伏見人形   
 伏見人形の原型・土人形の作り方
伏見人形に限らず土人形はすべて、原型(雄型)作り⇒型(雌型)作り⇒土の調製⇒型ぬき⇒乾燥⇒焼成⇒窯出し⇒彩色仕上げ、といった工程で行われるが、こゝでは伏見人形のそれについてすこしく説明を加えよう。奥村寛純著「現存型による伏見人形の手引き」(1973年伏偶舎発行)より転載  2004.11月追加 (画像;子を抱く母は05.03.16追加)
花かごを持つ童子 明治時代初期? 高さ14cm村上敏明所蔵 子を抱く母 江戸末期〜明治初期 高さ18cm
村上敏明所蔵
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  @ 先ず原型(雌型)を原型師に依頼する。それには専門の原型師がいてその依頼に応じたという。中には窯元自身が作ることもあるが、それは少なかったらしい。今は殆んど原型を作ることはない。それどころか夥しい古型があるので、それだけでもその半分も使うことは平素減多にないからである。丹嘉に収蔵されているたくさんの原型はいずれも相当に年代を経たものばかりで、その一つ一つが実にすばらしい彫刻である。それに実に細かい良質の上でしっかり作られ、かなり堅牢に焼成されている。赤味がかったのや白っぽい土質などがあるが宛然古い象牙細工のように渋い光沢をたゝえている。原型・花かごを持つ童子の裏面
原型(海女)広田長三郎氏所蔵

(左:花かごを持つ童子の裏面・・右は原型(海女)広田長三郎氏所蔵)
 A 原型から
型どりをする。これも普通は型師に雌型をとらせる。以前はこれも土型で、それも原型同様実に良質の土である。今は平素多く作られるものは一部石膏型も使っている。
 B次は、土を選定してそれを適度の粘りけのあるものにねり合わせて調製する。この土も以前は地元深草に良質の陶土が出てそれを使っていたが、宅地化が進んで土取場がなくなり、伏見桃山近くの大亀谷の土を使っていたが、そこも住宅化してしまい戦後は京都の西郊、向日市寺戸の土を使っていた。こゝでは以前から亙作りやコンロ作りが行われていたところで、ここの土は焼上がると赤味を帯び、焼け縮じまりが大きかった。数年前から、それも入手出来なくなり信楽あたりの土を使うようになった。この土は腰がしっかりして焼け縮みも非常に少なく、ひび割れ等もしないということで、焼成ほ白味を帯びている。その土をよく煉り、更に煉棒で適当な厚さにのばし、型におさえ込む。

  C 型おしは実に技術のいる仕事である。丹嘉では親戚の中村平八郎氏が50年間、毎日それを続けられている。隅々まで指でていねいにおしていく技術は永年の勘とコツだけがたよりである。すこし大型になると丹嘉ではこの人だけしかこの仕事は出来ないという。菱屋の上田平次郎翁に超大型の飾馬や布袋を作って貰ったが、これもその内側を見ると実に丹念な指あとがついて感服させられる。尚、天保13年板行の「広益国産考」(大蔵永常著)には面白い記事がある。そこには伏見人形を元型にして土人形を型どりする方法が詳しく話されている。

 D 型おしがすむと型抜きであるが、すこし大物になるとその抜き頃の見計らいが大切である。早すぎると型をぬいても腰挫けになってしまうし、遅すぎるとひび割れしたりする。2尺物(50cm以上)などになると大変である小物は前型とうしろ型をあわせて抜けばよいが、大物になるとその歪を修正しなければならない。型抜きしたものは、その継目を土の柔かい間に竹べらで手直しをする。これも高度の技術の要する仕事である。最後は指先でその縫合が全くわからぬまで丹念に手が加えられる。

 E このようにして型抜きされたものはよく乾く迄、日にあてゝ乾燥させる。 この乾燥が悪いと窯の中で猛烈な爆発音と共に割れてしまう。すると、その人形のみならず、窯全体の人形が殆んどという程駄目になってしまうこともある。滅多にないが、私は一度その不幸な現場に居合わせたことがあって、そのすさまじさに驚いたのである。たしか、梅雨期の湿気の多い頃であった。丹嘉が使用していた窯(福山の郷土玩具博物館で保存
(伏見人形の丹嘉で使われていた窯:現在は福山市にある日本郷土玩具博物館にて保存されている。・・写真は同博物館提供)


 F
窯入れもなかなか神経を使う仕事である。底の方にはなるべく大物を入れ、すき間を出来るだけ少くして、ていねいに間に小さな人形を入れる。窯は写真のように実に素朴なもので内側に耐火煉亙をつみ、外は土で塗り固めた円筒形で、下に焚口がある。これに上までうず高くていねいに積上げ下から松割木で焚きあげるのである。よく焚き加減をたしかめ焚き口を閉じ、濡れ筵を上にかぶせる。こうすると熱がまんべんなく行き渡り、人形につく煤がきれいにとり去られるのである。火力は大休800℃位である。焼き上がりが不揃であったり、火力があまり強く焼締まりすぎると彩色仕上げの時、胡粉がよくつかない。全く永年のかんと熟練だけが頼りである。

 G このようにして焼上がった人形は冷えるのを待って窯出しをする。彩色する丹嘉先代大西重太郎

 H 次に人形に全面膠でといた胡粉を塗り、よく乾いてから最後の彩色仕上げにかゝるのである。彩色のとき先ず顔料を膠で溶かす加減が難しい。膠がきつ過ぎると塗った後、絵具が外れるし、膠がうすくては色合が悪い。又「伏見人形つら(面)ばかり」といわれるように、人形の背面は普通は彩色されないが、真向物とて、表裏のはっきりしないものは、両面ぬりに仕上げるのである。こうして彩色はすべて古いまゝの姿で行われる。顔書きは人形の魂である。このようにして数百年の伝統ある伏見人形は昔の姿そのまゝで出来上るのである。

(画像は、彩色する故大西重太郎さん・丹嘉6代目・ (明治44年生) 2001.11.14村上撮影

 I よく古い伏見人形には品格があるといわれる。さびが加わり、古雅そのものであると評されるが、今の伏見人形も昔のそれに劣らないどころか、伝統に培われた上方美を衒わずわざとらしくなく、それでいて庶民に密着した姿で作り続けられていることはまことに喜ばしい限りであると云わねばなるまい。   以上 奥村寛純著「現存型による伏見人形の手引き」(1973年伏偶舎発行)より転載

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