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抱き童子 明治時代
2009.1.1追加 村上敏明所蔵 |
三番叟(さんばそう)・古伏見 明治時代前半
高さ14.5cm 村上敏明所蔵
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でんでん太鼓(大きさ20cm) 明治時代
村上敏明所蔵 (2001.12.15追加) |
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太鼓を叩く童子
明治時代 村上敏明所蔵 (2009.4.30追加) |
綿帽子をつけた娘(大きさ12cm)
明治時代 村上敏明所蔵 (2001.12.02追加) |
俵の上で三番叟(さんばそう)
明治時代前半 高さ16cm 村上敏明所蔵 2006.3.9追加鯉 |
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左上の綿帽子 について
真綿をひろげて造ったかぶりもの。もとは老女の防寒用。後には「ちりめん」などでつくり、婚礼に新婦の顔をおおうのにもちいた。(広辞苑) この人形は、山口県からふるさと伏見に帰ってきました。 |
馬挽き三吉 明治時代前半
横14.5cm 村上敏明所蔵 |
古い伏見人形の特徴
北原直喜氏はその著書「伏見人形」で古伏見は四元色として「丹」「緑青」黄土」「紫土」をもって彩色されていると記され、池田満助・章子氏は「日本の御人形」で初期の伏見人形の四原色として「赤」「緑」「黄」「黒」をあげています。古伏見の土質について北原直喜氏は同著で白黄色、赤褐色をあげ、白黄色の方が古いようだとも記しています。この二つの人形(三吉・三番叟)の土は白黄色です。(綿帽子のほうはやや赤褐色)古伏見の特徴を持っています。さらにいずれも人形を動かすと「からから」と可愛い音がします。 また、この人形には、耳の横に穴が開いていて、髪の毛を模した布などを差し入れて飾った跡があります。三吉には髪が片方は残っていました。 |
馬挽き三吉(歌舞伎人形)
原型は、奥村寛純著の「伏見人形の原型」に掲載されています。
この人形は、「重の井の子別れ」を主題にしたものです。以下、歌舞伎の内容を簡単にご紹介します。
「重の井子別れ」は「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたずな)」十段目の「道中双六重の井子別れ」の通称です。この場面は、現在もよく上演されています。
「由留木(ゆるぎ)家の息女・調姫(しらべひめ)は入間(いるま)家へ養女に行くことになったが、幼い身で、見知らぬ東国へ下るのをいやがる。そこへ子供の馬子の自然生(じねんじょ)の三吉が来て、道中双六を見せたので、姫は旅立つ気になる。 姫の乳人(めのと)重の井は、三吉に褒美の菓子を持ってきて、自分の名を名乗ると、三吉は、それなら自分の母であるといって、証拠の守り袋を見せる。そして一緒に暮らしてくれとたのむが、重の井は涙ながらに、乳人という立場上、それができぬとさとす。おりから姫の出立が告げられる。姫の出立を祝って馬子唄をうたえといわれ、泣く泣く唄う三吉を見て、重の井はじっと辛さをこらえる。三吉をつとめる子役が中心で大役である。宝暦元年(1751年大阪竹本座初演)」(実業之日本社の歌舞伎辞典を参照しました。)
入手経過 京都東山の古美術店を歩き、 参考文献にあまり取り上げていないもの、来年の干支にちなんだ「馬」にかかわるもの、出来れば古い伏見人形を探しました。 ほとんどの店頭に出ていませんでしたが、やっとこの2点を入手することができました。
2001.9.18追加 |
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