伏見人形
つぼつぼ
 
つぼつぼ(江戸時代初期の出土品)広田長三郎氏所蔵
 川崎巨泉「おもちゃ画譜」(1934年)より
 直径一寸位の壷形をなした素焼である。つぼつぼと重ねて云うのは幼な言葉であるが、其れが一般に呼ばれている。
 これを(ヘソカハラケ)又は(へソデンボ)とも云っていた。粘土を擂粉木の如きもので押し平らげ、手捻りで作ったもので轆轤や一定の型を用ひていない。
犬筑波集(永正11年(1514年))に「立別れいなかあたりの朝ひらきつぼつぼほどの涙たる中 重頼 」
好色盛衰記(貞享五年(1688年))に「稲荷の前つぼつぼ、かまかま作り売これも土仏の水あそび云々これ壺と釜となり。」
嬉遊笑覧巻六下(文政13年(1830年))に「つぼつぼ此手遊古きものに見えて慶長ごろの古画人物の衣のもやうなどにも付たり」
 或説には生塩を入れて火にかけ焼塩を作ったものが玩具となったと云う。現今其姿を見かげす、昔は初午の日にこれを頬などにつけて婦女子に戯れたものだと云う。(1934年12月 第8集)

 このことについて広田長三郎氏は(「つぼつぼ考」(1998年10月・郷玩文化・No129))にて「・・・彩色のない粗末な素焼の小壷が、小児達に大変歓迎されたとは思われません。諸文献に見るように、需要が多く大層普及したのは、むしろ一般大衆との繋を考えるべきでしょう。・・・「つぼつぼ」は、物事の始めの吉祥ものとして受け入れられたのではないでしょうか。・・・
 言い換えれば、「でんぼ」は稲荷神に農作豊穣を祈り、田に入れる風習が長く持続され、「農家」が主役であるのに対して「つぼつぽ」は新築や席披きなどの物事の始めのお清めとして、更に家内安全・商売繁盛を願う「商家」が主役だったと考えてはどうでしょう。いずれにしても、「つぼつぼ」は、多くの謎を秘めています。」と論考している。

注:大量の「つぼつぼ」が17世紀初頭から幕末の商家跡から発見された。(1994年御所南小学校の発掘調査時)  2001.7.26収録

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