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どこから来てどこに





携帯電話のカレンダーをめくって、

  来年の自分の誕生日が何曜日なのか確かめてみる。さらに再来年の誕生日を
  確かめてみる。そのさらに5年後、10年後、20年後、さらにその先を確かめて
  みる。50年後、100年後。

   時間だけが無表情に過ぎ去っていくなかで、間違いなくどこかの時点で私は
  死を迎えて、この世には存在していないでしょう。

日ごろ忙しくしていると、

  あたかもこの先もずっと自分が生き続けているかのように錯覚して毎日を
  過ごしています。しかし、人の一生が80年だとして、日数に直すと3万日も
  ありません。この短い限りある時間を私たちは生きているのです。

   しかも、私たちの人生の終わりがいつなのか、どのように訪れるのか、誰にも
  わかりません。この先の人生設計を組立て、あらゆる事態に対処できるように
  万全を尽くしたと思っても、死は思いがけないときに訪れるものなのです。
  場合によっては、朝、目が覚めたときに死を迎えているかもしれないのです。

   この人生は永久に続くものでなく、いつかは、終わりを迎えるものであることを
  誰もが知っていながら、死を真剣に意識する機会があまりにも少ないのでは
  ないでしょうか。

誰もが経験することになる

  この死の問題について、私たちは、一体どれほどのことを知っているで
  しょうか。死を迎えた後、私たちはどうなってしまうのでしょうか。肉体が
  滅びれば、それで終わりなのでしょうか。私たちは肉のかたまりに過ぎないの
  でしょうか。それとも、肉体とは別の何かが存在するのでしょうか。
  なぜ私たちはこの世に生を受けたのでしょうか。
  
   一体、私たちは、どこから来てどこに行くのでしょうか。


この死の問題について、

  これまでに世界の多くの人々が真理を見出すことが出来た唯一の書物が
  あります。それが聖書です。聖書は、紀元前1400年頃から紀元後100年頃
  までの間に記された66巻の書物から成り立っていて、天地を創造され、私たち
  自身をもお創りになった、まことの神から人間に与えられたメッセージです。

   この聖書は、現代の私たち一人ひとりに語りかけています。
  次の言葉は、聖書の一節です。

   「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、
    世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
    永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネの福音書 3章16節