寺社仏閣

目次
1江戸五色不動巡りーその1
2江戸五色不動巡りーその2
3江戸五色不動巡りーその3
4東京世田谷区九品佛浄真寺へ行く
5これぞ秘蹟!!田谷の洞窟
6法隆寺の不思議
7御嶽山登山へっ!!
8飛天の居場所・・
9明日香の石たち
10金座、銀座、銭座・・・

江戸五色不動巡り-その1

水掛不動
 古典ミステリーに「虚無への供物」という作品があります。そこに、江戸五色不動というのが出てきます。
 江戸には、陰陽五行道にしたがった各色の不動がある。というのです・・五行道の五色は、「黒」「赤」「青」「白」「黄」・・・
 もともと、東京の人間ではないのですが、目黒不動と目白不動は知ってました。、のこりの青赤黄は小説での創作だとずーーと、思い込んでいました・・
目青不動
 ある日何気なく、東京の地図それも三軒茶屋近辺をみていたら、ふいに「目青不動」の文字が目にはいった!・・・えっ?本当にあるんだ・
 実在することを知ってしまったら、行くしかない。ということで、江戸五色不動巡りが始まってしまいました・・
 上の写真は目黒不動の「水掛不動」・・本物の目黒不動尊は、堂のなかで普通は公開していないようです・・・
下は、五色不動巡りをすることになった、いわくの目青不動。三軒茶屋の近くであり、境内の隅っこにひっそりと不動堂が建っています。三軒茶屋から徒歩5分ほどで、街の喧騒が嘘のような静かな雰囲気がよい・・(単に夕方だったから静かだったのかなぁ・・)
 これを、かわきりに始まった不動巡り・・・続きは「その2」で紹介します。

江戸五色不動巡り-その2

さて、その2です。先ずは目白不動へと・・・そういえば、目黒不動前という電車の駅はありますが、目白は目白不動ではなく、目白という駅名だけだなぁ・・などと考えつつ、山手線で目白下車。
目白不動
 初めて降りる目白駅・・・・なんとなく、うろうろすると、徒歩10分ほどで、目白不動の文字が・・あぁ、あった。大きな道から、坂を下っていくとそこにありました。
し、しかしなぁ・・・写真の通り、なんか臨時の建物にとってつけたような、階段に「表参道」はないだろう・・
 ここも、寺の本堂とは違い、すみの高くなっているところにあるのですが、「表参道」の様子のとおり、なんとなく風情がないぞ・・。
 ただ、「丸橋忠弥の墓」がありました・・たしか、槍の名人だったよなぁ
ちなみに、目白では目白不動より道を挟んで向いにあった、「鬼子母神」のほうがメインのようでありました。
目赤不動
 次は目赤不動・・どうも、目白不動の風情のなさに、すこしガックリしながら、駒込を目指します。都電に乗れたのでちょっと気分は晴れました。
 大塚から山手線で駒込へ・・・ここも歩き回ると、道端の案内板に、目赤の文字が・・ここも坂道が多いなぁ・・
 かなり大きな道に面して目赤不動はありました。割と明るい境内。目赤不動自体はやはりすみの方ですが、参道に赤いのぼりがたくさん立って、一応現役で(?)活躍していそうな不動様です。
五色不動がすべて記してある、真新しい石碑があり、目青や目白の忘れられた存在とは違って、存在感あります。不動堂には、五色不動の由来や説明をかいたパンフレットが置いてあったりします。
 ちょっと、寺社巡りになってきたような気分で、ここはよかったなぁ・・。
 次回は目黄不動。なぜか2箇所にあります。五色不動の寺の名前と場所はその3で、まとめて書きます。

江戸五色不動巡り-その3

 いよいよ、五色不動巡りの最後の2つ・・・なぜか、目黄が2箇所にあります。ちなみに目黄不動は「めおうふどう」と読むのでなく「めっきふどう」と読むらしいです。
 出かけるときは晴れていたので、普通の格好で出かけました。(実際には2001年の3月31日)江戸川区の平井って、初めて行くところ。総武線で行きます。
 目黄色(平井)不動
 平井に到着しますが、右も左もわからないので、目赤不動で知った住所を手がかりに歩き回ります。す、すると・・なんと天気が悪くなっていく・・・・しかも、3月下旬だってのに雪が降って来る!
 傘も持たずに、雪中強行軍(笑い事ではなかった・・・)。ようやく目黄不動@平井到着・・
 広い境内に、不動堂も目黒不動に次ぐ、立派な大きさ・・・天気のせいか、人は誰も居ません・・自分も雪の中なので、写真を撮ってさっさと退散・・普通のお寺の中に、不動堂が存在を主張しているような感がありました・・・
 次は台東区・・・地下鉄日比谷線へ・・三ノ輪駅に下車、住所を手がかりにその町名のある出口へ出ます。
目黄色(三ノ輪)不動
 地下鉄出口をでると、大きな4車線の道路・・車がブンブン走ってます。??こんなところに本当にあるの??と住所方向に歩道をあるくと。いきなり「目黄不動」の文字が!
 大きな道路に面している門は硬く閉ざされています。そういやぁ、誰かの探訪記でも、門が閉まっていて入れないとか書いてあったなぁ・・と思い出しつつ、横の通用門を開けてみると・・・開いちゃいました(笑)
 境内は、十畳ほどもないくらいの、せっまい境内(とよべるかどうか)・・天気も悪いせいもあり、なんかジメジメしています。
 目黄不動堂は目の前にあります。外の大きい道路との隔たり、境内の静寂感や閉鎖感が何か堪りません・・・こういう雰囲気、好きなんです。天気よければ、もう少し居たかったな・・ちょっと、タイムスリップしたような心持でした。
 最後に下記に五色不動の目赤不動で得たデータを示します。もし興味もって行かれる方はご参考に・・自分のお奨めは、目青、目赤、目黄(三ノ輪)ですか・・
  
江戸五色不動
宗派寺名住所
目赤天台宗南谷寺文京区本駒込 一丁目二十番二十号
目黒天台宗瀧泉寺目黒区 下目黒 3丁目20番26号
目青天台宗教学院世田谷区 太子堂 4丁目 15番1号
目黄天台宗永久寺台東区 三ノ輪 2丁目 14番 15号
目黄天台宗最勝寺江戸川区 平井 1丁目23番 32号
目白真言宗金乗院豊島区 高田2丁目12番 39号
東京世田谷区九品佛浄真寺へ行く

 行こう行こうと思っていた、九品佛寺へ・・・多摩川を渡り、田園調布カトリック教会を見ながら、坂道を自転車で登ります。そこは、田園調布の高級住宅街!!自分には無縁でありますが、でっかい邸宅を見ながら東京自由が丘方面へ下ります。(下りは楽だぁ・・・)
 自由が丘方面に下ると、東急大井町線、そこから、自由が丘は自分には似つかわしくないので反対側の九品佛のほうへ・・・自由が丘の隣駅なので、自転車では5分もかからずに、九品佛浄真寺の参道に到着。
 仁王門
 入り口には、派出所があって自転車を置けない雰囲気(笑)なので、そぉっと総門近辺で道の脇に自転車を止めさせて頂きます。(すいませんでした)
しかし、東京の世田谷田園調布の高級住宅街のそばに、36万坪もの広大な境内をもつ寺があることもすごいことです。
 総門をくぐり、以前来て見覚えのある「閻魔堂」を右手に、左折すると立派な仁王門があります。写真のとおり、奈良あたりの立派な寺にも負けないくらいの仁王門です。

 入り口側には仁王様、裏側には「風神」「雷神」がいらっしゃいます。この門は別名「紫雲楼」といい、門の上部には「二十五菩薩」が安置されています。(見れない・・・・)
 以前来たときは、中に幼稚園があったりして、賑やかで、境内も公園のように自由だったのが、幼稚園はなくなっており、あちこちに柵があって「立ち入り禁止」とか「ペットの散歩禁止」の立って札が立っています。
 確かにお寺は綺麗になったのですが、昔の開放感や明るさがなくなって、閉鎖的かつ暗く思えたのは、天気が曇りだっただけではないような気がします。
 まぁ、文化財を守るためには仕方ないのかもしれません。

九品を示す九体の阿弥陀がいらっしゃるのは、奈良浄瑠璃時と、ここ九品佛だけということです。としたら、九品の堂が3つ並ぶ伽藍配置は、ここだけってことです。(昭和の再建ですが)
 左から「下品堂」「上品堂」「中品堂」です。創建時(元禄時代)は茅葺だったのが今は銅葺・・・

下品堂上品堂中品堂
 阿弥陀様はガラス越しに見れます。反射してうまく写真は撮れませんでしたが、1体だけ掲載します。
 本堂の横に「仏足石」があります。英語の解説もあって”The Buddha's Footprint in Stone"という訳には、なにか微妙なものを感じませんか?(笑)
 帰り際に、立ち入り禁止の区域に入り込んでいる猫に「そこは、はいっちゃだめだよ」といったら、石碑の影に逃げ込んでいます。(笑)
阿弥陀如来逃げた猫  夏には来迎会があるので、そのときはまた来ようかな、と思いつつ帰途に・・・・

 各、堂の額を並べてみました・・なんとなくご利益があるかなぁ・・ちょっと、不揃い(笑)
 そうそう、「下品」は「げひん」と読んではいけませぬ(笑)「げほん」だそうです。(それぞれ「じょうほん」「ちゅうほん」)


九品の額
下品上生上品上生中品上生
下品中生上品中生中品中生
下品下生上品下生中品下生



これぞ秘蹟!!田谷の洞窟

 真言宗「定泉寺」・・・さほど、有名ではないこの寺。自分が知ったのはなんと推理小説でした。斉藤栄さんの小説で題名もストーリーも忘れてしまったのですが(すいません・・斉藤さん)妙に気になるお寺でした。
 なんでも、お寺の境内に人工の洞窟があって、相当の規模であり、内部の壁には彫刻がある・・これだけの話で、寺好きとしては興味そそりまくりになります。例によって、小説内の想像の寺ではなく、実在します。10年以上前に小説を読んですぐに行ったのですが、記憶があやふやなので、再度訪れることにしました。
 梅雨に入る前の6月、夏日で午前10時でもかなり暑い日です。最寄り駅の大船から、案内ではバス便なのですが、ここら辺はよく知っているので、歩きます。(しかし、暑いぃぃ・・)
 柏尾川にそって笠間大橋を左に曲がると、急に田園風景が開けます。のどかな感じ・・見通しもよく、定泉寺の横にある「ラドン温泉センター」がよく見えますので、田んぼの中の農道をそっちのほうへ歩いていきます。大船から徒歩25分くらいでしょうか・・ちょうどよい散歩ってところかなぁ・・
 寺の向かいの道端では「無農薬野菜」なんぞ路上販売してます。(トマトがうまそうだなぁ・・)

田谷境内 修行僧
さて、ラドン温泉の横に、「田谷の洞窟」のでっかい看板があります。そこを入っていくとすぐに、境内・・山門なんぞありません。本堂(阿弥陀が安置されているようです)もご覧の通り、地味目・・・・
 狭い境内にある弘法大師の修行像が目立ちます。さすがに真言宗の寺なんて、思いながら洞窟の方へいき、参拝料の400円を払います。ここで、御灯明(ろうそく)を頂ますが、前回来たときに、すぐろうそくが消えてしまった記憶があったので、小型のライトを持っていきます。
 洞窟内は撮影禁止なので、入り口だけで我慢してください。本堂の横の崖にご覧の通りの入り口・・・・入り口でもらった栞には、この洞窟が「一枚岩の粘板岩である」と書いてあります。一枚岩をノミで彫ったのです。
・・入り口は、中国尺で七尺七寸(177cm)の自分が立って入れるほどの高さです。入り口でロウソクを手持ちの燭台に刺して火をつけます。中にはいると、ひやっと涼しい・・・・ 洞窟入口  少し進むと、壁に獅子の彫刻。阿形、吽形の獅子ですぐ横には昇龍と降龍がそれぞれ・・寺院の入り口の体裁なのでしょう。
 さらに、「行者道」とかかれた矢印にそって進みます。まず壁には「坂東霊場」の本尊にあたる仏像が壁に彫刻されています。
 霊場めぐりが、盛んだったころ、遠くまで出かけられない人達に霊場めぐりをさせてあげるということなのでしょうか・・・
 坂東、秩父、西国、四国と全国の霊場の各寺院のご本尊を模した彫刻が壁に彫り付けられています。
 途中途中に、広間がいくつかあり、(はっきりいって、迷路状態・・・立て札あるので進めるようなもの・・)胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅を模した壁の彫刻、さらには十八羅漢と・・・・つぎつぎと続く壁の彫刻・・・・外界と遮断された、洞窟という空間が、なにか異次元を構成しているかのようです・
 参拝順路の最後の方には、五大明王が、しかもこの明王たちは、ほぼ等身大・・って、本当の明王達の身長は知りませんが、自分と同じ位の大きさで、圧倒的な迫力です・・
 弥勒菩薩もありましたが、これは仏像をここに安置したよう・・・壁に直接ほった仏たちは、磨耗しているものもかなりあり、また彫刻技術的にはそれほどでもないのかもしれません・・しかし、なにか凄い迫力や執念を感じます。

 30分ほどかかって参拝し終わりましたが、ちょっと心残りなので、もう一回入って、すいているのをいいことに、順路と逆走してみたりして、少しこの空間の余韻を楽しみます。
 本当に迷路のようで、立ち入り禁止の所もあり、どうも全体の半分程度しか一般には入れないようになっているようです。

 帰りに、「古地図」という洞窟内の地図を300円で買って、見てみたのですが・・うーーむ、これは実際御とは違うような気もします。
 ちょっと、仏教的な別世界に入って来たような、特別な体験をしたような・・・そんな、気持ちになれました。


法隆寺の不思議

 この題名をみて、梅原猛氏の「隠された十字架」を連想した方は多いことでしょう。自分も高校時代に修学旅行の事前勉強として、歴史の先生がこの本を紹介されました。なかなかに興味深い本で、いっきに読んだことを覚えています。
その後も、法隆寺には興味をいだき続け、秘仏の「救世観音」を是非みたいっ!という欲求が、どんどん増して来ました・・・
大学の2年生の時、バイトで溜め込んだお小遣いを旅費にあてて、「救世観音」の公開日にあわせて、奈良に行きました。当時は静岡に住んでいたのですが、講義が終わってから静岡を発ち、名古屋経由で関西本線に乗り、夜の10時ころに法隆寺駅に到着です。
 当時の自分は、寝袋で駅の待合室に宿泊することを得意技としていまして(笑)、そのときも当然のように法隆寺駅の待合室で、寝袋を広げました。が、しかし・・・・・奈良駅とか大きい駅ですと、待合室で寝るひとはたくさんいるのですが、さすがに閑散としている法隆寺駅では目立ちます。というか、一人だけでした・・・(笑)

 さて、寝るにはまだ早いので、寝袋の上で、ガイドブックなんぞ読んでいると、駅にヘンテコな一団がやってきます。どうみても、地元の不良のようです・・数人で、でっかい声で、騒いでいる・・・・
 ところが、よく見ると、不良といっても、不良中年(笑)・・年のわりに派手な格好しています。

 まだ、当時自分は20才でしたし、一人だったので、変に関わりあいたくないので、そちらを見ないようにしていました。しかし、しかしです!こういうときに限って、見つかるのですねぇ・・・

 不良中年の一人が、見つけて「おっ、にいちゃん、ここで何してんねん?」と関西弁で(当たり前か・・)・・・・
 逆らうのは、いやなので(弱)「はい。ここで、泊まって明日の朝、法隆寺の見学。」と答えました。すると、「ここで、泊まるの??そりゃ大変だ・・ついてきな、泊めてやるよ」といい、さからえない自分は寝袋をしまって、ついていきます。
 すると車に乗せられ、どこぞへと出かけます。

「にいちゃん、学生さん??腹へってないの?」とか、意外にやさしいおじさん・・
「はぁ、ちょっとお腹空いてます。」と正直な自分・・(笑)
「じゃ、何か食べに行こう」とスナックへ強制連行・・・どうも、常連の店らしく、入ると似たような人たちが大勢います。(笑)
「ママさんナポリタンつくってよ」と食べるものまで決められて、ナポリタンを食べます。(うまかった・・)
 そのときママさんが「へぇっあんた、この人のとこに泊まるの?気をつけな・・この人射撃の名人だから」と言いますが・・・「??なんのことだろう??」
 あまりお金がなかったのでナポリタンの代金も心配・・・すると、その不良中年さんがおごってくれます。(ありーーこのひといい人なのかなぁ・・)

 そして、その人の家に行きます。割と大きな家ですが、一人で住んでいるようです。そのときが午前2時くらい・・寝るのですが、さきほどのママさんの「射撃の名人」発言が気にかかります。

 自分は紅顔の美少年ではないですが、まだ20歳・・・でも身長も180cm近くゴッツイ方です。ま、まさかそんなことは・・・と思いますがイヤなので、念の為(笑)寝袋にくるまって寝ます。(自己防衛・・笑)

 まぁ、何事もなく夜は明けて、朝はやく「朝一番で法隆寺に行くので、でかけます。お世話になりました。」と言って出ていくと、親切に法隆寺までの道を教えてくれました。
 法隆寺ではそれこそ、朝一番で夢殿へいき、あこがれの「救世観音」とご対面です。しかし、「隠された十字架」で期待が異様にふくらんでいた自分にとって、現物の「救世観音」は少し物足りなかったようでした・・・

 さて、家に帰り、母親に不良中年の話をしたら「それは、お世話になったねぇ。お礼をしなければ」と言うのですが、その人の住所も電話もわかりません。
 あっそういえば、自分が静岡から来たといったら「静岡には遠い親戚のKさんっていう人がいる」といって静岡のKさんの電話番号をもらっていたのでした。

 後日、母親がその電話番号に電話したら確かにKさんがいたのです。
「息子が世話になった奈良の法隆寺近辺にお住まいの親戚の方にお礼をしたいので、ご住所を聞きたい」
と言ったのですが、当の静岡のKさんは「奈良には親戚が、いません」の一点張りだったということでした・・・

 なんとも、不思議な事でした。なぜ、奈良の不良中年は静岡の親戚の電話番号を知っていたのに、電話番号の当人は知らないのでしょう・・??

 おもうに勘当でもした、不肖の息子だったのでしょうか・・・・それにしても妙な出来事でした。

 今となっては、本当にいい人だったので、よかったようなものの、結構無茶してますねぇ・・・ま、法隆寺でのいい思い出であり、ちょこっとミステリアスな体験でした。


御嶽山登山へっ!

 2003年7月5日・・・・梅雨の合間の好天です。なぜか、朝起きて「よし御嶽山へ登ろう!」と思い立ち、速攻で出かけます。

て・・別に木曾の御嶽山に登るわけではありません。いくら、学生時代山登りをやっていたとはいえ、そんなにすぐに木曾までは行けませぬ。
 実は、多摩川を越えて、東京都大田区に「御嶽山」があるのです。というわけで、自転車でのお出かけになりました。(笑)

 東急電鉄の池上線に「御嶽山」という駅があります。その近所に「御嶽神社」があることが、記憶の片隅にあって本日行く気になったというわけでした。
 東急御嶽山駅
なんと、我が家から自転車で20分ほどで、御嶽山駅に到着・・・山なんかないので、登山ではないですねぇ・・(笑)
 駅前商店街をすう10mもいくと、道が右折して曲がると、すぐ「御嶽神社」の入り口の鳥居があります。・・あり・名前の割には参道がないぞ・・・それとも、ここら辺の商店街が参道なんだろうか??
  鳥居をくぐると、すぐに檻にいれられた「捕らわれの狛犬」が・・・あるサイトでは、「夜になると、暴れだすのでしょうか・」なんて書かれてましたが・・・たしかに本殿の前の狛犬は捕らわれておりません(笑)
  しかし、説明板も何もないので、捕らわれの理由は不明です・・

御嶽山鳥居御嶽山狛犬御嶽神社社殿








 さらに裏手をまわって、本殿の裏側の写真です。こうみると、東京都内の大田区の神社には見えないでしょう。御嶽神社って、木曾の御嶽山に本社があって日本全国にある分社のひとつなのです。
 本殿前の掲示板には夏の「木曾の御嶽山登山ツアー」のポスターがありました。しかし、木曾で2泊3日で6万は高いような気もしますが・・・
 帰りは、桜の名所で有名な「さくら坂」を通って帰ります。しかし暑いなぁ・・・さくら坂は桜の季節に来るに限る・・(笑)  家にかえって時計をみたらトータル1時間30分の「御嶽山登山??」でありました・・・朝の散歩なみ(笑)


飛天の居場所・・・

 伊豆の長八って人物ご存知ですか?別に大親分じゃありません(笑)
 自分は恥ずかしながら、彼の作品を見るまで知りませんでした。
 作品というからには、何かを作る人であります。簡単に紹介しましょう。
 伊豆の長八(本名 入江長八)は静岡県伊豆の松崎町に1815年(江戸時代)に生まれた左官屋です。といっても、当然ただの左官屋ではないわけで・・・
 彼は、江戸へでて狩野派の絵を学び、漆喰で立体的に絵を描き岩絵の具で彩色するという独特の鏝絵(こてえ)という分野を開拓した人物です。日本橋茅場町の不動堂再建のときに、左右の柱に龍を描いて、名声を博したのですが、江戸(東京)の作品はほとんどが焼失とかで現存せず、残るものは彼の故郷の伊豆松崎町に残っています。
 当初は、絵のうまい左官屋という職人としての評価だったらしいですが、近年彼の作品の芸術性が相当、見直されているということです。
 知らなかった自分は当然、彼の作品とは「初対面」です。今夏になぜか伊豆松崎に旅行に行き、作品と対面する機会を得ました。

 最初に行ったのは、「長八美術館」です。入館料500円を払い、近代的な鉄筋の建物の美術館に入りますと、大小いろいろ、彼の作品が展示してあります。
 確かに漆喰を塗り上げて立体的になっています。大胆かつ繊細な絵が展示してあります。(細かい細工が多く入り口で拡大鏡を貸してくれます)
 印象的なのは「龍」と「春暁」という絵かな・・
 龍はそのもの・・もともと、修善寺の露天の温泉から見上げる壁に作られたものです。「春暁」は平安の女官がすだれを上げている図で、春の情緒が感じられる綺麗な絵です。双方とも高さ2mくらいの大きな物です。
 しかしながら、なんとなく違和感があるのです。綺麗な絵なら「漆喰」で出来ているという点だけが珍しいだけなのか????

 そんな違和感も持ちながら、次の「長八記念館」に行きます。ここは浄感寺という寺で、長八が幼少のころ育ててもらった寺であり彼の菩提寺でもあります。
 そしてその寺が再建するときに、すでに有名になっていた長八が寺への恩返しにということで、寺の壁に漆喰の絵を描いたのが残っています。
 ここも入場料400円を払い中に入ります。かなり老朽化した寺で、先ほどの近代的な美術館とは対照的・・・靴をぬいであがると、木造の床がギシギシきしみます・
 中央には本尊の阿弥陀が安置されてます。その両側が小部屋になっています。入って、説明を聞いてその小部屋に入りました・・・小部屋のランマにあたる部分の壁が漆喰絵になってます。
 彼の代表作と言われる「飛天」です。
 部屋にはいったとき、思わずおぉっと声をあげてしまいました。
 綺麗とか、うまいとかそんなんじゃないんです・・「素晴らしい」としか言いようがないのです・・
 「飛天」は左右両側の部屋の壁にあり、撮影禁止なのでパンフの写真をスキャンしたものをアップします。(パンフからなので、中央に折れ線がはいってしまってます・・

飛天

 これだけみても、その良さはきっと伝わらないのですが、先ほどの美術館での違和感がわかったのです。
 漆喰で絵を描く・・・それは、その壁にその絵があってこそ、価値があるものなのです。この「飛天」をみればわかります。
 そこには、長八が恩を感じて、製作に1年をついやしたという、まさに壁画がそこにあるのです。長八の心が、そこにあるからこそ伝わるのです。
 その寺の壁こそが「飛天の居るべき場所」なのでしょう・・・
 そう、美術館にある作品のように、壁からはがしてあんなところに展示してはいけない・・・・・のではないでしょうか・・・
 伊豆松崎に行かれる機会がある方は是非、見比べてください。
 惜しむらくは、長八は鏝絵の後継者をとらなかったようで、彼一代限りの芸術となってしまいました


明日香の石たち

 奈良の飛鳥には、妙な石の遺跡があります。半ば正体のわかっているものも、あります。「鬼の雪隠」「鬼の俎」「石舞台」などがそれで・・・・これらは、墳墓といわれています。
 しかし、かなり正体不明なものもたくさんあります。
 自分的には「亀石」「酒船石」「岩船」これらが、とくに興味を惹きます。

とりあえず写真をみましょう。
酒船石
「酒船石」・・いったいなんでしょう。酒を造ったという伝説から「酒船石」なんて名前がつけられました。
 おもしろいのは、小松左京さんのSF小説「果てしなき流れの果てに」で、「古代のタイムマシンの残骸」としてでてきます。(かなり苦しいかな・・)
亀石
「亀石」・・みるからに亀ですが、飛鳥の畑の真ん中にあるのです。寺や神社にあるのではありません・・・
 諸星大二郎さんのマンガ「暗黒神話」では、都を守る「玄武」として描かれています。しかも、亀が動いて、ある方向を向くと何かが起こるとかいわれて、マンガ中では、亀石がぐるぐると動きだすシーンがあります。
 亀石が動くってのは、もともとの伝説だったような記憶があります。

「岩船」・・上のふたつにくらべて、マイナーなのですが、自分的にはもっとも惹かれます。

岩舟正面岩舟頂上






高さ2mくらいの大きな直方体の岩・・・上に登ると、綺麗な四角形の窪みが二つ開いています。
 古代の天文に使ったという説もあります。やはり、諸星大二郎さんの「暗黒神話」では、なんとコールドスリープの装置だったとか・・・

 これが丘の中腹に忽然と置かれていて、その山が神体とか、神社などが近くにあると言う感じではないのです・・・
 かなり、不思議な雰囲気の強いものです。

 何にしろ、これらの石達は、あまりに不可解な存在で、なかなか自由な発想を引き起こさせてくれる代物ではありませんか。
 古代の日本人は、いったいどんな目的で、またどのような技術で、これらの代物を作ったのでしょう・・


金座、銀座、銭座・・・

 毎日、会社にいくと川を歩いて渡ります。その橋の名前は「鷹匠橋」と書いてあります。ひょっとして、江戸時代以前に近所に鷹匠が住んでいたのかなぁ・・なんて思いながら毎日渡っています。
(ちょこっと調べたら日本全国、鷹匠町、鷹匠橋ってのはたくさんあるようです。自分が住んでいる、近所にもありました・・やはり、江戸時代の鷹匠関係のようです)
 自分は静岡の出身で、静岡市には「鷹匠町」という名称の町があり、その名の通り「鷹匠たちが住んでいた町」であったという話を、小学校中学校の社会の時間に何回も聞かされます。(笑)

 それと、同時に聞かされるのが「金座」の話・・東京にはご存知「銀座」があります。これは江戸時代に「銀貨」(今の貨幣と違い、一分銀、一朱銀といった長方形の銀貨や、豆粒のような銀)を鋳造していた「座」があったので、その由来の地名なのです。
一分銀一朱銀寛永通宝
 なので、静岡(当時の駿府)の「金座」は、「金貨」を鋳造していた座があったところであります。事実、静岡の安部川奥の梅ヶ島には金山がありました。いまでも安倍川では砂金は捕れるのではないでしょうか(採算はあわない)

 写真は、なぜか所有している、「一分銀」と「一朱銀」「寛永通宝」です。一朱銀の裏に「銀座」の文字があります。ちなみに、四朱で一分、四分で一両でした。

 そして、疑問に思っていたのは、わが中学校があったところ・・「銭座」です。
 これに関しては説明を聞いた記憶がないのですが、金座、銀座の由来からみるに、銭座(ぜんざ)は銅銭を鋳造していた座があったのでしょうか・・・
 これも、ちょこっと調べてみたら(あーーなんてネットは便利なんだ)、もともと全国15ヶ所に、銅銭、鉄銭を鋳造した銭座はあり、静岡も入っているようなので、間違いないでしょう・・

 このように、はっきりと由来のわかる地名も、意外な場所にあったりして興味深いものです。


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