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14/11/13 上妻宏光(あがつま ひろみつ)

黒柳「上妻宏光(あがつまひろみつ)さんとおっしゃいます。津軽三味線の名手でいらっしゃいます。よくいらしてくださいました。このごろは格好のいい方で津軽三味線が本当にお上手な方が何人もいらっしゃるということはびっくりすることなんですけども。あなたも驚いていらっしゃいません?そんなにいっぱいいるって。いっぱいでもないけども


上妻宏光≪あの古典は昔からひいてた方は若い方はある程度いたんですけども。新しいジャンルこうやるということでいえば最近本当にずいぶん増えていると思いますね。多く若い方が


「そうしかも津軽三味線という非常に技術的に難しいものをすごい高度な技術で弾ける方がいらっしゃると言うので驚いて、特に若い方なのでね。ただあなたなんかは昔から6歳からをはじめになったそうですけど友達はやはりダサイというんだって


≪ダサイというかご年配の方がやるというイメージがすごく強かったんでしょうね。同世代の方は小学校のとき。子供のけんかをしているときに何かおまえ何でおじいちゃんくさいことをやっているだって言われて。それから余計に三味線を習っているということが言えなくなっちゃって。


「みんなに隠しちゃう。茨城の出身なんですよ。このごろ本当の津軽の方ではない方がいろんなところで多いんですよ。だから逆にいうとそういうにおいがないと言われちゃったりもするかもしれないですけども


≪それはあります。


「あるやっぱり


≪現状でもあります。でもあの自分が青森を訪ねてそこで感じたものを表現できればいいと思いますし古典じゃない自分を三味線のフィールドというものを作りたいと思っているんですね。をいをいをだからその三味線というのは日本海しか元々なかったものがもっとジャズとか、ブルースとかちょっと違う位置を使ったりとか使う音を変えることによっていろんな世界の民族音楽とか音楽ジャンルと演奏できるのでそちらをどんどん広げながら
もそれをきっかけに古典というものを皆さんに聞いていただければいいなと思っています


「またこの方がね格好がいいんですよ。ちょっとVTRで皆さんにご覧いただき、まあ演奏はしていただくんですけどもそのジャズとかそういうものを皆さんと一緒に演奏してらっしゃるところがあるんですけどもそういうときは立ってやってらっしゃるんですからこれはほとんどギター状態ですよねぇはっきり言って。


≪そうですね。


「ところがこれをギター状態に弾くということは並大抵のことじゃないですよね


≪バランスが全然違うんですよね。三味線をこう思っていると普通右手で抑えられるぐらいちゃんとおさえるです。


「(ひざ)この上にちゃんと載せていないとね


≪そうです。それが立ってひくとこっちにバランスが行ってしまうんですね


「重くなってね


≪だからもう全然


「ギターというのはもともとかついでやるようにある程度できているんですけどもこの三味線を今みたいにかついでですね格好よくおやりになるというのはすごいなと思うんですけども。お父様はサラリーマンでお父様がもともとやっていらっしゃった


≪はい父親は趣味で三味線をやっていましてその音を聞いて習いたくなったんです


「そうなんで特にお父様が途中から津軽三味線に変わったときから


≪そうなんです最初細い方の三味線をやっていたんですけどもその知人の紹介で津軽路三味線をなっらたらどうかということを言われてそれでその習いはじめて家で練習している音を聞いてビビッときたんですよ。


「そのビビッときたのが才能とうまく結びついたと思うんですけどもそれにしても何とか触ってみたくてお父様が会社に行ってらっしゃるときにちょっと触ったりなんかして


≪そうですねぇ楽器がやはり高いものですからなかなかこう触らせてくれなかったですね。壊したらまた修理代がいくらもかかってしまうというのがあるので、だからどうやったら引けるのかということを考えて父親がいないときにこう隠れて練習したりしたんです


「そうなんですよ隠れて(笑)。お父様にしてみると誰かがいじったということは子供だからうまくね


≪うまくやったつもりでもなかなかでばれちゃってそのへんは


「6歳からそれじゃということでお父様も楽器を用意してくださってそれでも今写真がありましたよね皆さんね。バイオリンは小さい子供のは何分の1というのがあって小さいのがあるんですけども、三味線はないんですってね子供用のが


≪ないですね。殆ど上の方を引こうと思うとぶら下がっているような


「そうですね手があがんないでしょうねあんな高いところまでね。高い音を出そうと思ったらね


≪よく弾いてましたけどね。


「よくだけどその時は下げて弾くことになるんですかね。


≪いやもうこのままで


「このままで


≪背伸びしながらやってましたから。


「背伸びしながら手を伸ばして。それしかない。お父様は初めやってらしたんですけどもだんだんあなたに負けていってその時お父様はサラリーマンなんですけどもこんな格好なすって太鼓になったんですね。(三味線を弾くのをやめて太鼓を引いた。)


≪いやいやいやいや(笑)太鼓じゃないです。これはちょっと自分の師匠の方の会の発表会で親子共演ということでだったんですけども。


「そうなんですか。


≪父親が本当にけいこ場自分が行って「お父ちゃん音が狂ってるよ」とか、言い出したら回りのいろんな男のプライドもありますから「馬鹿野郎!そんなこと言うんだったらやっていられねぇ」とか話になる。それで自分が小学校3年生ぐらいのときに父親はやめてしまったんですけどね


「なるほどね。いろんなものがあるんですけどもきょうはビデオテープが本当にいっぱいあるんです。


≪お恥ずかしい(笑)


「とにかくまあどんなに格好がいいのかということをですねあとで日本のものもひいていただくんですけども西洋楽器と一緒にドラムスとエレキベースとキーボード。そういうものでやってらっしゃるVTRがあるんですよ。まあそれをですねギターのように軽々とまたこれが重い楽器なんですよね。


≪そうですね


「何だってこんなに重いのかと思うぐらい重いですよね。これ持たしていただいたことあるんですけども


≪そうなんです。


「頭の上の方。そのVTRをちょっと皆さん、格好いいんですご覧ください。〜VTR〜すごいこういうことをなさるんですよ皆さん。こういうことをできるのは技術があるからだと思うんですけれども、とにかく3歳からおやりになってですね三味線コンクールにお出になって13歳のときに全日本津軽三味線競技大会で優勝なさいました。


≪はい


「10代でこれで優勝した人は初めてだと言われた。


≪そうですねいまだに多分14歳で優勝した方というのは多分いないと思いますけども。【写真】これはまた別の大会だったんですけども


「その後大人になって22歳、23歳と続けて津軽三味線全国大会で優勝なさいました。


≪はい


「これはまぁ大人になってからでねぇ。これだけ弾くのには1日どのぐらい勉強なさったかとわからないですがだいたい自分が1番やりたいと思うときの勉強は1日何時間ぐらいなさったんですか?


≪そうですねあの1番練習した時期というのは6歳から10歳、11歳ぐらいまでだと思いますその間は時間があればずうっとひいていましたね。


「何かテレビを見ていても両手を使ってご飯を食べるとき以外はもテレビを見たりラジオを聞いたり何もして目だけ使っているときはもうそれでも弾けたんですってなんでも。


≪そうですね。夕方と学校から帰ってきてひいてで母親がご飯を作っている間にドラえもんとかを見ながら


「かわいいわねドラえもん(笑)


≪引いたりとか。まあ後寝る前ですねご飯を食べた後にひいたりとか時間があればずっと弾いていました。


「だからも本当に楽器が自分のものになっているというか自分の体にちゃんと身についた。それであなたは小さいときにですねチビッコ天才大賞というのにお出になってこのテレビ朝日で。そこで優勝したんですって


≪そうなんです。


「小さい当時あなたが何歳ですか?ね


≪10歳とか11歳ぐらいとかそのへんだと思います


「チビッコ天才大賞というのにここで優勝なさっているんです。その後あなたタイムショックというのにお出になったでしょう


≪そうなんです夏休みの子供大会というのがあったんです


「子供大会というのがあったんですか


≪そうなんです。そこで出演させていただきました。


「クイズが1曲ちゃんと答えられると1曲弾いていいという。何かすごいんですけども。あの実はですね山口たかしさんという方が司会をしてらしてVTRがあったんですよ皆さん


≪え!


「これが1985年だそうですから


≪ちょっとモザイクをかけていただいて(観客笑)


「ですからですねあなたは12か13


≪そうですね何歳かちょっと忘れてしまったんですけども。


「だから12歳13歳


≪今は29


「はいそうですかだからそのようなものですね。そのVTRがなんとこの局だったんで12歳だそうです。あったんでですね皆さん当時からどんな少年でありですねこのときは自分はもちゃんとした三味線を弾く人になろうと思ってらしたの?


≪いやまだその当時はなかったと思いますね


「とにかくまあタイムショック私もあのとっても懐かしい感じがいたしますよね。だって20年近く前なんですからね。


≪そうですね。


「ちょっと見せていただきましょうか。この方がお出になったタイムショックです。〜VTR〜すごい(拍手)


≪こっちのときの方がうまいかもしれないですね


「いやいや。小学校6年生くらいですかね?


≪う〜ん多分そうだと思います


「栄養たっぷりの元気良さそうな子(笑)


≪ブクブクしてもおかっぱ頭でですね


「可愛いですよね。まあとにかくこの局の放送なのでよく残っていたと思いますよね。


≪そうですね。まぁうちの両親もいろいろとそういう資料を取っておいてくれたんですけどもありがたいですね。


「でもああいうのはね。だいぶ前ですので。これもまたあなたの中にね資料の中にね加えて


≪宝ですよね。


「ねぇ。やっぱり自分が昔どれぐらい引けたかとかどんなかだったかとか記憶の中のだと分かりませんものね。


≪そうですね。


「まあこういうことがありましてですねそれでまぁまた一生懸命一生懸命おやりになりまして。あ!このタイムショックの帰りにあなたはもう全然余裕シャクシャクで今ちょっとねもずいぶん上手にひいてね帰りになってね何か浅草を通ってお父様とお帰りになってそしたらそこで。


≪そうですねぇ、あの民謡酒場というものがあってそこでショーとかいろいろやっていたんですね。プロの方がひいてそれでその前までは茨城ではそんなに引ける子供ってそんなにいなかったんですよね自分より。だから今態度も大きかったですけども天狗になっていたんですよね。


「そうそうそうそうこんなのを簡単だよ僕はって。チャラランチャラランって


≪そしたら東京に来たら一流の芸のレベルというものを知ったんですよね。


「そう、その三味線酒場というか、浅草で


≪浅草で。それでそこで思いきりおられてそれから大会に出て自分はどれくらいできるのかということを試そうというふうに


「それからだんだん民謡酒場っていうんですけども。そこでだんだんだんだんいろんなものにお出になっていったんですけども。でもまあさっきの13歳のときにあれのちょっと後にタイムショックの後に全日本津軽三味線競技大会で優勝していらして10代では今でもその記録は破られていないそうですけどもそういうのにお出になってだんだんだんだん津軽三味線全国大会で22歳、23歳で連続優勝というようなことで認められていいらっしゃるんですがそしてコマーシャルをはさみましてこちらでちょっと三味線を弾いていただきたいと思いますのでご用意よろしいですか、こういうのはすぐに引けちゃう?


≪いやちょっと準備させてもらって


「じゃちょっとコマーシャルです皆さんちょっとコマーシャルです





黒柳「上妻宏光さんにこれから演奏していただくんですけども津軽よされ節というものだそうですけどもその22歳、23歳で連続優勝なさいました時の2回目にお弾きになったんですけども、この津軽よされ節で優勝した人というのは今までいらっしゃらないですって?


上妻≪ええ、そうですねまだいないですね。


「ジョンガラ節が多い?


≪はいそうです。


「派手な感じがする


≪そうですね。すごく派手な曲調ですよね。


「よされ節というのはちょっと地味なんですけどもそれだけに難しいということで1回目に優勝していくのはちょっとプレッシャーがあったので2回目はプレッシャーに勝ちたくてまたこのよされ節でお出になったというところもあったんですって


≪そうですね。そういう気持ちもありました


「まぁそれで優勝という2年連続すごいんですけども。じゃ津軽よされ節をお願いできますかお願いいたします


≪〜演奏中〜


「(拍手)すごいですね。大変なことだと思いますよこれだけお引きになるのそれで今の鉢の方があのたたくだけではなくてさくったり、こすったりなんていうんですかね(笑)私言葉分かりませんけども


≪そうですねさくったり擦ったり


「滑ったりしゃくったりたたいたりといういろんな方法があってそしてアレなんですよね鉢のはじの方がもう拷問器具のようにですねちょっと持っていただいていいですか。


≪鉢だこというのができて


「すごい。鉢だこ、これが鉢だこです。ちょっとそこにいいですかここのところに拷問器具のようにですねあれがこうあれがはいるんですからちょっと見せていただいていいですか


≪はい。


「ちょっとそこに入れてみていただけますか。こうなるんですよここのたこのところに引っかかるぐらいになるんです。それでちょうどいいぐらい。これがこのぐらい大きくないとすべちゃってダメなんですって持っているときに


≪そうですねだからすくったりするのでこういうふうな形で持ってしまってはダメなんですよね。やはりこう小指をこちらにかけて


「真四角なものなんですよね硬い。


≪そうですね


「(バチの素材は)水牛かなんか何ですか?


≪これはそうなんです。


「これすごいでしょう皆さんヨウカンのような厚みを見てください。こんなですもので。これを力任せにやればあんな大きなタコもできますよね。小さいときは座っているとこんなに上に出ていましたけども今はやっぱり大きくなると不思議なものでね当たり前のことですけども


≪おかげさまでちゃんと一応大人になりつつあるので(笑)


「ねぇちゃんとここのところにお背えが高くていらっしゃるんですけどもここのところにいい案配にでこういうふうに来ていたのはいいんですけども。まあそれにしても今おっしゃった津軽よされ節、これで優勝した人は今までいなかったというぐらい難しいことは難しいで


≪拍子がちょっと特殊で3拍子、8分の6拍子でこうちょっとなまりがあるんですよね


「そうなんですよねちょっと風景なんかを考えながらやるとね私青森に疎開していました


≪あ!そうなんですか。


「あなたの茨城もそうですけども風とか雪とか降っているねあのビュービュー音のしているところでこの皆に聞こえるようにこの音を出すというような


≪そうですねあの青森の方も敷居も体験したいということで冬場に行ったり地吹雪を体験したりとかあの秋に行ったり春に行ったりいろいろあおもりができるだけ四季を感じてそれを自分なりに表現したいなと


「なるほどねそうですよね。雪が降っていなくても死ぬほど寒いというところもあれかんからに寒かったんですよ。私の行った所も三戸というところは雪が積もらないですけど、もう朝起きてやかんに手をついたらやかんに皮がひっついちゃうというぐらいのやかんそのものが凍っちゃってるんですよね。何かわからないですけど。そういうところですからねそういう中でできたものですからこれぐらい強くないとだめなんでしょうね。


≪そうですね。


「はーでもあなた本当に上手ですね。びっくりしちゃって


≪僕もプロになりたいと思います。


「まあ外国のジャズの方にもまざってやったりなんかされているんですけども、まあ津軽じょんがら節というのも聞いてみたいなという方もいらっしゃると思いますのねちょっと短くてもいいですけども、いや今はいいですよコマーシャルをはさみまして津軽じょんがら節をみなさんよくお引きになるものですけどもお引きいただきたいとちょっとコマーシャルです





黒柳「上妻宏光さんせっかくお越しいただいたんですからちょっと短くていいですからいわゆるじょんがら節というのもどん何違うか


上妻≪はい〜演奏中〜


「(拍手)やっぱり確かによされ節で優勝した人はいないというだけあってこのほうがジョンガラ節の方がのっけから派手といいますか技術を必要とするのがよくわかる。


≪あのじょんがらも曲引きもう本当に人によって違うので静かに入る人もいろいろタイプがあるんですけども


「そうなんですか。でもこういう楽器だからこそジャズとかブルースとかそういうものにあうんだというところがあなたの中にはあるんですって


≪そうですね。ニューヨークとかニューオーリンズに行ってジャズの方とかブルースの方と一緒に共演させてもらったんですけども本当に日本で使っている音にちょっとアレンジをこうひとつの音を足すことによってそういうこともニューヨークのジャズクラブに飛び入りしてあのセッションさせてもらったりとかをしてきたんですけども、あのですね形にしたいということであのまま今回の先ほどのアルバムに関してもこう三味線の幅をいろいろ広げてもらってそれを資料の作品として残したことはよかったなと思いますね。


「なるほどね。あのやっぱり外国の方はこういう楽器を見たことないしそういう音が出ることもびっくりたまげるいうことだと思うんですけども。またするだけの技術がすごいと思うんですけども、これは2枚目の(アルバム)方?


≪はいこれは2枚目ですね


「2枚目のCDですね。ご自分の作曲したものをさっき西洋楽器と一緒になさったFUNという曲が入っていてこれがまぁ去年お出しになりましたデビューアルバム。これはアレでしょう第16回日本ゴールドディスク大賞純邦楽アルバム、純というのは純粋の純ですね。純邦楽アルバムオブザイヤーに選ばれていらっしゃいます。(アルバムのジャケットの話)まあちょっとねはだしで靴を履いてちょっとしゃれた感じでやっているけども涙ぐましい努力がなければあれだけ弾けないという2枚上妻宏光さんのCDが出ているということなんですけども。さっきちょっとアレを変えることによってブルースにもなると言ったんですけどもそれをちょっとやってみることってできます?


≪ええ。ええジョンガラと今つかったような音階にハンを加えるとですね〜演奏〜なんとなくわかりますかね。半音。という感じですね


「わかります。なるほどであこれはをかなり音楽がわからないとアレですねやはり西洋音楽。あなたはピアノもやっていらっしゃった?


≪ピアノはほとんど独学でブーニン。ショパンコンクールのブーニンとかを見てですね

「ショパンで


≪ショパンでこの曲を弾きたいと思って、でそれも次の日にすぐに譜面を買ってきてそれでちょっと五線譜を勉強して独学で手を右手から左手をやって両手でバランスよくやって


「皆さんそんなことやってショパンが弾けるものじゃないですよ。私は5歳からピアノをやっているんですけども猫踏んじゃったがやっとぐらいなんですから(観客笑)まぁやっぱりとても才能がおありだったと思うんですが。いろいろ聞いていただいていまだ番組は続きます。ちょっとコマーシャルです





黒柳「まあ今でこそいろんなお仕事があるんですけども


上妻≪はい


「ひところは本当にこの三味線で食べていくことは大変でずいぶんアルバイト


≪そうですねぇアルバイトもしましたし東京に出てからほとんど独学でやったもので仕事のつてというものがまずなかったですね。自分でそのへんを開拓していかなければいけないという状況だったので、なかなか仕事というものはそう簡単にはなかった、取れる方ですね。


「ねえ。料亭とかに行ってそういうところで弾かしてもらったりとか。


≪あります


「ギターとかそういうものはみんなが歌えるからカラオケとかだけども三味線じゃ歌えませんからね皆これじゃ。


≪そうですねぇなかなか難しいですね

「カラオケにはならないので。まあそういうところででもおなかが空いているときも随分あったそうですよねぇ。食べられなくて本当におなかが空いて


≪もうぎりぎりの時もありましたね。


「でもそういうときも家に帰ってしまおうとは思わなかったの?やっぱり


≪あのそれは何度も実家に帰って休むこともありましたけどもやっぱり地元に帰ろうということはなかったですね。


「そうですか。これからは外国でのいろいろ予定もおありのようですし、世界の人に三味線というの


≪そうですね寿司とかカラオケと同じくらいに


「そうですね


≪通じるぐらいまでにこの楽器をメジャーにしたいと思います。


「そうですよね。やっぱり楽器、三味線ぐらい覚えていただかないとやっぱりねぇ。私たちだって外国の難しいことも覚えているですから。


≪そうですね


「世界に出て行っていただいて本当に格好のいいところを見せていただきたい。本当に今日はありがとうございましたご成功を祈っています


≪ありがとうございます



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14/11/14 高野志穂

黒柳「よくいらしてくださいました。NHKの朝のテレビ小説「さくら」でずっとこの間までほんの数カ月前までね、


高野≪3カ月ぐらい前ですね。


「本当にねぇ。撮り終わったのはねぇ。桜をやってらした高野志穂さんです。本当にお若いんで元気でしょう、なんかねぇ私寒くないのって(*高野さんがノースリーブの服を着ているため)だんだん私おばあさんみたいな気がするんですけども。もピチピチしてらっしゃるんで全然寒くないらしいですけども。本当にお元気な方で画面でもピチピチしたお元気が朝から皆さんに日本中に届いたと思うんですけども。あのうまく元気で通しました?


≪そうですねもう1回も倒れなかったんですよ。実際に。元気にそれこそこの豆乳を飲んで


「豆乳がお好きだそうで今日も豆乳って牛乳みたいに見えますけども、豆乳を毎日。だからいずいっぱい召し上がったんですってね


≪1日3杯は必ず朝昼晩と飲んでいて


「やっぱりいいんですよねぇ体にいいんでしょうね。そうでしょうね。大豆でできているんですからね。


≪大豆製たんぱくはいいと聞いたんで。


「この方は帰国子女の役でいらしたんですけども実際もすごい帰国子女で今の現在半分にすると半分以上が外国の生活の方が長かった?


≪はい12年間海外で生活をしていて


「ですから始まったときは全然海外生活の方が長かったくらい。


≪そうですね。イギリスに6年いて


「わあ!この若さでイギリスに。でもまたずいぶんお父様のお仕事の都合だそうですけども1番最初に何か


≪1歳から3歳までがバーレーンというところで


「バーレーンという国あります


≪で後の3年間シンガポールにいて、それで一回日本にちょこっと帰ってきたんです。それからまたイギリスに9歳から15歳まで6年間いました。


「マンチェスター、ロンドンといらっしゃって。終わりの方はバレエを習うということもあったんです。ですからですね後からちょっと台本をご紹介しますけども日本語、テニオハがちょっと難しかったんですってね


≪”なになにを”とか”なになにに”とかなんとなく自分の中でコンプレックスが、もしかしたら私の日本語は間違って覚えているかもしれないとかそういうちょっと不安があって


「なるほどね。普段話してらっしゃるときはおかしくはないんだけどもそれがせりふになると


≪はいすごく責任感があるじゃないですか。皆さんが見ているわけなので


「お書きになった方のねあれもありますので。一応ちょっと台本をお見せしますか。日本語は読める?


≪日本語は読めます。

「すごいわたしきれいでびっくりしたんですけどもこれで全部自分で入れるわけ?(*台本に注釈や線など書き入れる)


≪はい


「こういう色分け。皆さんここご覧になりますかここのところ”父を”特に”を”とかそういう部分は赤く。


≪送ったものとか


「となりも夕べ父が。ちちが何を。やっぱり難しかったそうですけどもそこのところは赤印。緑印のところは何とか、水色印は何とかあるんですか?


≪自分の中ではあるんですけども多分皆さんには理解していただけないんじゃないかと


「そうでしょうねえきっとね。でもこういうふうにぇ漢字は全部お読みになれる。


≪はい。


「でもねぇこうやってなかなか見るとね台本というのもあのちょっとこの辺ご覧になるとお分かりになると思いますけどもそうこのいっぱいのところなんか色見ている方が具合いが悪くなりそうな感じがするんですけども(笑)


≪はいディレクターの方にも言われたんですよね。こんなに明るくしててかえって見にくいんじゃないかといわれて


「しかもおっしゃっていることですね”父が何を話したかは知りませんけどもでも気にしないでください私の気持ちは変わりませんから”というそれだけなんですよ。


≪(笑)


「今言ったところねそれがも緑ピンクオレンジブルーオレンジグリーンと(笑)この方はで父が何を話したかというふうにねぇそれはなかなか。ただ普通に覚えるのも面倒臭いというかあの難しいですよね。お書きになった通りには。私はしょっちゅう”てにおは”は分かっているんですけども言う時にちょっと自分勝手にいっちゃったりするんですよでセリフをね。それはなかなかで大変だったと思います。でもお幸せな方で本当にいい共演者に恵まれてというかねぇよかったですよね。


≪本当にそれは1番感謝していることなんですよ。あの本当にの大勢の方に支えていただいて


「そうなんですよいろんな方がいらっしゃるんですけども中村メイコさんはあなたのおばあさんの


≪東京のグランマの役で


「何かいろいろご親切にしてくださったんですて。


≪私がその健康の面でも気をつかっているというのをご存じでそしたら手作りのお弁当を作ってきてくださっても本当に嬉しくて


「まぁお子さんをお育てになった経験がある方なので。


≪それであのいろんな私がこうバック台本が入る大きさのバックとかをくだすったりして


「そうなのご親切ですよね。何が必要かということがパッとお分かりになっんだとおもいます。それから佐々木すみえさん。素晴らしい女優さんなんですけども。あなたの肩をもんでくださった。ふつう逆でしょう(笑)


≪そうなんですよ(笑)も本当にスタッフの方にもふつう逆でしょと言われたんですけども、でも私の肩凝りが本当にひどくて。この若さでこの固さはひどいわとか言われて。一生懸命本番前にやってくださったりとか。


「でも皆さんすごいですよね。確かにいいものを作り上げようとする気持ちから出ることだとは思いますけども。でも新人のはっきり言うとほとんどカメラの前であんなにたくさんいろんなこといらっしゃったこのないあなたを後で伺いますけども、実はこの方何をオーディションで受けても全部今まで落ちてきたというもの凄い芸歴をはっきり言っちゃって何ですが


≪(笑)ちょびっとは受かっていますけども(笑)


「だいたいが。


≪ほとんど落ちていますね。


「いやそういう方多いから。松坂慶子さんもご存じでしょう松坂慶子さん?


≪はい。


「ほとんど松阪さんはほとんど全部落ちたとおっしゃりましたよ。あの若いときで児童劇団というか少女の時に全部落ちたとおっしゃっていましたしね。結構あの多いんですよそういうの。鶴田真由さんも全部落ちてしまいにはどこがいけないんですか?って聞きに行ったぐらいだったっていうから。あなただけじゃないですけどもあとでだんだんと追々に伺いますけども結果的には桜という1番すごいまあ朝のテレビ小説の主役を手にしたんですから前に落ちたことなんかどうでもいいようなことですけども今オーディションを受けてらっしゃる方々もあのまでそのことに関してはあとでゆっくり時間があれば伺いますけども、本当にそういうことをしていらっしゃったんですけどもだからそういうふうに皆さんが親切にしてくださってねそういう人を佐々木すみえさんがですよ。私なんかでも大先輩。あの方が肩をもんでくださった。それから熊谷マミさん。


≪麻実さんは同じ朝ドラ経験者で、何て言うんですがそばに横にいてくだすって私の肩をポン大丈夫って言ってくださっただけですごく重みが感じるんですよ。そのつらいヒロインを経験したという大変なこともあるでしょうにというのがわかってくださった上での肩のポンというのがしみて大変支えていただきましたね


「やっぱり朝のテレビ小説は若いお嬢さんにとっては本当にいいチャンスなんですけども。そのプレッシャーというものが並大抵のことじゃないそうでこの方にはお元気で乗り切るということがなかなかあの至難の業だそうですから。マー姉ちゃんもその辺はよく分かっていてポンとやってくれたというか。それからこのあなたの浅田美代子さんですけどもこれはあのあなたが英語教えてらっしゃる人のお母さんの役なのかしら


≪はいあの沼田家のお母さんです。


「そうですよね。ロウソクやさん


≪ロウソクやさんです。浅田さんもあの、浅田さんは私服のファッションとかが可愛らしいですよ。それで私があのうらやましいなといって言っていて、それで本当にいつもかわいいですねかわいいですねといつも私がスタジオに浅田さんがいらっしゃるのを待ちわびているんですよ。どんな格好で今回して来てくださるのかと思って。そしたらあのこれあげると言ってセーターをくださったりとかしていただいて本当に。


「そうなの。あの方も本当に面白い方でさんまさんと一緒にやっているのを見ているとね、よくさんまさんがあの方のお洋服のことをねおっしゃっていますけども


≪本当に普段の私服からとてもすてきなんです。


「あらそうなの。あの方も昔は考えてみればアイドルをやってらっしゃる時代がずいぶん長かったわけなんですから。それから本当のお母さんはハワイにいらっしゃる役が太田ひろみさん


≪はい。


「それからあのあなたの津島けい子さんですけども、津島けい子さんというとあなたからするとずいぶん年が離れているように思いますけども実はあなたは大変映画がご覧になっているので津島さんのことをよく見てらっしゃるんですってね。


≪はいもちろん7人の侍もそうですしあの昔からの私がこういう世界に入ろうと思ったときにそもそも日本の昔の映画とかというのはどういうものをやっていたんだろうということすごく興味を持ってそれで見始めたら面白くて面白くてそれであの高峰秀子さんが出演なさっている映画とかはの岸恵子さん主演の映画とか司葉子さん主演の映画とかそういうのどんどん見ていくうちに日本の映画って面白いなと思って。


「黄金期といわれる時代にで出てらした方々ばっかりですものね。


≪そういう方々がしかもそのころと私ぐらいの年齢だったりして、はー今の私にこんなおしとやかさとかそういうの感じがあるだろうかと思って


「あの方たちは皆でちょうど今のあなたぐらいの年齢でそういういろんな役をお嬢さんのお役をやっていらっしゃった


≪すごいなと思って


「そうですか。津島けい子さんはやっぱりおばあさん、おばあさまの役で。だけど本当に黄金時代の大変な女優さんでいらっしゃったからうれしかったでしょう?


≪嬉しかったです。共演者の方に津島けい子さんがいらっしゃるときいた時どうしようと思って。


「そう。うんと若い女優さんは津島けい子さんてご存じない方がいらっしゃると思いますけども本当に大変な


≪すごい緊張しました。でも大変気さくな方で全然普段はテニスとかをやってらっしゃる方で


「そうですよねあの方バレーの先生もやっていらっしゃったことがあるぐらいですから。


≪とても活発な方でイメージと違うなと思ってびっくりしました。


「映画の中のね。お嬢さん役が多かったから。私の小学校の大先輩になる方。


≪そうなんですか。

「ええトットちゃんの学校のあの方先輩。全然いつもおかわりなくね。ご主人といつも仲良くね楽しくねぇテニスとか旅とかおやりになっている方なんですけども。でもそういう方たちに全部囲まれてまあ他にもいらっしゃるんですけども。あとだじゃればっかり言ってる野口五郎さん。野口五郎さんだじゃればっかり言ってるんですって


≪はい。私日本語がまだだじゃれまで高度に行くと結構わかりにくかったりするんですけどもそれをじゃ私ように簡単なやつを言うとか言ってそれを言うのに”ここに電気のスタンドがあるでしょう?”と言ってそしてコンセントたどらされてコードといったら。あ!といって私のために高度(コード)じゃない簡単な駄洒落をいうと言って。


「そうそれは私も分かりませんでしたね。高度じゃないもうちょっと簡単な奴。


≪それと後かけてそれを瞬時にやられるので私も油断していると全然わからなくて


「なるほどで高度じゃないやつそうですか。


≪まああのそれこそササノタカシさんとか


「ササノさんもダジャレが多かったんですってね。

≪あと小沢さんと3人コンビで控えをしているロビーのところで3人でいろんなことをやってらっしゃるんですよ。それで私がもうこれ以上を聞いていたら私おかしくなっちゃうといって横を向いていると”デドー”といって急に降られたりとか


「あのまあ相手役のもしかしたら結婚するようになるようなかもしれないようなところで終わったんですがでね


≪ちょうど日本に帰ってきてもう1回というはい。


「そうですよね。とても仲よかったもちろん恋人のような小澤さんねぇ。小澤征爾さんのお坊ちゃんですけども。小沢さんも本当に感じのいい演技でしたよね。自然でねぇ。どうしてあんなに上手にできるのかなと思うと私びっくりしちゃって。そんなにいっぱい出てないですよね。映画も3本主演はしたんだけども1本目は本当にねぇ何もやってなくて初めて出た映画であとは2本はまあ少しは経験者だけどももちろん彼にとっては特にテレビのドラマは初めてだったと思うんだけども。本当に楽しくからかうところなんかね。


≪はい。2人の漫才みたいなのが大変で、皆さんに好感を持っていただいて


「学校の先生同士なんですよね。


≪はい。


「でも彼も帰国子女ではないけどもなお父様のボストンと行ったり来たりであの後半も向こうの大学に行ってボストンの大学に行ったりしているんですけどもそういうところがまったく見えないの方なのね小澤さん。どこにもボストンとか小澤征爾とかウィーンとかはそういうのがない感じがするでしょう


≪最初はあの英語をしゃべれるということは私も知らなくてそれでびっくりしたんですよね。いきなりその最初にお会いしたときにセイン・カミュさんも共演者の方でいらしたのでその時に2人でセインさんが英語で話しかけてきてくださったので私も英語で返していたら、小沢さんも混じって3人で英語でしゃべったりとかして”あ!”しゃべれるんだって。


「本式ですものね。ああそうですか。まあお元気そのもので乗り切ったというさくらさんですけどもまだまだお話しがまだまだ面白いお話しがいっぱいございますのでちょっとコマーシャルを


≪はい


黒柳「さて今日の高野志穂さんですけども。桜をおやりなった桜さんですけどもオーディションがまあ最終的には桜が受かったんでいいので今は過去の話だからいただけると思うんですけどもまあ女優になろうと一応お決めになったんですかまあそのオーディションが受からないことってすごかったんですって?


高野≪すごかったですね。本当にあの何でこんなの落ちるんだろうというぐらいにことごとく落ちまして。


「それは単数というのとかではないのね


≪いやもう何十回も。


「100の位まではいかなくて


≪いかないですけども


「まあ皆さん考えてみてくださいいこの若さでですよいっても言っても何10回のオーディションて大変ですよねぇ。毎回ねぇ。緊張していろんなその役柄をやったりやらされるわけでしょう。いろんなことで。そうでないものもいろいろあるでしょうけども。


≪あの中にはその私が特技でフラメンコとか書いてあったりするとそれをやってみてとか言われてお話と関係ないのになんでやるんだろうなと(笑い)思いながらやってみたりとかして。それで少しはアピールできたのかなと手ごたえがあるのかなと思ってもやっぱり落ちてたりとかして。


「それからこんなことやってないで早く嫁に行った方がいいようなんていう人もあったんですって


≪ありましたね。それだけいつもニコニコしているんだからあの普通にお嫁さんになった方があなたは幸せなんじゃないのとか言われて(笑)


「オーディションを受けにているのにがっかりしちゃいますよね。でも中には君こういう古い映画を見たことがあるのとかおっしゃってくださるような方もあったんですって。


≪そういう意味ではあのそういういろんなことを古い事とかも興味があるんだったらもっともっと見てもっともっと吸収できるようなことがあるんじゃないのといってくださる方もいてそうするとそれを普段言ってもらえないから逆にそういうこと言っていただくととてもなんかこうじゃもっともっと見ようという気持ちになって本当にいまは感謝していますね。そういうことを言ってくださって


「だからさっきもおっしゃったあったように日本の特に昔の古いいろんな映画をご覧になるの好きだそうでご覧になってはいらっしゃっただけども、それをおっしゃってくださる方がずいぶんご親切だと思うんですけどもそれにしてもニコニコして毎回言ってぇどうかなどかなって思うのね。私NHKの試験を受けたときに私は1回しか試験を受けたことないんだけどもそういうの。それは相当すごいをオーディションだったんですけどもテレビの女優の第1期を作るというですから。6時ぐらいまでずっと試験がずっとあったんですよ。どうせだめだと決まっていると思ったから私軽くお母さんになろうと思っていましたからね、絵本を読んでくれる教えてくれると思ったぐらいの軽い気持ちでしたからテレビがなかったですよ。その時からテレビが始まるときだったからぜんぜん軽い気持ちだったけどもそれでも嫌でしたよ筆記試験や何だのいろいろあって。しょっちゅうみんながいろいろ聞いたりするでしょう偉い大人の人が。でどうしてだろうなって受けにきているんだからしょうがないからニコニコしているけども、まずいこともいっぱいいっちゃったりなんかしてからそれをも。それからどんなだろうな張り出しみたいなのが私の場合は張り出しだったからあなたの場合はいろいろマネージャから聞いているでしょう。
(*試験の合格発表の通知が紙で張り出されるかマネジャーから聞かされるかの違い。)


≪はい。あまりにも落ちるので私のマネジャーをやってくださっている人もその辛いだろうなと思って今回も落ちたっていうのが。それが最初のころは私もそうですかと何ともないふうに聞いていたんですけど、だんだん2人とも今回もかって、今回もかって。もう3年目かもう4年目になるかみたいな。


「そうなんですよもう4年近くこの若さでですよ。4年近く100の単位にはならなかったんですけども、に近くオーディションを受けて。分かりでしょういくつぐらい受けたがねぇ。10とか20じゃないわけですからね。それをねやはりでいつもニコニコそれでもそれとあなたのマネジャーが必ず絶対あなたはそういうもの何か絶対持っているんだが絶対大丈夫って強い確固たるお気持ちがおありだったんですって。


≪はい。


「じゃあ、決まったときうれしかったでしょう。


≪嬉しかったですね!!もうどうしようと思ういました。2人でずっと頑張ってきてよかったなって。


「泣いちゃいませんでした?


≪いやもうもちろん私も泣きましたけども、


「マネジャーもきっとね


≪目がウルウルしていました


「そうでしょうね。たくさんあった中でもNHKの朝のテレビ小説の主役をなさるということは将来に約束されたようなものですからね。もちろんその方のそれからの努力とか実力によりますけども。それはそれで大変なことだとと思うんですよね。先ちょっと申し上げたように松坂慶子さん、本当に何ひとつ受かったことがなかったんですってお若い時にねぇ。どうしてなんだろう。それから鶴田真由さんも全部。しまいには鶴田さんははっきりしたご性格なので私のどこがいけないからこういうふうに落ちるでしょうか教えていただけないでしょうかって。あなたは聞きに行きたくなかった?


≪何回も思いましたね(笑)


「そうでしょう特に外国ではっきりしたはご性格でいらっしゃるんでしょ。外国の皆さんと同じようにずっとバレエ学校なんかですごくやらなければならないからそういう生活だとじゃあどうすれば今度受かるでしょうか?何があなたは欲しかったんですか?で聞きに行くわけにはいかないでしょう。


≪はいあの1回そういうことはやったことがあってその時にやっぱりあの僕のイメージに合わないって言ってるんだからそんなことを聞かれても困るっていうふうにおっしゃった方もやっぱりいらっしゃいましたね。


「なるほどね。イメージと言われちゃうとね


≪そうすると”あ!”何も言えなくなってはい


黒柳「さっきからあなたが帰国子女でいらっしゃるんであなたの桜の役をちょっと帰国子女みたいに私申していますけどももちろん見てらっしゃる方をねぇハワイで生まれた


高野≪日系4世だったんですよ。


「そうするとハワイの英語とあなたの英国の中でお育ちになったからいわゆる英語でも英国を。簡単なんでしょう英語なんだからと皆さんのおっしゃってそれが難しかったんですって。


≪難しかったですよハワイの英語てthの発音が全部dみたいになるんですよ。だからザッツというのもダッツ、ダだけで終わったりもう慣れなくてなれなくて

「そうでしょうねお手紙でも普通はレターといいますけどもアメリカでは


≪レターというから省いちゃう感じがイギリス英語ではとても難しくて。


「だからそれも日本語も難しかったんだけども英語も難しい。それでもあなたはオーディションを、女優になると決めちゃってそれでオーディションをそれだけ受けて落ちて。おうちではどうだったのかしらまずお母様はどんな風だったの?


≪家ではですねえ今までは私は結構何でも両親と話し合う母親と話し合う生活をしていたのででも桜が始まってからは一気にしゃべれなくなっちゃったんですよ。家に帰ると深夜だというのもあってあまりしゃべれないというのもあるんですけどもまず自分の中で消化してからじゃないと人に物を相談したりとか話したりはしないですね。なのでまだこうあい錯乱中というかまだ物事を消化しきれていないので話せなくて最初のころは母は何かあった?今日はどうだったの?と聞いていたんですけどもだんだん私が話したくないんだなとわかってくれて。この10カ月ぐらいずっと何も聞かずにいてくれて


「そうありがたかったでしょう。それもあるんですがその前のあなたが毎回オーディションがうまくいかない時にその時代をお母様はどんなふうにあなたを見てらしたんでしょうね。


≪その時はですねずっと私が大学を4年間行かせたつもりになってそこまでは何も言わないでいてくれるというふうに言ってくれていたんで、でもさすがにその両親も私が4年間私がここまで落ち続けるとは思っていなかったので(笑)あのやっぱりだいぶ焦っていて父親なんかはやめるのもある種の勇気だぞとかいって言われたりとかして


「でもお父様はそれだけのお仕事をなさっている方なのに事務所の方にいらっしゃって大丈夫ですかとかお聞きになったこともあったりしたようなんですけど


≪はい。私に内緒でそのこと聞いたりしたそうなんですけどもでも家では両親は2人とも何も言わずにずっと我慢して見守っていてくれた。


「じゃ桜が決まったというときはどんなでした?


≪もうもう母親は何も言わずに無表情というか静止画像から涙がガーって出てきて


「お父様は?


≪それで父親は帰ってきたときに私が受かったんだといったらウワーと爆発するぐらいの勢いで喜んでくれて。対照的だったんですよ


「でもありがたかったでしょうね。その間何もおっしゃって下さらなかったことが。


≪それは本当に感謝しています。


黒柳「まあ女優としてこれからものすごく開けていてなんていったって桜の舞台化、舞台でおやりになるんだけども。ほとんど同じ方がお出になるんですって


高野≪はい。そうなんです70%ぐらいは同じ方が出て下さって


「これはすごいですよね。


≪来年の3月に明治座でやらせていただけるんですけども。


「すごいですね。もう明治座で。


≪すごい緊張してはいるんですけども楽しみなんですよ。


「小沢さんも、


≪はい

「ユキちゃんもでる。ほとんどお出になるのね70%だったらね。じゃそれだったらユキちゃんにも初めての舞台になるから楽しみでしょう。それから映画の主役もうもうおやりになったんですって?


≪はい。あの今度来年の春ぐらいに福耳という映画で。


「すごいですねぇあなたのマネジャーがあなたは絶対に大丈夫どんなことがあっても頑張ろうっておっしゃって考えてくださったことが正しかったということになりますよね


≪これからももうようやく土俵に上がれたのでこれからもますますがんばっていきます。


「そうですよねお元気がたくさん日本中の方がで桜をご覧になってね毎日あなたに声援を送ってらしたと思いますので。本当に今日はありがとうございました


≪ありがとうございました


「よかったです。