伏見人形
節供物(天神・大将・竜王駒抱き)
天神・梅の紋が鮮やか
天神 昭和初期 村上所蔵 09.10.26追加 天神 明治末から大正時代 24cm
 
天神 明治初期 28cm
2002.8.14追加
竜王駒抱き 昭和初期 17cm×21cm  2008.5.15追加 村上敏明所蔵
「天神」について
 天神さんとは正しくは菅原道真公のことである。一般に天神さんと呼び人々から親しまれている。その衣冠束帯の姿は、ちょっと男雛によく似ているが、胸に梅鉢の絞がついているのでよく区別がされる。背から菅公を怨霊(おんりょう)信仰から、雷神として豊饒(ほうじょう)神にする者もあるが、実際は立派な学者であったから学問の神様として朝野の信仰があつかった。そのため伏見人形にも、牛乗天神を始め衣冠束帯姿の座像が七、八種もある。大は40cmから小は6cmほどのかわいいものまであり、神棚や床の間に祀る風習が最近まで残っている。菅公は丑歳生まれであったので、特に牛を愛されたが天満宮に臥牛が多いのは、稲荷さんの眷属(けんぞく)と同様、土俗信仰から来たものであろう。   塩見青嵐「伏見人形」より 
大将(富士忠製)
大将  平成初期 高さ 7,5cm
2011.2.14追加 村上所蔵
大将  大正〜昭和初期 高さ 24cm
2004.6.11追加 村上所蔵
  この種類の人形は主に地方向けに作られ、三月・五月の節供に土雛や大将・天神、それに添えて人形などが飾られた。(ちなみにこの右上の大将は 京都府の京北町の蔵から出たものである。) 大将は鎧(よろい)武者ともいわれ、家来が千成瓢箪の旗を持った人形と一組になった作品もある。また、「太閤」「太閤まとひ持」とも名づられた人形もある。
 「丹嘉」が発行した「伏見人形の原型」には「冠大将」と記され、1930年当時55銭と価格が記載されている。(大きさ不明)
 この右上の人形は、「富士忠」で作られた。右の画像・背部の刻印参照。(山型の下に忠という文字が刻まれている) 、「富士忠」は、江戸時代から太平洋戦争前までの間、大量に土人形を製作。「赤物」もよく作った。1856年(安政3年)の金森得水の著作に27軒の人形焼物師を紹介しており、富士屋忠兵衛の名がある。