| トップページへ 14/7/8 的場 浩司(番組HP) 黒柳「的場浩司さん今日のお客様ですよくいらしてくださいました。大河ドラマもでてらっしゃいまして”信長”の時代から出てらっしゃるんですねえあなた?」 的場≪そうですね≫ 「”毛利元就”、”利家とまつ”にもでてらしてテレビ小説の”ええにょぼ”にも出ていて、この局では”京都迷宮案内”で新聞記者で出てらっしゃる?」 ≪はい≫ 「大河では利家の側近。このところお名前が変わったんですね」 ≪村井又兵衛にかわりました≫ 「前は村井長八郎というお名前だったんですが改めて又兵衛になって。あなた(の役)はずばずばと利家におっしゃるんですよね」 ≪普通側近が言わない事をバシバシいう役で≫ 「周りもお若いしね聞いてくれるという。」 ≪楽しく現場はやれてます≫ 「なんと言っても的場さんはお若いときから「怒ってます?」って何も怒ってないのに言われる事が多いんですって?」 ≪ここ最近は言われなくなりましたけども≫ 「今見ると怒ってるようには思いませんけども機嫌が悪いんですかとかつい言われちゃう?」 ≪もう普通に座って物を考えてるだけで「怒ってる」って言われてそれを言われるだけでしょっちゅう言われてるから腹たって来るんですよね≫ 「何だよって言う感じがね。たけしさんの元気の出るテレビにも出てらっしゃたんですよね。それえで不良少年を更生させて野球少年にさせるという企画に出演された。それは不良少年のほうで?。」 ≪そうですね≫ 「何歳の時でした?」 ≪17さいでしたね≫ 「実際はどうだったんですか?(※的場さんの17歳当時の写真が出る)こん時!?あら〜見たところはちょっと」 ≪元気のいいやんちゃな子だったんです≫ 「元気の出るテレビにはちょうどいいやんちゃな子。それにしても更正してっていうのもすごいですが野球青年にはなったんですか?」 ≪いやあそれまで野球というスポーツをしたことが無かったんでやり始めて野球っていうスポーツは面白いなって思ってその後も中村トオル三とかと野球チームつくったりして。≫ 「でもやんちゃとかやってらっしゃたりしてたんですけどもそのたけしさんの番組のADが怒鳴られてるのをご覧になったんですって?」 ≪僕それまではやりたい職業ってなかったんですね。色々仕事はしてたんですけども上の人に何か言われると「お前誰に言ってんだ」って。言われるのが嫌だったんですね。その(テレビに出た)時に助監督さんが上の人にすごい言われ方をしてたんですね。もう聞いててそこまで言うのかっていうぐらい言われてたんですね。その助監督さんと仲良くなって食事をしに行ったときになんでそんな風に言われてまでも我慢できるのって聞いたんですよ。絶対ケンカしたらその人のほうが強いんですよ≫ 「大きい体してるの」 ≪こういう(筋肉)体してるんで。聞いたら「いやぼくはこの仕事が好きだから」って言ったんですね。好きだからっていう言葉が自分の中に引っかかって好きだからという仕事を見つけたいなって。何か言われても好きな仕事をしたいから我慢できる仕事を見つけたいなって思って。助監督になりたかったんですよ≫ 「助監督になりたかったの(笑み)」 ≪助監督(AD)という仕事だから我慢できるのかと変な風に考えちゃって≫ 「じゃああなたはADになりたかった」 ≪そうです。でもどうなっていいかわからないし、その方も違う職場に行っちゃっておれはどうしたらそのADになれるんだろうと考えて考えてとりあえずそういう人が作った作品を見ようと思って見てたら成田三樹夫さんという俳優さん、あの方を見た時に役者さんという人はそれまで役を演じていると考えてなかったんですね。演じてる人はこういう人なんだと思ってたんですね。成田さんを見た時に「仁義無き戦い」に出てるときの成田さんとドラマに出てるときの成田さんはあまりにも違うんで≫ 「あの方は全然違いますものね」 ≪すごいなと思って。自分も役者になりたいと思ったんですね≫ 「どうやったら役者になれるんですってその辺の人に聞いて回ったんですって?」 ≪そうどうすれば役者になれるのかわからなかったんで聞いて周ったんです。その元気が出るテレビに出てたときに取材してくれた方が「(役者になるのは)やめなさい」と。できないからと言われたんですね。どうしてもなりたいからと言ったら最終的にはその人が相談に乗ってくれて。演技の学校とかにも行ったんですけども今はそこで教わった事が必要だなって思うんですけども≫ 「当時はダンスなんかをやらせられると」 ≪ジャズダンスとかお茶とか日舞とかやらせられて。その時はこんなもの必要ないだろうと≫ 「俺にはこんなものいらねえんだよって。その時はもっと謙虚になっていた」 ≪いやその人たちに俺にはこんなもの必要ないって言うんじゃなくて自分でやっていてこれをやったら役者に慣れるとは思ってなかったんですね。(学校を)辞めて自分で本を見たり作品を見たりしてして。その時に「役者になりたいんだけど」って言った集英社の人に教えてもらって≫ 「そして(ドラマや映画に)お出になたら自分は結構上手くやってるんじゃないかなって思って」 ※的場さんが実際作品に出るようになると自分は演技を上手く出来ていると思った ≪初めてデビューして出た作品が「首都高速トライアル」という映画だったんですね。でその撮影中にぼくは自分でやっていて俺は天才だと思ったんですね。その時に監督からもっと笑ってくれるかなと言われても「十分笑ってますよ」と調子に乗っていたこと言ってたんですよ。≫ 「もう十分笑ってるつもりだったんですね」 ≪できてて完璧だと思ってたんですね。ところが出来上がって試写で見た時に自分のところを見た時に最悪だったんですよ。本当に調子に乗っていた人間が一気に下まで落ちて≫ 「笑ってるつもりでも見た時には」 ≪全然笑って無かったですね≫ 「表現されてないわけですよね」 ≪その後部屋に戻って泣いて、監督のところに行って泣いて謝って。それからは初心を絶対に忘れないようにして≫ 「わたしもNHKで仕事を始めたんですけどもその時に一応あなたの声はこういう声ですってマイクロフォンの前でやった時にびっくりしてNHKの人にこの機械は壊れてますって言ったんですよ。でもみんなの(録音した)声を聞いてるとみんなの声はみんなの声に聞こえるんですね。自分の声がこんな声だとは思わずに泣いてね。ものすぎショックをうけちゃって」 ≪ショックですよね。≫ 「私の場合は声ですけどね演技に関しては謙虚になんなきゃっていう感じで」 ≪ぼくは今でも下手だと思いますし≫ 「それからずいぶんになります?」 ≪13年ぐらいに。自分は下手くそなんですけども、でも自分が演じている人間はぼく以外に知ってる人間は誰もいないっていう風に考えますから。もう本当に言葉にすれば軽く聞こえちゃうけども命をかけてるっていうぐらいに≫ 「でも今は「的場さんってお願いします」っていう風になったけども昔は「おい!ちんぴら」っていわれてたんでって」 ≪それもやり始めて2本目か3本目のときに現場に行って「おいちんぴら座ってんじゃねえぞ」って。「おいうじ虫なにやってんだ」って≫ 「そこまで」 ≪はい言われました。もうその時は19のころだから血が確実に上るんですよ。でも我慢できたんですね。そこで殴っちゃうのは簡単なんですけども好きな仕事ができなくなるし。すごい反発心はすごいあるんですよ。その時にいつか「的場さん」って呼ばしてやるからなってすごい思ってたんですよね。≫ 「そういうことが必要かもしれませんねえ。さいしょから的場さん的場さんってゆわれるよりは。」 ≪今ぼくねえ感謝してますよ。本当に感謝してます。もしもそれが無かったら今までやれてるかっていうのがわかんないですよね≫ 黒柳「でもお小さい時は素直なお子さんでとても可愛がられて育った。でも妹さんが生まれる時にあなたは隔離されたって」 的場≪よその家にいかされました≫ 「妹が生まれて何されるかわかんないて。それでバスにでも乗ると親の分まで取ってあげようと思って走っていって席を取る子供だった」 ≪席を取ることに必死だったんですね。でも必死で違うバスに乗っちゃって違うところにいったり≫ 「それで今お嬢さんが生まれたんですけどもこのお嬢さんの名前が珍しい名前だと思いますよね。」 ≪的場宝冠(マトバ・ティアラ)といます。≫ 「ティアラちゃんと呼ぶと」 ≪そうですね。呼ぶと見ますね≫ 「本当に可愛いんですってねえ。あなた全然顔が違いますよにこにこしちゃって。立ったっていう日に仕事で見られなかったというのが口惜しかったんですって?」 ≪立ったとか、1人座りしたとか全部見逃しちゃってるんでね。仕事で京都に行ってたりで。≫ 「絶対お嫁にはやりたくないって今から思ってるんですって?」 ≪ほんとに難しいですよ。≫ 「そんななの」 ≪違うんですよ。嫁に出したら出したで俺はつらいけどもティアラはそれが幸せじゃないですか。でも出したくないし。これは話すと1時間じゃ終わらないですよ≫ 「そうですね(笑)」 ≪≫ 黒柳「もうティアラちゃんの話になったときの顔つきが全然変わったんですけどもやっぱりバレリーナの格好をさせたいって」 的場≪はい。想像するととても可愛いんですってね≫ 「頭にちっちゃいティアラなんかつけてね」 ≪たまんないですね(笑顔)目指せ馬鹿親父ですからね(会場笑)≫ 「この間なんかいただき物があってこれは(娘の)嫁入り道具だわねってちょっと言ったらもう」 ≪あの器を見て上さんが言ったんですけども「これは嫁入り道具だわね」っていった途端にそれを見てるのがつらくなって来てね。この箱が色あせる頃には嫁に行くのかって思ったらもうせつなくてせつなくてね≫ 「(笑)」 ≪いやあ本当っすよ≫ 「あなたはご自分の人生に関する事を書いた本を出されたんですけどもティアラちゃんのことがたくさん書かれてるんですって?」 ≪多いですね。子供ができると自分の子供の頃はこうだったとか思ったり自分の親たちが俺に対してすごい愛情もって育ててくれたなって思ったり。子供ができた事によって自分の人生をすごく考えるようになって≫ 「自分が親になって知る親の気持ちとかねよく言うぐらいですからね」 ≪はい≫ 黒柳「さっきも自分はそんなになりたいものはなかったけども上からガンガン言われても反抗しないADの人が好きだから言い返さないって。でもその方にあったのはよかったですね。」 的場≪その人の会わなければ自分がどんな人生を歩んでいたかわからないですね≫ 「でもその時は決まってなかったんですけども結構小さい時はなりたいものがたくさんおありになって」 ≪そうですね。レーサーとか防衛庁長官とかになりたかったですね≫ 「レーサーはわかるんですけども防衛庁長官って。その後はプロレスラー。黒人女性と結婚するっていうのがあったんですって」 ≪ありましたね(笑み)。なんか漠然としてたんですね。防衛庁長官というのは子供の頃大和とか武蔵とかを作るのが好きだったんですよ。軍艦一杯もてるのは防衛庁長官かなとか。軍艦は全部俺のものだって≫ 「でも”きけわだつみの声”で特攻隊の青年の役をおやりになったときにずいぶん」 ≪そうですね。わだつみもそうなんですけどもよく海外にパラオに行くんですけどもそこでたまに遺骨とかがたまに出てきたりするんで拾って神社に持っていってまつって≫ 「そうですか。みんな楽しい島だって思ってるけどもかつてそういうことがあったんだって段々判って」 ≪はい≫ 「でもあなたがお元気な方で家族を愛してらっしゃるとわかってね本当にありがとうござしました」 トップページへ 14/7/9 山内 賢(番組HP) 黒柳「どうもしばらくでございました。昔日活の青春スターでいらっしゃってイズミマサコさんとお歌いになったデュエット”2人の銀座”はいまでもカラオケで歌われているどうですけども山内賢さん今日のお客様です。このかたは子役からやってらっしゃったんで48年にわたる映画人生ですけども。テレビでもですけども。中でもお兄様(久保明)がお出になった”あすなろう物語”。久保明さんの少年時代役に子役が必要と言う事で出たのが最初なんですってね。明日どうにかなると思ってどんどん伸びる木でしたっけ?」 山内≪あすこそヒノキになろうとしている木なんだよって教えられましたけどもね。≫ 「あれ小学校何年生ぐらい?」 ≪6年生の終わりぐらいと思うんですけども≫ 「あれをお撮りになった監督は」 ≪黒澤明監督の1番弟子≫ 「黒澤監督がそれをみて」 ≪シナリオはもちろん黒澤先生がお書きになって監督の堀川ヒロミチさんも一緒に執筆されたんだそうですけども監督の原稿はくしゃくしゃと丸められて捨てられちゃったって≫ 「それで”椿三十朗”で久保明さんと兄弟で出てほしいと黒澤監督からお話があったんですって?」 ≪そうです。しかし私がいってた学校が厳しくて黒澤監督の映画は製作日数がかかるだろうから学校は許可しないと言われてしまいました≫ 「まだ学生さんだったんですか。残念だったですねえ」 ≪ですから椿三十朗を見ていただくと分かるんですけども同じ絣の着物を着ているんですよ。一目で兄弟とわかるように書いてくださったんですけども。黒澤監督は烈火のごとく怒って「そんな学校は辞めちまえ!!」って(笑)≫ ※絣(かすり)=模様の一種。ところどころ一定の順序に従ってかすたようにしておいた模様 「そうか”あすなろう物語”のあなたの絣の印象が強かったんでしょうね。出るんだったら兄弟で同じ絣の着物を着て出てほしいと。私達にも絣の着物の印象が強かったと同じように黒澤監督にも絣の少年のイメージが強かったのかもしれませんねえ」 ≪まったくの素人ですから監督の指示どおりやっただけなんですがねえ≫ 「それで日活におはいりになってイズミマサコさんとお歌いになった”2人の銀座”。カラオケでもずいぶんお歌いになる方が多いんですってね」 ≪デュエットの曲としては外国人が作曲した曲なんですよね≫ 「あれそうなんですか」 ≪当時エレキブームでベンチャーズが売れまして”ギンザナイツ”という演奏だけの≫ 「でも日本に来た時の」 ≪日本に来ている間に・・≫ 「ネオンサインなんかをみて」 ※ベンチャーズが日本に来た時銀座をみて作曲された ≪それに永六輔さんが作詞されて≫ 「え!!あの歌永さんの作詞なんですが。あの方もヒット曲がありますねえ。ちょっときいてみましょう 〜曲流れる〜 こんないいお声で。その後は歌手としては歌われてないんですか?」 ≪あの日活がおかしくなり始めた頃に歌手になりたいと思って日活を出たんですけどもレコードを3,4枚出したんですけども大ヒットにつながらなくて≫ 「残念でしたね。それで日活にお入りになって裕次郎さんがとっても可愛がってくださったようで」 ≪はい。入社のきっかけは東宝の映画に出ているかたわら民放が開局しましてねいろんなドラマを作ってましてそれを見た奥様のマキコさんが日活はこれからは青春映画の時代よと。青春路線と言う事で日活からスカウトがありまして。その元となったのが裕ちゃんの奥様のマキコさんだったんですね。≫ 「テレビに先におでになってたんですか。それで日活にお入りになってご存知のように日活の男の方がすごかったですよねえ」 ≪小林旭さん、仁谷ヒデユキさん、長門ヒロユキさん、宍戸錠さん・・・≫ 「そうですよねえずいぶんたくさんいらっしゃたんですよねえ。それでそのころはみんなで飲んだんですってねえ」 ≪ええ≫ 「八ヶ岳にいらっしゃった時どなたかのお家があったんですか?」 ≪いやこれは石原裕次郎さんの映画”逃亡列車”という日本が中国大陸に進出していた頃満鉄ってありましたよね。で日本が敗戦になってみんなで逃げる物語なんですけども。で八ヶ岳にロケに行きまして本当にレールを引いて列車を置いて。あの辺は旅館が非常に少ないものですからそこへワッと泊まりまして。そこで裕ちゃんはじめみんなんで毎晩ビール2ケース、日本酒を3本ですねえウィスキーを5本ぐらい≫ 「今ねえお聞きになると大した事無いなあっと思うかもしれませんけども1人がですねえビール4本。ウィスキーだと水割りで10杯ぐらい、お酒を7合。これを一晩で飲むんですからまあかなりのもんだと思いますけども。それで裕次郎さん歌を教えなさったのはあなたなんですって?」 ≪ロケが寂しいもんですからギターを持ってきて毎晩裕ちゃんが歌を聞かせろていうもんですからイタリアのカンツォーネを弾き語りしてたんですね。その中の1曲を裕ちゃんが気に入って毎晩毎晩教えてたんですね。”愛は限りなく”っていう曲なんですけども撮影が終りましてですねえある日そんな事は忘れていまして裕ちゃんが今日お前家に遊びに来いといわれて遊びに行ったんですね。ちょっとこの曲を聞いてくれと言われて聞くとまさにその曲なんですね。しかもオーケストラをバックに歌って。しびれるぐらいに良かったんですね。その時に裕ちゃんが「確かにお前の歌は上手い。しかしこういう風に俺が歌ったらヒットする」≫ 「ヒットしたの?」 ≪いやあそれはリサイタルの時にい歌ったらしいです。その曲を元に”粋な別れ”っていう≫ 「そういう曲ありましたね。でも段々テレビに出るようになってあのころ五社協定とかありましてねその時も裕次郎さんが心配してくださって」 ≪日活を止めると言う時に私と浜田(ミツオ)君と高橋(英樹)君と3人で裕ちゃんのところに行ってぼくらは歌のほうに行くっていうとみんなが止めるんですよ。ぼくらが侃侃諤諤(カンカンガクガク)意見を交わしているときに側で寝っちゃたんですよ。そしたら奥様が「こんなに若い人が話しているのに寝るとは何事ですか」って叱られてました。≫ 「でもそういう風にみんなでお話して結局別れる(会社を辞める)事になってテレビに出るようになって今あれですよねえ旅番組とか料理番組とか出てらっしゃるんですけどもそういう風に出れるようにみんなに覚えてもらうまで2年間ぐらいですか。ずいぶんつらい時期も」 ≪まったく仕事が無い。あてもキャバレー周りですか≫ 「それは歌の仕事で」 ≪それで生活費を稼いで。でもメジャーな仕事が無いんですよ。その時は多摩川の土手の下に住んでいまして目の前川ですから毎日釣りをしていらいっらを押さえてたんですね。≫ 「でもあなた小さい時にいじめにあったっていうのは」 ≪子役でですね学校を相対して仕事に行く時に会社差し回しのハイヤーに乗って抜け出して撮影に行ったりとか、私は修学旅行に行ったことないんですよその間は撮影に撮られてしまってずいぶん生意気だといじめられました。≫ 「でもご自分でも小さい頃からハイヤーがくるという生活で自分で自立するのが難しかったんですってねえ」 ≪そうですねえ会社の敷いたレールに乗っていればどんどん主演の映画はできていくし子役であっても撮影が順調に行くようにおだててくれますからねえ天狗になって行くような人生でしたねえ。だから子供に速いうちから大人の世界に入れて仕事をさせるっていうのは問題だと思いますねえ≫ 「チヤホヤしないで普通にしとけばいいんですけども撮影のために機嫌をとるという風になるんでね」 ≪大人になってもちょっと引きずって≫ 「なんかテレビでも気分が悪いと帰ったりしたんですってね」 ≪そうですねえ自分に子供ができて自分はまずい人生を送ってきたなって反省しておりますねえ≫ 黒柳「さて結婚なさったんですけどもあなたのお母様もご一緒に(※新婚生活は2人きりではなくお母さんと同居だった)」 山内≪そうです。私も芸能界に入って母と2人で暮らしていたものですから兄たちも独立しまして母もこれから年をとっていくだろうということで一緒に住んでたんですけども嫁といろいろありまして(※嫁姑問題)朝トイレに入ってますとドアのしたからスーと紙が入ってくるんですよ。なんだろうと思ってみると嫁さんの悪口ばっかし書いてあるんですよ≫ 「お母様がお入れになったの。」 ≪何とかしてくれて書いてあるんですよ。ステージママみたいな感じでしたからそれで嫁さんにいうと反発するじゃないですか、そういうことの積み重ねですよ。両者の言い分を聞いてっていう風にすればよかったんですけどもそれ(問題)をほっておいたんですね。≫ 「結局離婚なすった」 ≪離婚しました≫ 「これも嫁姑がなければ別に離婚することも無かったんでしょうかねえ」 ≪子供がいなかったんで別れやすかったと言うこともありました≫ 「それで再婚なさいましてお子さんがいらしてお子さんも大きいですよねえ」 ≪はい。上が高校3年で下が中学3年なんですけども。まあ離婚して2年間ほどブランクがあるんですけども離婚する前から母には別のところに写ってもらったりしてたんです。自分がどれだけ自立しているのか試す意味も≫ 「ご自分1人で住んでみようと。お嫁さんが来た時にお母さんがいなくてもいいようにと言うのではなくて1人で住んでみたらどうなるかと。さっきもおっしゃったように子役でぐずればみんなが機嫌をとてくれるし、ハイヤーで迎えにきてくれるしそれで青春スターでちやほやされると自立できなかった。その時が本当の自立」 ≪そうですね。離婚す作業とか、新しく家を買って慰謝料を払って銀行の交渉とかねえ。2年間1人で住みましてね本当にいろんな事がわかってないなというのが判りましたね。≫ 「青春スターというのはそういうものかもしれませんけどね。だからこそ青春スターなんですよね。」 ≪あの蒲田行進曲の銀ちゃんみたいな世界ですよね。ちょっとオーバーかもしれませんけどね≫ 「今2人のお子さんが入試で大変で」 ≪本当にそうですね。≫ 「奥様が大変ですね」 ≪わたしはあまりそれに巻き込まれたくないなって。あまりそういう経験もしてないものですから。≫ 「でもそれも相談にお乗りにならないと」 ≪そうですね。まずいですね≫ 「奥様1人で悩むことになりますから」 ≪なんせ先へ先へ心配しちゃったんですね。長男の場合は。子供がプラモデル作ってると「わかんない」というとどれどれって私が作ってるうちに子供が離れちゃってお父さんが取っちゃったって≫ 「なるほどね。そこんところが難しいですね」 ≪学校生活のこととか聞くとずいぶん子供から教わる事が多くて≫ 黒柳「テレビに出るようになって越路吹雪さんと舞台をお出になる予定だったのに越路さんがお亡くなりになってお出来になれなくなったって」 山内≪はい。でもなくなる寸前に私の作品ミュージカルをやってよって草笛光子さんい託されて初演をまくあげることができたんです。”ジプシー”という。ストリッパーのジプシー・ローズリーの話で≫ 「あとファンタスティックとかをずいぶん長くやってらっしゃいましたよね。テレビとか舞台とかいろんなことをされたんですけども旅番組で山に登った。この山に登ったことが自分の自立にすごい役立ったんですって?」 ≪山は危険なところですから危険に合わないようにそれ相応の準備が必要です。無事登頂して下山してガラガラと家に帰ってきてこそ本当の登山だと。≫ 「自分で判断して」 ≪汽車の時間も調べて旅館も全部自分で手配して。≫ 「生と死のすれすれのところを上っていくときの」 ≪状況の判断力。≫ 「じゃあずいぶん役に立って」 ≪そうですねはじめはいやであんな大変なことは絶対いやだって言ってたんですけどもね。上って下山途中に次はどの山に登ろうかなって楽しみになってきました。今は完全にはまってます。なんせ名前が山内といいますから≫ 「なるほどそうかそうか。山登るのは大変で降りる時が大変だろうなって思うんですけども大変じゃないですか?」 ≪上るよりも下る時に神経を使いますね。のぼりは3〜4分。くだりは6〜7分≫ 「のぼりは希望があってね頂上まで行くんだって、くだりに万が一のことがあっちゃいけないんでガラガラと・・・今はガラガラと言わないかもしれないですけどもね。家に帰るまでが下山ですからね。子役やると大変ですね」 ≪そうですねいかに子育ての過程が大切かと言う事ですね。やっぱり育て方を間違うとこの間の大使館のことみたいになるんですよ。人を思いやる気持ち。なんでパッとそこで助けなかったのかとか≫ ※大使館のこと=2002年に起こった中国・瀋陽にある日本領事館で起こった事件。 黒柳「まさに天才子役だっていわれて大人になるときが本当に大変っていうねえ」 山内≪チヤホヤされてきた子供時代からいきなり大人の世界になるっていうね≫ 「それでいて子供たちとよりも大人と一緒にいるんで今度子供たちと一緒にいると子供っぽいというか」 ≪遅れているというか非常に子供っぽく思えてしまうんですね≫ 「高峰秀子さんもおっしゃってましたけども子役から仕事を続けていくのは本当に大変な事だと。じゃあ山内さんも考えてみるとご苦労なさいましたね」 ≪ただ会社が敷いてくれたレールに乗った世界ですからあっという間に”2人の銀座”がヒットして。あまり自分の行く末を考えなかったと言うのが自分の欠陥だったですねえ。≫ 「でも今テレビに出て有名になりたいと言う若い人が大勢いると思うけども有名になることはそんあに難しい事ではないけれども、その後ですよね」 ≪そうですねあとどうやって生きていくかですね≫ 「48年間、小学校6年生からおでになったわけですからその後の方がずっと長いわけですからね久しぶりにお目にかかれてよかったです。お兄様にもよろしく」 |