京極夏彦

目次
1京極夏彦リトグラフ展
2その本の厚み
3呪と式のこと
4「陰摩羅鬼の瑕」読了・・
5購入してまで再読っ!
6「僕たちの好きな京極夏彦」!
7「日本の幻獣展」見学
8「呪い」の実在
9招き猫・・・右手左手?

京極夏彦リトグラフ展

  2003年の2月、横浜の高島屋で、京極夏彦さんの「リトグラフ展」がありました。京極ファンとしては、見ておかなくては・・と、無料であったことも手伝って(笑)、会社をさぼって見に行きました。
 はじめて見るのですが、見る前は「小説家の趣味の範疇」くらいにしか思ってなかったのですが・・・・・見て、ビックリ!!!
 一色刷りなのですが、その色使い、細密さ、妖怪への思い入れ(作品はすべて妖怪の絵)、見事な表現です。とくに、小説読んでいると、その思い入れが、伝わってくるようです。
 すでに、50種類描いておられるそうで、「百鬼夜行」で、50づつ上下巻で画集を出すとかいう噂も、会場で耳にしました・・・・うーーん、高そうだけど画集欲しいなぁ・・

その本の厚み

 京極夏彦さんの長編は厚い。以前から京極夏彦さんの名前は知っていて、興味もあり、読みたい読みたいと思ってはいたのですが、その本の厚みを見て、気楽に読んでみようという感じではありませんでした。
本の厚み
 写真は、好きなミステリー綾辻行人さんの「十角館の殺人」と京極さんの「狂骨の夢」です。
 両方とも、講談社文庫での比較です。「十角館の殺人」が400頁弱、「狂骨の夢」は1000頁弱・・「狂骨の夢」は京極長編の中で一番厚いわけではありません・それでも持つのも疲れるくらい厚いのです。これだけの厚みの本を、買って読むにはかなりの気力が必要でしょう。
 幸いにも、我が家の近所には市立の図書館がありました。そこで、以前から気になっていた京極さんの本が置いてあるのをみつけたのでした。このときは気合で「よし、読んでみよう!」と思い借りるならタダだという気楽さもあり、そこにあった一番分厚い「鉄鼠の檻」を借りました。写真の「狂骨の夢」より厚い・・
 おそるおそる読みはじめましたが・・・・”はまる”・って感じがピッタリ・・ストーリもさながら、でてくる登場人物・とくに京極堂のしゃべりの部分・・こんなに、のめりこんだのは初めてでした。
 普通なら厚い本を読み出すと、「あとどれくらいで終わりだなぁ」と思いながら読んでいた自分が、その本に限っては逆だったのです。
 「この世界に浸っていたい。読み終わりたくない。」と思うようになっていました。まさに、「京極ワールドの虜」になってしまったようです。
 「鉄鼠の檻」を読み終わったあと、残りの長編は、購入して次々と読破しました。そのワールドに浸りたいがために・・・・・
  あーーー早く、新刊がでないかなぁ・・・

呪と式のこと

 最近ちょrっとはやりの陰陽師・・・よく「呪(しゅ)」と言う言葉を聞きます。
 マンガの陰陽師(岡野玲子さん)を読んでもいまいち理解しにくかったのですが、京極さんの小説「枯獲鳥の夏」の中で、現代の陰陽師京極堂が小説内で友人に説明するくだりがあります。
 よく漫画陰陽師でも「名前ってのは呪なんだよ」と言っていますが、いまいちピンと来ない説明だったのです・・しかし、京極さんの小説内の説明はちょっと長いのですが、非常にわかりやすく説明してあります。
 人がその自分の名前によって、行動が制限されてしまうっていうことの説明ですね。自分は、詳しくもうまくも説明できませんが、ミステリーファンだけでなく、陰陽師ファンも読むと知識が増えた感じがします。

 陰陽師関係でもうひとつ「式」という言葉がでます。「式神」とかの式です。これも小説内で、説明されてます。「式を打つ」というのは一般的に言い換えれば「呪いをかける」ことに近いようです。(異なることらしいのですが)
 科学的解釈では「呪いによる殺人は不可能」ということになってます・・・・・・・

 「式」というのは数式と同じなのでそうです。たとえば、「5」という回答を得たければ「2+3」とか「10÷2」とか、正確な「式を打てば」正しい解答が得られます。
 それと、同様に、世の中の複雑な人間関係を正しく認識理解できれば、「A氏が死ぬ」という回答に対して「正しい式を打つ」ことが出来るのだそうです。つまり、「正しい式」なら人を殺すことも可能だ・・というような説明がありました。

 まぁ、殺人は物騒なのですが、「式」と「数式」は同じで、正しい解を得るには正しく式を打つという概念は、自分にはわかりやすい説明でした。

 京極作品には神道、仏教、キリスト教などが絡んできて、そのあたりの価値観や倫理観を崩すあたりも、とても興味深いものがあります。

 とりあえず、陰陽師ファンのかたは一読をいかがでしょうか・・
 それにしても、新刊が待ち遠しい・・・・・

「陰摩羅鬼の瑕」読了・・

注!!:少々ネタばれ・・(未読の方注意)

 今回も、分厚い作品でありました。
毎回、京極堂シリーズは事件の裏に宗教観が漂うものが多いです。神道、仏教、キリスト教などなどが、いままでのシリーズでは事件の背後にありました。
 今回は儒教が対象となっています。
 現代の日本人は、文明国にしては「宗教を信じる」ということにかけては、うとい国民のように、自分は感じています。しかしながら、その倫理性は、結構ちゃんとしているようです。
 自分は、以前から儒学が日本人の価値観や道徳観を決めている要因ではないかと思っていました。今回の京極小説でも、おなじようなことが書かれております。
 日本人の倫理観を統一するものとして「教育勅語」をあげていて、それはあきらかに儒学の影響であると・・・・
 注意すべきは、「儒学」であって「儒教」ではない・・・「儒教」と言った場合は「教」であるので、あきらかに宗教性であるわけです。しかし、宗教観を教育勅語にいれると、受け入れられない可能性があるので、「宗教性」をのぞいた部分だけを教育勅語に反映させたという・・
 そして、その宗教性は仏教に押し付けた。(その張本人が林羅山であるという仮説・・・)

 われわれが、墓をたてて、祖先を祭ったりするのは「儒教」の賜物なのだそうです・・仏教では、そういったことはもともと奨励していない・・
 ここらあたりの「薀蓄話」は相変わらず、非常におもしろくて、興味深いところです。

 そして今回の話は、儒教の研究者の息子が、その閉鎖された世界で育ち、他人とは異なる価値観を持ってしまったが為の悲劇を描いています。

 ただ、今までのものとくらべ格段に話のフィールドが狭い・・・・
 基本的には、事件の現場である「鳥の城」の場面だけです。事件自体もいたってシンプルであり、中心は京極堂の「憑き物落とし」の部分であろうと思っていて、あるていど予想通りでありましたが、その部分もわりとあっさりめ・・という印象でした。
 独特の閉鎖された世界での、ちょっと捩れた儒教の価値観とか概念とかの部分にかなりのページを割いている作品でした。

 いつも京極堂ものでは、事件の真犯人とか殺人のトリックとかは、自分の場合あまり重要ではなく、犯人もしくは特異な登場人物たちの「憑き物落とし」の部分を、もっとも期待して読んでいるのですが・・・・
 それでも今回の作品に関しては、少し物足りなさを感じました・

 あまりにも、設定と事件と真犯人がシンプルすぎたのではないでしょうか・・
 真犯人も、展開も、ほぼ想像したような展開で終わってしまい、ちょっと意外感に欠けたキライが強かった感がありました。

 本の厚みももう少し欲しかったかな(笑)
 やはり、自分的には、いまだ、「鉄鼠の檻」「魍魎の函」「絡新婦の理」がベスト3・・・・・
 次作をまた何年か待つのでしょうね・・


購入してまで再読っ!

 ミステリーやSFを好んで読みます。(といっても読書量は少ないほうでしょう)
しかし、ミステリーに関しては、今まで再読ということをしたことがありませんでした。トリック重視というか、犯人あて殺人方法あてが主体のミステリーにおいて、いかに複線が巧妙で、いかに予想外のトリックであっても、いかに素晴らしいミスディレクションでも、わかっている結末を読む気にはなれなかったというのが正直な心でしょう。

 たしかに、他のミステリーファンでは、再読を良くする人がたくさんいることは知っています。
 どうも、結末やトリックやミスディレクションがわかっているミステリーを読むのはネタのわかっているマジックをみるような感じなのです。
 マジックをやっている自分としても、ネタがわかっているマジックの演技は自分が実際にやるときの参考にはなるけれど、「純粋な観客」として楽しむことは出来ないのと似ています。

 しかし、今、ミステリーを再読しています。

 再読しているのは、京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」・・・京極堂の長編シリーズです。この後も、さらに続けて再読する予定です。

 特に「魍魎の匣」は、読んだときは図書館から借りたため、手元に本がないので、再読したくて書店で、文庫版を購入しました。再読もそうですが、蔵書にしたい欲求もあったのです。

 当然2回目なので、ストーリーや犯人もわかっています。しかも、ご存知のようにこれらの長編シリーズは桁違いに「分厚い」本です。再読といっても、かなり大変なのですが・・

 再読しようとおもった理由のひとつに、小説中にでてくる京極堂の薀蓄があるのです。話の進行上必要な内容なのですが、その部分の論理展開をもう一回読みたいというのが、そもそもの理由でした。
   「霊魂(幽霊)はいると思っている人間にとってはいるけれど、存在はしない。」
   「徳川家康とダイラボウシは、同じ認識点にたてば、両方とも実在したと、信じていいはずだ。」
   「超能力と占い師、霊能力者、宗教家の違い」
   「脳と意識の役目」などなど・・

 読み返してみると、いかに自分がちゃんと読んでなかったかがわかるものです。
 これらの話は、価値観とか倫理観とかが関係する話も多く、考えさせらる話が多いのも特徴で、なんとなく自分の価値観も変わってくる気持ちになります。
 しかし、再読すると、それ以上にこれらの話が、うまく小説にからんでいく様を再読したほうが楽しめて読めるのも、京極堂シリーズの特徴かもしれません。
 当初の再読し始めた理由も忘れ気味に、ストーリーにのめり込んでしまっています。

 これからの再読も楽しみになってきました。
 しかし、分厚い・・・


「僕たちの好きな京極夏彦」!

 別冊宝島から、こんな題名の冊子が出ていました。本屋で見かけたときは、直木賞にあやかって、発売したのかと思ったら、初版が2003年の9月だったんで、そういうわけでもないようでした。
 その時期といえば、最新京極堂シリーズの「陰摩羅鬼の瑕」も発売前の時期・・・

 この宝島の「僕たちの好きな」ってのはシリーズのようで、「僕たちの好きな三国志」「僕たちの好きな水滸伝」と購入してます。(はっ何気に「僕たちの」シリーズのファンなのか・??・・笑)
 内容は、冒頭が、京極さんがファンクラブの一員である「水木しげるさん」のインタビュー記事・・・妖怪の大御所から・・・・
 他には、おもに京極堂シリーズにおける登場人物の思考や行動の解説です。
それとともに、いろんな人たちが、それぞれのテーマにおける論説のようなものを書いています。
 たとえば、「真言密教立川流」の話とか「性差とジェンダー」の話とか・・・いろいろ・・・・・

 その中で、とても興味深かったのは、「狂骨の夢」はノベルズと文庫版では、かなりの加筆修正がされているという話でした。
 話を書いているのは、精神科の医学博士の方。

 「狂骨の夢」では、元精神科医とかが登場したり、記憶喪失の女性が登場したりと、精神分析が小説の主要な部分を占めています。
 そのお医者様は精神科が専門のため、ミステリーで精神分析等がテーマになっているとミステリー作家が犯す間違いを探すのだそうです。
 大概の場合、あきらかな間違いがあるのですが、さすがに京極夏彦!おおきな間違いはなかったと・・・

 そこで、彼は「アラ探しモード」に突入し、ついに2点ほど、「夢の分析」の部分と「記憶喪失」の解説にわずかながら「間違い」というべきものを見つけ出し、それを「精神分析の呪縛〜狂骨の夢批判的読解」という対話文を発表したのです。

 しかし、京極夏彦は「狂骨の夢」を文庫版化するさいに、ここに批判されている部分を見事に加筆修正してしまったという話です。

 その反論は小説中の京極堂が喋っている科白で言わせているのですが、批判文を書いたお医者さまも、「見事!!」の一言・・・・

 ちなみに、そのお医者さまも京極の熱烈ファンであることは間違いまいようです。念のため・・・・
 ノベルズのみ、もしくは文庫版のみしか読まれてない方(自分もそうですが)・・時間があれば修正箇所を探す楽しみもありそうです。
 修正箇所探すのは、とても大変でしょうが・・・


「日本の幻獣展」見学

 真夏のある日、近所をウロウロしていると町内の掲示板に妙なポスターが・・。
真っ黒い坊主のような化け物の絵・・・おっ妖怪関係・・・京極ファンなら、妖怪には即反応です。
 よくみると、そのポスターは「日本の幻獣展」の案内でした。やっているのは近所の川崎市市民ミュージアム・・9月5日まで開催しています。
 し、しかも7月21日はなんと京極夏彦さんと小松和彦さんのトークがあったもよう・くーー逃してしまった。(痛恨!)
 まぁ、気を取り直して、妖怪ならば見に行かねばと、ようやくのこと足を運ぶことにしました。

幻獣展パンフ
 朝の9時半が開館なので、それにあわせて出かけます。はやければ空いているだろうと・しかしまぁ、妖怪好きなのかどうか、数名の先客が・・入場料だって900円もするのに。

 展示内容は、過去から目撃譚のある文献と、その幻獣のミイラなど・・・。一応、種類別に展示してあります。

 「河童」「人魚」「龍」「雷獣」「天狗」といった具合です。
  文献には京極さんの小説に、よくでてくる「画図百鬼夜行」「耳袋」「耳嚢」などの写本・・・写本とはいえ、古めかしい古書!!・・なんか感動ものです。
 手にとってみたいくらいなのですが、ガラス張りのなか・・少し残念。

 ミイラ関係はテレビなんかでも有名なミイラが展示されています。さすがに実物(ミイラの実物って意味ね・・)を見るのは初めて。
 こりゃーいきなり見せられたら信じちゃうかもね・・龍のミイラや雷獣のミイラ、カラス天狗のミイラは初耳ものでした。

 目撃譚も江戸時代以前のものもあれば、実際昭和の時代の新聞の記事もあるわけなのです。
 例えば、記憶にあるところでは「つちのこ」「クッシー」「ひばごん」などなど・・
 たしかに、あのときの騒ぎを考えると、京極堂いわく「昔だからって人の判断力はそうは違わないはずだ。」てことでしょう・・

 広い地球上、まだ知らない生物がいたって不思議ではないです。
 展示されていた文献に、実在する大山椒魚やマンボウが他の雷獣などといっしょに描かれています。その文献が書かれた時点では、山椒魚やマンボウは、雷獣などと同じ程度に謎の生物だったわけですね。

 昔と今では、存在が証明されている生物の数がふえているってだけで、見知らぬ生物への期待感みたいなものは、今も同じようにあるようです。

 そういえば、「つちのこ」生け捕りしたら賞金2001万円ってポスターも展示されてましたが、その賞金はいまでもいきているのでしょうか・・


 
「呪い」の実在

 最近、京極夏彦さんの短編小説「百器徒然袋〜風」を読みました。そのなかの一編、「面霊気」の中に、「呪い」についておもしろいことが書かれていました。

 現代でも、「呪い」は実在するし、「効力」もある、・・・・という話なのです。
 しかし、呪いが効力を発するための「何らかの神秘的な力」というものは存在しない。  と言い切っています。
 では、なぜ呪いは効力があるのか・・・・

 この短編以外でも、京極さんの小説内で、度々説明されてきたことなのですが、呪いが効くには、その呪いと同じ文化の土壌(宗教とか哲学とか倫理観とか・・)がある範囲でしか効かない・・・同じであれば、効くといった説明がありました。
 いまいち、ピンとこなかったのですが、この「面霊気」での、小説中の説明は、かなり理解できました。

 小説では、封印され、「禍」とかかれ、「この面を被ったものは死に至る」といわゆる「呪いの言葉」が書かれていた面が登場します。
 そして、その説明に、「死ぬことはない。でも呪いは効いたでしょ。あなたは、この封印を誤って解いてしまい、かつ、被った時から、何か悪いことが身に降りかかるのではないかと不安になっているわけですよね。それが、呪いが効いているということです。」
というような説明がされています。
 たしかに・・・


 「祝」と書かれた、お祝いの品物をもらえば嬉しい気持ちになる。(これも呪いの一種か)
 しかし、「呪」と書かれていたら、嫌な気持ちにもなるし、場合によっては廃棄してしまうかもしれない・・・としたら「呪い」は効いたことになるわけです。


 そういえば、学校の教科書でも、日本の大いなる「呪」を習いました。
 そう、奈良法隆寺の「救世観音」です。
 この観音像は、1000年もの間、白い布でグルグルに巻かれ、これを解くと天変地異が起こるという言い伝え(呪い)が、観音像を1000年もの間、封印していたのです。
 そして、その封印を解いたのは、文化の異なるアメリカ人のフェノロサでした。
 解くときに寺の坊主たちは、天変地異が怖くて逃げ去ったといわれています。

 まさに呪いが効いていた証拠ですね。1000年もの間・・そして呪いを解いたのはアメリカ人・・・


 最近テレビで、浦島太郎ゆかりの神社が旅行番組で出てきました。
 そこには、「玉手箱」が宝物として、あります。
 しかし、神主さんは、「この箱は何があっても開けてはならないのです。悪いことが起こるといわれています。」と言って、番組内では開けさせませんでした。
 実際に神社で開けたかどうかは、わかりませんが、現代でも効力を発し続けている「呪い」はあるようです。




 
招き猫・・・右手左手?

 京極さんの「百器徒然袋〜風」に「五徳猫」というのがあります。
招き猫の人形が騒動の発端になる話で、そこに招き猫発祥の地ということで東京の豪徳寺がでてきます。
 うちから、近いこともあって、豪徳寺へいってみることにしました。

  豪徳寺という駅が小田急線上にあるのですが、急行が止まらないので、ひとつ手前の経堂から歩き歩きます。
  世田谷の入り組んだ道を、うろうろとあるくと、世田谷線の宮の坂駅がみえて すぐ向こうが豪徳寺です。

三重塔
  山門はかなり大きく、地図で敷地もみていて、大きなお寺であることが、わかります。
なんでも井伊直弼の墓があるようで、京極さんの本でも井伊家の菩提寺であることが紹介されてます。

  山門をはいるといきなり、できたばかりくらいの三重塔が目をひきます。 本堂はなんてことないので目的の猫のほうを見に行きます。


猫仏壇
  招福観音と提灯の下がったお堂の中には、猫の仏壇(?)があって、いきなり興味をひきます。

 お堂のよこには、招き猫を納める ところがあって大小の招き猫がところせましと・・・
なかに、変わった色の猫や、待ちがえて達磨がいたいりしますが、ご愛嬌というところでしょうか。


  ここの猫は、右手上げばかり・・・ たしか、右手は「福(金)寄せ」左手は「人(客)寄せ」と思ってたので、招福なので、右手なんだなと漠然と思ってました。

  しかし、「五徳猫」を読み返したり、他のサイトで調べてみると、「右手上げ」は民間では珍しいほうらしいですね。 
奉納猫
 豪徳寺のは、珍しいのか・・・・
   さらには、どうも招き猫の人形としての発祥は 東京の今戸神社の今戸焼きのようなのです そちらは、左手上げのようですね。

   ・・・豪徳寺の方が時代が新しい・・


  それを、知ってか、豪徳寺近辺で、招き猫はあまりフィーバーしてないようですね・・寂しいくらいひっそりとしています。

  でも、豪徳寺ゆかりの井伊家の彦根では、招き猫のお祭りもあるようで、そっちは賑やかなのかもしれないですねぇ・・


 いずれにしろ、招き猫は、いろいろと謎が多いようです。




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