京野菜の歴史

京野菜の伝統
 京都では約1200年も前から野菜が作られていました。長い間都であり、日本の中央に位置する京都は日本の東西・または中国などから野菜が伝わり栽培されるようになりました。

そもそも日本の気候風土は野菜の栽培に適しているといわれています。中でも京都は夏が暑く、冬は底冷えがやってきます。京都が山に囲まれ盆地になっているからでしょうか。
また、東西北の山から花崗岩の風化した砂質土壌と粘土の堆積土壌は火山灰の土壌とは違い肥持ちがよく肥えたものです。

 それに加えて、公卿や貴族が多く住んでいた平安京には高級食材が求められましたが、海から遠く離れた京都(市内)では新鮮な魚介類を手に入れることが困難であり、品質のよい野菜を高級な食材として利用していました。
 さらに、鎌倉時代に広まった禅宗などの新しい仏教が盛んになると精進料理が広まり、高級な食材とされてきた京野菜が一般にも普及してきたと考えられています。

 このように、京野菜は気候・土壌などの土地の風土に加え、平安京以後の都としての歴史的な経過とともに発展・維持されてきたのです。
時代の経過とともに・・・
 京野菜が発展した背景は上の通りです。
が、1000年以上も同じ畑で生産されているのかといえば違うものもあります。時代とともに産地の移動が行われています。
 ですが、京都は比較的市街地農業が盛んなところです。東京や大阪・名古屋のように市街地化の広がりが少なく、今現在でも京都市内にはたくさんの畑があります。(上鳥羽もその中の一つです。)

 時代の経過とともに京野菜の産地も多くが移動しています。例えば、漬物で有名な壬生菜(上鳥羽でも生産していますが・・・)その名のとおり発祥は京都市中京区壬生です。しかし、壬生で現在壬生菜を生産しておられません。(おられたらすいません、勉強不足です。)
上鳥羽では壬生に継いで盛んでしたが上鳥羽での生産量は減り、現在は漬物用の大株はもっぱら滋賀県産・小束は京都府船井郡日吉町産が多いようです。

(もちろん、上鳥羽では現在でも大株も小束も壬生菜を生産しています。生産量は減少していますが・・・)

夏の京野菜の代表格である賀茂茄子も名前のとおり、上賀茂や西賀茂が産地としては有名ですが、現在流通しているもののほとんどは綾部市や亀岡市産です。

これらの産地移動は、市街地化とともに農業をすることが難しくなったともいえますし、後継者不足の問題や、農地が資産としての価値をもつようになり農地として利用されなくなったなど様々な問題がはらんでいます。

 
 
上鳥羽産の特徴
●大きな川に挟まれた土地と平安時代から育てられた土
上鳥羽産の野菜がおいしいと評判になる第一の理由が川に挟まれた地形にあります。
上鳥羽は淀川水系の一級河川の賀茂川(鴨川)桂川に東西を挟まれるように位置しています。
また、鳥羽街道と平行するように桂川の支流である西高瀬川が流れています。

 平安京の時代に碁盤の目のように道路が整備されるとともに物資の運搬のため多くの川が整備されました。堀川・今出川・白川など現在でも京都市内の道路にその名を残しています。

 平安京を流れる川のほとんどが鴨川や桂川と合流し、淀川から大阪湾へと流れていたわけです。平安時代から現代までの時代の流れとともに消えていった川もたくさんありますが、京の都の東端を流れる賀茂川と西端を流れる桂川は平安期より洛中を流れていた数本の川と合流し、現在の上鳥羽を少し下った(南に下がった)伏見区下鳥羽で合流し、淀川へと流れていったわけです。

 淀川水系の中でも大きな鴨川と桂川は京都に雨が降ると下鳥羽での合流地点での水嵩が増し、上鳥羽付近で大洪水に見舞われたと聞いています。また、西高瀬川の整備以降は合流地点で増した水流は西高瀬川を逆流し、上鳥羽一帯に洪水を巻き起こしたといいます。

 その川の氾濫によって上鳥羽の土は肥えた本当においしい野菜が育つ土になっていったのです。京都は平安時代からの都です。多くの貴族が御所を囲んで生活し、人口もその時代のほかの地区に比べても比にならないほどであったことでしょう。
 また、その時代には今の下水道もなくゴミ処理場もなく、そのほとんどを川に流していたのだそうです。ゴミといっても現在のような資源ゴミなど存在しません、放っておいても土に返るようなものばかりであったことでしょう。その川が氾濫する度に上鳥羽の土に栄養を与えたのです。

 現在でこそ、西高瀬川や桂川・賀茂川が氾濫することはほとんどありませんが、私の母が子供だったころ(40〜50年前)にはまだ洪水があったそうです。

 すなわち、平安時代・鎌倉時代・室町時代・江戸・明治・大正・昭和と氾濫を繰り返した河川によって上鳥羽は全国でも有数の農作物に適した肥えた土を持つ土地となっていったわけです。

 上鳥羽の生産者の方々はよく畑の隅のほうに花を植えておられます。毎年きれいな花を咲かせます。おばさんに聞いてみると、肥料など一切やったことがないらしいです。(もちろん、野菜には必要に応じて肥料を与えますが・・・)勝手に種を落とし、何もしなくても自然と花が咲くそうです。これも上鳥羽の土のせいかなぁ・・・と思ってしまいます。
●生産者各々の家庭が持つ伝統・職人技の継承
 上鳥羽産京野菜がおいしいとされるもう一つの理由は何といっても生産者の家庭それぞれに伝わる栽培技術と生産者個人に代々受け継がれている京野菜を観る(育てる)目です。


 上鳥羽では何十年・何百年とほとんど一年間を通し同じ作付けを繰り返しています。もちろん、上鳥羽の全ての生産者が同じ時期に同じものを作るわけではなく、家々により違いますし、葱を増やして切葉を減らすなど年により多少の違いはありますが・・・。
 一年を通して同じサイクルで、同じ作物を何十年・何百年と続けてきたわけです。ですから、「雨がこれくらい降ればどのくらい成長しているのか」、また「これだけ暑いと○○虫が大量に発生しそうだ」など、僕たちではわからない野菜と自然との会話を理解できるようになるのです。


 上鳥羽の生産者に限らず(全国の農家の方にも言えることですが・・・)野菜は種を植えるだけで勝手に芽を出し成長するものでなく、自然と上手く調和させることで成長していきます。その上手く調和させる技が生産者の技です。目に見えない野菜の悲鳴(害虫の発生前)などを敏感にキャッチし対策を講じたり、日照りが続き水を欲しそうにしている姿をキャッチし絶妙な程よい量の水を与える。上鳥羽の生産者の方々には長年同じサイクルで同じ京野菜に向き合ってきたからこそできる技があります。

 伝統の継承ばかりではなく、若い生産者の間では新しいことにチャレンジする柔軟な考えがあります。長い経験をもつ生産者には伝統を伝えるという使命感が宿っています。若い生産者は京野菜を観る(育てる)目を親や長い経験をもつ生産者の作業を観察し教えてもらいながら伝統を守る使命感を持ちます。グループを組み、情報交換されている方々もおられます。イチゴなど新しい作物に挑戦されている方もおられます。できるだけ農薬を減らそうと無農薬に挑戦されている方もおられます。

 新しい考え方も取り入れながら、これから先も上鳥羽では技が伝えられ、京野菜は伝承されていくことでしょう。

ただ、上鳥羽でも市街地化がすすみ、上鳥羽の生産者も上鳥羽よりも南下した淀地域や久御山地域で生産されている方もおられます。