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14/2/12 園 佳也子
黒柳「それにしてもいつも働き者の役が多いじゃないですか」
園≪本当に働き者ですよ。タッタタッタ掃除はするしねでもなかなか部屋はきれいにならないんですよ≫
「でも古くは細腕繁盛記で意地悪というわけではないですけど」
≪しっかりものですね≫
「そうです仲居さんの役で。あれ以来そういう役が続いてますかね」
≪ドラマっておそろしいですねヒットというわけではないですけど皆さんに広まるとその役が私の全性格になるんですよ。だからあの人は意地悪と決められちゃう。でも私かまわないですけどねえそう思われても≫
「今は分からないけど”よういじめたはるなあ”みたいな」
≪そういう風には言われたことないんですけど”もっといじめて”とか。フフフフフ≫
「ええもっといじめてって」
≪おもしろいんですって≫
「自分でできないことが面白いのかもしれませんねえ。前にお話があったんですけど大阪のBKっていうかNHKの放送劇団に入ってたらちょうど私と同期ぐらいだったかもしれないんですよね」
≪黒柳さんのほうがちょっとお早いかもしれませんけど≫
「でもお入りにはならなかったですよね」
≪入れなかったんです。2度落ちたんです。それで人生変わったんです。人柄も変わったんで≫
「なんでなんで」
≪自分に自信があるのにすべるっていうのは大変な自信喪失ですよね。今まではあなたが1番って言われてたのに≫
「それまでも芝居をやってたんですね」
≪ええやってました≫
「私の場合は全然違って絵本を読めるお母さんになろうと思っていったんですね。向うはテレビ女優第一号という気持ちで取ってたんですけど私はお母さんになるんだからという気持ちだったんです。」
≪ついお子さんは出来ませんでしたね。お互いですね≫
「あなたもねえ。あなたはご結婚なさらなかったんですか」
≪なさらなかったんです(笑)。徹子さんが結婚してたらどんなに大きな結婚式だったでしょうね≫
「希望は捨ててませんよ(会場笑)」
≪式は入りませんけど伴侶は欲しいかなって≫
「年上の人がいいなって思ったら結婚するなり面倒見るって言う形になりますね(笑)。」
≪下がいいですね≫
「やっぱりお母様のことなんですけど私の母もまだ健在なんですけどあなたもお母様はお亡くなりになったそうですけどずいぶんご高齢だったんですね」
≪90歳を過ぎてなくなりました。平成6年になくなりました。≫
「いつ頃から病院入ったりなさったの」
≪私が東京に行って一番ピークの時でねそのときに電話がかかって来るんですよ。おばから一緒に住んでましたから。≫
「お母様の妹さん」
≪ええそれで”姉ちゃんがあかんの。おしっこするの”っていうんですよ。である日帰ったら想像と違って家の中からすごい匂いがするんですよ。家の中に入ったら新聞紙が引いてあるんですよ。何これってきいたら姉ちゃんがおしっこするのって。≫
「おばさまっていくつですか」
≪5つ違いですかね。≫
「90の方の面倒を85の方が見るということになるんですから。」
≪私なんかねそんなに大変なことじゃないと思ってたんですよ。≫
「その時何歳ぐらいですか」
≪80ぐらいになってましたか。それを全部面倒見てくれたのがおばなんですよ。それでおばに本当に申し訳ないと思いました≫
「姉妹で面倒見るって言うのも大変ですよね。食べるものはどうだったんですか」
≪おばはね料理の天才で楽屋にもおなべにいっぱい料理を作って”みなさん食べなさい”という風に持ってきたこともあります。≫
「おいしいの」
≪おいしいの。シチューにミートボルとか洋風の物が多くて。≫
「楽屋にもいいかもしれませんねえ」
≪ですけど段々と下火になってきまして≫
「おばさまも」
≪ええ。ある日10人分くらいのお客様のお皿が出てまして黒焦げのてんぷらがあって”なにこれ”って聞いたら”今日はあなたのお客様が来るって言うから”って。でも私とマネージャーだけなんですけど。もてなしてるつもりなんですね≫
「おばさまが」
≪ええ。あ!これはきたなと思いまして母の面倒を見るのはしんどそうなんで聞いたら”お姉ちゃん嫌い”と言い出しましてね一緒に居たくないと言いまして私が帰るべきだと思うんですよでも心の中心は仕事のほうにすがり付いてるわけですから≫
「芸術座におでになったりずいぶんやってましたからね」
≪仕事に未練がありましたから何とかして考えた末ですよ2人とも入院させなきゃいけないと思って≫
「病院に入ることになったらおば様はおねえちゃんと一緒のような病院には入らないとおっしゃった」
≪まず2人を入院というよりも母をまず入院させておばを解放させて自由にさせてあげたほうがいいのかなっと思いまして。それで母を病院へ≫
「お母様は嫌だとわ言わなかったの」
≪病気じゃないのに何で入るのって言うんですよ。そうですよね年取っただけなんですよね。それなのに病院に追いやるって言うのが本当に心が居たたまれなかったですよ≫
「そうですね」
≪それと母は女学生時代に足のくるぶしまで髪の毛があったくらい髪の毛のきれいな人だったんですよ。本当にいい髪の毛で階段を下りるときはこうして持って歩いたのよって話してましたけどねえ。それがねえ先生がねえ切れって言うんですよ。寝たり起きたりで髪の毛がもつれますから。それを切らすのが大変だったですね≫
「誇りにしてるものですからねえいつも笑ってらっしゃる園佳也子さんでもこういうことがあったってみなさんにお伝えしたかったんで話してもらっているんですけどちょっとコマーシャルを」
〜CM〜
「それで病院に」
≪ええ”あなたの妹がねえしんどいの。これ以上力出せないの。それにはあなたが病院に行ってくれるほうが一番いいのよ”って言ったら”うん”といいましたね。それで髪の毛を散髪して新しいちゃんちゃんこを着た時に”ああこの人はもうこの家に戻ってこないのね”とそれを思うと涙が出まして帰ってきて欲しいけどこの状態では帰ってこないだろうと思って外にも送りに出られなかったですね。それでいってらっしゃいと中から声をかけたんですけど。それで部屋を掃除して母の残したものを洗濯したんですけど私はなんて親不孝なんだろうって本当に悲しかったです(涙で)≫
「この仕事っていうのも看病するからって間を空けちゃうと次の仕事がくるか分からないっていう仕事じゃないですか。それにお母様を病院に入れるために働かなきゃいけないというのもあったし。娘さんに世話をして欲しかったって思うかもしれませんけどお母さんにしたら他人に世話してもらったほうが良かったって思うかもしれません」
≪そうですねさっぱりしてて良かったかもしれませんけど≫
「それで病院にはいかれたの」
≪たまに帰りまして駅から病院に直行するんですけど”どう”って言って。そしたら”園ちゃん助けて”って言ってるんですよ。私がいるかも知らないで。手と足をベットにくくりつけてあるんですよ。そのころ老人問題が起こった走りの頃で付き添いの方1人が5人くらいの患者をもってらっしゃるんですよ。危ないから≫
「徘徊とかするから」
≪でも私は見てられなくて担当のお医者様のところへ行ってあれだけ早めてくださいと言ってここからだそうと。そういうときに朝日新聞のAERAで老人問題を扱ってらっしゃる方と対談することになったんですよ対談は自分のこととは違うことを話したんですけどこのひとはこういう考えをもっているんだと思って番組が終わってから電話をしたんですよ。どこに入れたらいいかってきいたらこことここがいいと。そこは北欧で勉強されていたお医者様がいるところで四日市の病院まで行きました。そして全部拝見して、先生にもお会いして話させていただきました≫
「ちょっとコマーシャルを」
〜CM〜
「あなたを女でひとつで育てたお母さんがそうなってしまうと悲しい気持ちになるでしょうね」
≪昔の母と現代の母を比べてしまうんですよね≫
「で四日市の病院で」
≪そこはねえデンマークの病院で研修されてきた先生なのでお年寄りに扱い方が上手で看護婦さんまで行き届いてるんですね。おしっこ漏らしても”誰がおしっこもらした”なんていわないで”誰が水をこぼしたんでしょうね”っていって恥をかかさない。目上の人だから恥をかかしちゃいけないというのをモットーに。≫
「そこにいってお母様は良くなりました?」
≪コロッと良くなりました。急に生き生きと笑顔が戻りました。それで私もねえお見舞いに行くのが旅行に行くみたいに”ああ母に会いに行くんだ”って前の日に寝られないという時もありました。でも老人ですから肺炎にかかって最後は肺炎で亡くなったんですけど。≫
「そのときが93歳ぐらい」
≪そうです≫
「ずいぶん療養生活が長かったんですね」
≪私もずいぶん泊まらせて頂きました。スペアベットに寝たり。あいた部屋に寝たり≫
「でもよかったですね」
≪幸せだったと思います。母と一緒にいれたことが。お仕事はめちゃくちゃでしたけど≫
「でもいつも明るいあなたがそういうことで苦労をされていて皆さんは知らないですけど大変だったと思います」
≪でも大方の方がそういう経験をしてると思います≫
「傷つけないように」
≪大切なことだと思います≫
「でもそういうことがあったんですけど今は1人になって」
≪ひたすら若い子をまってるという≫
「なにかあなたは”がめついやつ”を九州を回る」
≪今度の春に”がめついやつ”をやります≫
「ご成功を祈ってます」
14/2/13 石川さゆり
黒柳「それにしても石川さゆりさんは大人っぽいイメージがありますけど森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さんと同期生なんですって」
石川≪そうです。デビューした頃はみんな制服を着て楽屋に入ってていう感じで。≫
「でもあの中3トリオっていうのはがんばってて、お一人でがんばっているっていう感じだったんですって」
≪レコード会社も事務所もずいぶん力を入れてデビューさせてくださったんですけど波に乗り切れなかったっていうんですか。最初は事務所で3人娘を作る予定だったんですけどでも私が乗り遅れてしまったんでスタ誕3人娘で桜田淳子ちゃんが入って3人娘に≫
「そうだったんですか。演歌を歌ってる方って同じアイドルのかたでも違うのかもしれませんね」
≪そうです。でもデビューした頃は明大のマスコットガールとかもしてましたけど≫
「それで津軽海峡が大ヒットであれでバーとなった感じがあります」
≪あの歌が19歳のときにシングルカット。レコーディングは18の時なんですけど。ここで皆さんが覚えて下さったって言うか≫
「19さいでずいぶん大人っぽいですね」
≪この頃は夢中でしがみついて歌ってたっていうか。昔の映像とか見ますよねものすごい形相で歌ってて自分でいとおしくなっちゃいます。≫
「それにしても去年芸術祭演芸部門優秀賞をお取になってうれしかったでしょう」
≪毎年青山劇場で石川さゆり音楽会っていうのをやっているんですね。演歌っていうジャンルだけでなくジャズとコラボレーションをやったり歌って楽しいねっていうのをやってきたんですけど。去年は歌謡曲って言うのはどうやって生まれたのかっていうのから始まってで川上音二郎さんの”オッペケペー”っていうのからみんなの歌が始まったのかもしれないということでそっから現代まで来たというのを作ってみたんですけど≫
「それとお嬢様が18にお成りになって」
≪そうなんですよ。今日がお誕生日2月13日。18年前の2月13日っていうのは雪が降って、曇った日だったんですけど早いなって思いますね≫
「本当にね。これで引退かなって思ったんですって。結婚したら引退みたいなものが残ってて」
≪この歌の世界というのはもっと昔は違ったのかもしれないですけどテレビやマスコミが入ってきてからは結婚して引退とか子供が生まれて歌を歌うなんてって。最近はみなさんですけど子供にとって母親でありたいと思って悩みましたけど≫
「お子さんは元気な方でお子さんの先生が石川は大きくなったら酒を飲みたいような子だとおっしゃったんですって」
≪ああーああ。そうですね小学部、中学部のころはそういってくださる元気なユニークな子供でした≫
「いくら仕事でもこびるような事はしないでねとか」
≪そうなんですよ。≫
「今日で18歳なのなんかなさらないとね」
≪イギリスに留学してましてまったく1人で留学してましたでしょ日本が恋しくてしょうがないんです。ヨーロッパって”テスコ”ってスーパーがあるんです。テスコの部屋とか言いながら(笑)あそこは日本のものが売っているのよお母さんとか言いながら(笑)≫
「そうですか」
≪徹子の部屋をもじって≫「お子さんが7ヶ月のときにあなたが出演されたVTRがあるんですけどそれをコマーシャルを」
≪今何かいわれることがうっとうしいんですね自分の世界があるんだって喧嘩になっちゃうんですけどこないだあまりにも悔しかったから小さい頃はこんなだったんだよって生まれた頃、3ヶ月、半年ぐらいのビデオを見せたんです。そしたら急に自分もこうやって大きくなったのかなって、ワーというときは変わらないんですけどお母さんていいもんだなって思ったみたいで。≫
「ではVTRを」
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黒柳「今は顔が見えるけど母乳の陰で赤ちゃんの顔が見えないんですって」
石川≪おっぱい飲むの下手なんでこうやって顔を振っておっぱいだらけになってでも肩こっちゃっていまは寝巻き半分縫いで遠山の金さんみたいな格好をして飲ましてますけど≫
「それとおっぱい飲ましているとき子供が上目づかいで見てるのが可愛いんですって」
≪なんともいえない目なんですね。こういう目を見られるのは母親のこういう角度しかないんだなって思いますね。≫
「お散歩行こうかなっていうのも分かるらしいんですって」
≪大好きなんですね。”お散歩に行こう・・かな”っていうと”キャー”って喜ぶんですね。何でも分かりますね。なんでもっていうのは。≫
「ご飯なら」
≪家はみんな歌にしちゃうんですね”ご飯だ♪ご飯だ♪うれしいな。何でも食べますよくかんで。いただきます”っていうとねえマーってお口開けてんの≫
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≪夢がいっぱいで楽しそうにしゃべってますね。みなさんそうなんですけど赤ちゃんが生まれてお母さんは子供がどうなるのかしらって。10歳、15歳過ぎてくると現実の厳しさって言うんですか思うようになりませんし”うるさいな”とかいいますし≫
「イギリスに留学されたのは中学を卒業されてからいかれたそうですけど自然科学を勉強したいからということでいかれたんですって」
≪すごく自然が大好きな子でちっちゃい頃からモンゴルいってたりしてたんで自然が好きになったんです。空気をいっぱい吐いて行ったんですけどなんでしょう外国人に対する偏見とか厳しいものがあって挫折をしてというかショックを受けて2年足らずで帰ってきたんですけど。あの難しいなって思うのは中学前だと義務教育ですから学校に≫
「戻れる」
≪戻れるんですけど高校に入るときに出ちゃった子っていうのは2年いって帰ってくると帰国子女枠っていうのがあるんですけど2年弱で帰ってきたので試験を受けるといっても高校1年生の試験を受けなきゃいけない。お友達は高校3年生なんですけど自分は高校1年生でやるぞって出て行った子が帰ってきたときにもう少し日本の教育がいけばいいなって思います≫
「すっと入れるところがあればいいなって思いますね」
≪大検を受けようかなっていいながらがんばってますけど≫
「冒険家になりたいっていう方向は決まってるらしいので」
≪徹子さんのご本なんかよんでも楽しそうな徹子さんってどういう人なんだろうって。行こうかなってスタジオにって行ってたんですけど私のお仕事とか芸能界にふっと足が止まっちゃうんでお伝えしてくださいと≫
「お会いしたかったのにねえ」
〜CM〜
「なにはともあれあなたは明るい母子家庭を目指して」
≪あまり胸はっていいか分からないですけどそういって子供と過ごしております。≫
「でもお嬢さんはお友達で離婚したってとってもしょげてる人に”そんなことないよ。お父さんがいないとお風呂から上がっても裸で歩けるよ”っていろいろという」
≪はずかしいですけど≫
「でもあなたとしてはお嬢様の今後が」
≪そうですね彼女の夢に向かっていいサポートが出来たらと思います≫
「彼女は冒険家になりたいというのもモンゴルもそうなんですけどアマゾンにお仕事でいかれて・・・」
≪いや私がお仕事で中国に行ったときにそのときのテレビクルーのかたがこんど仕事でアマゾンに行くんですよといわれたら”家の娘も大好きなんですよそういうところ”といったら”じゃあ取材で連れて行きましょうか”と言われて初めましてという方々と彼女が1人で行って≫「楽しかったのかしら」
≪みたいですね。そういう不便なところで民族の方と会うのが好きみたい≫
「そういうの嫌な方ははじめっから嫌ですからね。そういうところから出てきているのかも知れませんねえ」
≪そうですね≫「ありがとうございます」
14/2/14 竹松 舞
黒柳「まずハープは自分のもの?」
竹松≪ええそうです≫
「楽器を運ぶときは運送屋さんのトラックに一緒に乗っていくんですって会場まで」
≪ええ≫
「それから調律」
≪そうですね全部自分で≫
「ピアノだと調律師の方がいますよね弦は何本」
≪弦は47本あります≫
「多いですね」
≪すごくデリケートな楽器なんですね梅雨の時期やなんかで湿気が多い時期になりますとすぐに音が狂ってしまったり良く切れるんですね弦が≫
「ええ!演奏中きれたことあります」
≪ありますね≫
「1本切れたらどうするの」
≪切れた時点でそんなに使わない下の方の弦であれば引ききってしまうこともあります≫
「足もペダルも音程が作れるんでしょ」
≪全部で7本ペダルがあって≫
「切れちゃったときは足で調節しながら演奏することも可能」
≪そういうことも出来ますね≫
「運ぶときは何が多いんですかトラック」
≪ハイエースぐらいの楽器で後ろの席を倒してしまうとハープは乗っかるので≫
「トラックじゃなくてもいい」
≪ハープだけでしたら≫
「でもこのごろ室内が冷房暖房してあるからずいぶん大変ですよね」
≪実際にステージの温度と楽屋の温度が違うとすぐに狂ってしまうので≫
「でもハーブの方でお客様の前で調律している人はいませんね。そうすると一か八かやっちゃうわけ」
≪そうですねちょっと狂ってるなと思ったら曲が終わってから直したりとか≫
「調律するものをおいとくわけ」
≪ハンマーがあるんでそれがあれば調律できるんで。≫
「優雅な楽器と思うけど体力が言ってハンマーですよ。本当はいつもミニスカートをはいてらっしゃるお嬢さんなんですけどすごいんですって足が。で今日は長いスカートのものをはいてくださったんですけど。弦の材質は何が多いんですか」
≪そうですね下のほうの低い音はスチールなんですけど羊の腸ガット弦≫
「重さは」
≪45キロぐらい≫
「よっかからせるんですかね」
≪そうですね肩に。ですから肩がこるんですよ。練習してると両方こってくるんですうけど右の肩にもたれかけさせているので負担も大きいですね≫
「学校の医学の勉強と両立させようと思ってるんでしょう」
≪そうですねどちらがというより私にとっては同じぐらい大切なものなので≫
「足をこうやってると指揮者の井上道義さんは何かおしゃったんですって」
≪岩城さんが・・・ハーピストは頭がおかしいと。本当に両手両足ですからどこが欠けても駄目ですから≫
「あれなんですって子供用のハープはないんですって」
≪あの子どこが引ける大きさのアイリッシュハープというのはあるんですね。わたしはこのグランドハープを9歳から始めたんですけどアイリッシュハープの音は私がやりたい音ではなかったので≫
〜CM〜
「あなたはいつからこれをやってごらんになった」
≪そうですね私がアメリカに2年ほど住んでた時期があって≫
「お父様の仕事で」
≪4歳から6歳の2年間をアメリカで過ごしたんですけどそのときにハープの音を聞いたんですね≫
「やってみたいなと」
≪ええ。≫
「で日本に帰ってきて9歳まで待って小さいと足が届かないので9歳まで待ってグランドハープを始めた。」
≪そうですね3歳までずっとピアノをやってまして≫
「先生はヨセフ・モルナール先生で。有名ですよね日本で習われる方は大体モルナール先生に習いますよね。お元気ですか」
≪お元気です≫
「ずいぶん長く日本にいらっしゃいますよね。日本語も」
≪ずいぶん達者でらっしゃいます≫
「コンサートをされるんでしょ」
≪はい3月3日に東フィルさんとさっき弾いた曲をやらさせていただきます≫
「東フィルと私副理事をさせていただいているのでよろしく。そうすると外科医の勉強もされているのでメスなんかで手なんか切っちゃったりしたら大変ですよね」
≪そうですね気をつけないと≫
「ご家族でお医者様が多いと医学の勉強だけでも大変なのにハープと両方でとおっしゃいません」
≪家の者はそんなに言いませんけどねえ≫
「でも両方とも好き?」
≪好きですね≫
「さっき井上道義さんがアヒルみたいだと言ったのは間違いないそうです。普通は白鳥と言われてるんですって」
≪そうです。水面下で足をばたばたさせていると言うところから≫
「井上道義さんは面白い方なのでアヒルみたいとおっしゃったそうですけど。あなたの先生のモルナールさんは男性ですけどハーピストって女の人が多いですね」
≪そうですね元々はハープというのは男性の楽器なんですけど≫
「やっぱりそう」
≪やられているかたは女の人が多いです≫
「多いですよね。きれいな方が多いですね。重い楽器ですから自分で持ち上げると言うことは出来ないですよね」
≪できないですね。まあ男の方でしたら1人でなんとか≫
「学業のほうもがんばって」
14/2/15 奥田 瑛二
黒柳「あなたは大きくなるまでおねしょをしてたと」
奥田≪生まれた日から詰襟を着て中学に行く前の日まで”世界地図”書いてたんです。≫
「何か理由があったんですかね」
≪ガラス細工のような心を持ってると大人になるまで始末をつけていたんですがいまだに分からないです≫
「トイレに行ってるという気持ちはどこかにあるわけ」
≪階段を2階の部屋から下りてトイレへ15メーター歩いていってドアをあけてジャーと。良かった今日は無事におしっこをしたという気持ちになって至福感ですよねクリアしたとでもベチャと冷たくなってエーと地獄が来るんです。≫
「でもあなたのお母様は偉い方でただの一度もみんなに分かるようにはなさらないで」
≪そうですね。毎日屋根に干すんですがそういう単純作業を淡々としてくれましてしかったりいさめたりする様な事は一切なくて淡々と作業してくれました≫
「でもお母様は東に鶏のとさかの焼いたのを置けばいいと聞けば置いてくださり、・・・ずいぶんしてくださったんですよね。でも何やっても駄目だったんですね」
≪何やっても駄目。子供だから寝なきゃいいと思うんですけど寝ちゃうんですよね。寝ることは楽しみですから。≫
「でも明日から中学生だとこの詰襟を着ていくんだと思ったときに」
≪それはねえ奇跡の自立。神風が吹いたんですよ。そのとき校長先生が前に立って訓辞をしているわけですよ。で周りを見回してもしかえっておねしょをしたらどうなるだろう。もう死ぬしかないかって思うわけですよ。そういう気持ちがこうこの野郎ってしてくれて自立さしてくれて。大人の気持ちにさしてくれたんでしょうね≫
「その晩から全然なさらなくなったの」
≪今日までしてないですよ≫
「さてあなたは先ほど自分だけかとおっしゃいましたがご存知だとは思いますけど中坊公平さん。このかたは16歳までおねしょをしてらしたんですって。ずっと毎日」
≪(反り返って)ほー、上には上が≫
「こんないすばらしい方になるんですからおねしょしててもいいじゃないですか16歳ですよ。」
≪尊敬しちゃうな≫
「だから驚くことはないんじゃないですか。さて”少女”という映画をお作りになったらまあ大変な賞をもらいになって主演もされてるんですけどちょっとコマーシャル」
〜CM〜
「モスクワで開かれた映画祭で主演の女優さんが小沢まゆさんというんですけど15歳」
≪の役ですね≫
「この方は俳優じゃないんですね」
≪ええ素人の≫
「ベネチア映画祭、モントリオール映画祭のこれからの正式出品作品になるという。とくにベネチアでは批評家たちの投票では1位だった。すごいですよねこれはあなたも主演されてるのね。」
≪まあそういう行為もありますけどそこから見える愛って言うのが際立たせたかったというか≫
「そういうものを描きたかった。これからもいろいろなところにいくと思うんですけどでもこれ作るのに私財なげうってすごかったんですって」
≪いやあーどうしても200年の年に撮りたかったんですよ。理由があって本当は40歳のときに監督をしたかったんですよでも監督になる勇気がなくてで10年間監督業というものを勉強してたんですね。で50に監督をやるぞと決めてたものですから。1950年生まれ、昭和25年生まれですね全部区切りで区切れるんですよ≫
「ずいぶん偶然ですね」
≪200年で50ですねだから51では駄目だったんですよ。5年10年と区切った人生を生きてきたものですから50で監督にならなければ生涯ならないと≫
「ずいぶん切りのいいときにお生まれになったんですね」
≪そうですね≫
「だけど私財を投げ打つし」
≪最初はそういうつもりはなかったんですけどある所にいきまして町金とかそういうところじゃなくてちゃんとしたところにいきまして上さんの紹介だったんですけど説明してわかりましたと、で手配をしてもらって映画の仕上げまで出来るお金を貸してもらってでいずれ公開されてDVDやビデオになったらお支払いしますとで今に続いてるんですけど≫
「さっきも行ったようにいろいろなところの映画祭で評価されれば戻って来るでしょうしでこれが泣けてくるのがお嬢さん2人がお金を出したんですって」
≪お年玉をやるぞというわけですよすると映画で大変だから今年はいいとか言うわけですよ”バカ野郎お年玉ぐらいやるから”と半分でいいからと返すわけですよそこまで言うものですから悪いねとか言って半分返してもらいましたけどねえ≫
「今ちょうど長女の桃子ちゃんはロンドンに勉強にいってるんですって」
≪ロンドンで絵の勉強をしてます≫
「あなたお若いから街歩いてると若いこと歩いてると思われるでしょうね」
≪こういうことがありましてね日本に帰ってきたときに夜ご飯を食べに行きましてじゃあ歩いて帰ろうということになりまして歩いて帰ったんです。長女の桃子が久々ですから僕の腕を組んでくるわけですよねでこう歩いてると後ろに上さんとさくらが歩いてるんですけど後ろから”ねえ離れなさい”というんですね。”なんで”というと”絶対駄目。見てると中年のおっさんと若い子がデートをしてるようにしか見えないから離れなさい。誰かに写真を撮られたら大変だから”と。こっちは面白がって歩いてるんですけど女房が”いいかげんにしなさい”っていってみんなで歩こうということになったんですけど。≫
「ああそうなの本当にいい家族ですね。(写真を見て)娘さんもずいぶん背が高いのね」
≪そうですねそろそろ上さんを追い越して≫
「まあ一緒に歩いてたらね」
≪そうですねもう完全に恋愛の対象ですね≫
「いざとなったらいや娘ですと言えばいいのに後ろから怒ってるのね」
≪やいてんのかな≫
「そうよ、そうよ。そういうのってねえご家族でいい家族でちょっとコマーシャル」
〜CM〜
「ご家族からお父さんにお手紙を書いてもらってます。まず桃ちゃん長女です。”父様、愛は不滅だ”いいですか。
お父様。お父さんに言いたいこと伝えたいことは本当に多くありすぎて一言ではいえません。ガミガミはいつも言えるけどね。とにかくどれだけ父を愛し尊敬しているかはいえません。ベニスでは泣いてしまって言葉にならなかったけど気持ちが伝わっていいです。お父さんへの感謝は私の第6感をいつも刺激してくれていろいろなことにいつも目覚ましてくれることです。”少女”は本当にいろいろなことを教えてくれました世界中の映画祭に行って世界中のさまざまな人種の人たちに会ったこの経験は宝です。お父さんを裏切らないような人生を送ります。お父さんの作った”少女”は本当にいろいろなことを私に教えてくれました。一生宇宙人のお父さんをサポートしたいと思ってるよん。これからも喜怒哀楽の激しい家族でいよう。もう少し大人になってね。それから母への和様への感謝を忘れるなー
その次はさくらちゃんです。
俳優のお父さんを持てるっていうのはどんな感じなのって時々聞かれる。私は別に自慢でもないしいやでもない。家ではただの親父だしお父さんだからどんな感じと言われてもただのお父さんただくせはあるけどこの年頃の女子高生はよくお父さんはきもいという私はそう思わないし思おうとしても思わない。何でかなと思ったけど私はうまれた頃から父がどんな風に仕事をしてきたか見てきたし人よりも見る機会が多かったからだと思う。父は誰よりも尊敬できるそしてはじめて監督した父を見て尊敬できるようになった。でもそんな尊敬できる父を作り上げたのは私たち女4人と言うことを忘れるなよおやじ。
4人て言うのは安藤かずさんのお母様のことですか」
≪そうです≫
「うれしいですか。お嬢さんがこんな尊敬できるって」
≪はい(ポツリと)≫「じゃあ奥様」
≪ハー(ため息)≫
「
がんこ、わがまま、自分勝手な亭主関白照れ屋のツッパリ亭主との結婚生活はジェットコースター降りたくたって途中で降りることは出来やしないスリリングな急降下も面白がるようにはなったけど1年の364日は日本一不幸な妻で残りの一日は世界で一番幸せな感動に包まれる。だって本当のターキーはいつまでも夢を追い続けることができる純粋で正直でやさしい強いとってもいいやつなんだもん。奥田瑛二さん刺激的な人生をありがとう。でもねえ私は鉄でも鉛でもありません。ぶっこまれるまえに少しは楽させて頂戴。おばあちゃまをおんぶしてくれるあなたの姿に心から感謝
ということです。これはかずさんのお母様をあなたがおんぶして」
≪(涙)ああ、3連発はきついね(涙を拭く)。あのを足腰が弱ってきてますのでそれでおんぶしたり抱えてベットに寝かしたり。あるとき思ったんですね婿ですから知らん振りして好きなんだけどそうしているのも愛情かなと思ったんですよ。知らん振りして僕は20何年お世話になっているのに相手が女性だとかそういうことは関係なしにこう不自由であればサポートして愛情を素直に出してみたらいいんじゃないかと言うことで自分がやさしくなれたんですね。やっぱりやさしさって根に思ってっても伝わらないなと≫
「表現しないとね」
≪今回は女房のお母さんが年取ってそういう意味で出来る限りやさしく、親切に触れ合おうということだと思うんですけどねえ≫
〜CM〜
「泣かそうと思っての3連発ではないんですけどいろんなことがよみがえったんですって」
≪そうですね映画の現場にも長女、次女が製作という一番下の現場で働いてましたしね。お弁当配ったり、長女は美術部のペンキ塗りもしてましたしね。上さんは炊き出しにも来たり金銭的にも面倒かけましたし映画祭の喜びとか天国と地獄を一緒に味わった同胞みたいなとこもありますし≫
「すべてをなぎ倒してもどんどん行くタイプなんでなぎ倒された家族はどうなんだろうって思っちゃったんですって」
≪よくぞなぎ倒されたあとに”どこ行くの。待って”っていうことですよね。もういっちゃったどうでもいいやって思ってない家族をよぎりますから≫
「かずさんっていう人が娘たちにねあんな風だけど仕事をするときはこうなんだ、そしてなんてすばらしいお父様なんだって教えてくださったことがあると思うんですね」
≪そうですね。まあいろいろな間違いも犯してきましたけどよくぞ子供が成長期に父のことをマイナスにしゃべらないで僕の性格を分析して教えたって言うんですかね≫
「でも本当にいろいろありがとうございました」
14/2/18 三遊亭円楽
黒柳「それにしても笑点は長くて今年で36年」
円楽≪この5月で丸丸36年です。≫
「私ねえ家にいる限りはずっと拝見しているんですけど何が可笑しいっていうと円楽さんが笑っているのが可笑しいんですね」
≪そうですか最初はねえ司会者が笑うなってずいぶんきたんですよ。ですがねえ可笑しければ笑うのが人の常ですからね喜怒哀楽をそのまま出したほうがいいんですよ≫
「それと平気で馬年なら馬年って。本当に馬年と思ってたんですよ。お顔が長いからなんですよね。お弟子さんが言いますよね」
≪長い長いって言いますけどそんなに長くはないんですよ。大体外人は長いですよね。ゲーリークーパーが一番長いですね33センチ。続いてグレゴリーペックが32センチ、ジョン・ウェインが31センチ。それで私は28センチなんです。≫
「それは誰がはかったんですか」
≪私がクーパーの写真をひきまして縮小して測りました。≫
「でもすごいですね円楽さんより5センチ長いってどんなに長いんですか。クーパーって言う人は”モロッコ”とか深刻な映画が多いんですけど喜劇が上手いんですね。へえー円楽さんより5センチ長いじゃ円楽さんのこと馬だなんて失礼ですよね」
≪なんといわれようと人が思ったんだから≫
「視聴率が悪くなったら止めようとか言ってるんですけどいまだに視聴率がいいんですね」
≪何でこんなに長々と皆さんごひいきにして見てくださるんだろうと思ったら私たちが売り出した世代が同じ世代だったんですねその方が今リタイアしているでしょう。自分が知らないやつだったら面白くないです自分が知っているやつがまだでてる。空港やなんかでね若い10代の女の子がねえ来るんですよサインを貰いに。不思議に思ってあなた私のことが好きなんですかって聞いたら”いや、おばあちゃんが好きなんです”。少なくともお母さんぐらいいってください≫
「すごくファン層が広いと言えますよね」
≪今若い人がスタジオで楽しく騒いでるでしょうあれを見て何が面白いのだかわからないとおっしゃる。あの番組は落ち着いて見てられると。≫
「笑点はウィットがいいし、みんな仲がいいんだなって仲が悪かったら悪口なんていえないし」
≪でもねえ本当に嫌いな場合もあるんですよ。そりゃねえ男同士の確執ってすごいものがありますから≫
「それにしても健康そうなんですけど突然腎臓を患って」
≪子供の頃戦争中ですが腎臓をやってるんですよその頃はいいかげんなもので大丈夫って医者にいわれまして漢方薬で止めたんですよ。でテレビで忙しくなると収録が始まるって言うと頭が痛くなるんですよ。のべつくまなく頭痛薬を飲んでました。そんなものが悪くしたんですね、。お医者さんには止めろって言われてたんです。それが止められないんですね番組を不機嫌に出ちゃいけないっていうんで飲んじゃう。そういうのが重なって駄目になっちゃった。透析をして≫
「透析って一回が長いんですね」
≪4時間。≫
「全部入れ替えるんでしょ」
≪血を。しかも月水金と3回。でお医者さんが透析するしかないとでもあっしは仕事がありますからねっていうと死にますよと≫
「そんなに悪かった」
≪朝起きたら右目が開かないんですよ。つまりね水分が出ないんですよ。汗にもなんないお小水にもなんないそうするとむくんじゃうんですね。1週間たたないうちに終わりですねと選択の道は1つしかありません。それじゃあお医者さんの言うことに任してやってるんですけどねえ。でついでにねえ他も見てもらったんですよ私の家系はガン系統なんですよ親父もお袋も長男も・・・。見てもらいましたら胃に7つポリープがある≫
「あら」
≪口から入れて焼いちゃうんですねポリープを。痛くもかゆくもない≫
「大丈夫に」
≪ええ。だけど透析ばかりは食べ物が大変です≫
「どういうものが」
≪生ものは全部いけない。お刺身はねえもし食べるんだったら醤油をつけずに2つぐらい≫
「おすしも駄目?」
≪駄目駄目。≫「果物も駄目?」
≪駄目。果物は残らず駄目。もし食べたかったら缶詰の果物をちょいと食べると。≫
「そんなに駄目なんですか野菜は?」
≪野菜は駄目。みんな水に3時間ぐらいつけてカリウムを取るんですよそしてお湯で≫
「そうするとビンラディンはあの人は透析やんないとってみんな言ってるんですけど」
≪うそでしょう。そんなことやってたら生きてないでしょう≫
「そうするとデマ」
≪栄養士さんから聞いたら絶望的になりますよ≫
「でも笑ってらっしゃるからいいですかねえ。コマーシャル」
「しかも円楽さんは悲しいことに若い頃は甘いものが好きだったのに50を過ぎてからお塩が好きになったんですってねえ。何年前から透析を?」
≪3年になりますか≫
「そんなにもお塩も甘いのも駄目っていうと味気ないですねえ」
≪まさにまさに味気ない。だけどねえ食べるものに執着しないほうなんですよ。だからまあまあ大丈夫ですよ。死なない程度に食べられるんだから。≫
「納豆を食べるのにもお醤油を入れちゃいけないっていうんですかね」
≪納豆はとんでもない。大豆がいけない。納豆大好物なんですがいけない≫
「じゃあお豆腐は」≪あれは駄目豆ですから≫
「豆がいけない」
≪だから豆腐なら湯豆腐にして醤油つけずに食べる。荻生徂徠みたいです≫
「腎臓ってそんなに大変なんですか。じゃあ煮た野菜で味付けのないものならいいんですか」
≪いいんです≫
「でもお元気ですね」
≪元気です。透析しててもわあわあわあわあ1人入りだけはしゃいでるんです≫
「でもお家がお寺で人の生き死ににしょっちゅうふれてらっしゃったということがあるんですかね」
≪そうですね。死というものの観念が皆さんとちょっと違うんじゃないですかね≫
「スケロク寺というお寺の9人兄弟の4男坊でいらっしゃるんですがお父様が亡くなられたときの話ですごい亡くなり方で」
≪先のことを考えるとか後々のことを考えるとか世の中をおさらばするんだからしょうがないんだと。お呼びがかかったら素直に車に乗りなさいと。というのも透析している最中に血圧が下がったんですよ上が80、下が20ですかするとフウーとして眠くなるんですよ。寝ちゃったんですよ。ふと気付くと周りでワアワアワアワア騒いでるんですよ増血剤注射したり点滴やったり大変なんですよ血圧上げるのにね。で聞いたらねあの瞬間てのはほとんど死んでるんですってですから手術するとき血圧みんな心配するでしょうそれなんですよ。でまた100に戻って100こえると血の気がさしてくるんですよ≫
「あご自分もそれで」
≪気が付いて。求めて死んじゃいけませんよでもなくなるときはこういうものかとスーっといって恐いも何もないんですよ。走馬灯のようによみがえるとかいいますでしょうあんなの嘘です。走馬灯も何も考える力がなくなるんですからだから楽なもんだなっと死なんてそんなに恐れることはないと≫
「お父さんはお迎えが来るとおっしゃってお経を口ずさみになったらすっと亡くなられて」
≪そう。本当にそういうものです≫
「でもお父様はお寺の住職でいらしてしゃれた方でお遊びは全部お父様から教わった」
≪ええ元々親父もお寺を継ぐ気はなかったそうなんです。相次いで亡くなっちゃってしょうがなく継いだんです。浅草なんて土地柄わねえ後日親父と一緒に熱海に行ったときは芸者さんが踊りましょうよって西洋ダンスはずっとうまいんです≫
「ソシアルダンス」
≪お父さんのほうがいいわってみんな向うへいっちゃう。それぐらいうまかったですね。碁は打つ、マージャンはやるなんでもかんでも≫
「歴史も詳しくて。いつ昔の方って勉強なさったんでしょうね。」
≪それで僕がびっくりしたのはねえ歴史や故事に詳しいのは誰でもありますけど戦後進駐軍が来たでしょそのときに何か手土産でも持っていかなくちゃ駄目だってハスや大根やらを持っていったんです。そんでベラベラしゃべってんですそんでコンビーフやらお土産もらって帰ってきてんです。そしたら言い草がいいですね”あいつら南部かテキサスの奴らだな。なまりがひどくて駄目だって”。≫
「ええ」
≪俺のはちゃんとした英語だってやつらとは違うって。だから明治の連中ってのはちゃんと学問してんですね≫
「それは私たちは知らなかったから昔の人は知ってんだなぐらいしか思ってないけど」
≪いわないんですよ勉強のことは。遊んでることは言いますけど≫
「(円楽さんが)結核なさって寝てらしてお父様が陰気くさいとおっしゃって太宰治だ芥川龍之介だ」
≪太宰だって病気しているときはそういうものに惹かれるんですねそうすると”自殺したやつの本なんか読むな!!”って寄席でも行って笑ってこい。西部劇かミュージカルでも行ってこいって。とにかく深刻なものは見るなって。そんな調子ですよ≫
「それで寄席へいらしておもしろいと」
≪うん。体悪くしなきゃ噺家になってないですね≫「運命って」
≪運命って不思議なもんですよ≫
「旅をずいぶんしてらして落語の旅が多い」
≪みなさんねえ東京に団体で出てきてねえ費用がかかるでしょう1人で行けばいいんですから。文化をみんな求めてますから。日本全国津々浦々までは行かないですけど津々まではねえ≫
「明治から芸人来たことないというような所まで」
≪よく言われます。昔永六輔さんと松山のホテルでばったりと会って”いやあおどろいたこんな四国の島には所は僕しか来ないでしょ”ってえばったらいやあ円楽さんが来ましたって(笑)≫
「ええー。」
≪あなたはどこ行っても私の先々でいわれる≫
「いいですね。お体を大事になさってください」