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田中緑紅「伏見人形の話」による
京都特有のものらしく正月の門つけの一つで、大正の始め頃まで来たかと思います.籠で作った張抜の上部に太い眉毛大きい獅子鼻濃い八字髯、大きい口、頭は笠を冠りその頭の上は黒紗で張って、ここから外を覗き、耳の辺より左右の手を出し、手には青竹の先きをササラにしたもの、手は白い手甲でこの青竹を敲き頤から下は赤いキレを周囲に巻き、黒い脚絆に草履をはいてました。その後から尻からげでパッチをはいた男が麻の頭布を頭から冠って顔をおおい、これに目鼻が書いてありました。左手に太鼓を持ち右の撥でたたき「チヨロが参じました大福チヨロが」と唱ってチヨロは足を上げ踊って来ました。・・・・・江戸中期には福禄寿の頭の長い張ぼてを冠り、唐人服に唐団扇をもち三味線、太鼓の囃子で踊つたと云います。伏見焼には猿のチヨロ、トクス (ヒヨットコ) のチヨロ三種、他で見たことのない一つにお福チヨロがあります。京では昔からお多福はおたやんと呼び、オカメと呼んだことはありません福助とお多福、福の神の一つと見られています。
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塩見晴嵐「伏見人形」より
この「ちょろけん」は、伏見人形で最も異色あるもの。昔はこのモデルが万才や猿廻しとともに、門付けに歩き京の春に風情をそえたものである。筆者の記憶では大正の初期まであったように思うが、現今正月の注連飾りにこの形をとったものが残っている。
ちょろけんは籠で作った張ぼてに、グロテスクな顔を描き、これを頭から腰のへんまで冠り、その耳のあたりから両手を出す。手には青竹のササラを持ち、これをたたきながら踊り歩いた。その後から麻頭布で顔を隠し、その布に目鼻を描いた付添いが、右手に撥を持ち太鼓をたたきながら「ちょろが参じました大福ちょろが」と唱えると、ちょろが足を上げたり、子供を追いかけたりした。また、これに餅や銭を与えると、付添いの男が袋に入れながら一軒ずつ訪れたものであった。
このちょろという名称は、「長老君」から出たものといい、江戸の中期頃すでにあったという。長谷川光信の「絵本家賀御伽」によると、福禄寿とて頭の長い張ぼてが、三味線に合わせて踊ったものと記している。これらのちょろけんにヒントを受け、猿や馬の動物の姿に、ひょっとこやおたやんなどのデザインを考案した人形が売出された。京都では昔からお多福のことを「おたやん」と呼び、福助とともに福の神として飾り、家庭の縁起物として人気を博したものである。 |