無門関 の 答え 

禅 無門関をよむ‥ 無門関とは‥ 
禅の問題集「無門関」の問題と答えを
 生活の言葉でわかりやすく解説する。

禅問答四十八章 公案集「無門関」の答え

 

書名  「無門関の答え」

    −人間というO/Sのマニュアル

著者     小林篤生

出版社   大法輪閣

発売      平成22年2月28日予定

初版限定 1500部  注文予約


上は暫定中扉

まえがき
 パソコンにはご存じのように、WINDOWSに代表される各種のO/Sがあります。
パソコンを操作する時、通常はヒトに教わった通り操作し、あとはトライ&エラーで大体は操作をマスターすることが出来ますが、もし少し複雑な操作をしようとするとそのパソコンのO/Sのマニュアルを読むことになります。全体のシステムがどういう具合になっているか検証し直す必要が生じるわけです(O/Sはオペレーティング・システムの略でこれによってパソコンが各種の機能を発揮します)。
 このO/Sのマニュアルがなかなか理解しにくいことはよく知られていることですが、マニュアル社会の欧米で確立したものなので、必ずどこかに問題点の答えが出ていて、自分のやりたいことの実現方法が分かるようになっています。
 ところでこの人間にO/Sというべきものがあり、その行動の規範としてのマニュアルがあれば大変便利なのではないでしょうか。
 しかしこの・人間・というO/Sがどうなっているのか、科学的には良く分っていません。人間の体についてはハード的には随分解明は進んでいるように見えますが、肝心なパソコンの記憶装置にあたるROM、RAMの入っている脳については、この辺にこんな機能があるのだろうというくらいの程度であまりよく分かっていないようです。
 一方、ソフト的にも殆どその法則的なものを見つけることができず、心理学や精神分析は人間の心の表面的な事象だけを扱っているだけのようにも見えます。

 その点、宗教は最初からはっきりとそのO/Sのマニュアルというべきものを提示してきました。キリストは「もし汝が右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」といって明確に次の行動を指し示しています。同じく「汝自身を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ」とかはすべて具体的な生き方とその是非を示しています。
 これは科学が証明を必要とするのと違って、宗教は神への信仰にもとづいた直感的な価値観によっているからです。
 現代の教育は、宗教の教義や、昔でいえば「論語」のようなものの価値観を無視しているため、ただ楽観的な科学主義というべきようなものしか若者に与えていないような気がします。真面目に働き、友人を大切にしてお互い助けあえば、幸せになるという程度の思想だけを教えています。すでに現実の社会ははるかに複雑になっていて、そんな考え方は単なる理想論になっているに係わらず、それに替わるものを追求し、提供しようとはしていません。
 つまり、若者はその程度のマニュアルだけを与えられて、世の中に出て社会人として生きていくことになっています。

 仏教の一宗派である禅が出家や在家の修行者に[公案]の形ちで指し示すものは、独自な人間の存在観にもとづいた、人間の行動の基準になる 「人間というO/Sのマニュアル」といって差し支えないものです。
 ただ公案は問題のみを提示していて、答えを書いていません。禅では公案という問題を修行者に出し、座禅させることによって答えを自分で考え体得させるという方法をとっています。しかし、問題がある以上、答えが確実にあり、公案を通して禅の言いたいことはこの答えの方なのです。

 筆者は高校時代に、結核で休学したのを機会にある精神修養団体に入り、精神の完成を安易に求めた結果、対人恐怖等の神経症に苦しみ抜くことになりました。
 その後の長い神経症脱出の苦闘の間、常に興味を持ち座右に在った本が 中国の禅の古典[無門関]を翻訳した[禅問答四十八章](魚返善雄訳)でした。
 当時はこの本の意味、つまり各問題(公案)の意味が全く解りませんでした。答えの見当もつかないというところです。《禅問答》のようだとは、難しい議論の例えとして良く言われることですが、本当にチンプンカンプンでした。しかしそれでもこの本が大好きでした。意味が解らないのに大好きだと言うのは変な話ですが、実感としてそう思ったものです。

 公案集は他にも多数ありますが、本書ではこの[無門関]を中心にして、禅の公案の解答を試みるものです。各公案についての解答を自分の体験により自分の言葉で語っているつもりです。街工場で働き、その後、独立して小さいながら自営を続けて来て、その間、神経症からの脱出に向けての何回かの展開点がありましたが、その度に対応する[無門関]の問題が一問、一問解けていったように思います。この時、ずっと手引きになっていた書が、神経症の治療法を確立した精神医学者の森田正馬の各著書でした。ここには各種の症状(迷い)に対しての心の正しいあり方が具体的に書かれていて、まさに禅の主張する「直指人心」そのもので、くり返し精読したものです。

 達摩大師は「不立文字、教化別伝」と言っています。文字で表さず、書物とは別に教えを伝えるという意味です。確かに禅の悟りの内容は言葉で表せないものがあります(口のきけない人が夢を見たようだと言います)。また答えを最初に聞いてしまう事は決して良い事ばかりでは無く、害の方が多いと言う意見もあります。
 しかし誰かが何とかできるだけ分かるように解説しようとしなければ物質文明=答えの現代では、禅そのものが誰にも理解されず滅びてしまう恐れがないとは言えません。

 この本を読んで一人でも多くの人が禅に興味を持ち、現代の上辺だけの答え(正義)の押し付けから決別して、自分自身の生き方の確立への一助にして頂ければ幸いです。

                平成21年11月29日

                           小林篤生

つづき‥ 禅問答四十八章