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15(2003)/1/28 真屋順子・高津住男

黒柳「女優の真屋順子さんと俳優でご主人の高津住男さんにおいでいただきました。真屋さんが所属なさっている劇団のキカンシャの代表でもいらっしゃるんですが。お二人でおいでいただいたのはなんとびっくりしたことに2年ちょっと前に2000年の12月に脳出血でそれで半身不随におなりになった


真屋@はい今も左手と左足がマヒしております。


「でもよく口が大丈夫だったわね。


@口が残ったんですよ(笑い)


「よかったですよね。


@だから徹子さんのお弟子さんに入ろうかな。修行し直さなければ。(笑)


「でもあのそれから倒れになってリハビリとか病院にいらっしゃってという期間もあってテレビは2度目ということで。前NHKにこの間おでになったのを拝見したんですがその時にびっくりしたのね。まあそうだったんだわと思ったんだけども。お仕事している最中だったんですってね。


@そうなんです。静岡でね静岡の浜岡というところでね町の市の音楽会があったんです。素人さんたちの。その最中。舞台の上ではなかったんですがちょっと外れて下手に入ったときに。

「でもその時に手がだんだん冷たくなってきた。


@そうなんです。


「悪くなった方の手が?


@そうです左手。特に左足がね冷たくて何か自分の足じゃないみたいに冷たくてね。ここに氷の塊を抱えている。これは何なんだろうと思って生まれて初めての経験だったので。でこっち左手が全然わからないですよねどこにあるのか。


「あらもうそんなになっていたんですか


@そうなんですね。たぶん舞台の上で切れたんだと思いますこちらがね(頭)。


「でもまあ口は大丈夫だったでしょう。


@口は達者だったから、だから救急車の中でひとりでしゃべっていました(笑)。


「何かあれですってね健康保険の証書をはどこにありますとか、本名はとかおっしゃったんですってね。


@私の芸名が真屋順子ですのでね、救急車の方がちゃんと分からないといけないので。私は芸名と本名は別々なんですよ。わかっておりますなんて言われて。


「ご主人は、そのお仕事で元気にいらっしゃった奥様が病院に入ったら突然。もそのときは意識不明だったんですか?


高津:そうです。


「連絡があったときは。


:あのびっくりしましてみました。あの自分の中でこの人を本当に愛したことがあったのかなと思って。ぐっと我慢したんですけども。


「そんなに悪かったんですね。


:そうですね。生きた僕の方が生きた気持ちはしませんでした。


「それは5日間ぐらい?


:そうです


「静岡の方の病院で?


@はい。


「じゃあその時にいらっしゃるまでの間新幹線に乗っていらしてもねそれは気が気ではなかったでしょうね。


:そうですね。あのいろんな喧嘩したこととかいろんなことを思い出しました。


「病院の先生も大丈夫ですからと初めはおっしゃらなかったんですって


:僕の方が最初はあわてていましたから言っても仕方がないと思ったのかもしれません。でも命は取り留めたという言葉を聞いたときに僕の方がふわっとなりそうになって。


「まぁ命を取り留めたということぐらいでたいしたことないですよとかそういうことは全然なくて


:はい。


「でご本人には全然?


@5日近く意識不明だったみたいですね。できづいたら主人がベットのそばにいて、何なんだろうと思ったんですよ。寝返りをうとうとしたら全然左の方にいかないんですよ。いうことを聞かないの。寝返りっておきたらウワーとなるでしょう。それができなくてこれはいったい何が起きたんだろうと思って。


「その時は左半身不随


@全然効かなくなって。自分の意志の通りにならない。で目がさめてしばらくして先生と高津がこれは脳内出血だということ聞きまして


「まあそれからずっとリハビリが続いて2年ちょっと前の出来事だそうですけどもそれからずいぶん長い期間だったと思いますけども。まあその間大変だったでしょうねきっと


@でも皆さんが大変ね大変ねえとおっしゃるほど自分はそんなに大変だとは。


「でもご主人の方は今まで真屋さんがやってらしたご飯のこととか、そういう家事おやりにならなくてはいけなくなったので


:もうとんちんかんで何をやっていいかわからなかったです。


「見当もつかないでしょうね。


:トイレを掃除しましたらピタッとハネが上がったり、油ものと何かを一緒にしてはいけないとかいろんなことがありました。


「息子さんがいらっしゃるんですよね。


:はい。食事は全部彼が最初はやっていました。


「そうですってね。その息子さんが20何歳ぐらい?


@いえもう40


「40!


:まだ独身です。


@今年41になるんじゃないでしょうか。


「結婚なさった時にすでにその息子さんもいらして。


@6歳でおりましたから。


「だから6歳で、あなたが結婚の里時には6歳だったんだけどもうずいぶん長く結婚してらっしゃるんだわね。


@そうですね30年近く30何年にかになります。


「息子さん何歳でしたっけ?


@41もうすぐ8月で。


「結婚しないから家にいらっしゃるわけ。よかったですよね。男の人が2人いれば随分力強いですね。


@そうですね力仕事もできてやれますしね。


「そのお坊ちゃんがご飯のことをやってくださる。でもあなただんだんこう左手で、左手で結構押さえたりなんかしないといえのことってできないんですよね。


@そうです。まな板の上で左手で押さえて切ります。それができないからつるつる滑ってしまうんですよね。でもいろんな方から下から釘を打ってもらったりそこにじゃがいもとかニンジンとかを突っ込んでやればいいよと教えていただいてやったりもしているんですけども。


「皮をむくのも片手で向かなければいけないとか随分いろんなこと。


@でもやろうと思えば1本の手だけでできますね人間て。何かがだめだと思えば一生懸命頭が工夫してくれるんですね。体もそれに付随して動くオートするでしょう。そういう意味では楽しい、楽しいというかどうしたらそういうことができるか一方の手だけでできるかということいろいろ試行錯誤しながらやっているんです。


「それにしても58歳もうじきお誕生日という所の前だったんですよね。


@そうですねはい。


「ずっと私お若い方だと思っていて何歳だって考えたことなかったのにあなたが半身不随とうかがったときにあんなにお若い方でもなるんだなと思ったぐらいだから。


@若くはないですよ。だからこういう病気になる年齢に近いというかね。


「でも欽ちゃんのどこまでやるのでも10年おやりになったんですよね。


@そうです。


「だからメダカの兄弟や何かのお母さんをやってらしたわけなんですけども。じゃなにか前から何かそういうことがあったんですか例えば血圧が高いとか?


@あんまりそういうことは意識しないし、健康診断もときどきやっていたんですが健康診断ぐらいでは引っかからないですね血管が切れるというのはね。だからみなさん本当に健康診断を丁寧に特に40歳以降からはきちんとMRIでをを。そういう検査をなさった方がいいと思いますよ。


「でも自覚は全然なく?


@ただ階段の上り下りがちょっとしんどくてハーハーと言っていたんですよねぇ。だからたぶん血圧が上がっていたのかもしれません。


「でもねあまりそんなにどこが悪いという自覚もなくお仕事で行ってらしたわけですからねえ。それがいきなりそういうことにおなりになって。


@でも本当に人生て何が起こるか分からない


「特にあなたはご健康そのものみたいな方でしたからね。


@でもしょっちゅうあっちが痛いこっちが痛い、胃の調子が悪いとか頭痛がするとかしょっちゅうぐじぐじぐじ言ってましたよ。


「やっぱりどこかが悪かったのかもしれないわねもしかすると


@そうですね。でも悪くてもあまりそれをいい引きずらない性格。それが今度の場合はもう少し気にした方がよかったのかなと思いますけども。


「でもご主人が本当に意識不明のあなたをご覧になったときにこの人を本当に愛したことがあるんだろうかとお思いになることはそういうことでもなければあまりお考えにならなかったこと。


:全くそういうことは考えたこともありませんでした。


「後からお聞きになってどうでした?


@遅かった(笑)気付くのが遅かった。まそれはありがたいお話しですけども。罰当たりな発言ですけどもね。


「そうですよね。あなたはその前にお母様の具合いが悪い、それと一緒の舞台「出雲の阿国」をやってらして。


@その年は本当に忙しかった。


「忙しかったのね。


@何かをやるときは自分の睡眠時間を削って何かをやらないと、ほとんど睡眠がとれていなかったみたいですよ。何カ月間は。


「しかもお母様のご病気が悪いというような心痛があったわけですよね。芝居が大変というような。だからいつも芝居をやってらしてもお母さんものことを考える方がちょっとアレだったんですって多かった。


@そうですね。でも母の介護を多く置くか、お芝居の方をを多く置くかというとお芝居の方で、地方にもいかなければいけないし。健康を気遣わなければいけなかったんですけどもただ与えられたことを一生懸命やるということが続いていたものですからね。半年ぐらいはそういう生活で。


「でも話は違いますけども欽ちゃんなんてびっくりしたでしょうねあなたがそんなになったって。


@びっくりしたいみたいです。というか私が電話したんです。退院してからしばらくして。「どうした?お母さんどうした?どうした」電話の向こうで。頭の血管が切れちゃってというと「頭の血管が切れた、ええ〜嘘だ」と言うから本当なのよ。頭の血管が切れてそんなにしゃべれるというからだってしゃべってるでしょといってね。


「でも今どうやって移動は何?


@あの車イスとつえ。ゆっくりと杖で歩けますから。


「あれでしょうリハビリも歩くのもリハビリでご主人と一緒になんか歩いてらっしゃるお写真をちょっと拝見したんですけども。じゃご主人がいらっしゃるのはずいぶんよかったですよね。


@そうですねはい。


「丈夫そうなご主人なので。


@丈夫そうといわれても(笑)


「階段なんて大変でしょうねやっぱりね。


@それがね家はね本当に狭くてね天に近いように作ったものですから。しょうちゅう上り下りしなければ自分の部屋に入れないんですよ。だからエレベーターもないしねいやが応でも歩かなければ自分の力で歩かなければいけない。最初のころはうちの息子が私をおんぶして階段の上り下りをしたんですよ。それを3階まで階段があるものですから


「まあ大変ですよね。


@ですからのリハビリのお休みの日は一生懸命階段を上り下りして鍛えております。階段の上り下りはすごいプロになりました。それほど歩いています。


「それはやっぱりつえを。


@手すりをつけてもらいまして。うちの劇団のメンバーが手すりをつけてくれて。どこでも手すりどんなところにも手すり。


「それはそうですよね手すりがあればねつかまっていれば安心ですものね。


@手すりがあればどこへでも行きます。


「なるほどね。確かに手すりというものは安全、その手すりが切れているのはイヤですけどもずっときれていないの願いますけども。こういうふうにいっていて突然切れちゃうとね


@だからリハビリの先生がね道を歩いていても全部手すりがあるわけではないからあまりこんどは手すりに頼るということはやめてくださいと最近おっしゃるようになった。


「私も駅でここまで手すりが来ていてそこから手すりがなかったときにあるんだと思って上から下まで落ちた人の話を聞いたので私手すりがないと恐いんだわと思って。そういうのがあるならあるでしてくれないとね。危ないですよね。


@でも今は先が4つに分かれている安全性の高いつえを使っているんです。でもリハビリでは1本の杖を今使っています。


「でもその4つに分かれているなんて【写真】こういうのね。そういうのがあるんですか今。なるほどね。


@ですから外出するときはこの安全性の高いものでリハビリ室では1本の杖でやっています。


「洋服を着たり脱いだりというのは自分でおできになる?


@時間がかかりますけどね。まず不自由な方からそでを通して肩まできちんと合わせておいてそれから首回りを被りましてそれからぐっと片手ですごく朝起きて30分ぐらい洗面所に行くまでに30分ぐらいかかりますけどね。護送具をつけていますでしょう今。


「それはおみ足のちょっと見せて。ばんそうこうみたいな。ばんそうこうじゃなくてここのところね。


@これはね何ですかマジックテープ。これも障害者用の靴を


「そうなの


@主人が探してきてくれて。


「この横に車みたいなものがついているんですけどもそれはやっぱり足がちゃんと固定するようになっている。


@そうですねこれはあのL字型だけだったりすると今度曲がったりする時に今度は足に抵抗があるのでこれがバネになっていて動くとちょっとゆるんだり開いたり。


「そういうものが今あるんですか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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黒柳「それにしても病院で意識が目覚めたころみんながカイトウするカイトウすると聞こえたんですって


真屋@あのそのそれはたぶんいつごろかちょっとわからないですけども多分病院に静岡の病院で救急車を降りて検査室に入る前後じゃないか。カイトウする?カイトウしなくてもいいでしょう。わからないでしょうが私も救急車の中で意識が遠のいていて。何をカイトウするんだろう。冷蔵庫から何を出してくるんだろう


「冷凍をどうやって解凍するんだろう。


@その解凍だと思ったらどうもどうもどうもここは病院みたいだ。その2人の声が男の方の声だったんですよね。どうも先生らしいのでということは私は病院かな?病院らしいとはっきりわからないですよ。カイトウしますか?いやカイトウはいいでしょう。そのときに何を料理するんだろうと。カイトウというのがね開く頭。私は病院にいるみたいだけどもう頭が変になっちゃったんだと思ってどうしましょうというときにまたわからなくなっちゃって。そういう面白いキャッチの仕方をしたんですね。


「なるほどね。


@人間って意識がなくなっても結構おもしろい方に自分がとらえちゃったというかね。そういうことは頭を開かなくてもいいんだと思っているうちにまたわからなくなっちゃったんですよね。


「でもそれにしても意識不明から戻って病院に2カ月ぐらいはいらっしゃいました?


@向こうの病院と合わせて2カ月くらい。


「それから後リハビリに入るんですけども、何かどうしてもデパートにいらっしゃりたくてデパートにいらしたんですって。


@住んでいるところが板橋なんですけども。池袋のデパートにときどき元気なころに行っていたんですよ。ひとりでね。退院したときにどうしてもデパートで買い物をしたくて、春だし2月の末だと思うんだけども


「お倒れになったころがクリスマスのころだったですものね。


@もうすぐ春も来るし靴下もかわいらしいピンクとかブルーとか黄色とかそういう靴下を履いてみたいなと思ってねただデパートに連れて行ってもらったんです。


「デパートに車いすでいらっしゃったら、女の人が後ろから回ってきて


@そうなんですよ。普段は見られていますでしょう。職業ですからね。見られるのは平気だったんですが、あんなにも見られたというのは


「しかも車椅子に乗ってらした。


@そうなんです。前に回ってきて上から下までずーっと見られたんですよ。その時に車いすで外に出ていくということがねわたし自身の中で抵抗があったのですがなにしろ新しい空気を吸いたいということでまあエイヤと出ていったんですね。そして息子と主人と。そしてデパートの地下で何かおいしいものでも


「デパ地下


@そうそう。何かぐるぐる回っている最中だったんですよ。


「そうするとその人が顔を見たのは


@上から下まで見て


「へえ〜真屋順子さんて今こんなふうだわって思われたようにあなたは思った。


@そうです。それとやっぱりねぇこういう障害を持ってしまうと舐めるようにというかグッとみてその目線がとっても悲しくなっちゃったの。


「実はそれが後になってみると負けないぞという気持ちにバネになったんですってね。


@そうですねその視線がですね視線というか目線がですね。私にとって逆の意味で頑張らなければとそういう意味で差別というかね。こんな体になっちゃってアーアというかね。そういうことがとても一瞥されたというかね。


「まあ有名である人の宿命かもしれないんですけども。そういう目線をはねのけなければという気持ちにそれがなければ


@あの時にデパートにいかなければそういうこともなかったかもしれないけども逆にそういう風に見られたことで私まだ頑張れるんだと、生きているからこんな目に会うんだ。目に会うというのはおかしいですけどもね。ちょっと傷つきましたね。


「でもちょっとそれはね


黒柳「まあデパ地下に初めていらっしゃって車いすでそういうふうに前に回られてみられてその人の目線が痛くて帰りの車の中でふさぎ込んだけどもやらなければというふうなバネになったのはよかったんですけども。今しゃべってらっしゃるから始めからしゃべるのは大丈夫かと思ったら、はじめちょっとご主人リハビリが


高津:いはいそうですね。あのリハビリ師の方が和田氏が言う通りに行ってくれとおっしゃったんですね。と”今日は雨が降るかもしれないから傘を持っていこう”、”今日は雨が降るかもしれないから傘を持っていこう”と言うんです。女優なんだからそんなの100行だろうと200行だろうと大丈夫だろうと思ったら5行ぐらいのものが言えなくなったんです。僕はぎょっとしてその時も後ろの方にクラクラときましたけども。


「ああそう。でもそれから早くしゃべる方は回復


:しました。


「それは脳と続いていることだったので初めねなれなかったことがあったんでしょうね。でもご主人は真屋さんのおなかのくくり方といいますかね、ものの考え方とてもすごく胸を打たれるものがあった


:はい。すごいと思いました。まず自分の連れ合いのことをすごいというのは変なんですがあのやっぱり覚悟するときは本当に覚悟する度合いが幅が広くて、回りがですね息子と2人で頭ということ言うと「(声が詰まる)」と思ったり腕と言うとやめたりしたんですが。でも本人は本当におなかの下でおへその下でぐっと覚悟をしていて私はこうなったんだ。だから頑張ろうということになったみたいですね。


「じゃあ随分ご生活を一緒にして助けたりしても割合やりやすかったかもしれませんねそういうことを気を使わなくても。


:そうですね。本当にそれは思います。


「でもご主人に対しては明るくやろうとかそういう風にはなさいました?


真屋@わざとはしませんけども私は大体根明(ネアカ)みたいで、私明るくしようと思いませんけどもみんなに明るい明るいといわれるんだけど私明るいですか?


:いやいや、それは明るいですけども。前はねあそこにあったのは何だっけ?なんていうのが何でもなかったんですけどもそれがその事故があってからははそこにあるのは何だっけ?と言われるとぎょっとするというか回りがそうなんですよ。


「そうですよそうですよね。


:だから明るいというか何だと思うから。ここにあるじゃないのというような話にはなりました。



「それはずいぶん違いますよね。


@あとみんなが明るいですねと言うんですよ。こんな大病の最中なのにどうして明るいの?どうしてか私もそんなそんなに明るい?と皆に聞くんですけども(笑)もなるようになるわという感じで。


「それがご主人のおっしゃるおなかのくくり方なんでしょうねきっとね。


@今こうなってしまったのも私、元気なころも私だったらひっくるめて病気になったから自分を嫌になるじゃなくてね病気になった自分をもっともっと試してみたいというか何ができるかこの体で何ができるか試してみたいというのはこれ初めて言うんですけどもここでこの場所で初めて言うんですけども、あの心の中で思ってたみたいですね無意識で。


黒柳「あのご自分で今何ができるだろうと思ってその試してみるというような生命力がご自分の中であるのでみんなに明るいと言われてるんじゃないかということで。


真屋@でもそれは1人ではできなくて病院の先生だったり看護婦さんだったり家族だったり劇団のメンバーだったり近所の方の声のかけ方「頑張ってるわね」とか言ってくださるその言葉とかだからその言葉の持つきらきら輝く言葉の本当の意味。私今まで役者やっていてね言葉の持つ本当の深い意味をでちゃんと考えて芝居やっていただろうか、ドラマをやっていただろうか。こういう対談でもね徹子さんの前で自分が自信を持ってね自分の言葉で言葉の持つきらきら輝く宝石みたいなそういうものちゃんと意識していたのだろうかと思ったら何かそういう意識が足りなかったような気がして病気が教えてくれてお話することのを大変さそういうものをとても病気が教えてくれているんですね。


「でも車いすにお乗りになってお芝居、あの再演したかった出雲の阿国をまたなさるんだそうですけどもあさってですね1月30日と1月31日しあさって三十三十一日と初めて女優の仕事としてお戻りになる。


@そうですね。


「わけですよね2年ちょっとです。下北沢の北沢タウンホールというところで出雲の阿国をなさる。ご主人はどうですか車いすでもやるという


:大丈夫だと信じています。


「そうですよね。セリフいっぱいあるんでしょう?


@あります。1日1日セリフが増えていくんですよ。だからもう怖くて。


「でもこの素晴らしい精神の持ち方で何とでもありがとうございました


@:ありがとうございました


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15(2003)/1/29 杉浦日向子

黒柳「よくいらしてくださいました。杉浦日向子さんであ、今は先程ご紹介しましたように長谷川町子さん以来もうずっともらっていなかった女性の漫画賞文芸春秋で出していらっしゃる漫画家の賞漫画家でお取りになったんですけども


杉浦≪おそれ多いことで本当に重たい賞だったんですけども。あっさり廃業してしまってだいいひんしゅくで


「本当に廃業なさったの?


≪絵筆を完全に折ってしまって絵のかき方も忘れちゃったような感じですね。


「10年前から隠遁生活に入ってらっしゃるんですけども、


≪34の年に思い立ちまして隠居しようと、隠居宣言というものをしまして。一朝一夕になれるものじゃないんですね。やっぱり世間様に認めてもらわないと


「おお江戸でござるとかでてらっしゃる


≪ええ


「お江戸でござるの最後のところに


≪ちょこっとですけどもね。


「起こったいろいろなことについての江戸はどうだったかということご説明というか解説してらっしゃるですけども。そういうのやってらっしゃるのでみんなは隠居となかなかわからないんだけども。なぜ隠居をしたいのか。もちろんみんな隠居せざるを得ない状況、しなきゃいけない状況なってることが多いと思うんですよね。だけど自ら進んで三十三三十四のときに隠居をしようという人は珍しいと思うんですよね。なんとか現役でやっていきたいという人がいる中でですね。風流江戸雀というので文芸春秋の賞を取りになったんですけども、それで10年前に思い立って隠居。どういうことから?


≪隠居というと大抵皆さんリタイアと同じ同義語だと思われるんですけども隠居というのは実は日本独特の文化でして暇をクリエイトする人なんですね。つまり現役の方ボウチュウカンアリでを忙しいさなかにちょっとした暇を楽しむんですけども隠居になってしまうとカンチュウボウアリでいつも暇でたまに忙しいという。そのたまにが自分の場合NHKにちょこっとしたもので。ほかは一切お仕事をお受けしていませんのでテレビは。こちらは本当に20代の時にうかがったので10年ぐらい前。


「そうそうそうそうずいぶんお若い時にいらして下さった。われ以来なんで。じゃ他のものも書いていらっしゃらない?


≪ええまず連載は持たない。


「(写真)ちょっとごめんなさいこれ初めていらっしゃった


≪若いですね。


「若いよりもなによりもこういうあのちょっとアレですよねあの樋口一葉かと思ったんですけども。


≪自分でもびっくり。


「こういう格好でいらしてくださっていたんですね。でも隠居になるとこういうお召し物やなんかはあれなんですって。


≪楽な格好にしてどこにでも寝そべるような感じで


「前のものはどうしたんですか?


≪ものはちゃんとリサイクルに回すようにしまして。ほとんど物を買わないですね。隠居してから。着回してますしそれこそリサイクルショップで古着をかう。これなんかも古着なんですけども。物を増やさない持たない出世しない、つまり去年の年収よりも今年は上回らなくてもいいという暮らしぶりなんですね。それと悩まない。この3無いなんです。


「3無いとおっしゃいましたけども、持たない出世しない悩まない。事実隠居してらっしゃるとそうなります?


≪で生活の道具をどんどん減らしてシンプルにしていくんです。テレビとかを買い替えるときにインチを小さくしていくんですね。逆に。冷蔵庫も小さくしていく。


「分からなくはないですがいつごろからそんなことをお考えになっているんですか?


≪17の時からですね。17の補時に長く生きたなという感じがしまして後倍折り返し34まで行ったら隠居したいなと漠然と思っていたんですね。


「まあ大橋巨泉さんという方も50で隠居しようと決めてであとはそういう素敵な楽な生活をしようと思いなったそうですけども、日本人はなかなか隠居ねそういうふうには、この方の場合は隠居じゃなくて引退とおっしゃったんですけどもね。そういう風には思えないものなんですけどもね普通ね。


≪隠居すると何がいいかというと有り余る時間が全部自分のものなんですね。朝パッとおきたときにきょう1日何しようかなから始まるんです。スケジュールを立てないのがいい。


「それはわかるんですけども収入とか


≪減りますね。3分の1以下なので3分の1以下の低エネルギー生活をしています。


「じゃあまあギリギリでも生活できるぐらいのお仕事なさる。


≪それは扶養家族がいないという恵まれた条件だったのでこんなにわがままができるんですけども、皆さんにお勧めはできませんけども自分は今楽であってますね。


「いま世界で1番の金持ちというのはあれなんですってね


≪時間持ちなんです


「時間持ちなんです。お金もないといけないですよね。今はお金があるけども使っている時間がないという方がほとんど。それはお金持ちではないんですってね。


≪そうですね。


「本当のお金持ちは遊ぶ時間もたっぷりあり休み時間もたっぷりあってお金もあるという人なんです。


≪時間持ちをリッチマンというです。


「大概の人は時間はあるけどもお金がないという人がほとんどなんです。でもあなたのように自ら進んでお金はいらないと入ろうと思えばいくらでもお金が入る方法があったのかもしれないのに。何かあなたの家に泥棒が入ったのに取るものはなかったというのは本当なんですか?


≪あの空き巣が入ったらしいんですね。でお隣のお家に入ったついでにうちも入ったらしいので、その泥棒が捕まった時に隣にもついでに入ったとおっしゃってくださったそうなんです。でお巡りさんがいらしてなにかとられたものはありますか?。そのとき初めて知ったんですが何も(笑)。


「入った形跡も


≪形跡も分からなかったです。いろいろみたんですがとられたにしても思いだせないものだったらなくてもいいものですよね。


「まあそうですけどね。


≪被害はないということですね。


「江戸時代なんかは、まあ江戸時代のご専門でいらっしゃるんですけども江戸時代はどうしてなんでしょうね。


≪カギがないですから出かけるにしても在宅しているときにはシンバリ棒でカギをしますが外からかける鍵がないんですね江戸は。


「泥棒は入れなかったんですかね?


≪入っても出て鍋とかそういうお皿とかぐらい、取るものがない。


「庶民の家には取るものがなかったんですかね。


≪そうですね。


「隠居については江戸時代はどうだったんですか?


≪江戸は隠居の活躍する時代でしてとにかく40というのが老いの坂、入り口というんですね。私も2度目の成人式を過ぎて4年たつですけども色事は40からおもしろしといいまして、若いときの恋愛は繁殖するための義務が伴うわけですけども40からの恋愛は本当の遊びとしての恋愛になっていくんです。で他の道楽も若いときには仕事をしながら後ろめたさを負いつつ道楽をするんだけども40からは道楽を中心に生活が回っていってもしかられない。


「じゃあ江戸時代はそんな感じで。


≪歌舞音曲や盆栽、それから芝居もそうですね。すべて隠居文化なんですね。隠居が有り余る時間を紡いで築き上げていったもので10年早い20年早いという世界がたくさんあったわけです。


「じゃあそういうものしょっちゅうやっているので別にこれ老人性なんですかねぼけとかにはならない


≪不良老人が多いぐらいですね。


「なるほどね。40になってから色事が面白しと言っているんですからね。


≪経済は若者が動かすもの、文化は隠居が紡ぐものという役割分担をしているんですね。ですから今の中高年はもっと遊ばないと文化は生まれないですね。


「お金がないとみんな言っていると思うんですよ。今の中高年はね


≪お金を使わない遊びも江戸のころにはたくさんありまして、1番多かったものは言葉で遊ぶ。


「なるほど。


≪俳諧もそうですね。


「そうですねえ俳句なんていうのは


≪狂歌を読んだりとか。言葉をいくらこうしゃれた言葉をしゃべるかというのがその人が培ってきた人生経験が長いほどボキャブラリーが多いですから若者はかなわないですね。


「中高年の人たちは何もお金を使った遊び、外国に行くとか買い物をするとかじゃなくてそういったような知的ない自分の積み重ねのものの中から遊びを考えてお金もかからないヤツで遊ぶことは十分できるんですね。


≪下町のおじいちゃんなんかはとてもダジャレ好きでしゃべっているって間にポンポンいろんなダジャレがでますよね。


「考えてみると昔なんだかおじいさんとか縁談みたいなところに座って漠然とこういらっしゃった方々は隠居していたんですかねみんな。


≪隠居に近いリズムで生活をしていたんですね。隠居のリズムが身にしみてくると江戸がよく見えてくるんです。忙しくしていると江戸は単なる資料でしかなかったんですけども今呼吸するみたいにとても気持ちよく江戸が吸収されていくのがわかります


「前すごい忙しい生活をしてらして隠居生活に入るとし止めどなく寝たりとか止めどなく起きたりとかそういう風にはなりません?


≪最初はやっぱりリズムの作り方がわからなくて4、5年はオタオタしていました。で最近10年過ぎまして自分のペースというのが身にしみて


「どういうの?


≪まあ一応を40からの暮らしということでそれまでの生活を切り離しているんですけども、とにかくマイペースですね。


「もちろんそうなんですけども朝なんかは早く起きるの?


≪私早いんですよ。4時半の1番最初のテレビから見てるんです。


「4時半から!


≪日テレとフジテレビがお天気のテレビを始めるんですよね。それを毎日見ています。


「でお休みになるのはちなみに何時ごろですか?


≪10時には一応寝て大き。それから2時ぐらいにいったん起きたりしてちょっとお酒を飲んだりしながら細切れに寝たり起きたりなんですが早寝で早起きです。


「そんなことも隠居ならば夜中に自分で起きてお茶を、お茶じゃないやお酒を飲んであとちょっとお魚なんかも


≪自分でちょっとこしらえて


「酒の魚を作って。


≪朝早く暗いうちから起きてしらじら明けを見るのが好きですね。でその間に今日は何しようかなと雲行きや空模様をみながら考えを立てていくんですね


「そうするとお仕事していらしたときはそういうもの書いたりなさるだろうと思うんじゃない。その時の心境とか朝ご覧になったものとかそういうものは書いたりはなさらないんですの全然


≪スケジュールは立てないですね。で隠居のコツというのがあってなさんも毎日隠居は難しいんでしょうけども週一回ぐらい隠居生活なさってみたらが楽、気分が楽になると思うんですねえ。そのコツが身の回りから数字のついたものを全部外すんです。つまり時計、手帳、カレンダー、携帯電話全部はずして1日行動して見るんです。


「いいだろうと思いますねいかにもね。


≪いまそうです数字だらけの生活ですよね。


「そうです。テレビを見たってテレビの上には何時というのが出ているじゃないですか。朝からね。なんだって数字から離れられない生活なんですけども。そういうのも身から離してみるとハーと自由な感じになります?気持ちを


≪気持ちがいいですね視界が開けるというかあの本当広々と何でも広々と見えるし何でも何を食べてもおいしく感じるしすごくいい感じですね。


「ただあのアレですね杉浦さんの大きな特徴は隠居してまあ地味な暮らしなんだけども食べ物にはちょっとお金をかけてらっしゃる。


≪まあ飲み食いだけにはケチらないですね。その代わり本当に衣食住の食だけでエンゲル係数ばっかりの生活ですね(笑い)


「衣住はあまり


≪二の次、三の次です


「でお蕎麦やさんにいらっしゃってご本も出していらっしゃる。あれは前にお書きになったものなんですか?あのそば屋さんの。


≪えっと5年前に最初に出版して今度版を重ねて3回目の版なんです。


「重ねているからどんど


≪お店も増えて情報も新しくなっているんですけども。


「今書いてらっしゃるんじゃないんですね。東京とかいろいろなところにあるお蕎麦やさん


≪全国のお蕎麦やさんを一応今回の文庫本では123日を取材しました。1人では無理なのでソ連”そば屋好き連”というグループを祖母


「そば屋好き連


≪まあ純粋会員が15人くらいで全国にソバッチという、ソ連の金バッチというものなんですけども

そう
「すごいですね。


≪蕎麦の実の三角と割り箸とそばチョコでカタカナのソという字になっているんです。


「なるほど


≪そのソバッチ会員が100人ほどおりまして、みんないい大人でそば屋さんで昼間からいっぱい傾けて飲んで最後にそば補をたぐってしめるという暮らしぶりなんですね。老若男女全然職業も出身地も違う人ばっかりで楽しい会なんです。


「なるほどでいまコーヒーショップに行ったらバッとコーヒーを飲んでいこうという人が多い中で、コーヒーもいいけどもやっぱりそば屋でくつろごうということ提唱してらっしゃるのでそれがソ連という。


≪2時4時というのが原則でして、つまりお昼時に食事として入るのではなくて2時から4時のそば屋さんが最も暇そうな時間にぷらっと入って1杯やるんですね(笑い)


「なるほどね。できたらそこにあるお蕎麦やさんにはおいしい


≪つまみもありますので


「つまみがありますのでそれを食べたりなんかして。まぁもっとをうかがうんですけどもこの若さで隠居してらっしゃる方なんですから。ご隠居さん(笑)いろいろご隠居さんにお伺いしなければいけないことがいっぱいあるんですけどもちょっと羨ましい気もいたしますちょっとコマーシャルに行きますコマーシャルです


黒柳「でもまあ漫画家としては本当に賞をお取りになったんだけどおやめになったんだけどもで注文してくれる人がいれば短いものであればお書きになるんですって?


杉浦≪漫画は書かないですね。


「いやごめんなさい原稿みたいなもの


≪原稿は単発ものなら受けています。1000字が限度なんですよ。1000字以上を書かないという。


「200字詰め原稿用紙で5枚以上は書かないということですよね。


≪そうですね。机の前に座って2時間ぐらいで一気に書ける量がちょうどいいですね。でいったん休んでからまた書くというともう飽きちゃうんですね気分的に。だから一気に勝負ができる枚数というんですか


「それはやっぱりお書きになりたいことがあるから、それともある程度収入が隠居してても必要だ。


≪やっぱり書きたいテーマだとお受けしますね。原稿料って微々たるものですから収入にはなかなか出結びつかないですね。


「でもまあそういうお書きになりたいものがあって今でも少しの収入があるものをおやりになっているんですがまあ隠居生活ですよね。であの東京というのは江戸になって今年


≪400年


「400年なんですね


≪1603年に江戸開府ということで


「そうなんですってね。だから400年になっているんですね。


≪はい。たかだか400年なんですよね。京都の方ですと1200年以上経ってますから。


「そうなんですよね。


≪日本の歴史でいうと新興都市なので余計に面白いですね。合理的にできてますし私たちの生活ととても似通っていますね。はい。


「なるほど、私の知っている築地のマグロやさんがいるんですけどもその人は家康と一緒に江戸に来たという


≪あ!三河から。


「そうなんですよ。お前のところの魚はおいしい、これから江戸に行くので一緒に来ないかということで一緒に付いてきた方がですねってまあ初めは日本橋にあったんですがそれから築地におうつりになって今も1年に1度はお伺いしているんですけどもね。


≪関東大震災から築地に移ったんですね。


「あれは関東大震災から築地に移った。


≪日本橋の大橋は日に千両落ちるというすごい活気を呈したところで当時江戸の町が人口100万人で同じ時代のパリやロンドンの倍以上あったというぐらいの大都会だったんですね。そんな中で生まれた文化ですから本当にエキサイティングで面白いですね。


「なるほどね。だからそういうお家もあるんですけども江戸が開府されて400年ですけども、初めの100年はあまりしっかりしていなかったんですって。


≪本当に坂東の片田舎ということですべて上方の模倣していたんですね。京都や大阪から下ってくるもの下り物を珍重しましてブランド化しておりまして、京都から京都や大阪から下ってくるものはみんな高級でいいものだ。それ以外のものは下らないものだ。下ってこないものはたいしたことはないということで”くだらない”という言葉が


「くだらないという言葉はそれから出たんですね


≪そうなんですね。


「そうなんですか。


≪そうやっては100年たってから出てきた将軍が8代将軍吉宗なんですね。で吉宗以降にやっと江戸っ子らしいプライドや自信が持てるようになってきたんですね。都市が整備されてきたということなんでしょうね。


「確かに京都の片やあちらの方は東京をね


≪まだまだ若いと


「新参者と。あちらから比べるとということなんでしょうけども。


≪江戸はたかだか3代続けば江戸っ子ですけどもね京都は100年住まないと京都人と呼んでもらえない。


「本当にそうですよ。あぶり餅というところのご存じですか?


≪向かい合わせであるんです。元祖か本家か分からないんですか


「あの行って右側が1番お古い。そこに行ってねちょっと俵屋さんという、俵屋さんも300何十年です。私たちからするとすごいと思うじゃないですか。それであそこのあぶり餅のところに行っておばさんにおばさんといってもおばあさんでしたけども、おばあさんここのところはどれくらいあるんですか?といったら「平安時代どっさかいにまあ何年になりましょうか」ええ!!平安時代からあったんですかってねしたの穴蔵みたいなところが冷蔵庫みたいになっていてそこにいろんなお味噌とかあぶり餅につけるお味噌とかを仕舞ってあるのね。そこのところにはうんとかがまないと入れないの。昔嫁にきたとき頭を丸髷に結っているのでうんそこがまたぶつかりましたとか言って、そして平安時代からのお家にまあ家は木ですからね作り替えてはいるんでしょうけどもあの全然ずっと同じ内であぶりもち屋さんがそれから繋がってるんです。女の子だったら女の子がやってまた男が生まれれば男の人がやる。そういうところが京都にはまだあるんですからね。


≪京都は本当に伝統文化なんですけども。江戸はサブカルチャーが育った町なんですよね。そばにしてもそうなんですけども五穀のほかの雑穀なんですよね。それはケイコクショクだったわけでおコメが食べられなかった地域でやむを得ずに食べていたんですがそれを粋な食べ物に作り替えちゃったのが江戸っ子の知恵。


「だから東京のお蕎麦はやはりおいしい江戸っ子の食べるものということなんでしょうね。


≪すしとウナギと天ぷらも全部屋台から生まれた食事なんです。庶民が考えたものなんです。


「何かおそば屋さんのカウンターていますかねあのカウンターももともとの


≪お寿司やさん


「おそば屋さんのカウンターじゃなくてお寿司やさん


≪立ち食いの名残なんですね。


「そうそう立ち食いの名残なんですってね。あのこのごろお寿司やさんでもカウンターって何でしたっけ


≪テーブル席ですか?


「いやいや違うあの動いてくるやつ。


≪回転ずし


「あのそうそうそうそうそうそうなんですけどもああいうふうになっているのは立って食べた名残なんですか。


≪3つ4つつまんですっといくのが粋な食べ方で、どっしり腰を落ち着けてたばこでもふかしていると野暮ったいわけなんですよね。


「だからお蕎麦やさんはそういうのがなくて


≪お蕎麦やさんは大人のパブのような忙しいからそばで済まそうじゃなくて、午後ヒマだからそば屋で1杯やろうという使い方


「考えてみれば立ち食いソバ屋は別として普通のおそば屋さんのちょっといいお蕎麦やさんにカウンターてないですよね。考えたら。


≪そうですね。どっしり落ち着けるようになっていますね。


「小さくてもお座敷か畳かテーブルですよね。


≪私くらいの年代の中年の女性にぜひお勧めしたいのが女性がひとりで昼下がりにふらっと入ってお銚子1本と頼んでもお蕎麦やさんではけしてうかないんです。あたりまえのように小さい突き出しとあのお銚子1本を定員さんが持ってきて下さる、その快楽がたまらないですね。


黒柳「さっきから気になってたんですけどもそのイヤリングですけども何か


杉浦≪浮世絵が書いてある。いただきものなんですけども。ええ、ありがたいことです。


「かわいいなと思って拝見していたんですけども。でもそういうおそばやさんで格好よかったとはシンチョウさんだったんですって?


≪素晴らしかったです。日本橋の室町おそば屋さんだったんですけども何度かご一緒するんです。奥の突き当たりの目立たないテーブルで召し上がってらっしゃるんです。目にすると手招きしてくださるんです。も私のあこがれのプリンスですから向かい合わせに座るとドキドキしちゃって何も何も味はっているのかわからないくらい舞い上がってしまってでシンチョウさんのおそばの食べ方のきれいさ。蕎麦のほうから吸い込まれていくようにするするとおそばの滝登りみたいな感じで音もさわやかだしあの形を目にしたら恥ずかしくて蕎麦を手繰れなくなりましたね。人前でね


「どういうことでしょうねあの方そうだったんですね


≪素晴らしい、指揮者のタクトのように本当にリズミカルで休みなくお箸を上下していってきれいに1枚きれいになくなるんです


「生きていたら次に出ていただく時はここで食べていただくという(観客笑い)落語はお蕎麦はなくても言えるんだけども本当のお蕎麦を食べていただくのやってもらいたかったわ。


≪私本当におそばが好きで最低でも年間100食は食べるんですがあんなにきれいな食べぶりをされる方は初めてでした。空前絶後ですね。


黒柳「まあご隠居さんではおありですけども。衣食住の中で食だけはお金を使っても後衣住は


杉浦≪極力控えています。


「控えのご隠居さんがですね世界1周の船にお乗りになった。


≪船道楽。それだけはやめられない。船に貢いでいますね。間男に貢みたいに船に貢いでいますね。


「去年も何かおのりになったんですってそれ?


≪102日間乗って南半球1周してきました。マゼラン海峡と喜望峰を回って


「すごいマゼラン海峡て揺れますあそこ?


≪すごい波ですね。大揺れが楽しくてね。エレベーターの1階から3階までぐらい行ったり来たりをするぐらいにゆれるんです。ベットに腹ばいになっているとフーと浮くような感じでイルカになったみたいです。


「でもあれはお洋服きれいなの着てダンスがあったりとかいろいろあるじゃありませんかあれは?


≪ねえパスですねえ。


「パス。じゃあご隠居


≪ごろごろデッキでビールを飲んだりバーでカクテル作ってもらったり。本当に気ままですね。


「いいですか船の旅は


≪時速だいたい40キロで飛行機で1時間で行けるところ1日かかるんですよ。そのスピードがあっている。


「なるほどね。さっきもおっしゃったように主婦の皆さんも


≪さぼって下さい


「さぼってお蕎麦やさんに行って全然一合頼んでも恥ずかしくないのでソバ味噌かなんかでちょっとチビチビ。卵焼きとか


≪新たな楽しみを開拓してみてはいかがでしょうか。


「そうですよね。でも私杉浦さんがご隠居してらっしゃるとは思わなかった。またご隠居さんおいでくださいませ。


≪はいありがとうございました


「ありがとうございました