戦後60年の総括が不可欠

「戦後補償裁判の現況」からみた課題

     

                              横原 由紀夫         

一、戦争責任・戦後責任を裁かなかった平和運動を反省

 今、中国・韓国で反日デモが繰り返されるなど反日感情が高まっている。中国で起きている激しい反日デモが暴力化することについては認めることは出来ないが(いずれ沈静化する)、その点だけを日本側が問題にしていては本質的な解決は出来ないだろう(感情論に流されては駄目である)。反日感情が高まることにはさまざまな要因があり単純に断定することは出来ない。私たちは反日行動が起きたきっかけを率直に認識し、何故、中国や韓国に反日感情が存在するのかについて真剣に考えなければならない。

 今回、直接的なきっかけとなった要因は「戦犯を祀る靖国神社への小泉首相の参拝であり、島根県の“竹島の日”条例制定(領土問題の紛争地域化)であり、日本の過去の侵略の歴史を正当化し歪曲する内容の歴史教科書問題・・」である。

 反日感情の根底にあるのは日本が朝鮮と台湾を植民地として統治してきた歴史であり、中国大陸をはじめとするアジア地域を侵略し民衆に多大な被害を与えてきた歴史的事実にある。それに対して、日本政府及び政治家・企業が過去の清算をしてこなかった、市民の歴史認識の欠如―という事実が問題なのである。

 日本の平和運動(反戦・反核)は、ビキニ被災を契機に国民的運動として展開されてきた「反核運動(原水禁運動など)」が中心であったが、それに比較して「戦争責任、戦後責任(謝罪と償い)を追求する運動」が非常に弱かった。被害者としての立場をアピールする運動は拡大・継続したが、加害者としての立場を意識した運動が弱かったことを反省しなければならない。

 国際法上では、「戦争犯罪(平和に対する罪、侵略に対する罪、人道に対する罪)には時効がない」というのが通説である。当事者が清算しない限りいつまでも負債として残り、きっかけがあれば反日感情が噴出すことを覚悟しなければならない(相手の痛みを理解することが最も求められているのであり、その想像力の欠如が批判されているのである)。

 日本はドイツに比較して「戦後責任」を政府も企業も放置してきた。そのため、1990年代に入ってから「戦後補償を求める裁判」が各地で起きてきた。

 戦後補償裁判の現況から、“戦後60年とは何であったのか”を考え、今後の課題を提起する。

 

二、戦後補償裁判の現況と問題(字数に制限があるので共通する問題を要約)

 戦後補償を求める裁判闘争は、90年代に入ってから始まり、現在までに80件(控訴審を含めて、一部和解もある)を越えて争われている。

 広島高裁判決(西松裁判、三菱元徴用工被爆者裁判)を例にして、戦後補償問題に共通する事柄を考えてみたい。

 なお、戦後補償裁判の内容(争われている事項)は、「強制連行・労働」、「被爆者援護法の適用」、「従軍慰安婦訴訟」など中国人、朝鮮人(韓国)からの個人補償を求める事例が多い。

1.裁判における争点と問題(共通するもの)

 裁判における争点は、「事実認定:国と企業が行った行為を認定するか否か」、「認定された事実が不法行為と認められるか否か」、「企業の安全配慮義務」、「時効(消滅時効10年)と除斥期間(20年で時効)」、「国家無答責論:明治憲法下では軍の行為など権力的な行為について国家は責任を問われない」、「個人の請求権は国際法では認められていない:サンフランシスコ講和条約、日中共同声明、日韓基本条約などで放棄されているとの主張」などである。

2.裁判(法律)の壁

 被告人たる「国と企業」は、まず事実認定を否定してくる。そして国は「国家無答責論」を振りかざしてくる。法律的に大きな「壁」は、消滅時効(10年)と除斥期間(20年経過すればその責は問われない)である。すべての原告は、1950年代はもとより、80年代まで「個人補償」を求める裁判など想定も出来なかったし、国家間(国交の問題など)の関係もあり日本への渡航など出来る条件にはなかった。

 また、最近では、「サンフランシスコ講和条約(1951年)、日中共同声明(1972年)、日韓基本条約(1965年)」などで個人の請求権は放棄されている、国際法は原則として「国家間の関係」を律するもので個人の請求権は認めていない、として裁判官がはねつけるケースが多い。

3.西松裁判と三菱裁判の広島高裁判決は・・

<西松裁判(04年7月9日判決)>で広島高裁(鈴木敏之裁判長)は、請求を棄却した一審(広島地裁)判決を取り消し、請求通り原告一人当たり550万円、総額2750万円の支払いを命じた(高裁の賠償命令は初めて)。また、判決理由で裁判長は「強制労働は著しい人権侵害。時効の主張は正義に反する・・・。」として消滅時効(10年)を認めなかった。裁判長は原告らが置かれた実情に理解を示し、戦後補償を阻む「時効の壁」を乗り越えた判決は、各地の訴訟に大きな影響を与える可能性があり展望が開けた、と評価できる。強制労働の事実や安全配慮義務違反を認め、「日本政府の国策と企業の利潤追求の結果」だと指摘した裁判長の勇気ある判断は高く評価できる。ただ、強制連行の不法行為の除斥期間(20年)は法律論で適用した(認めなかった)。

 しかし、西松建設は「強制連行・労働はなかった」として上告した(最高裁の判断待ち)。

<三菱裁判(05年1月19日判決)>

 中国新聞社説(1月20日)は「在外被爆者に対して国に初めて賠償を命じた画期的な判決である」と言い切った。何故なら、7万人ともいわれる在韓被爆者のみならず、中国・アメリカ・ブラジル等に在住する被爆者すべてに影響を与えるからである。判決の結論は「一部勝訴」である。しかし、裁判長が事実に対し真摯に向き合い、その上で、これまで日本政府がとってきた政策(「被爆者はどこにいても被爆者」という当たり前の事実を認めず、国は損害に対して慰謝料を支払うこともなかった)が非人道的なもので許されないことを断罪した、という点は高く評価される(判決は179頁にも及ぶ大部のもの)。原告側は、被爆者健康手帳を取得できていない人もいれば、既に健康管理手当ての支給を受けた人もおり、状況はさまざまである。しかし、判決は一律に全員に対し慰謝料を支払うことを国に命じた(この点が画期的である)。また判決は、1905年以降の日本の朝鮮半島支配の歴史から、徴用の経緯に(一般的に)触れ、原告側の主張を事実として認定した。「国家無答責」については、一連の戦後補償裁判で国の責任を追及する上で大きな障害になっている。この壁は、2003年からようやく崩れだした(東京地裁判決、東京高裁判決など)。この点について広島高裁は明確に認定した。「明治憲法下においても限定された範囲内ではあっても個人の尊厳は尊重されていた・・。国家無答責という考え方に一般的な正当性を認めることはできないこと等からすれば、本件強制連行にかかる国の不法行為については、民法に基づいて不法行為による損害賠償責任が認められるべきものと判断する・・。」と被控訴人国の主張を不採用とした。

 問題は、「時効」、「除斥期間」であるが、今回の判決ではこの壁を乗り越えることはできなかった(判決文の内容は素晴らしいものがあるが、法律論の適用上の壁)。

 裁判という法律を扱う場では、この「時の壁」を乗り越えることは非常に困難を伴う、ということである。国も企業も「時効・除斥期間」という壁で責任回避を行っているのである(運動が破らなければならない壁である)。戦争犯罪には時効はない、とする原則からしても、戦争を推し進めた当事者に責任回避を認めるべきではない。戦争責任と戦後責任(謝罪と償い「補償」)を果たすことは、裁判にのみ任せられる事柄ではなく、政府・政治家、企業の責任を社会的に問うことであり、市民も歴史認識をきちんと持たねばならないのである。

 

 戦後60年を迎える現在なお、反日感情が強く存在し、反日行動が起こることの意味を、私たちは考えなければならない。

 裁判官も人である。判決は単に法理論(それも解釈によって分かれる)だけで書かれるものではない。社会的背景、状況と市民の意識を映す鏡でもある。

 戦後補償裁判も時間の経過に従いジグザグではあっても「法の下での良心と正義」をめざして歩んでいることは確かである。西松裁判も三菱裁判も大きな一歩を刻んだものと評価できる。しかし、被害者たちには時間的余裕はないことを肝に銘じておかねばならない。

 

三、課題と未来へむけて(平和を勝ち取るために)

 今、日本は、“戦後憲法は賞味期限が切れたから新しい憲法を”という動きが政治家の間で活発である。実際のところは、賞味期限が切れたのではなく、政治家や軍事産業が(謙虚さを失い)権威と利潤を確保するための「権力」を必要として起こしているのである。そして、このような動きが活発化した背景には、「戦争責任と戦後責任」を裁いてこなかった平和運動(市民意識)の弱さがある。被害者の立場に思いを寄せる想像力の欠如にある。

 広島は時代の節目ごとに「被爆OO周年」といってきたが、戦後の総括(日本の加害者としての側面)をきちんとしてこなかった、といえる。被爆地広島の特殊条件として止むを得ないとみるか、もうそれは許されないかとみるかは、今後の運動(反核運動)にとっても大きな意味を持つ、と私は考える。

 平和運動に参画してきた者として反省点と今後の課題を提起し討論を起こしたい。

 その一つは:「過去の清算」を求める運動が弱かったことを素直に認め、今後の課題を明らかにし、実現のために全力をつくすことである。その二つは:核被害者は広島・長崎だけではなく、世界に広がっている事実を認識し(世界のヒバクシャ)、連帯を強める運動と「核被害者の人権」を確立する運動の先頭に立つことである。この運動が「核時代(原子力の利用は危険な道であることを告発)」から「環境と人権優先」の社会へと転換させることにつながる。その三つは:日本の政策が危険な方向に向かっていることに対する批判と反対運動を強めることである。例えば、日本の核政策は核保有を目指す以外には考えられないものであり、核拡散に与える影響が大きいとの認識を持たねばならない。日本の政治と社会の進む方向は「武力による平和路線」であり、これを容認すれば市民の権利が規制され差別が拡大することは必至である。これを止めるために立ち上がる決意と覚悟が必要であり、アジアの民衆との連帯が不可欠である。企業の軍事化と武器輸出による利潤追求に対する批判を強めることが急がれる。行政(教育行政を含む)の横暴さに市民が批判を強めなければならない。歴史認識の歪曲、人権意識の低下(傷つけられた側の痛みを理解しない想像力の欠如した政治家・企業人・市民など)を批判する運動などなど。

 過去の清算を果たさないまま、経済大国・軍事大国となった日本全体の傲慢さに(国連常任理事国を狙う)反発が出ているのである(謙虚さを失ってはならない)。

 日本の将来を考えると「脱米(対米従属から友好関係へ)入亜」へ方向転換が必要である。そのために、いくつかの提起を行い運動の強化を図りたい。

1.「東北アジア経済圏」の構築を  将来はアジア連合へと

 日本の平和と安全を確保し経済的にも安定するためには、「日本・中国・韓国・北朝鮮・ロシア」が協力して「共存・共栄・共生」の道を歩む政策へ転換させる。

 米国の世界戦略は:(1)資源(エネルギー資源を含めて)の米国への集中、(2)食糧による支配、(3)資本の米国への集中、が基本となっている。そのために“グローバリゼーション”を推進し、“武力による平和路線(米国民主主義の押し付け)”を強引に進めているのである。日本は、「資源・食糧・資本」を東北アジア5カ国で共同開発・共同利用する関係を基盤にする(領土問題を紛争化しない)。

2.過去の清算を早急に果たすためにー政府・政党・企業の追及を強める

 “なぜヨーロッパ連合(EU)が実現したのか”を考えてみなければならない。西ドイツは戦後早くに「戦時災害保障法」を制定し、ナチス・ドイツの犯した過ちの清算に取り組んできた。政府(西ドイツの大統領演説を含めて、政府の姿勢が日本と異なる)・企業が協力して「謝罪と償い」を行っているのである(現在も継続中)。ドイツがヨーロッパ諸国の市民から信頼を得たからこそEUが実現したのである。

3.今こそ憲法の本質的理解を深め、市民が法律(国際法を含め)をつくる運動を

 憲法はその国の進むべき道を内外に宣言する「基本法」である。主権者が国民(人民)である限り、立憲主義における憲法は、唯一正当に暴力を行使することを許された国家が、国家権力の行使によって国民(人民)の基本的人権を侵害しないように、国民(人民)が国家に押し付けた法である(国民が国を縛るためにあるのが憲法)。現在議論されている内容はこの原則を逆転させている(意識的にか)。憲法論争を契機にして、第九条(21世紀の普遍的価値)と基本的人権を定着させるために思想信条・立場を越えて共同行動を積み重ねることが運動にとって必要である。そのために市民として連帯すれば、市民が専門家と協力して市民にとって必要な法(国際法でも)を創ることが可能となる。

4.政治を動かすことのできる平和運動(市民運動)を

 平和を勝ち取るためには、認識を一致させ、スローガンを叫ぶだけの自己満足運動から脱却し、政治に影響力を持ちうる運動に強めなければならない。そのためには、過去のしがらみや政党・組織の桎梏から自由になり、多くの市民と連帯することを最優先しなければならない(市民との間に溝があっては)。

 二元論に与するのではなく、目的のためには手段を選ばずといって暴力に与するのではなく、さまざまな選択肢を認め合うことも大切である。“和して同ぜず”が必要である。

 しかし、広島の市民運動は弱い。自己主張のみ、自己絶対化、感情論による排他主義、教条主義、自己の組織優先主義など自己満足型の運動が存在する。結局のところ、自己主張と自己愛により責任を他へ転嫁するという「甘えの構造」から抜けきっておらず、幅広く連帯の輪を作るということが軽視されているのではなかろうか。

 市民運動は本来自立した個の結集であり、「非暴力と反差別」がその基本になければならない。自己満足型の運動には、市民は遠ざかるばかりである。

 運動の弱さを率直に見つめながら、それを克服することに努力しながら、覚悟を固めて抵抗する、対抗する運動を創ることが急がれる。

 「小さな火花も広野を焼きつくす」力をもっている。市民一人ひとりが火花となって連帯すれば、平和を勝ち取ることは可能である。

 (2005年4月20日記  広島県原水禁前事務局長)