ちえチャンの家
でも6月10日の空襲でこわれた教会堂の材木をもらって防空
壕を作ることになりました。家の庭に大きな穴を堀り、まわりを板でかこんで人が入
れるように作りました。
七夕さまの夜,に千葉の町はたくさんの焼夷弾が落とされ町中が火の
海になりました。ちえチャンたちは家族みんなで布団やいろいろな荷物
をかつ
いで海岸の方ににげました。多くの人たちもにげてきました。その晩は海岸のがけ
の下で夜をすごしました。夜空のお星様
がきれいにかがやいて戦争をしている
のを忘れました。千葉の町は焼け野原になりその中に赤ちゃんを抱いたまま死んで
いる女の人もいました。ちえチャンはほんとに怖くておかあさんに抱きつきました。
戦争がいよいよはげしくなって埼玉の親戚の矢島さんの家に疎開(田舎に引っ越す
こと)することになりました
田舎の学校に転校する
ちえチャンが
転校したのは春日部内牧国民学校でした。
始めて登校した日の午前中はお勉強
をしましたが、午後から.皆で縄をないました。
縄はお米を取った後の藁を手で揉むようにして長い紐にします。田舎の学校に来て
始めての事なのでびっくりしました。大人の男の人がみんな兵隊さんになって戦争
行ってしまうのでお百姓さんも居なくなって食べる物もだんだん無くなってお米の代わりに
おいも
や粉で作ったすいとんを食べていました。
ちえチャンは御茶摘みや草取りをしてお手伝いをしました。田舎は敵の飛行機が飛んで
来ないので、外でお友達とドッチボール
をして遊ぶ事ができました。
親戚の矢島のおじさんは神主さんで神社の境内は子供たちの遊び場でした。
8月6日と9日に広島と長崎に世界ではじめて原子爆弾が落とされいちどきにたくさん
の市民が焼けただれて死にました。
昭和20年8月15日終戦の日をむかえる
今日はラジオでとくべつな放送があると言うので従姉妹のしずこチャン
や近所の人たち
と一緒に庭にラジオを出して聞くことになりました。天皇陛下のお話がありましたが、よく聞き取れ ません。そのうち大人の人が泣き出して日本が戦争に負けた事を教えてくれました。
その日は青空
が果てしなくつづくとても暑い日でした。その夜から電気も黒い布を掛けないで
明るくしてすごせるようになりました。。大人の人も子供達も戦争が終って平和になってほんとによかったと皆で喜びました。
それから
戦争が終ってちえチャンは千葉のお家に帰ってきました。アメリカから民主主義というも考えが入ってきて国語や社会の本に書いてあることが間違っていると言うことで墨で黒くぬりました。兵隊さんや外国にいっていた人たちも少しづつ日本に帰ってきました。
多くの人たちの犠牲や命と交換にいまの平和があることを忘れないようにと先生から教えてもらい
ました。町にはアメリカの兵隊さんがジープに乗って走り、ガムをかみながら歩いているのを見るようになりました。
まだ日本にはキャラメル
もガムもお菓子
もなかったのでアメリカの兵隊さんがチョコレートなどをくれました。それがすごく美味しかったので忘れられません。昭和20年の冬はとくに寒くて手には霜焼けが出来てこまりました。それで校庭でおしくらまんじゅうをして身体を温めることにしました。
♪♪おしくらまんじゅうおされて泣くな〜♪♪
♪♪おしくらまんじゅうおされて泣くな〜♪♪
冬の校庭にちえチャン
たちの元気な明るい声がいつまでも聞こえていました。
昭和20年当時の先生と友達の写真です。
ちえチャンは左から3人目です。

おわり