伏見人形のはなし     七代目丹嘉 大西 時夫
郷土玩具文化 NO171号より転載  
「第235回例会 平成17年9月4日(日) 伏見人形窯元を訪ね7代目大西時夫氏の話を聞く」より

 まず「伏見人形は誰がいつごろ、どういう目的で作られたのか」ということを必ず聞かれるのですけれども、「いっさい解っていません」というのがほんまのところです。ただ、店にお越しいただいたときに、「土師」という額があったと思うのですが、土師の集団が遊びでもって人形を作り始めてこういう風に伏見人形というかたちになったのであろう、つまり土師部から伏見人形作りが始まったと言われています。だいたい1600年代の書物に「伏見人形」という記述があるそうですので、400年は遡れると思います。

 まあそういう風に職人の遊びでやったことですから、子どものおもちゃということでスタートして発展していったわけですが、その中にはいろんな要素が加わってきまして、まず信仰の対象になるものが作られはじめます。それから武家社会で一般的だったものが庶民の方に降りてきた、いわゆる節句ですね。三月、五月の節句の人形がたくさん誕生してきました。また中国でこんな話しがあったよ、ということがあればそれが人形となり、また朝鮮通信使が京都を通り陸路で江戸へ行くわけですけれど、当時の日本人とはまったく異なった風俗の人間を見るわけですからそれが人形になったり、また象が日本に来ると大変めずらしいということで人形になります。いろんな現象がたちまち人形として作られて売られており、今のマスコミの役目も果たしていたようです。

 店の前の道が伏見街道といいまして、京都へ入るひとつの道筋になりますので、ここを大勢の人が通りました。当然、人形を売る店もこの街道脇に50〜60軒、最盛期にはあったそうです。当時農耕がメインですので、冬の作業が何もないときは、人形を持って帰って手間仕事にしてということで、各地に人形作りが広まっていきました。

 また北前船が日本海を廻って大坂に入るわけですが、その帰りの土産のものとして土人形を積んで寄港する港で販売したということから、港のところに郷土玩具がそれぞれ根付いて発展して最終的には百カ所をこえるところで土人形が作られ始めたということです。

 しかし子どものおもちゃには明治以降、ブリキのおもちゃが出来、セルロイドが出て、今はすごいITのものが出てるわけですが、すべて競争に負けている。その結果、少なくなっているということですね。

 一時、3Kといってきつい、きたない仕事は嫌われましたけれど、こういう手仕事というのはそれの最たるもので、出来上がったものはきれいなんですけど、そこへゆくまでの手仕事というものは、もうひたすら我慢をして辛抱するということだけなのですね。一日何時間も座って、残業も入れれば一日12時間ぐらいのことを年間100日以上続けて納期を間に合わせるということでやるわけですから、今の子どもにしたらとんでもない話しになるわけですよね。普段の倍くらい働いてもまだおっつかないという状況でもって作るわけです。そういうところで後継者が消えていったりして、土人形が減っていった。そうなると逆に希少価値が強みになって今なお細々と生き延びていける、そういうのが逆に結果として出てきているのが今の状況だと思います。

 我々職人としては物を作るという作業において、いかにいいものを作るかということだけをめざしてやってゆきますので、よく「昔にくらべてきれいになりすぎた」という批判は耳にするんですが、職人としてはなるべくいい物をつくりたい、というのがあって、どうしても「もっともっと」というふうになってゆきますので、きれいに作る傾向にあると思います。「省略させていけるところがあるならば、省ける美というものがあるなら省いていったらどうか」という声もありますが、なかなかそこへ行くにはいっぺん華美に走ってみないとわからないというところがあります。出来る限りのことをやったうえで、そっちへ行きたいというふうに思いますけれど、そこへ行くまではもう10年、20年かかると思います。

 ただ昔のものがいいというのは、それだけの年代を経て、人のぬくもりをへて今なお残っているものです。今見ていただいているものは塗り立ての新しい絵の具ですが、泥絵具というのは5年10年たって初めて色が落ち着いてきますので、そこから伏見人形の評価が始まると思います。

 ここに置いてあるのが、太神楽の人形の原型と型、それに生地と出しております。原型は一番元になる彫刻した人形で素焼きしてあります。人形の横を見ていただいたら解ると思いますが、筋が1本入っております。これは前型、後型の分かれ目になります。

 型は原型に粘土を押して、筋のところで分けて前後2つ作ったものです。この型も素焼きになっています。生地は型に粘土を押して、抜き、前後を合わせ、乾かしてから素焼きしたものです。原型から見ますと約1割小さくなります。

質疑応答

<この人形の肉厚はどれくらいですか>
 肉厚というのは、人形の大きさによりますが、あまり薄くても耐えられませんので、人形が大きくなればなるほど肉厚は厚くなります。この人形で5ミリぐらいです。

<どのくらいの期間乾燥させるのですか>
 このサイズですと、夏のこの時期でも一週間くらい置いておきますね。もっと小さい物ですと3日ほどです。

<どこの土ですか>
 伏見人形は基本的に稲荷山の土でスタートしています。農家の方がお参りに来られて、稲荷山の土だというのでその人形を持って帰って、割れたら田や畑にまいて五穀豊穣を祈願しました。今は土を掘り出せる場所がありませんので、稲荷山の土を使わず、業者さんに持ってきてもらいます。

<新しい人形は作られるのですか>
 ほとんど作りません。たとえ注文を受けても、原型を彫るだけで50万円、10個ほど欲しいということになると、型を作って、それから人形を作って、となりますね。この経費を考えると、ひとつの人形がものすごく高くなります。ですからむずかしいですね。うちの人形の種類が約2000ほどありますが、新しく作ったものはごくわずかです。昔のもののほうがすばらしい。時代がそうさせていたのでしょうね。

<ひとつの原型で型はたいてい2枚ですが、一番多いもので何枚ですか>
 5面ぐらいですね。石膏ですと、とんがったところがひとつの型でいけますから、だいたい5面あればいけます。しかし石膏型は摩耗しますから型から抜けるのは200個が限度です。摩耗したらもう一遍作り直します。土型は百年以上前のものも未だに使っています。摩耗はしません。

<土型からは一日で何個抜けますか>
 この型ですと、今の時期で一日3個が限度です。これが春・秋という時期ですと2個で終わりです。型の肉厚が少ないですから、それだけ水分の吸収が弱いんです。この点、石膏型は肉厚が厚いので水分を吸いますから、そのぶん数が出せます。

<最も大きな型は何ですか>
 最大型は熊と一対物の金太郎になるかと思います。あとは飾り馬の大きなもので2尺を超えますね。これらを抜くときは2人がかりでやります。片面を押すのに1時間半ぐらいかかりますので、押してからビニールを掛けておきます。そうしないと乾燥しますから。そしてもうひとつ押すのに1時間半ですから、型押しに3時間、午前中の作業が終わります。そして型から出せるのが夕方になります。夕方出して仮合わせだけしておいてビニールをかけて翌日仕上げます。乾燥は、このクラスになるとひずみが出やすいのでビニールをかけて逆に水分が急に抜けないようにします。3日程かけておきます。それからビニールをとって序々に乾かします。

<生地の焼成温度はどれくらいですか>
 素焼きですので800度を超えれば人形としてある程度の強度がでますので成立しますけれども、現在、大体950度まで焼いております。人形をたたいたときの音で焼成温度がわかります。900度を超えるとカンカンと金属性の音がします。これより低いとボンボンという感じに近づきます。

<干支のおもちゃはいつから作り始めるのですか>
 来年は犬ですが、今年4月から生地に入りますので、ここで干支スタートとなります。8月のお盆から彩色に入ります。作業時間の関係上、干支に関しては毎年4000個が限度です。それをこえて作ることはしません。今年の場合ですと、20種類の犬を作ります。大きな犬ですと5本、10本という数です。9月1日から干支の予約受付を開始しますが、大体、9月1日、2日で5種類ほどは売り切れてしまいます。

<顔を描く筆は何本か使い分けますか>
 筆はイタチの面相筆を使います。布袋さんの大きいものになりましたら面相筆の大、ふだんは面相筆の小です。300個ぐらい顔を描くともうダメになりますね。そのくらいで筆が擦り切れてかたあしが寄りますから、それはもう使えませんので、他の細かい場所を描く絵の具用の筆に格落ちします。それをもう少し使ってゆくと、筆先を全部落として筆の根っこだけを残して、お雛さん、天神さんの天井眉毛の点を打つのに使います。それが終わっていよいよあかんようになったら絵の具のまぜ棒に使います。あとは薪窯のときでしたら、そこに入れて燃やすのですが、今はありませんので筆供養のお寺に納めます。
 「弘法筆を選ばず」といいますが、われわれ職人の立場から言うと、「弘法筆を選ぶ」ですね。筆は適材適所でないとうまく塗れないのですね。太く塗るところを細い筆で何回も塗っていたのでは絵の具の段がついてしまいますので、太い筆で一気に塗ります。また下地に胡粉を塗るときは平たい巾のある刷毛で塗ります。これで人形を塗らないと人形がきれいに出来上がりません。結局、塗る場所に応じたものを使いながらやってゆくことになります。

<六代目と七代目の顔の描き方の違いはありますか>
 親父が85歳を過ぎてからは、私が手伝ってほとんど描いていました。90歳で仕事を終えるまで。ですから5年程前から以後のものは全て私の描いた目になります。親父とは意識して違うふうに描きたいとは思っておりません。人形の生地自体に目があるわけですから、これをはずして描くということはできないわけです。人形によって眉毛を描くスタートをどこにおくか、それぞれ違います。長いこと描いていると、筆が自然とそこに行くんですね。

<現在は何人で仕事をしていますか。後継者は?>
 現在7人でやっています。8代目になる息子は現在33歳です。顔を描く以外の仕事はすべてできます。

<ありがとうございました>

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