各地の土人形 今戸人形(東京都)
吉田義和コレクションより(写真・文 吉田義和)
2005.5.28
叶福助 (江戸時代後期) 高さ9cm
伏見が原作でしょうが、江戸でも大流行したようです。今戸ではこの他にも福助お福の対の人形もありました。都内の近世遺跡から出土。
桃抱き童子(江戸時代後期)
高さ8.5cm
本郷の東京大学農学部他、都内の近世遺跡数箇所から同じ型の人形が出土しています。
太夫(江戸時代後期) 高さ10.7cm
この型は伏見の型だと聞いておりますが如何でしょうか?この型もポピュラーだったようで、よく出土しております。うち掛部分は植物性染料が使用されています。
俵担ぎ(江戸時代後期)
高さ 8cm
このお人形にも植物性染料が使用されており、赤は蘇芳、黄はきはだが使用されています
おいらん(大正末〜昭和戦前)
尾張屋春吉作
  高さ8.4cm
関東大震災の後の区画整理の際、箱庭細工師となっていた尾張屋(金澤)春吉の家の近辺で、明治に土中に埋めておいた型が出土し、それを使って今戸人形を復活したものの
一つ
大島小僧(おぼこ) (大正末〜昭和戦前)
 尾張屋春吉作
高さ 18cm
原作は当然伏見のおぼこなのでしょうが、今戸では羽織り部分に明治の始め流行した大島柄を描いたのでそう呼ばれています。この型の人形は東京大学農学部の遺跡からも出土しています
不知火関 (大正末〜昭和戦前)  
尾張屋春吉作
高さ15.5cm
この型ももともと伏見の角力からのものでしょう。
大きさも3種類くらいあります。初代横綱 不知火諾右衛門の名
で呼ばれています。
月見兎 (大正末〜昭和戦前) 
高さ 8.3cm
尾張屋春吉作
 花柳界などで、芸妓や娼妓が、無事「月を見る」という縁起に支えられていた人形として伝わっている型です。
春吉は尾張屋7代で、今戸神社(旧今戸八幡)境内に残る文政5年(1822年)再建立の狛犬の台座に残る尾張屋金澤喜太郎の末裔に当たります。5代尾張屋兼吉の代に盛んに土人形を作っていたのが、明治に入り、新玩具に押され、衰退し、箱庭細工師に転じた折、型を土中に埋めておいたのでした。
今戸土人形・今戸焼と伏見
(第15回日本人形玩具学会・03.11.2 吉田義和氏の発表要旨より)
@太田南畝著作の「半日閑話」(安永7年・1778年)11月の項に「本所みどり町伏見屋仙右衛門はじめて深草焼をひさぐ」とあり型作りの伏見人形が売られていたと考えられる。
A藤田理兵衛著「江戸鹿子」(貞享4年・1687年刊)などには、浅草橋通の「此町筋諸職売物」に「はり貫人形、土人形類」とあり「問屋大概」に「土人形問屋浅草かや町ひな屋七兵衛」という記述がある。
B「西行」:東大医学部付属病院付近(1680〜1700年)と推定される素焼き立ちすがたの「西行」が出土している。(注:創成期、伏見人形の種類は少なかったが、西行は江戸時代早くから布袋などとともに伏見稲荷では人気のあった人形でした。村上記)
おいらん(明治時代) 高さ10.5cm
子負い(明治時代) 尾張屋兼吉作?高さ13.5cm背面に「尾兼」の刻印がある。
福禄寿(明治時代) 高さ16cm
第15回日本人形玩具学会・03.11.2 吉田義和氏の発表要旨より)
今戸人形絵解き  現在の東京都台東区今戸から橋場にかけてはかつて瓦や、焙格、植木鉢、えな壷等をはじめとする雑器を産出する地域であった。涼炉や楽焼、茶陶を焼く作者もあったが明治以降、特に関東大震災を境に転出する者、廃業する者が増え、現在今戸にはただ一軒、器を焼く家が残っているのみである。今戸神社(旧・今戸八幡)の境内に宝暦2年(1752)に奉納したものを文政5年(1822)に再建奉納したと刻まれている狛犬一対が残っており、当町火鉢屋・土器屋・焙烙屋の名が残されている。 関東一円では固焼きの瀬戸物に対して、土焼の安価な雑器を総じて今戸焼と呼んでいて、ひと昔前まで、今戸焼という名称は一般的であったようである。浅草の今戸で焼かれた焼き物だから今戸焼ではあるが、実際には隅田川の両岸の堀切、小梅、本所、月島あたり、荒川、中川、江戸川流域にも窯場はあったという。現在も四つ木、宝町、青戸等葛飾区内には植木鉢や焙格を焼く家がある。入谷をはじめ、かって植木の産地だったところでも植木鉢を焼く家があったが、足立、葛飾、埼玉方面に転出したという。今戸をはじめてして、これらの土地では、地元から産出する粘土を用いて生産を行った。いわゆる江戸在地系土器で、土地によって多小の差はあっても、鉄分を多く含んだ砂まじりの土で、素焼きにすると、淡い赤褐色の色となるが、高温焼成には向かない。砂まじりであるから、粘りやきめの細かさにおいて、使いずらい土であり、このような土で修行を積んだ今戸焼の陶工は腕がよい、という言葉を聞いたことがある。特に上手なものは、上方や多治見あたりのきめの細かい白い土を取り寄せて使っていた。雑器とともに土偶作りを生業とする者もあって、今戸のあねさまとか福助などと、庶民に親しまれていた人形である。今日、これらを今戸人形と呼んでいる。古い文献や錦絵、古川柳、落語や戯作等に取り上げられるほど、庶民にとって安価で求めやすいもの、身近なものであったのだろう。(以下略)
九郎助稲荷狐(左端) 高さ11.7cm
   口入稲荷狐(右3体)高さ 6.5cm   (大正〜昭和戦前)
  左3体 尾張屋春吉作  右端  鈴木タツ作