さんがすごく熱心にそれをさがしてくれ、ありましたよ、と楽譜をひらひらさせて笑顔を見せた。「コピー代、1$40かかりますがいいですか?」と一応たずねてからコピーをとってくれた。すごい感じのいい人たち。

そんなふうに、マオリ族の古い子守唄だという「Hine,e hine」のCDと歌詞カードと解説書と、それに楽譜を、ぼくはまんまと手に入れたわけだ。

そして帰る前日、図書館のキアヌーが教えてくれた店で、この旅行の直接のきっかけになったのあキリ・テ・カナワのCDを予定通り購入した。29.95$(1500円)。解説が英語なのがちょっと難。



クライストチャーチには4泊した。宿はインターネットで予約しておいたバックパッカーズで、共同寝室もあるが個室をとって
一泊25$(1,300円)朝食つき。安い!

夕食はスーパーでマトンを買ってきて、自炊室でステーキにして食った。それもニュージーランドに行ったらやりたかったことの一つだった。ステーキ用マトン、100グラム50円、ちなみにビーフも同じ値段。







Rotorua


クライストチャーチの町を歩き回って少し疲れたので、急遽この町で二泊ほど休憩を入れることにした。宿といい、町といい、休憩にはもってこいの二泊だった。


4月8日(土)
クライストチャーチ 11時10分〜12時25分 ロトルア(空路)

ロトルアの宿は少しだけぜいたくをして、一泊朝食つき75$(4,000円弱)。二日目、雨だったが、仕方ないから別府の地獄めぐりみたいなファカレワレアは傘を差して見物、それからタクシーを呼んでファームショーへ。まあありきたりの観光コースだが、ファームショーは羊たちと自由に遊ぶ時間もあったりして心が和んだ。


三日目の朝はまあまあの天気。午後のオークランド行きの列車(といっても一日一本しかない)を奥さんが電話で予約してくれたので、それまでの時間、また少し町を歩いた。

小さな繁華街は着いた日に何度も行ったり来たりしたので、この日は町を外れてオヒネムツと呼ばれる一帯を歩き、それから大きな病院のある小高い丘に登ったりして、時間をつぶした。


このページのトップの写真は、噴気に包まれたオヒネムツ地区の眺め。地面から湯気が立ち上っている中に教会の塔があったりして、ちょっと幻想的。日本には温泉はたくさんあって、こういう風景も、まあ特別びっくりするというほどのものでもないけれど。


ロトルアで見かけた「ヒネマル通り」の標識。マオリの言葉は日本語と根っこのどこかでつながっているのだろうか。




3.Auckland



この国はイギリス系だというが、この町の雰囲気はどっちかというとアメリカに近い、とぼくは思った。まあどうということもない大都会だ。

4月10日(月)

ロトルア13時30分〜(列車)〜18時00分オークランド

オークランドには一週間いた。予約していた宿はあまりにもひどいところで、一晩で逃げ出した。トイレやキッチンにはゴミが散乱し、テレビがいつも鳴っている集会室も乱雑な荒れた感じで、とてもくつろげる場所ではなかった。

大勢の人種不明のお兄さんたちが長期滞在、というよりは住み着いている様子で、バスルームもキッチンも集会室もお兄さんたちに占領され、ぼくはトイレに行くのもなんとなくびくびく。女性客は、黒人のお姉さんが一人だけいたけど、まあ女性の一人旅なんかには絶対ぼくはすすめない。ちなみに一泊シングル30$。

翌朝、損は覚悟で一週間の予約を解約し、市内のバックパッカーズに移った。この国ではどこに行ってもバックパッカーズ・ホステルというのがあって、若い人だけではなく、家族連れや一人旅の人に愛用されている。

この町にも何軒かあり、クライストチャーチにも数軒あった。建物は古くてかなり小汚いが、中はよく手入れしてあってべつに不潔な感じはない。

その日は個室があいてないというので共同寝室に泊まったが、これが男女同室で、やっぱりちょっとびっくり。シャワー上がりの金髪のお姉さんが、ぼくの目の前五十センチぐらいのところで湯上りの髪の毛をバサバサ梳かしてくれたりするのには参ったけど、でも一晩過ごしてみると、そんなことをへんに意識するほうが恥ずかしいような自然さで、何の問題もなく共同寝室の暗黙のルールが守られているようだった。ついでにいうと、ここではトイレもシャワーも男女の区別はありません。

日本人の若い女性が二人いて、よくお話したが、彼女たちも男女同室のことについては最初はびっくりしたが、あとはぼくと同じ意見だった。うち一人はこの国に住んでいるとかで慣れているらしく、ニュージーランドのバックパッカーたちと同じように、自分のシュラフザック持参だった。

希望を出しておいたので、翌朝にはシングルルームがとれた。個室といっても、滞在中は掃除もシーツ取替えもない。出かけている間に他人が入って来ない、という安心感がぼくはむしろ好きだけれども。掃除がしたければ自分ですればいいわけだ。

個室は一泊30$(1500円)。ただ、宿泊料のほかに毛布の借り賃が一泊4$かかるから、多くの人が前述の日本人の彼女みたいに自分のシュラフを持参するわけだ。ちなみに一泊目の共同寝室は16$(800円)。

朝食はついてないが、キッチンには、去っていく人が残り物を入れて行く「フリーフードボックス」があり、その中にはたいていパン、バター、ジャム、ティーバッグ、コーンフレークなどが入っているので、面倒ならそれで済ませることも出来る。一階には売店があり、たいていのものは買えるし、すぐ向かいにはコンビニもある。

ぼくの部屋のすぐ前がたまたまキッチンになっていて、夜なんかお茶が飲みたくなったらちょっとお湯を汲んでくればよいし(いつもポットにお湯が沸いている)、腹が減ったらフリーフードボックスから何か見つけてくればよい。

ぼくの部屋の前、キッチンとの間には廊下が少し広くなったすペースがあり、いくつかの椅子テーブルが並べてあった。キッチンで作ったものはみんなそこで食べるから、朝など部屋を出るといろんな国の人が思い思いの朝食をとっていて、英語、ドイツ語、中国語,日本語、などなど、いろんな言葉が飛び交っている。

そんな中に韓国人の若い男の子がいて、お互いまずい英語でときどき話をした。彼はまた、若い日本人の女の子(名前は忘れたのでA子さんとしておこう)ともよく話していた。ある朝、彼が「A子さんは?」と聞くので、「キッチンで調理してるよ」と言ったら、彼はすぐキッチンに入って行き、戻って来て言った。

「彼女は調理なんかしていない。湯を沸かしているだけだ」。そこへA子さんがお湯を入れたカップ麺を運んできて言い争いが始まった。彼女は、野菜とかいろいろ炒めて入れたからこれも調理だと言い、彼はあんなの調理ではないと主張した。

そんなふうに、彼はいつも彼女をからかったりして、結構仲よくやっているようだった。そのときもすぐ和やかな会話に戻って、彼女はカップ麺をすすり、彼はトーストをかじり始めた。いいムードだったので、もう朝食を済ませていたぼくはそっと部屋に戻った。

いつも彼がいたのでぼくは彼女とはとうとう日本語では話さなかったし、素性も何も知らない。でも賢そうなかわいい人で、ニュージーランド人のあんまりさえない感じの男が盛んにアクセスしていたが、ぼくはもし、もしだよ、彼女がこの二人から選ぶとしたら、韓国の男の子のほうがずーとええな、と思った。どうなったかなー。

彼はこれからこの町で仕事を探して住み着くのだということだった。企業エリートの父親に反発して家を出てきたのだと、ぼくが去る前日ポツリともらした。

そんなちょっとしたコミュニケーションも、こういう宿ではよくある。でも一般的には宿泊者同志の付き合いは意外とさっぱりしたもので、日本の一部のユースみたいに「親睦を図りましょう」などというわざとらしいものはなく、みんなお互いを気づかってはいるけれども決して必要以上に他人に踏み込まない。そんなこともあって、ここはとても居心地がよっかった。 



オークランドのウォーターフロント

オークランドはクライストチャーチよりはるかに大きい町である。ただ、大きい分、少しうるさい。

今度の旅では、南十字星を見たいと思っていた。それと、できれば南十字星の入った南半球の星図を手に入れたかった。クライストチャーチでは天気が悪くて、雲の隙間からほんのわずかに「あれかな」という程度に見えた? が、確認は出来なかった。この町に来てからは少し天気がよくなって、天頂近くに意外と小ぢんまりした十字型の南十字星を確認した。

初めての海外旅行でぼくは南回りの船でヨーロッパへ行ったから、そのときマラッカ海峡でこの星を見たのはおぼえているが、何しろあれから何十年もたったので、もう一度しっかり見たかったわけだ。

昔、天文少年だったぼくとしては、南十字だけではなく、ケンタウルス座や、フォマルハウト、カノープスなど、日本からは見えない、または見えにくい南の星座や星々には、幻の天空を想うようなあこがれがあるわけだ。

オークランドに着いた翌日、ワントゥリーヒルにあるオークランド天文台に行ってみた。そこで天文台の内部を説明つきで眺め、それからプラネタリウムを見た。プラネタリウムは大きくはなかったが、見慣れない南半球の星座が映し出された丸天井にぼくは熱中した。帰りに売店で星図を見つけた。南半球の星図は多分日本では、というよりも北半球では手に入らない。

その日は夕暮れ時のウォーターフロントを少し歩いた。雲は多くて、ケンタウルスはよくわからなかったが、幸い天頂付近は晴れていて、まだ少し昼の光が残る紺色の空に南十字がよく見えた。



2004年4月