| 孔融篇6 |
孔融篇1で面子を立てる話を中心に進めると書きましたが対曹操ではほとんど見られない。 この二人の出会いって遅いんですよね。 孔融が弾劾されてチ慮と仲違いした時のこと、曹操は文挙(孔融の字)とは馴染みではないと言っていることから、旧怨はなさそうです。 曹操が初めっからイヤなら孔融も来なければいいわけですし。 そうなると孔融の態度は曹操の下に来てからおかしくなったと言えます。 それも軋轢を作ったのは孔融のよう! 曹操のやることなすことケチをつけていく始末。 まずギョウ城を落とした時、皮肉をかます。 禁酒令をからかう。 挙句の果てには千里四方を畿内にしようと奏上。 う〜む・・・地方に出ていた時とは雲泥の差。 どうしちゃったんだ孔融? では曹操に応えていた時はないのか? まず第一に曹操が望んだかどうかは別にして人材推挙を行っています。 後々変化いたしますが曹操の人集めは有名ですからね(笑)。 孔融も張り切ったことでしょう。 都に戻ってきたが自分がいた時とは状況が著しく変化しておりますし。 ここはファイト一発、存在感を示そうと思っても不思議ではないはず。 もともと孔融も人材推薦は嫌いな方ではないですしね! では誰をってことであの人を紹介します。 禰衡を!(笑) 曹操は人材・人心収拾に取り組んでいたわけですから、おかしな行動ではないでしょう。 おかしかったのはその人そのもの(笑)。 始めにインパクトを与えるのはハイリスクハイリターンですが手法としてはアリです。 成功すれば大きいが失敗すると汚名返上に手間取りますが。 逆に始めは無難な線から入ると名誉を勝ち得るのに時間がかかりますが、徐々に信頼を得ることができます。 どちらを取るかはその人の性格でしょう。 問題はなぜハイリスクを選んだかです。 孔融の伝で「高邁な才気を自負し〜気は大きく注意が散漫」ってあることから物事を順序だてて実績を積み重ねるタイプではなかったのでしょう。 第二に応えているのは対袁紹戦の時です。 袁紹陣営の人々をやたらめったら褒めちぎっています。 「顔良が〜許攸が〜」と一つ一つ丁寧に。 そう、曹操の部下の弱さを上げているわけではないんです。 相対的には貶めていることに当たるんでしょうが、絶対的ではないことに注目。 後の曹操をからかう行動から見ると、間接的にでも曹操陣営を皮肉ってもいいはず! もしこの時点(それ以前)で仲たがいをしていたら孔融の事です、曹陣営が不足していると意見を述べてもいいはず! 強烈にいくなら演義の禰衡のようなことを発言でもおかしくない。 また曹操にではなく荀ケと意見を交わしている!! 曹操をかましたいなら直接の方が相手にダメージを与えるはず。 しかし、そのような形跡は見られません。 どうしてこのような発言方法になったのでしょうか? なぜ「曹陣営の弱」を選ばず「袁陣営の強」を用いたのか? なにも袁陣営の体面を誉める必要性は無い。 もともと袁家に世話になっているわけでもないですし、シンパシーを感じているわけでもない。 袁家の強さを持ち出してどうしたかったのでしょうか? わざわざ袁家のことを曹操にではなく荀ケに言ったのでしょうか? そして荀ケの返答をどのように想定していたのでしょうか? 続き |
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