伏見人形
布袋(ほてい)・道士・幸右衛門型の人形


道士 昭和後期
26cm 村上敏明所蔵
09.10.18追加


布袋(童子姿の布袋) 昭和初期 
伏見人形の原型・奥村寛純」によると割松屋製
村上敏明所蔵(高さ9cm) 2006.2.4追加
午のお鞠の際、毎年一つづつ家内安全を願って小さなものからそろえていく。
一番小さなのは高さ5cm 大きくなると顔も変わる。





布袋(童子姿の布袋) 明治時代 
吉田義和氏に贈られ村上敏明所蔵
(高さ8cm) 2005.11.1追加
幸右衛門と知らされている布袋(瓦?)
布袋 昭和後期
村上敏明所蔵(高さ20cm)
幸右衛門型の布袋(古い作品) とその裏面の銘  22cm
幸右衛門型布袋と狐
幸右衛門型の布袋と狐 稲荷神社前の尾崎商店の店頭
2002年初午の日
上の画像は、2005年2月3日尾崎商店で今年も販売中の幸右衛門型の布袋と狐
(尾崎商店)の店頭
布袋は「火防布袋」といわれ、背中に火という字を書いて荒神棚に祀ると火難防止になるといわれています。この人形は姿を消しているといわれていました。しかし、2002年2月7日初午・稲荷神社前の尾崎商店の店頭に並べられていました。お聞きすると毎年初午には販売されるそうです。型は戦前まで製造していたので、保存し、宇治に移転された「菱屋(上田さん)」にこの日のために製作を依頼しておられるとの事。いまでも買い求められる祇園などのお得意さんがあるそうです。現在はボタン・糸のお店です。2002年2月21日村上追記
 
2005年2月3日(初午)尾崎商店のにはこの古い布袋(高さ約20cm)も展示されていました。瓦のような焼き方か、ずっしり重量感がある作品でした。裏面に「人形や幸右衛門」と記してあります。(1列目真ん中の写真参照)2005.2.3 追加

 宮尾登美子「序の舞」より 
明治19年(1886年)2月・大女流画家になる主人公の小学校5年生時の出来事
 「初午の日、商売の神様とて遊びには出歩かぬ勢以も、この日だけは二人を連れてお詣りに行き、自分は「験(しるし)の杉」と「伏見人形の布袋さん」、二人はそれぞれ「柚子(ゆう)でんぼ」を買ってやった。」

菱本家の布袋
伏見区両替町の旧家菱本家に今も保存されている布袋さん

 参詣のたびごとに毎年一つずつ買う土の布袋さんが神棚に七つ並ぶと縁起がよいといわれ、つまりその間、家に服喪の出来ごとがないわけで、今年はこれで島村家に八つ目の布袋さんが並ぶことになる。弥兵衛の没後三年間はお詣りどころの気分ではなかっただけに、黒光りした七つの布袋さんにまた一つ新しいのが加わるのはここ八年、家内すべて平穏無事に過して来たことになる。
 

 布袋について  
塩見青嵐「伏見人形」より
 「この人形は、伏見人形中最も生産の多いものである。(注:1960年代当時は多かったが、丹嘉におききすると、2001年現在テレビドラマの影響もあり「まんじゅ喰い」の生産がが多いとのこと)小は10センチ余から大は60センチ余に及び、家内安全、息災延命を目標とした宗教的な作品で、世間から大変迎えられているもの。京都の旧家では台所の荒神棚に、たくさんの布袋さんが並んでいるのを見かける。昔から京の風習に、家を持つと初午に伏見人形の布袋の小さいのを一個求めこれを神棚に飾る。その翌年から少し大きいものを加え、七年間つづけることを七福神と称す。
 家によっては十二体を並ペるところもある。もし七年または十二年の間に、不孝が起これば、その布袋を全部川へ流すか、神社の納札所に捨ててしまい、また改めて小からやり直す。無事七つ揃うと財が太り幸福が得られ、火難をまぬがれるものと伝えられている。
 その図柄は、右手に団扇を構え、左手に袋をさげ、すべてが肉色に塗られ、衣服には丹色が施された。扇の部分や袋には緑青で彩色するのが定法となっている。……
  布袋さんという人は、日本では七福神の仲間にはいっているが、神様でも仏さんでもない。中国浙江省寧波府四面山の僧侶で長汀子というのが本名、のち寧化県の岳林寺の住職になったと伝えられる。体格は大きく腹はアンコ形で、いつもニコニコして愛敬があった。その福々しい顔かたちが、一般庶民から好感をもたれ、わが室町時代には日本の七福神の仲間に入れられ、福の神さんとなってしまった。……どうして布袋さんが、荒神棚に置かれたり、火防の神になったか、その根拠はわからないが、よく絵画にも描かれ、子供達にいろいろの物をあたえて喜ばれている図を見かける。あの大きな頭陀袋(ずたぶくろ)に、喜捨(きしゃ)の供物を入れて行脚(あんぎゃ)する姿は、誠に豊かではほえましい。」

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