音楽の部屋

特に好きなジャンルというのはありません。

美しいメロディ、ハーモニー、楽しいリズムに、もひとつ陰気っていうのが好み。

そんな基準で音楽について語っていきます。

 

ここで取り上げる音楽ソースについての入手情報などのご親切は堅くご遠慮申し上げます。

たまたま中古または特価で見つけた時に購入することを前提にしており、積極的に定価で

入手するのは貧相に反する行為であります。

基準は、ポピュラー系アルバムは1000円以下、クラシック系ならどーんと張り込んで1500円

迄というところ。


平成17年5月25日

 

 

韓国盤 第5集

「Passion」

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国盤 第1集

Let’s go to My star」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国内盤 ミニアルバム

「WA-come on-r」

 

 

判断力李貞賢批判   〜 イ・ジョンヒョンのCD第5集と第1集 〜

 ※ この李貞賢批判シリーズは、内容が意味不明というご意見も多分にあると思いますが、ダイジョーブです。

書いている本人も意味がわかっとりません。カントやフッサールの哲学書とは何の関係もありません。

安心してお読みください。

 

 

 ● 終わりが全ての始まり...

 私がジョンヒョンの韓国盤CDを入手したのは、実はこの第5集が最初である。従って、入手した順番とは異なってしまうが、他のCDを聴いてみたいという欲求をもたらすきっかけとなったアルバムなので、触れておかねばならない。

 このアルバムのコンセプトは、ジャケットをご覧の通り、スペインである。(「Passion」という題名から、J・S・バッハの「マタイ受難曲」とこじつけをしてみたかったが、全然ネタが思い浮かばなかった。)何故スペインなのかよくワカランが、一応スパニッシュ風味でまとめてある。勿論、本場のフラメンコの暗く悲痛でさえある情熱に満ちたCANTOを歌うわけでもなく、あくまでも雰囲気だけに留まっている。『タラヘバ』などは、その扇情的な踊りが良くも悪くも印象的ではあるが、全体としては第4集までの各アルバムのような強烈さは感じられず、大人の雰囲気を打ち出しているようだ。

 

 いつものジョンヒョン節が味わえるのは、前述の『タラヘバ』『ベサメ・ムーチョ』、それに続く『コンドゥルジマ』といったアルバム前半に収録されているナンバーで、中でも『コンドゥルジマ』はスペイン風味が薄めになっている分大衆性が強調されていて好ましい。

 このアルバム購入して暫くはジョンヒョンらしい個性の片鱗が窺える前述の3曲ばかりを聴いていたのだが、やがて第4集以前の楽曲を知るにつれ、このCDをあまり聴かなくなってしまった。要は薄味だと感じるようになってしまったのだ。ネット上での評判も、他のアルバム程高くは無い様である。

 

 しかし、ジョンヒョンがFMラジオに出演した際に、第5集の中では一番好きな曲だと言って放送されたのが、『イルチャンジュンモン』だった。韓国初の日本語ラップで始まるこの曲は、しかし最初の印象はジョンヒョン独自の世界を期待していた耳には、印象に残らなかったのだ。でも、歌手本人から「一番好きな曲」と言われると素晴らしい音楽に聴こえてくるからいい加減なものである。実際、よくよく聴いてみると強烈なインパクトこそ無いものの、スムーズに流れる良い曲だと思うようになった。

 このラジオ放送をきっかけにこのCDを改めて聴き直してみたが、後半に収録されている曲も実は結構な佳曲揃いだという事を再発見することができた。中でも『A Midsummer Night Dream』(真夏の夜の夢と訳せますが、シェークスピアやメンデルスゾーンとのこじつけはやっぱり思いつきませんでした。悪しからず。)は素晴らしい。ややスペイン風味の効いた、むせび泣くようなギターのイントロの後、意外な早さのテンポで穏やかなメロディが流れ出す。そこには人工的なアクセントなどは一切皆無であり、この歌に込められた感情はひたすら旋律に載ってごく自然に浸潤してゆき、また盛り上がってゆく。聴き手は全く逆らう事無く、ただ快い音楽の流れに身を委ねるだけだ。こういったケレン味とは無縁の味わい深さは、ちょい聴きではわかりにくいのかも知れない。

 

 かつてイ・ジョンヒョンの魅力はエキセントリックな要素と組み合わさったヴィジュアルパフォーマンスにあると書いたが、しかしこの第5集全体の醸し出す、大人の鑑賞に堪え得るだけの成熟した雰囲気は、当然の事ながらおおよそ視覚的効果とは無縁であり、それだけに聴く側が如何に自己の想像力を以ってこれを惹起させ得るかどうかに、このアルバムの成否がかかっているように思える。これは20歳代中盤の女性歌手としては至極必然的なコンセプトの変化ではあるが、ともすれば表層的な評価を得るに留まるという危うい橋を渡っているような印象は免れないのである。

 

 果たして、このアルバムを最後にイ・ジョンヒョンと所属レーベルとの契約が切れ、韓国国内の音楽活動は一旦終了したという。今後は日本や中国を中心に活動するという話であるが、また前述のラジオ番組内でもジョンヒョン自身が第6集は来年以降に、とは語っているが、国外での活動はゼロからのスタートと同義であり、それゆえに日本での次回作がどうなるのか目が離せない。

 

 

 

 ● 始まりがあって終わりには

 この入手困難な韓国盤第1集は、オークションでも相場が高騰してしまったが為に、入手を諦めていた。第3集と第4集でさえ結構なプレミアが付いた価格で落札したのだが、第1集の相場は、それを遥かに上回るのである。しかし、国内盤ミニアルバムの『Dato 〜パックォ〜 を聴いて考えが変わった。やはりオリジナルを聴かねばならぬ。第1集は原点であり、原点に戻らねばイ・ジョンヒョンについての真の理解は得られぬ。韓国料理を和風だしで薄めてはいかんのではないか?  と言う事で、時間はかかったが幸運にも第3集や第4集より安い価格で入手できたのだった。

 

 記念すべきイ・ジョンヒョンのこのデビューアルバムは「大衆テクノ」だそうだが、比べてみれば他の5枚の中では、全体として最もヨーロッパのテクノに近い印象を受けた。第2集もこれと同じプロデューサーだそうだが、少しイメージが違う気がする。イタリア語とミックスした造語で始まるのはお遊びとしても、実にユニークな構成だ。

 さて、問題の『パックォ』であるが、これはやはり素晴らしい。何か只ならぬ事が起こりそうな予感を煽り立てるサイレンが鳴り響き、バスドラが恐ろしく単純で明快なリズムを刻み始める。浮つかず、沈み込みもせず、ただひたすらに粗野で、投げ付けてくる原始的なリズム。冷たく、青白く立ち昇る緊張感。何かを掻き立てられ、せき立てられるような緊迫感。他に類を見ない名曲だと思う。

 続くタイトルは、お馴染みの『ワ−come on-』だ。この曲は、しかし曰く言い難い不思議な音楽だ。題名や歌詞によると失恋モノだという事になっているが、実際のところそれは標準的な外形を与えられているに過ぎず、特定の気分・感情のみを色濃く表現したものとは言い難いのである。それは、韓国語の知識が無く、また日本語よりも強い語調が為に悲嘆的な印象を受けにくい事にも起因するのであろうが、それよりもこの音楽自体が標題性や描写性よりも寧ろ絶対音楽としての魅力を保有しているに他ならないからではないだろうか。このような性格は、このアルバム全体を通して貫かれているのだが、それが最も顕著に現れた傑作中の傑作だと思う。それゆえに、聴き手は固定的な感情に支配される事無く、幾度もこの曲の良さを堪能できるのだ。

 

 とベタホメばかり続いては李貞賢批判の題名が泣く。という訳でムリヤリあら探しをしてみると、この『ワ−come on-』ボニー・タイラー『HERO』(麻倉未希が日本語カバーしていた。)にソックリ、と私には聴こえるのだ。そりゃオマエの耳が悪すぎる? その通りなんだが、前半の「・・・アップルテニカ」に至るまでの部分が、構成と言いリズムと言い、とても似ているような気がするのは私だけだろうか?

 イタリアのDJ SAKIN & FRIENDS『Protect Your Mind』との類似性を指摘する声もあるようだが、こちらの方はイントロだけなので他人の空似程度だと思うし、寧ろホルスト組曲『惑星』の中の「木星」第二主題(平原綾香がカバーした『JUPITER』で有名)に似ているのではないか?

 しかしながら、『ワ−come on-』は毎日幾度となく聴いているが、『HERO』を毎日聴く事は、無い。

 

 さて、このCDの他の収録曲についてだが、どの曲についても上にも書いたとおり特定の気分・感情を強くは表現してはいないように思えるのである。『GX339−4』をはじめとして、『Bird』『Ca tient moi』『ティナセ』などを聴いていると、音の波に呑み込まれて平衡感覚を失い、不思議な浮遊感に包まれるのだ。

 

 ふとチャイコフスキ−が交響曲第4番について、彼のパトロンたるフォン・メック夫人に書き送った書簡を思い出した。その中で、第3楽章について次のように書いている。

「・・・(略)・・・少しばかりのワインを飲んだときのほろ酔い気分なのです。その幻想の中で飛び交う気まぐれなアラベスク、何かよくわからないものの像、束の間の幻影。その気分は楽しいわけでも悲しいわけでもありません。・・・(中略)・・・そして幻想は奇妙な画面を次々とつくっていきます。・・・(略)・・・」

 

 ジョンヒョンのこれらの曲を聴くと、前後左右の空間認識を失ってふわふわと重力の感覚すら奪われてしまう。眼前に広がる宇宙的に広大な空間、そこでは無数の光がゆっくりと明滅を繰り返し、あらゆる物体の質量や大きさといった物理量は一切意味を失い、時間さえもその存在をあやふやにする。現実とも幻想ともつかぬ世界、ただ他次元的世界を夢想がその翼を美しくひるがえして飛翔するのだ。やがて、その大きなうねりに委ねていた体は、ゆるりと左右に揺れ始め、その振幅を拡大してゆき、ひときわ左に大きく傾いたかと思うと、椅子から転げ落ちそうになって目が覚めた。あーー、良く寝たわい。

 

 ついでに、国内盤ミニアルバムについて触れておこう。

 先に「韓国料理を和風ダシで薄めた」とは書いてしまったが、国内盤だけを聴いている分には何の不満も無い。寧ろ、音楽としての旨味はこの方が引き立っているかも知れない。

 『WA−come on-』は原曲よりもすっきりしていて、歌詞の内容からすれば日本語バージョンの方がしっくりくるような気がするし、『GX339−4』『夢』も全く原曲の雰囲気を損なっておらず、音楽の意味は日本語バージョンによって初めて理解できたような気がする。

 ただ、『Dato 〜パックォ〜 』だけは原曲を知らなければこれでも良いのだが、やっぱり韓国語バージョンの独特の緊張感は薄れてしまっていることが唯一残念だ。

 

 ちなみに、録音はこれがジョンヒョンの全CDの中で一番良い。韓国盤にありがちな歪み感が無く、繊細で透明。と言っても、オーディオマニアに推薦できる程のものではなく、最近のJ−POPよりは遥かに良いという程度。

 韓国盤の中では、3集、4集、「Summer Party」が良い方である。

 

 

 続く


平成17年4月23日

 

韓国盤 第4集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3集

「Magic to go to My star」

 

 実践李貞賢批判   〜 イ・ジョンヒョンのCD第4集と第3集 〜

 

 ● シュトルム ウント ドラング

 今度はCDアルバム第4集「I Love Natural」である。それまでのアルバムとはかなり雰囲気が変わって、全体としてはある種のアクの強さ、と言うよりもテクノ色が薄められており、「Natural」という言葉に沿った内容となっている。

 

 それでも、『タラダラ』『アリアリ』といったPVが製作されている楽曲は、ジョンヒョンらしい大衆テクノポップとなっており、このアルバムを代表するにふさわしいスピード感に溢れている。この2曲は作曲者が異なっているのだが、曲調が良く似ており、最初は同じ作曲者によるバリエーションかと勘違いしたほどだ。PV込みで考えると、『タラダラ』などは中国風の舞台と衣装で長い布切れを両手に持ってクルクルと舞い踊る様は、見ていると吸い込まれるような透明感が有って秀逸。生ライブで見ると、見ている側も一緒にクルクルと回っているような不思議な浮遊感覚が味わえる。

 

 しかし他の収録曲は、『Q』『ミウォヨ』のようなジョンヒョンらしいアクの強い曲を除いては総じて軽快でハイスピードな曲だ。

 只、TRACK6『コハンニポム』と読むのか?)だけは理解不能である。幼児がオルゴールに合わせて、♪ナンナンナンナ〜♪と歌っているだけの曲なのだが、一体ナンナンダ〜?

tteokpokkiさんという方から、この曲は「故郷の春」という韓国の童謡との情報を頂きました。ありがとうございました。

 それを除けば、特に『Brighter than Sunshine』は日本人が参加している曲らしく、万人受けしそうな良質なポップスという感がある。

 

 この第4集のアルバムを聴き通してきて、ある言葉がふと頭に思い浮かんだ。

 『 Sturm und drang 』!! 

 通常は疾風怒濤と訳されるドイツの文学運動の事であるが、荒々しくも若々しく、自由闊達に、時に疾風の如き峻厳さで政治的メッセージを訴えかけるジョンヒョンの楽曲にこそふさわしいのではないか? 自らは現実且つ特定の政治的思想に与しないまでも、韓国総選挙のロゴソングに採用され、また一方では清々しい青春の息吹を聴衆の耳元にそっと吹き掛けるジョンヒョン。青春時代の一面としての疾風怒濤の如き奔放さを、見事に体現してはいないだろうか?

 

 個人にせよ、社会にせよ、それが成長過程を辿るとき、それまでの己の持つ観念が現実的障壁との衝突によってその純粋さが強調され、それゆえに時には未熟さとなって自身の脆弱さを露呈させる。そして脆化された精神の行き着く先は、寛大と言う名の日常化の容認であり、さりとてそうした障壁との衝突の回避を試みたところで、やはり無垢なるが故に精神的敗北者というレッテルを貼られる道しか有り得ない。その高邁なる目的を果たすには、観念の立脚するところを理解できるか否かが鍵であって、決して他者の存在世界に影響されはしない筈であり、加えてその現実的障壁とは存在次元が異なる事を理解しなければならない。さもなければ、この大地に成熟が豊潤な恵みをもたらす事無く、荒涼たる原野へと滑落して行くほかは無いと思うのだが。

 

 話が逸れてしまったが、さてテクノ調が影を潜めつつあるジョンヒョンは、今後どんな展開を見せてくれるのであろうか? 成熟か、それとも...

 

 最後にもう一曲、このアルバムの私的注目曲『Believe』について書いておきたい。

 肩の力が抜けたジョンヒョンの自然なボーカルは、まるで怒濤の嵐吹きすさぶ原野にひっそりと咲き誇る一輪の可憐な花のようであり、この上なくチャーミングである。穏やかに、しかし微かに煌めきながら野に彩りを添え、やがてメランコリーな響きを駆け上がる音階に載せて空の彼方へと消えて行く。はかなくも美しい一曲だ。

 

 続く『Sun flower』も同様の佳品だが、こちらはもう少し普通のバラード調になっており、それだけに何もジョンヒョンが歌わなくとも、の感が漂う。

 

  尚、このCDにおまけとして2年前の曜日を知りたいとき、直ぐに役立つベンリな2003年のカレンダーが付属しているのも嬉しい?!

 

 

 

 ● ジョンヒョンは、K−POP界のマーラーか?!

 再びCDアルバム第3集「Magic to go to My star」について触れておこう。

 イ・ジョンヒョンの特色についてはこれまで書いてきたように、アクが強く歌謡性に溢れ、時には崇高ささえ漂わせながらも、視覚的にも飽きさせない多種多様性にあるのだが、このアルバムこそ、ケレン味たっぷりで味の濃いジョンヒョンの持ち味が高度に結実した傑作ではないか?

 

 まず、導入部に於けるオーケストラの響きに驚かされる。ワーグナーか、マーラーか、と思う間もなくスターウォーズ的映画音楽風へと変化して行き...マーラー!!

 

 グスタフ・マーラーは大作の交響曲で知られる大作曲家であるが、イ・ジョンヒョンとは奇妙な共通点が存在することに気が付いた。(勿論、ジョンヒョン自身は作曲まではしていないのは百も承知である。)

 崇高で美しい音楽に、突如として卑俗な旋律が侵入し、衝突を起こすマーラー

 楽器にカウベルまで持ち出して、ケレン味たっぷりに歌謡に富んだ音楽を書くマーラー

 西洋音楽に東洋趣味を融合させようとしたマーラー

 楽譜に、微に入り細に至るまで事細かに演奏者に対する指示を書き込む、完全主義のマーラー

 対して、その音楽的特質については何度も書いている通りであり、それに加えてアルバムのコンセプトやライブの際にはあれこれと注文をつける事でも有名なイ・ジョンヒョン

 実に奇妙な一致ではないか?

 

 とこじつけにもムリヤリ感が漂ってきたところでこのアルバムの収録曲についてだが、いずれも秀作揃いだ。ティルオイレンシュピーゲル(マーラー作ではない。)を思い起こさせる小悪魔的ないたずらっぽい曲想がユニークな『スリスリマスリ』と奇矯な旋律の『ナンヂュクジアナ(I'll never die..)』(題名がハングルの為、読み方がよくワカラン。)。この最初の2曲だけで、聴き手は濃〜いジョンヒョン世界に叩き落される。

 そして、ピピピ、ピピピ...と、ウチの風呂の “あと5分でお風呂が沸きます。”という人工音声のお知らせアラームと全く同じ電子音(※注)で始まり、女性のすすり泣きで終わる『Crying in the millor』

 

※かくの如き事象は一般に「単なる偶然」として定義されるのだろうが、おおよそ偶然性とは異なる事象間の因子結合について何らの相当因果関係を見出す事が不可能な場合にのみそう表現できるのであって、一見我が家の風呂湯沸し器に内蔵されたピエゾ効果の発するところの一物理現象に過ぎない音波が、ジョンヒョンの存在する「場」と呼応して相関関係を生み出しているという蓋然性を悉く否定する理由は全く見当たらない、と考えるのは単なる思い込みだろうか?

 

  さて、次はイ・ジョンヒョンの作品中、最もデーモニッシュで劇的な迫力に満ちた『ミチョ』である。弦楽合奏と共に、女声コーラスが静かに憂鬱で彩られた階段を降りてくるところからこの名曲は開始される。そして幾度かの上昇を試みるも再び沈静した後、数回の軽い衝撃を与えて一転、重々しくもリズミカルな主旋律が始まる。“ミチョ“や“バチョ”と歌う箇所の強烈なアクセントは、激烈な感情のほとばしりか? それとも悲嘆のやるせない叫びか? かつて存在し得なかった烈しい印象を、強靭な鋼のような強いリズムに乗せて心に刻み付けてゆく。そして痛切を極めながら音階は徐々に下降してゆき、一転仄かな諦念を漂わせる小結尾の後、RAPの間奏へと移ってゆく。その後再度主旋律に戻り、盛り上がりを繰り返した後、今度は余韻を残しつつ冒頭の憂鬱が再び現れ、壮絶な最期を予感させるかのように強いリズムを短く刻んだかと思うと、一閃の灼けつく様な悲痛な叫びを上げて、この一大悲劇は幕を閉じる。

 

 爆音や航空機無線のような効果音が切迫した雰囲気を高めながら始まる『No more terro』は、その題名が示すとおりメッセージ性の強い曲である。この曲もまた、第2集『ピョンファ』と同様に厳しい表情の音楽であるが、一切の音楽的楽しみを孤高なまでに拒否しつくした『ピョンファ』とは異なってもう少し親しみが持てる。

 しかし、独特の緊張感が素晴らしく、名曲のひとつに挙げて良いだろう。

 

 また、このアルバムには『Surprise Party』『パン』といった毎度お馴染みダンスミュージック色の強いナンバーも収められており、このような曲はつべこべ言わずに弾力に富むリズムに身を任せるのが良い。特に前者は僅かに憂愁を含んだ旋律が用いられている点で、私の好みとも合っている。

 

 収録曲の最後は、『Frebch Kiss』だ。どこかで聴いたようなイントロ(レベッカに似たのが有ったような気が...)で始まり、連符でアクセントを幾度か与えた後、旋律が上昇と下降を忙しく繰り返す。今度は息の長い上昇の後、下降音階が深く沈んで行く。その間、リズムはあくまでも軽く弾みながら、感情が殊更に憂愁の淵に囚われないように巧みに防いでいる。

 注目すべきはラスト近くのメロディに対位法的取り扱いが見られる事で、さすがに「K−POP界のマーラー」の面目躍如たるところだ。(←まだ言ってる...)

 

 尚、このCDのリーフレットは人形型や鍵穴型にくり抜いたりして、とても凝っているのだがやっぱり意味不明。バービー人形をあしらったデザインと相まって、オトナが所有するにはとても恥ずかしい仕上がりとなっている。

 

 ちなみにオーディオ的には、痩せすぎず、歪み感が少なく、「Summer Party」と並んでバランスの良い録音だ。イ・ジョンヒョンの韓国盤CDに共通の、ボーカルが時として鋭く耳に突き刺さることがあるのは録音のせいではなく、ジョンヒョンの声質によるものだという事はナマで確認済み。

 

さて、ジョンヒョンの韓国盤は、あと第1集さえ入手できれば全て揃うのだが、最も入手困難で、オークションでは相場が高くなりすぎて、おいそれと手が出せるものではなくなっている。しかし、国内盤のミニアルバムを聴いてしまうと...

 

再び私の目の前にメフィストが現れた。そしてまた例のセリフを...

「ヘレナに現を抜かした者は、たやすく正気に戻る事などできぬのだ。」

 

 


平成17年4月7日

 

韓国盤 第2集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Summer Party」

 

 

第3集

「Magic to go to My star」 

 

 純粋李貞賢批判   〜 イ・ジョンヒョンその2 〜

 

 ● 峻厳と皮相のはざまに

 下に述べた通り、イ・ジョンヒョンの最大の魅力は、その1曲ごとに千変万化する多彩な表情と、プロモーションビデオで観る事のできるアーティスティックなパフォーマンスである。

 しかし、この第2集のCDを聴いていてどうにも合点が行かぬ。

 それは、トラックFの「クンナッソ」である。曲の冒頭から、何やら軽々しい雰囲気のこの曲は、何処かアニメのテーマソングを思わせるではないか。実にリズミカルで、その点では悪くは無いのだが、このアルバムの前半に収録されている曲とはまるで統一感が無い。第3集以降のアルバムでも概ね同傾向なのだが、前半はイ・ジョンヒョンならではの或る種アクの強い韓国大衆テクノ歌謡。後半はもう少し普通のポップスやRAP、ダンス系の曲が収録されている。

 だが、この「クンナッソ」のサビはどうだろう? “I want you...”ではあまりに皮相的過ぎるではないか。

 

 「ピョンファ」から始まる、実に峻厳たるメッセージ性の強さ。茫洋とした心象風景に豊かな詩情が滑らかに流れていく「Feel Me!」。 「ノ」に溢れている異国情緒(エジプトにインドが混ざっているし、PVで観ると、トルコまでもが一緒くたになっているように見えるのはご愛嬌か?)。エキセントリックな曲調の割りに意外とファンの多い「チュルレ」

 中でも、「夢」は素晴らしい。たおやかに風が吹き渡る草原を、はかなくも脆い詩情がゆらゆらと天に向かって立ち昇ってゆき、やがて雲の間から差し込む陽光のごとく大地に向かって降り注ぐ。そこには曖昧さなど微塵も無く、これ以上無いと思える程の峻厳な表情と、疾風が如き精神速度を以って天から駆け下りてくるのだ。まことに純音楽的潔癖さと詩情を兼ね備えた佳曲と言えよう。

 

 事ほど然様に素晴らしい楽曲揃いの前半と比較すると、やはり「クンナッソ」が極めて軽薄な印象を与えてしまう事は免れない。

 思うに、ジョンヒョンならではの特色が強く出た曲調においては、聴き手の聴覚神経伝達路から新大脳皮質に至るまでの受容領域が、その事物の一面のみを捉えるだけでその多様性を理解せんとする想像力がもたらす、演劇的とも言える視覚的心象風景の想起によって、むしろ狭矮化させられてしまうのではないか?

 現代音楽(と言ってもクラシックの世界であるから、流行歌の世界に比べると時代的には相当に古いものも含んでしまうが。)を理解するには「解放された知覚」が必要だと語ったドイツの音楽批評家(名前は失念した。)が居たが、この場合或る特定の知覚現象を受容すべく解放した知覚そのものが概念の具象化過程に於いて、同種の知覚によりながらも異なった概念による抽象化現象を否定してしまうというコンフリクトが生じているのである。

 その結果、峻厳なるものと皮相なるもの、崇高なるものと卑俗なるものとの対比が一層鮮やかに存立することになってしまったのは、皮肉な事であろう。

 

 元来、歌謡的な音楽に惹かれる事の多い私個人にとって、ジャズ・ロック、ダンス・クラブハウス系やヒップホップなどの音楽は全く異質且つ無縁なものであり、その種の音楽に呼応する受容領域を保有していないとすれば、同アルバムの「チャルモッコ チャルサララ」のようなロック調あるいはラップ主体の楽曲について前述のような問題は起こり得ないのであり、だからこそ「クンナッソ」の違和感が際立ってしまうのは当然の成り行きなのだ。

 そういう事情で、アルバムとしての統一感だけで言うと、第1集・第3集・第5集辺りの方が良く出来ているような気がする。(収録曲の出来とは別問題。)ついでに言うと、このCDはご覧のとおりジャケットが。ディスク自体も金色となっているがゴールドディスクではなくただ単に着色しただけの金色!! なのである。

 うーーーむ、何ちゅう事を...

 

 

● 私は罰を受けている...

 イ・ジョンヒョンや同種のアーティスト(同種ってどういうのかよくワカランが。今のところジョンヒョン以外に興味は無いし。)のCDを、韓国のCDショップのレジに差し出すことは、「罰ゲームみたいなもので、日本で言えば「モー娘。」やその派生ユニットのCDを買うのと同じようなもの」、と書いてあるHPを見たことがあるが、左写真のアルバムのジャケットはご覧の写真のとおりである。

 実物を見ると、もっと恥ずかしい。リーフレットを見ると、もう立ち直れない。加えて、第3集のジャケットも左下の写真の通りである。このWパンチは正直言って、かなりキョーレツだ。

想像して頂きたい。このようなモノが40歳独身男の部屋に存在している風景を。相当キモいのではないか? 私はこれから先、一生この事実を他人に知られないようにひっそりと生きて行かなくてはならないのだ。

 大体が、もう25歳の女性を異性として見ることが難しい年齢になってしまったのだし。例えて言うなら、「我が娘の成長を喜ぶ父親の心境」か? ああ、ますます結婚から遠ざかっていく...

 などと幾ら有意識下の自我の投影面的存在として主張してみたところで、「Summer Party」付属のメイキングビデオをニタニタ薄ら笑いを浮かべながら食い入るように見つめているようでは、それがフロイト的本質分析を待つまでも無く、防衛機制の強力な保護下に置かれた超自我を衆目に晒しているに過ぎず、充分な反証性を獲得するに至っていない事は明らかなのである。

 かくして、残りのCDを入手すべく今夜も入札の嵐...

 

 ちなみに、「Summer Party」収録の楽曲については、うーーーん、ソコソコ歌謡的で楽しい音楽に仕上がっていて悪くはないんだけどねぇ〜。上述のようにダンスミュージックに関心が薄いもので、毎日聴きたいとは思いませんです。「ワ」「パックォ」、「ミチョ」は毎日最低3回ずつ聴いているんですケド。

 でも、付属のVCDは第4集までのプロモーションビデオが全て収録されていて、おトク。

 お宝です。

 


 平成17年3月6日

国内盤「HEAVEN」

「ワ-come on-」

 

韓国盤 第2集

 

韓国盤 第5集

 

※ 文中の「バックォ」

  と「ミチョ」は、写

  真のアルバムに

  入っていません。

 

TECHNO IS NOT DEAD !! 〜 イ・ジョンヒョン 〜

 

 イ・ジョンヒョン (李 貞賢、Lee Jung Hyun)

1980年、韓国の生まれ。女優、歌手。

1996年に映画「花びら」でデビュー。その後、1999年「ワ−come on-」で歌手デビュー。以来韓国で発売された5枚のCDアルバムの売上枚数は600万枚とも言われている。

 

 韓流ブームである。韓国映画の人気は高く、TVドラマでは「冬のソナタ」をはじめ放送されている韓国ドラマは高視聴率を誇っている。歌手・芸能人もユン・ソナやBoAなどが日本で活躍している。

 しかし、私には全然関心が無かった。唯一「冬ソナ」の主題歌、何て言ったっけ? 「いつもここから」だっけ? それじゃお笑い芸人だ。とにかく、あの歌は良いと思った。

 

 だから、2004年のNHK紅白歌合戦もRYUの出番の時は見ようと思った。それ以外は、出演しているJ−POPや演歌の歌手に興味は無いので、裏番組のTV東京系のもっと古い歌謡曲に見入っていたのである。

 それでRYUが歌う頃合を見計らって、チャンネルをNHKに合わせたのだった。すると、少し時間が早かったのでRYUの前に歌う赤組の歌手が紹介されていた。同局で放送している韓国ドラマ「美しき日々」にも出演しているとのことだが、私は良く知らなかった。

だが、その韓国人女性歌手がステージ上に白い衣装を纏ってしゃがみこんだ姿勢から歌いだした瞬間、その声と曲に釘付けにされてしまったのだ。

 

 何という透明感!! 哀切極まりない旋律!! 

 

 そして、ワンフレーズ歌い終わるとすっくと立ち上がり、脱ぎ捨てた白い上着の下から現れたのは韓国風とも中国風とも、当然和風とも若干異なりはするが、紛れも無く東洋風の黒い振袖の上着に、下は左側面にに深いスリットが入った赤いロングスカート。長い黒髪に頭頂部にはやたらに長いかんざしが一本。東洋風のイントロが流れ出すと4人のバックダンサーに前後を挟まれながら激しく踊り出す。左手小指を口の前に当てて、右手に持った大きな扇を振り回しながら歌い、美しい黒髪を振り乱しながら踊り狂う。これはパフォーマンスとしても面白いし、楽曲としても私好みであり、注目すべき存在だ。この時はそう思った。

 しかしながら、その時点では「注目すべき」程度であって、決してそれ以上深追いしてこの歌手を調べようとか、CDを探して買おう、などとは考えなかったのである。当然彼女が本国では「テクノの女王」と呼ばれるスター歌手である事は知らなかったし(仮に知っていたとしても何の事は無かったと思うが。)、あまつさえ「小指マイク」にすら気付かなかったのである。

 

 さて、年は明けて2月になって、紅白歌合戦の事などすっかり忘れかけたときにその衝撃はやってきた。以前からTV東京系のバラエティー番組「たけしの誰でもピカソ」は定期的に昭和の歌謡曲を取り上げるのでたまにVTRに録画して見ているのだが、私の住んでいる地域ではローカル放送局のため、東京や大阪よりも放送が遅れるのである。

 この日は、渚ゆう子が出演する筈だと睨んでVTR録画をセットしておいたのだが、いざ帰宅してプレイバックしてみると、韓流特集ではないか! 1週間放送日がズレていたのだ。しかし、紅白に出ていたイ・ジョンヒョンがゲストだ。韓国ドラマやペ・ヨンジュンには興味は無いが、音楽は好きなのでそのまま見ることにした。

 そして、イ・ジョンヒョンの罠にまんまと嵌められてしまったのである。

 

 この番組で、初めて上記の経歴や歌手としての実績を知ることとなった。もちろん小指マイクの事も。

 しかし、私を虜にしたのは、情熱的歌唱とともに楽曲ごとに千変万化のパフォーマンスを見せる歌手が、番組の中では至って普通のお嬢さんといった風情である事だった。歌手の時の顔と素顔、このギャップの大きさこそが最大の魅力なのだ!!

 冷静に考えれば、それは演出の一手法であって、「静と動」の対比によって視聴者に日本進出を目論むこの女性歌手を印象付けんが為のあざとい策略かも知れない。「対比」或いは「コントラスト」の強弱は注目度を決める要素なのだ。だから、彼女が物静かに語る姿も真の素顔などではなく、これもまた演技であろう事は想像に難くない。何しろ、デビュー作の映画「花びら」では、ホームレスに何度も 18禁 される気がおかしくなった少女の役だったらしいので、本当はかなり根性の座った性格ではないか?

 

 それでも、イ・ジョンヒョンのパフォーマンスは素晴らしい。他の韓国ポップスについては全然知らないのだが、それでも大体が日本のやや以前のJ−POPに似ている(韓国が日本を真似たのか、日本が韓国を真似たのか、それとも民族が近いせいなのか?)ものが多い事ぐらいは知っており、私にとっては元々受け入れやすいタイプの音楽だったのであろう。ただ、日本よりは概ね感情の起伏をストレートに表現する傾向があり、それは民族固有の特徴かも知れない。

 そういった特質を備えたK−POPの旋律を、彼女は「テクノ・ビート」に乗せた。それを、彼女自身のアイディアが生かされたコンセプトに則ってダンスし、パフォーマンスして見せる。その結果、テクノの無機質な律動を、情熱的で歌謡的な旋律が彩る独自の世界が生まれたのである。

 しかしそれは同時に、エキセントリックがゆえにヴィジュアルが表現の相当量を担ってしまっている事と、この日本で果たしてかの国のような情動的表現が受け入れられるか否かの危険性との2つの問題を抱えることになる。

 TVドラマ挿入歌の「HEAVEN」はともかく、日本語バージョンの「ワ-come on-」は、これだけ見ていると充分に韓国的なのだが、韓国版と比較するといかにも日本的な薄味の味付けに変えているのだ。曲終盤のラップは、日本語バージョンでは「Back to my fantas

y・・・」などとまだ平穏な口調だが、オリジナルでは「どうして私を捨てた。戻って来い。」と扇を振りかざしてわめき、責め立てる。ダンス自体も脚を踏み鳴らすかのような激しさだ。

 恐らくは、上記の「素顔と歌唱のギャップ」と同様に、日本進出にあたっての大多数の日本人の好みを意識しての結果だと考えられるのであるが。

 

 彼女の情熱は、赤い。唐辛子の、キムチの。そして、血の

 「ミチョ」の、冒頭から静かに崩れ落ちるかのような下降旋律が、サビの部分ではステージを叩きつけ、嘆き、哀願へと変貌してゆく味わい。

「パックォ」の有無を言わせぬエネルギー感。

 一方、「チュルレ」ではバービー人形になりすましての諧謔味溢れる表現。

 例えマドンナの模倣と言われようと、どんなにエキセントリックであっても、「ヒョニー・オリジナル」に他ならないのだと思う。

 

 私が好きなキムチは、あっさりして食べやすい日本製の方なのだが、イ・ジョンヒョンに関しては韓国そのままであって欲しいと切に願う。できれば、韓国盤をオリジナルそのままで発売して欲しい。多少すっぱくても、刺激が強すぎても、それが韓国なのだから。

 

 


 平成15年9月9日

 

 

 

 

 

 

1976年盤(レガリア盤)

 

 

1971年盤(HMV盤)

1984年盤

 

カラヤンのチャイコフスキー「悲愴」比較

 先月発売の「レコード芸術」誌9月号に、名曲名盤の紹介が掲載されていた。そこの、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」ではカラヤン=ウィーンフィルのCD(1984年録音)がベスト3に選ばれていた。以前 オーディオ遍歴にも書いたが、クラシックに取り憑かれるきっかけになった曲のひとつである。

 当時友人に聴かせてもらったのはカラヤン=ベルリンフィルの1964年録音で、後に自分で買ったミュージックテープは同じくカラヤン=ベルリンフィルの1976年録音だった。 カラヤンは「悲愴」を7回録音しているらしいが、私が現在所有しているカラヤンの「悲愴」のCDは1971年、1976年、それに1984年盤の3種類である。 ここで、改めてその3種類の演奏を比較してみた。

 

  【疾走するカラヤン】・・・1976年盤 オーケストラ:ベルリンフィル

 よく言われるようにカラヤンの演奏の特質は、徹底的に磨きぬかれ、洗練された美しさである。ここでのカラヤンは、この曲の持つ暗さをただひたすらに前面に押し出すのではなく、あくまでもオーケストラの機能を存分に発揮した、研ぎ澄まされた形式美を聴き手の前に展開してゆく。

 第一楽章冒頭の陰鬱たるファゴットのつぶやき、同じ楽章の崩れ落ちるような弦による第二主題、いずれも感傷に縛られる事の無い美しさが夢のように過ぎ去ってゆく。それは、一種リズミカルとすら言えよう。だが、決して無味乾燥なのではなく、曲の持つ感情は最低限に表出させながら、細部に至るまで表情を描き出して見せるのだ。

 第二楽章についても同様で、うねるような悲しみは沈みこまず、また浮かび上がりもせず、常に感傷の淵の水面を漂い続ける。 実にカラヤンの凄さは、この絶妙のバランスにあるのだと思う。音楽の表情・特質を失わずに、聴衆に管弦楽の素晴らしさを堪能させてゆく。

 カラヤンは「指揮とは、オーケストラを“ドライブ”する事なのだ。」と語っていたそうだが、まさしくこの演奏でのカラヤンは、感傷という名の草原を、軽快に颯爽と“疾走”していったのだ。

 

   1971年盤 オーケストラ:ベルリンフィル

 大体の演奏傾向は1976年盤と同様だ。録音のせいか、1976年盤ほど細部の描き出しが徹底していないように思える。その分、エネルギッシュと言えなくもない。カラヤンの悲愴の中で、これを一番とする方もいるようだ。

 

   【カラヤン芸術の集大成?】・・・1984年盤 オーケストラ:ウィーンフィル

 これは冒頭からして今までのカラヤンとは異なる。暗鬱な世界に聴き手もろとも引きずり込み、決して放さない。第一楽章第一主題で弦が嘆いた後の一瞬の間、ホールの残響が広がりながら消えてゆくのと同時に出現する恐ろしいまでの憂鬱。そこには、かつてのように軽快な身のこなしで、溌剌としたカラヤンは既にいなかった。晩年のカラヤンに、どういう心境の変化があったのか、それは知る由も無い。 しかし、この演奏には同時に、この曲の持つ感傷に浸っているだけではない、洗練され磨きぬかれた美しさがある。聴き手は、一種異様なまでの憂鬱に引き込まれながらも、音色の美しさ、チャイコフスキーの管弦楽法の素晴らしさを味わう事ができるのだ。 野心家であり、稀代のビジネスマンでもあったカラヤン。ベルリンフィルという手兵をもって確実にコントロールしつつ、正確にスコアを描き出すことに長けたカラヤン。だが、心底表現したい音楽は、ベルリンフィルと決別したその時に初めて実現したと仮定するなら、実に人生の皮肉であったと言わねばなるまい。

 

 以上、3点でどれが良いかと言えば好みの問題であるが、やはり1984年盤の演奏を採りたい。録音は低音不足故に第3楽章などは物足りなさも残るが、演奏には引きずり込まれてしまう。もっとも、他の盤も録音はオーディオ的に見れば、感心はできないのであるが。

 録音だけで言えば、ビシュコフやゲルギエフなどの方が良いが、ビシュコフの演奏はやや薄味。ゲルギエフは反対に表情が濃すぎて違和感を感じる。

 ムラヴィンスキーは純音楽的表現であっさりしすぎて、ドラマ性を期待する私の好みではない。

 今度はフリッチャイも聴いてみたいと思う。

 

 


平成14年11月27日

 

 

久しぶりに購入したAD

 昭和63年ごろにノンサッチの現代音楽のADを処分特価で購入して以来、ADは買ってませんでした。それどころか、ここ数年は年間を通してADを聴かなかった年もあり、更にはCDすらほとんど買わない年もあった程です。

 しかし、オーディオを復活させた最近はやっぱりADを聴きたいと思うようになり、今年は秋になってから遂にカートリッジを買い換えてしまいました。そのきっかけになったのがこのADです。筒美京平ファンの間では名盤として有名な岩崎宏美の「パンドラの小箱」。たまたま覗いた日本橋の中古レコードショップで偶然見つけました。タスキまで付いて800円!!これは買わねばなりません。今更ADを買うのか?という点に引っかかるものがあり、2,3日躊躇しましたが結局買ってしまいました。

 盤質良好、録音もシンバルのハイハットが強調され過ぎている気がしますが、歌謡曲としては良い部類です。最近のJ’POPのCDでは聴けない、目の前がサァーッと開ける感じの音と音場が聴けます。買って良かった!!

 音楽の方もなかなか良いのですが、世間で言われるほどピンと来るものがなかったのは残念。第一、岩崎宏美の声は元々好きじゃなかったのよねぇ〜。

 これに味を占めて、その後も中古のADを漁ってはおりますが、昭和40年中盤から50年代初めの頃の歌謡曲のADって結構プレミアが付いてるんですよ。まあ、来年暖かくなったら、またADを始める事にします。

 


平成13年12月2日

 

 

昭和40年代後半の歌謡曲っていいなあ〜。

  歌謡曲やフォーク、ニューミュージックを好きになったのはいつ頃からでしたか、それは多

分10年位前だったように思います。何がキッカケだったかはもう記憶の彼方へと霞んでし

まいましたが、とにかくその頃からレンタルCD等で聴きまくってきました。とにかく美しい

メロディと確かな構成を兼ね備えた曲や、ちょっと風変わりな味を持った曲が好きでした。

暗く哀愁を帯びた中島みゆきや森田童子なんか大好き!!そういう好みからして、比較

的暗い曲が少なくなった80年代以降の曲より、70年代とそれ以前の流行歌に関心が向

くのは当然の成り行きというものです。

  それと、もう一つは筒美京平の存在です。大橋純子の「たそがれ マイ・ラブ」、これはヒッ

トしていたリアルタイムではなく、今から7〜8年位前に改めて聴いた時にその哀愁を帯び

つつも美しいメロディに心奪われてしまいました。それで、一体誰が作曲したのだとクレジ

ットを見るとそこに筒美京平の名が。それで筒美メロディの虜になってしまいました。

  前置きが長くなってしまいましたが、「GOLDEN J−POP 1973−74ベストヒット集」

このCDには全22曲中、6曲が筒美京平の手になるもので、いずれも名曲です。中でも、

朝倉理恵の「あの場所から」は当時ヒットしていた記憶が有りませんが、筒美ファンの間

では有名な佳曲です。この曲が収録されているから、このCDを買ったのです。他には、

筒美作品ではありませんが大信田礼子の「同棲時代」森田公一作品など、歌謡曲の

一時代を築いたメロディメーカーの作品が目白押しです。

  と言った訳で、このCDは私のお宝となりました。

 


平成13年7月29日

 

 

探していたCDを入手。

7月11日付けのこの欄で書いたC−C−B ベストセレクションのCDをゲット。日本橋の

中古コーナーで「C−C−B single Collection」を1,260円で発見。定価2,000円の

盤なので、疚しげ基準としては少々高いが、思い切って購入。

やはり名曲揃いで、買ってよかった。録音は曲毎にバラツキがあって、全体としてはハイ

上がり。優秀とは言い難いが、まあ良いんでないの。 

 

 


平成13年7月21日

 

 

 

 

 

 

  

  7月15日放送「題名のない音楽会」を見て。

先週の「題名のない音楽会」に、米良美一氏が出ていました。もののけ姫で一躍脚光を

浴びものの、最近はテレビではご無沙汰。

久しぶりに「もののけ姫」のテーマを聴いたら、随分声の張りとかツヤとか、力が無くなって

いるように感じました。「かんぴょう」あたりはなかなか良かったと思いますが。

 

思い起こせば、米良美一氏の名前を知ったのは、確か1996年の初夏だったと思いますが、

この「題名のない音楽会」で、出光音楽賞受賞の発表で出演されていたのを見たのが初め

てでした。その時の鮮烈な印象は、今でもはっきりと記憶に残っています。風貌は一風変わ

っているものの、日本にもカウンターテノールがいたのか、と。

で、その年の秋に車で営業中にたまたま聴いていたNHKラジオから氏の声が流れてきて、

着実に評価されつつあるのだなと感じ入っておりました。

ところが、その放送を宮崎駿監督が聴いておられたらしく、「もののけ姫」の主題歌を歌うキッ

カケになったとの事です。

ですから今でも、米良美一を育てたのはこの疚しげだ、と思っております!?

 

ちなみに、個人的には当代随一のカウンターテノールは、ジャヌカン・アンサンブルでおなじみのドミニク・ヴィスだと考えております。声のツヤはナンバーワン。「鳥の歌」だけの評価ではないですよ、もちろん。


平成13年7月11日

  

  とりあえず、今探しているCDはこれ。

C−C−B ベストセレクション 

懐かしい1980年代の雰囲気がプンプン。この年代特有のカラフルなサウンドに、

いかにも歌謡曲的メロディで甘ったるい感情をくすぐります。

作曲は筒美京平の手によるものが多く、氏のファンなら見逃せません。

 

欧陽 菲菲 ベストアルバム

え〜演歌かよ、と馬鹿にしないで下さい。日本人なら絶対演歌が好きな筈です。

ロックだ、クラシックだとカッコつけるのはおよしなさい。気取ってるあなたも年を重

ねれば自分に嘘がつけなくなりますよ。

「雨の御堂筋」(作曲はあのベンチャーズ!!)もいいですが、「雨のエアポート」と「夜

汽車」(もはや死語)が好きです。この2曲は、筒美京平氏。やっぱりね。

新品ならばどこでも手に入ります。レンタルもあります。でも、中古はなかなか出て

ないんですよ。

 


 

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