粟津順 プロフィール

●名前 : 粟津 順 (あわづ・じゅん)
●所在地 : 東京都
●仕事 : 3DCG/VFX(視覚効果)/映像演出
●映像制作集団「スタジオマガラ」代表/ウェブサイト「スタジオマガラ」管理者


■参加/制作作品■……これまでに関わった作品です。(ただし映像作品のみ)
■略歴■……今までの簡単な経歴です。
■怪獣映画の記憶■……自分と怪獣映画の関わりを文章にしています。


■参加/制作作品■

▽2000年
大怪鳥マガラ襲来原案・CG・編集CG-ARTS学生CGコンテスト2000入選

▽2001年
マガラ撃滅大決戦原案・CG・編集・音効○デジタルハリウッド・デジタルフロンティア2001/ベストモデリング賞受賞
○ユナイテッド・シネマ CG&ANIMATION FILM FESTIVAL 2001/オリジナル・ストーリー部門準優秀賞受賞
○ジャパン・デジタル・アニメーション・フェスティバル/ノミネート
TVCM原燃PRセンターCGキャラクターのモデリング、アニメーション
TBS系アニメゾイド新世紀/ゼロ
CG・エフェクト第17話・第21話・第25話に参加
【コメント】Softimage3Dです。カット数が多く大変でした。
テレビ東京サンデーロードショーCGタイトル 
企業PRビデオAISIN the MOVIECGクジラのCGを制作
東宝映画ゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総攻撃
ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃
CG・合成3DCGゴジラのモデリング&アニメーションを担当
【コメント】Softimage3Dです。ゴジラのポリゴン数が100万以上になってしまいました。レンダリングに時間かかりました。とにかく大変でした。
ベネッセこどもちゃれんじ/じゃんぷビデオ2月号CG・合成『リサイクルってなあに?』『クイズここはどこでショー』の2コーナー担当
大林宣彦監督作品なごり雪
なごり雪 デラックス版
CGエンディング・タイトルバックの雪を制作
【コメント】ずーっと雪が降っているのですが、ループです。

▽2002年
ベネッセこどもちゃれんじ/すてっぷビデオ4月号CGオープニング・エンディング、『こんちゅうたんけん』のコーナー担当
テレビ朝日忍風戦隊ハリケンジャー
忍風戦隊ハリケンジャー Vol.1
CG・合成・エフェクト最初のほうの数話お手伝い
【コメント】オタマジャクシのCGとか、赤い花とか蔓とか。結構強引な処理をしています。
テレビ東京ロックマンエグゼ
CGエフェクト第7話から参加
【コメント】パーティクル分解系です。いろいろ試しました。3ds maxのスキャッタという機能を多用しています。
SEGA・PS2用ゲームShinobi
CGデモムービーの桜のCGを制作
映画東京原発
CGタイトル 
ベネッセこどもちゃれんじ
ミュージックビデオ・まねっこだいすき
CG「うどんだどん!」CGアニメの制作
映画凶気の桜
CGタイトルモデリングのみ
東映映画劇場版・仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL
仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL ディレクターズカット版
合成割れる鏡のエフェクトを担当。
【コメント】カット数は少ないですが、なかなか良い感じにできたと思います。
東宝映画ゴジラ×メカゴジラ
ゴジラ×メカゴジラ
CG・合成3DCGメカゴジラのモデリング、アニメーション。
【コメント】半年ぐらいかかりきりでした。メカゴジラなかなか良い感じにできたと思います。お気に入りはカメラフォローで横向きに着地体勢に入るカットです。その前の夜間飛行カットはスピード感と重量感の両立させるためのモーションが大変でした。
TBSドラマ年下の男CG第1話のラストの割れるガラス
映画スパイ・ゾルゲ
CGカメラマップによる首相官邸内部を作成

▽2003年
テレビ朝日仮面ライダー555
仮面ライダー555 VOL.1
CG合成 第1話・魚怪人、第2話・象怪人のCGを担当。
【コメント】魚怪人=スティングフィッシュオルフェノクの変身シーンはいい感じに出来ました。あと象怪人=エレファントオルフェノクの車に体当たりするカットも自分的にはよくやったと思う。
テレビ朝日爆竜戦隊アバレンジャー
スーパー戦隊シリーズ 爆竜戦隊アバレンジャー Vol.3
CG合成 第1話・第2話、ブラキオザウルスCG、バンクカットの一部。
【コメント】ブラキオが森の中からアオリで出てくるカット、気に入っています。湖から出現するところもいい具合に合成できました。
V6主演映画コスミック・レスキュー
COSMIC RESCUE -The Moonlight Generations- ( 通常版 )
合成 宇宙船のバーニア等の合成。
【コメント】レンズフレア生成プラグインKnollLightFactoryを使いまくりました。スピード感の調整が難しかったです。
テレビ東京系海外ドラマCSI・科学捜査班
CG 日本版タイトルのCGの一部

▽2004〜2005年
自主制作映画『惑星大怪獣ネガドン
惑星大怪獣ネガドン
原作・脚本・監督・CG 作品の詳細はこちら 

▽2006年
東映映画『大帝の剣
大帝の剣
モデリング・VFXオープニングの宇宙船戦闘シーン
【コメント】制作期間は約7ヶ月。フルサイズのHDだったためレンダリングが非常に時間かかりました。レンダリングにはV-Rayを使用。ごく一部にMental-Rayも使ってます。レンダラーに関してはかなり手探りでした。煙や雲はAfterBurn使用。アニメーションや地球の制作はネガドンでお世話になった宮原氏が担当。


■略歴■

1974年(※1)愛知県名古屋市に生まれる。双子座のO型。
1975年〜幼少の頃にウルトラマン(※2)のジャミラに衝撃を受ける。
1996年愛知芸大美術学部日本画専攻を卒業。
この年、『ガメラ2』を観て強い衝撃を受ける。
1999年同学大学院・美術研究科を修了。
大学院在学中に観た『ガメラ3』がCGの世界に入るきっかけなる。
2000年3DCGを学ぶためトライデントコンピュータ専門学校に入学。
同年制作した『大怪鳥マガラ襲来』がCG-ARTS学生CGコンテストに入選。
2001年トライデント卒業制作『マガラ撃滅大決戦』がユナイテッドシネマCG&アニメーションフェスティバル準優秀賞受賞。
トライデントを卒業後、都内の映像制作会社に入社。念願だった怪獣映画の制作に参加。
2002年映画やTVのVFX(視覚効果)の分野で活躍。
2003年3月に退社、その後、自主制作に着手する。
2005年6月に『ネガドン』完成。10月東京ファンタにて上映。11月テアトル池袋にて劇場公開。12月DVD発売開始。
2006年『ネガドン』で第20回デジタルコンテンツグランプリ・デジタルコンテンツ部門優秀賞受賞。
第9回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門・短編の審査委員会推薦作品に選ばれる。
オーストリアで開催されたアルスエレクトロニカ2006でAWAED OF DISTINCTIONを受賞。
第5回日本映画テレビ技術協会の映像技術奨励賞を受賞。
イギリス・韓国で上映。
北米・台湾・イタリアでDVD発売。
2007年現在、自営業
※1…この年『ゴジラ対メカゴジラ』公開。TVでは『宇宙戦艦ヤマト』放映始まる。
※2…再放送だと思います。


■怪獣映画の記憶■

《幼少期》

じつは、私は幼い頃の思い出があまりはっきりと残っていない。 小学校にあがる前となると、ほとんど皆無どと言ってもいいかもしれない。それでも、わずかではあるが、いくつかの記憶は鮮明に残っていたりする。
ジャミラの記憶もそのうちのひとつである。 『ウルトラマン』の放映は私が生まれる前のことだから、おそらく再放送で観ていたのだと思う。しかし、ジャミラ以外の怪獣の記憶はほとんど残っていないのだ。
それほどジャミラは私に強い印象を与えたということなのだろう。ほかの怪獣の記憶を消し去ってしまうほどに。
トラウマという言葉があるが、ジャミラは私にとってまさにそれに当てはまるものだった。
とにかく、ジャミラという怪獣が怖かった。恐ろしかった。あの独特の造形が不気味だった。眼や口が怖かった。
しかし、もっとも怖かったのは、ジャミラがもともとは人間だったという設定だった。
ジャミラは、かつて某国が打ちあげた宇宙探索用ロケットに載っていた宇宙飛行士だった。だがロケットはある水のない惑星に不時着してしまい、彼は救助を待ちながらも奇跡的に生き延びる。 結局、いくら待っても救助は訪れず、彼は惑星の気候風土に適応すべく怪獣化してしまうのっだった。そして自分を見捨てた地球人たちに復讐をするために地球に帰還したのだった。
最終的にはジャミラはもっとも苦手な、耐性をなくしてしまった水によりウルトラマンに倒されてしまう。
あまりにも悲しい物語である。けれど当時の私は悲しいといよりも、ただただジャミラが怖かったのだった。
あの時から二十数年間、ジャミラは常に私の心の奥底に居続け、思い出すたびに当時のあの恐怖が蘇ってくるのだった。

話はそれるが、小さい頃に誰もがやる「おえかき」で怪獣を描いた記憶はまったく無い。私が描くのはだいたいメカ系だった。それもロボットではなく、戦車みたいなキャタピラがついた超兵器系が多かった。
ただ、幼稚園で作った粘土細工がゴジラに酷似していたのはよく憶えている。でも意識としてはゴジラでは無かったはずだ。なぜなら、当時私はゴジラを知らなかったはずだから。

《小学生〜高校生》

そういう幼少の思い出があったからだと思うのだが、私にとって怪獣とは恐ろしい存在だった。
ほかの子供たちにとっては怪獣=カッコイイだったかも知れないが、私にとってはそうではなかった。
さすがに小学生にもなれば、怪獣映画を観てもひどく怯えたりすることはなかったが、それでも正月などに放映される昔のガメラ映画やゴジラ映画を観ると「怪獣って怖いなぁ」と感じたこともあった。
小学生から高校生の間は、いわば自分内怪獣氷河期だった。ほとんど観た記憶がないのだ。
国産の特撮映画よりもハリウッド製のSFX映画に夢中になっていた時期だった。ジョー・ダンテ監督の『グレムリン』を観てSFXという言葉を覚え、『ジェダイの復讐』『ネバーエンディングストーリー』『砂の惑星』…そういった作品でSFX映画の魅力に完全に憑りつかれた。
また、小学校の卒業式の日に見たアニメ映画『オネアミスの翼・王立宇宙軍』によってアニメにも強い興味を示すようになっていった。庵野秀明、樋口真嗣という名前をなんとなく覚えたのもこのあたりである。
当時の子供たちがそうであったように、私も宮崎駿監督のアニメ映画が好きでもあった。中学生の頃はよく宮崎さんの画を真似て描いていた。当時は今みたいにコンピューターが無かったから、当然鉛筆と水彩絵の具だけで描いていたのだが、あとから考えれば、そうやってアナログ的な絵画の技法を自然と覚えていったのだと思う。 中学、高校と、水彩画を結構描いていた。だから、大学では水彩画に近い感覚の日本画を選んだのかもしれない。受験が水彩画だったし。

《大学時代》

そんなわけで、小・中・高と通して興味があったのはハリウッドのSFX映画であったし、ガイナックスや『AKIRA』や宮崎アニメだった。
大学に進学すると、少し興味のベクトルが変わり始める。芸大だということも影響してか、見るものも少しアートっぽいものが多くなってきた。
『アンダルシアの犬』だとか『イレイザーヘッド』だとかそういう映画も観たが、正直言ってさっぱりワケわからなかった。でも当時はなんとなく解っているような気がしていた。
今から思えば、シュールレアリスムに結構傾倒していたのだと思う。小説では筒井康隆作品は結構読んだ。人間の無意識みたいなものに興味を覚えて、心理学関係の本とかシュタイナーの本とかも読んでそれなりに精神的に影響を受けたような気もするが、今ではすっかり忘れてしまっている。
とにかく、自分のバックボーンになる思想とか主義というものが欲しかったのだろう。芸術をやるにはそういうものが必要なのだと思っていた。
ジャンルを問わず、結構いろいろな映画を観た時期でもあった。多いときは週に5〜6本ぐらいビデオを観ていただろうか。でも、残念ながら、そのころに観た映画で記憶に残っている作品はほとんど、ない。
そんなある日、友人からビデオを一本薦められた。タイトルは『ガメラ大怪獣空中決戦』。
面白かった。怪獣映画の面白さがこの一本には凝縮されていた。
しばらくして『ガメラ2』が製作されるという情報が入ってきて、私はワクワクした。きっと面白いに違いないという確信に等しい予感があったからだ。
そして翌年、私は公開初日に『ガメラ2レギオン襲来』を観に行った。それは抜群の面白さだった。抜群の映像センスだった。すごい迫力だった。感動した。
あのときの感動を今まで一度だって忘れたことはない。ガメラが札幌に降り立ち、口から白い息を吐き出したときのリアルな生物感、仙台でジープがガメラとすれ違うときのカメラアングル、草体の爆発に巻き込まれたときのガメラの頭部の巧みな演技……どれもが衝撃だった。私は完全に子供になってスクリーンを凝視していた。
私はあの作品を、リアルタイムで劇場で観ることができたことに感謝している。映画はリアルタイムで観ることがやはりベストだと考えるからだ。1954年の『ゴジラ』は今DVDで観ても名作であることに変わりはないが、リアルタイムで観た当時の人々の驚きは体験することはもはや不可能だ。
私はあの瞬間、ガメラを信じた。自分が住む世界と同じ地平上にガメラが存在していた。ガメラの存在を感じたのだ。
怪獣を信じた、などと言えば笑われるに決まっているが、信じてしまったのだから仕方がない。
ある意味、その時から自分の中ではすべての怪獣がリアルに存在するようになったと言っても良い。
大人になっても怪獣映画が好きな人たちというのは、人生のどこかでこういう「怪獣体験」とでもいうべき強力な洗礼を受けているのだろうと思う。
しかし同じ作品でも、感じ方は人それぞれ百人百様であるわけで、『ガメラ2』を観たすべての人が同様の体験をするわけでは、もちろんない。

かくして私は怪獣映画の魅力にハマり、古今の怪獣映画を意識的に観、自分なりの怪獣観というものを持ちはじめるのである。

《卒業後〜現在》

大学院を卒業した年に観た『ガメラ3邪神覚醒』も思い入れの強い作品である。
特に後半のCGによる空中戦は、自分がCGをはじめたキッカケのひとつでもあるからだ。
当時、ハリウッドに比べてまだまだだと言われつづけていた日本のCGだが、私はG3のあの空中戦を観たとき「この方法なら勝てるかもしれない」と直感的に思ったものだった。
「この方法」とはつまり、アニメ的な演出のことである。連続的につなぎあわせられた短く激しいカット、1カットあたりの濃厚な情報量、複雑なカメラワーク……それらによってCG映像特有の薄っぺらさやリアル感の欠如を極力救っている「うまい」方法だと思ったのだ。
そう言えばこのG3でもうひとつ特筆すべき個人的に印象深かった画があった。主人公の綾奈の夢に現れる「トラウマガメラ」である。
このトラウマガメラ、眼は白眼で表情がなくじつに不気味な造形をしているのだが、これを見たときに私はある怪獣を思い出したのだった。
ジャミラである。このとき怪獣が恐怖の存在であることを私は再認識した。
翌年、私はCGを勉強するために専門学校に入学した。そこで作ったCG作品はある意味当然、怪獣であった。この作品がある程度認められたからだと思うのだが、私は東京のポストプロダクション会社に入社することができた。就職氷河期と呼ばれた新世紀最初の年だった。
この年は世界的にも例の合衆国テロ事件などがあり大変な年だったが、私もいろいろと大変だった。なにしろ世界でもっとも有名な怪獣映画に参加することになるのだから…。右も左もわからない素人が突然、大作映画のCGを作ることになったのである。
…さて、このあと私がどうなったかは、また別の機会に書くことにしようと思う。