番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / やや女性向き

希望回復作戦 番外編

光の毒

written by 小野上明夜
 ボクはお父さんが好きで、あの人が大好き。
 あの人はお父さんが大好きで、ボクが好き。

 ……だからボクは。


「わぁ」
 真夜中すぎの森の中、小さな泉の上一面にちらばる青い光に、ボクは思わず声を上げた。
「すごい…」
 『地球』王国第11区の山岳地帯。ほとんどが森や山ばかりのこの辺りには色々な種類の動物や植物がいて、当然今目の前をいっぱい飛んでるホタルだって珍しくない……けど。
「前に見ているんじゃなかったか?」
 ななめ上からそう言った人の、淡い灰色の髪も眼もぼんやり青く光っている。きれいだな、と思いながら、ボクは答えた。
「こんなに多いのは初めてです」
 あなたと来るのも初めてです、と胸の中で付け加えて、ボクは聞いてみた。
「セクトさんは?」
「そうだな……確かに、こんなに多いのは初めてかもしれん」
 鋭い眼をもう少しだけ細めて、セクトさんがつぶやく。嬉しくなって、ボクは思わず握りしめていたこの人の手をもっと強く握ってしまった。
「ディレイ」
「あ……ごめんなさい!」
 眉をしかめてセクトさんが手を外そうとする。あわててその手を握り直したボクは、よほど悲惨な顔をしていたんだろう。
 セクトさんは黙って、軽くボクの手を握り返してくれた。
「もう少し近くに行ってみるか?」
「はいっ」
 ボクより一回り大きな手の温もりを夜の中に感じながら、ボクはセクトさんについて泉の側まで歩き始めた。


 生まれてすぐに、ボクはセクトさんと会っていたらしい。全然覚えてないけど、物心ついたころから知ってるんだから、そうなのかもしれないとは思う。
 セクトさんをどこかから連れて来たのはボクのお父さん。名前はディライ。それでボクがディレイだから、初めて会った人にはよくからかわれる。『分かりやすいね』とか『そっくりだもんね』とか。
 そう言った人のことを、ボクは忘れていない。全部覚えてる。
 セクトさんには、そう言われた覚えはない。もしかしたら言ったことがあるのかもしれないけど、本当に生まれてすぐに会ってるんだったら当たり前すぎて今更言わないだけなのかもしれない。
 それでもいい。本当は思っていたって構わない。
 ボクがお父さんと比べられるのがとても嫌なことを知ってる、この人は数少ない一人だから。


「ディライは今夜中に戻るのか?」
 露にぬれた草を踏み分けて歩くセクトさんが、言った。
「ええと……いえ、多分明日になると思います。王都の研究機関の人が、お父さんのこと調べたいとか何とか」
「モルモットかあいつは。大体調べて分かるものとも思えんがな」
 ふん、とセクトさんが馬鹿にしたみたいに鼻を鳴らす。心の中ではボクもセクトさんと同じ気持ちだ。
 王都というのは、ここからずっと南西にある第18区の別名。そう呼ばれている理由は簡単で、あそこにはこの『地球』王国の国王様が住んでるからだって誰かに聞いた。とにかくあの場所は四十三の地域に分かれたこの『地球』で、一番賑やかで華やかな所なんだそうだ。
 何十年か前に『地球』を統一した世界政府が置かれたあそこでは今、ずっと存在を認められていなかったボクらの持つ力……WILL POWERについての研究を熱心にしているらしい。
 理由は簡単。〈魔物〉って呼ばれてる、図鑑にも載っていない、えらい学者さんにも分からない未知の生物たちが、そのWPを使ってボクたち人間を襲い始めたから。そしてそれに対抗するためには、同じWPを持つボクとか、セクトさんとか、……お父さんみたいな人じゃないと、駄目だからだ。
「でもフェルミナさんがついて行ってくれてますから、きっと大丈夫ですよ」
「あの女か……まあ、人あしらいにかけちゃしたたかなヤツだからな。ディライと組ませれば丁度いいだろう」
 フェルミナさんはお父さんがリーダーになってる魔物を倒すための戦士たちの集団、魔王討伐隊の装備とかの担当をしている後方支援組のリーダーの科学者さん。〈魔王〉というのはそのまんま、魔物の王を名乗って彼等を指揮しているものすごく強い魔物。
 あいつを倒すことがボクやセクトさんたち討伐隊の、特に前線部隊って呼ばれてる、実際に魔物たちと戦うボクたちの使命。
 でもそんなことが出来るのはきっと、世界から選りすぐりのWP使いが集められたボクらの中でも、一人しかいない。
 ボクのお父さん。世界政府から正式に申し込まれて世界中の人達を救うために戦う、〈地上の太陽〉と呼ばれる英雄、ディライ。あの人だけにしか。


 小さい頃のお父さんの写真、というのをボクは何回か見たことがある。そのたびに思う。なんでこんなに似てるんだろうって。
 表情はぜんぜん違う。ボクはあんなにまっすぐに、いっぱいの笑顔でなんか笑えない。なのに顔だけが同じで、じっと見ていると何だか気持ち悪くなってしまう。
 けれどこんなこと誰にも言えない。ボクのまわりにいる人は、みんなお父さんが大好きだから。
 もちろんボクだってお父さんが好きだし、尊敬してる。たくさんの魔物を倒し続け、いつかきっと魔王も倒してくれる、偉大な勇者様。この人がいなければボクらみたいにWPを持ってる人はずっとそれを隠さなきゃならなかったんだって、言ったのはフェルミナさんだっただろうか。
 もっと昔、ボクが生まれる少し前ぐらいまで。WPはお化けみたいに信じてる人は信じてるけど大体の人は存在自体頭から否定してしまう、そういうものだったらしい。
 それを変えたのがボクのお父さん。『病気持ち』みたいな嫌なニュアンスで『WP持ち』っていう言われ方をされていたWPを使う人達からは、魔物退治よりもそっちの方で感謝されているそうだ。
 そうは言っても、WPっていうのは本当はみんな持ってるんだ。一人一人持ってる大きさに違いがあるから戦いに使えるような人は限られるけど、ちゃんと鍛えればそのパターンを読んで誰のWPか当てる……ぐらいのことはできる。
 もっと小さい子供の頃から自然とそれが身に付いていたボクには、なんでWPがないなんて言う人がいるのかよく分からなかった。でもそれを口に出すと、みんなに笑いながらこう言われた。
 『お前はディライの息子で、生まれつき強いWPを持っている。だからそんな風に感じるんだ。普通の人は、そうじゃないんだよ』


 普通じゃないって言葉は、どういう意味なんだろう。
 あの人の子供のボクは、普通じゃないのが当たり前なんだろうか。
「ディレイ?」
「あっ……は、はい」
「それ以上進むと泉に突っ込むぞ」
「あ…」
 ぬれた泥に埋まった靴先を見て、ボクは情けない気持ちになった。
 お母さんが目を覚まさない内に、後で洗っとかなくちゃ。大体、こうやって夜中にセクトさんと出かけてること自体ナイショなんだから。
 ボクのお母さんは、何だかセクトさんのことがあんまり好きじゃないみたいだ。ボクやお父さんがこの人といっしょに修行に行くって言ったりすると、はっきりじゃないけど嫌そうな顔をする。
「サリに叱られるか?」
 それが分かってるからか、セクトさんもお母さんのことを言う時は少し表情がかたい。
「……かもしれません」
「オレといっしょにいたなんて言わない方がいいな。ますます叱られるぞ」
 まあ、お母さんはボクが戦うことがそもそも嫌みたいだから、修行って言葉には大体いい顔をしない。
 『ディレイちゃんはまだ十歳にもなってないじゃない。こんな小さい子に怪我までさせて、どういうつもりなの!?』
 いっぺんそんなことを言ってお父さんとセクトさんに食ってかかったことがあって、間に入って止めるのが大変だった。あれ以来セクトさんはますます家に来てくれなくなった気がする。
 ボクも……本当は、あんまり戦うのは好きじゃないんだけど。
 でも。
「叱られてもいいです」
 お母さんに何を言われたっていい。
 戦うたびに、WPを使うたびに、お父さんと比べられてみじめな気持ちになっても。
 独りが好きなセクトさんが、ボクといっしょにいてくれるのは。
 こんな夜中に、ホタルを見に行きたいなんて突然のわがままに付き合ってくれるのは。
 ボクが戦っているから。あのお父さんの血を引く、強いWPを持つボクだから。


 ボクはお父さんが好きで、この人が大好き。
 この人はお父さんが大好きで、ボクが好き。

 だからボクは。
 ボクはお父さんを。


 闇の中を踊るように飛び回るホタルを眺めながら、ボクらは少しの間無言になった。
「……きれいですね」
 この沈黙を何とかしたくて、ボクはそっと言ってみた。でも、返ってきたのはそうだな、っていう短い返事だけだった。
 セクトさんはもともと無口な人で、必要以上は……というか必要なことだってあんまりしゃべらない。いきなりプイッと姿を消してしまうことも多いから、そのせいで他の討伐隊のみんなとはそんなに仲が良くない。
 セクトさん自身は、そういうことを気にしないみたいだった。独りでいる方が気楽だって思ってるんだろう。
 けど、独りでいるこの人の側にお父さんが行くと、何だかとても安心したような顔をする時があるんだ。ほんの短い時間だけだから自分では気が付いてないかもしれないけど、ボクは知ってる。
 お父さんはいつもそうだ。周りの人をやわらかな空気に包み込む、不思議な何かを持ってる。だから〈英雄〉なんて言葉のイメージを期待して会いに来た人は最初はいつも驚く。でも、すぐにみんな納得したような顔になる。
 おおらかで、いつも笑ってて、けど時々ものすごく危なっかしい。特に普段の生活では、子供のころ山で育ったせいか当たり前のことを知らなかったりみんながびっくりするようなことを平気でやって、お母さんやセクトさんにしょっちゅう怒られてる。……そしてフェルミナさんはにやにやしながらそれを見物してる。
 WPの強さとか戦いのセンスの鋭さとか、そういうものを持っていることはもちろん。ここ一番っていう勝負を外したことがない(これは多分フェルミナさんの台詞だ)ってことも。
 でも何よりお父さんを〈英雄〉にしているのは、何をどれだけつめ込んでも絶対いっぱいにならないと思わせてくれるような、その心の広さにあるんだろう。
 だから。
 顔だけ同じボクが隣にいると、よけいにボクの心のせまさが目立ってしまうようで、苦しい。
「そろそろ、戻るか?」
 気が付くと、セクトさんがボクを見ていた。青白い光に照らされた表情は何だか、怒っているようにも見えて。
 この人の手を握っている指から、力が抜けるのが分かった。
「オレとホタルを見てもつまらんだろう。ディライがいれば、良かったんだがな」
 ほとんど指が離れかけた時、セクトさんが言った。
「あいつは何を見ても一々リアクションがでかいから、見ていて飽きないんだが」
 淡い光の中に浮かぶ、厳しい横顔。
 怒ってる顔じゃない。どうしたらいいか分からない時、この人はこういう顔をするんだ。
 ボクはもう一度セクトさんの手を握った。すがるためじゃなくて、心を伝えたくて。
「まだ……もう少しだけ、ここにいたいです」
「……そうか。なら、もう少しな」
 ちょっとだけ、セクトさんが笑ってくれた。ボクもつられて笑った。その時だった。
「おーい」
「ディライ!?」
「お父さん!?」
 星の光をかき分けるようにして夜空から降りて来たのは、お父さんだった。飛行にはたくさんWPを使うから普段なら誰かがそうやって近付いて来れば分かるんだけど、今はボクもセクトさんも完全に油断してた。
「よお、セクト、ディレイ。何してんの? お前ら」
 顔付きが少しだけ大人びてる以外ボクとそっくり同じ顔をしたお父さんは、ボクらのすぐ横にストンと着地してそう言った。
「何してんの、じゃない。お前王都に行っていたんだろうが。もう用事は済んだのか?」
 あきれたように言ったセクトさんに、お父さんはへへっと笑って鼻をこすった。そうやって笑うとたちまち子供みたいな顔になる。ボクが言うのも、何か変な感じだけど。
「二時間も同じ部屋にいろとか言うから逃げてきちまった」
「逃げただと? ……フェルミナがいっしょだったんだろうが。後が怖いぞ」
 セクトさんはフェルミナさんとよくケンカする。討伐についての意見の食い違いはもちろん、普段の生活のちょっとしたことでも。だからあの人のことを言う時は、ボクのお母さんのことを言うのとは違う意味でちょっと皮肉っぽい顔になる。
 でもボクらなんかから見れば、あれだけがんがん怒鳴り合えるのはある意味すごく仲がいい証拠だと思うけどな。
「あいつはオレ探すフリして逃げるって言ってたから、ヘーキだよ」
 気楽に言うお父さんに、ボクとセクトさんは何となく顔を見合わせて苦笑いした。
 フェルミナさんは討伐隊の代表として政府の人達と色々な話し合いをすることが多いんだけど、あの人は政府の人達が嫌いらしい。
 ボクもあんまり好きじゃないけど。なんか、『WP持ち』めって馬鹿にされてる感じがするから。あの差別を薄めたのはボクら討伐隊なのに、ボクらを応援してくれてるはずの世界政府の人達がまだ差別感情を持ってるなんておかしいと思う。
 『だからってあたし以外に交渉向きの人材いないしねぇ』
 苦笑混じりのフェルミナさんのいつかの言葉は、ほとんど確実にお父さんに向けてのものだろう。魔王討伐隊・前線部隊のリーダー、世界のみんなが知ってる『勇者ディライ様』は、かた苦しい会議とか形式ばった式典とかが大の苦手だった。
「それでお前らはなんでこんなトコにいるんだ? つい来ちまったけど」
「見たら分かるだろう。ホタルを見ているんだ」
 セクトさんがぶっきらぼうに言う。でも、眼はお父さんを見てる。
「ホタル? あ、そっかもうそんな季節か。ディレイが見たいって言ったんだろ」
「……なぜ分かる」
「セクトは言いそうにねェもん」
 けろっとした顔でお父さんが笑う。セクトさんは諦めたような表情になった。
「悪かったな。どうせオレには情緒がない」
 確かにセクトさんは感動が薄い、というかそういうことにうといかもしれない。
 前に星座の本を見ていたら、『これは星の本だろう。なぜ絵が書いてあるんだ』とか真剣な顔で聞かれたのをこの時ボクは思い出した。星と星をつないで、その形から昔の人はこういう絵を想像したんだって、結構がんばって説明したんだけど『オレにはただの星にしか見えん。つないだところでよく分からん図形が見えるだけだ』って最後まで納得のいかない顔してたもんな…
 要するにセクトさんは徹底したリアリストで、星がきれいだとか花がきれいだとか、……ホタルがきれいだとか、そういうことにはほとんど興味がない人だってことだ。そう思う気持ちがまるで分からないってわけじゃ、一応ないみたいだけど。
 その時側にいて、『星ってうまそうだよな』とか言ってたお父さんが明るい声でこう言った。
「ん? ちげーよ、見たかったらセクトは一人で見に行くだろ。だからディレイが誘ったんだなって思ったんだ」
 お父さんの言葉は当たってる。ボクはそう思った。それだけに、悲しかった。
「サリはどうした? ディレイ。寝てんのか」
「あ……お父さん、その、お母さんにはだまってて下さい。ボク何も言わずに…」
「分かってるって。見付かったらオレまで怒られそうだし」
 言って、お父さんは改めて周りを見回した。
「キレイだな。去年はこんなにいっぱいいたかな」
「去年も見たのか」
「来たよな、ディレイ」
「そうです、ボクら家族で見に来たんですよ、セクトさん」
 ボクは少し意地になってわざわざ名指しでセクトさんを呼んだ。セクトさんが、お父さんが来てから初めてちゃんとボクの方を見た。
「だから場所を知っていたのか」
「はい、あの、去年もここでいっぱい見れたから」
 いっしょうけんめい説明しようとしたボクの側から、お父さんがのんきな声でこう言ってきた。
「オレ泉に落ちちまってサリにすげぇ怒られたんだ。泥だらけになっちまったから、しょうがねえけど」
「……お前は」
 セクトさんがため息を付いて、再びお父さんを見た。
「どうしてお前はそう落ち着きがないんだ。こんなデカい子供がいる男が、普通泉になんか落ちるか?」
「だってホタルキレイだったんだもん」
「ホタルを見ようとして落ちたのか。全く…」
 セクトさんは額を押さえてうめいた。……それはそうだろうな。お父さんのこんな姿を見て、誰がこの『地球』の命運がこの人の肩にかかってるなんて思うだろう。
 かかってることを知ってるセクトさんは、それでも何とか立ち直ったみたいで苦笑いした。
「WPで飛ぶぐらいの機転を利かせろ。本当に日常生活では役に立たんな、お前は」
 少し真面目な顔になって、セクトさんはボクを見て続けた。
「ディレイ、お前はこんな男になるなよ。最低限自分の身の回りのことぐらい自分で出来るようになれ」
 お父さんがあははと笑う。
「セクトの身の回りの世話ってカンタンだよな。お前全然構わねェもん。オレでも出来そう」
「……オレの世話をお前が焼くだと」
 セクトさんの顔は結構本気でひきつっていた。ボクはあわてて横から言った。
「セ、セクトさんは自分で何でも出来ますもんね。料理だって上手だし」
「あれ、お前料理なんか出来んの?」
 お父さんが少し意外そうな声を出した。セクトさんが眉をしかめる。
「少しはな。言っておくが、お前のためになんか作ってやらんぞ」
「ケチだなお前」
「貴様の胃袋を満足させようと思ったらどうなるか、サリの様子を見て知っているからな」
 お母さんはお父さんのための食料確保にいつも苦労している。最近はボクが少し手伝ってるけど、それでもやっぱり大変らしい。
「ひでーなぁ、お前ディレイには結構優しいのにオレには冷たいよな」
 台詞の内容よりずいぶん気楽な調子でお父さんが言った。セクトさんの眉間にシワが寄った。
「なんでオレが貴様に優しくしなきゃならんのだ」
「オレお前にすごく優しくしてるつもりなんだけどなぁ」
「誰にでも、だろう。魔物にすら情けをかける男だからな、貴様は」
 セクトさんの声が少し低くなったのに、お父さんも気付いたみたいだった。
「この間のまだ怒ってんのか? いいじゃんか、あんだけひどい傷負ってたんだし」
「そうだ。お前に眼をえぐられ、ガタガタ震えて命乞いをしていたな。だがなディライ、あの傷ではどうせすぐに死んだと思うが、万一生き延びればどうせ同じことを繰り返すんだ。オレは今でも殺すべきだったと思っている」
「そんなの分かんねェじゃん。あいつ、そんなに頭悪そうに見えなかったし」
 けろっと言うお父さんに、多分セクトさんは『お前は甘い』とか何とか言うつもりだったんだと思う。でもお父さんはすぐにこう続けた。
「それにもっかい人間襲ったりしたらすげェ目に遭わせてやるって、ちゃんと言っといたし」
 雲一つない青空を思わせる笑顔だった。
「……そんなことをしていたのか。相変わらずぼーっとしているようで抜け目がないヤツだな、貴様は」
 セクトさんがお父さんをにらむ。
「お前みたいな男が、多分一番怖いんだ」
 その顔にいつもボクが見る、あの安心した表情が浮かんで、消える。
 皮肉屋で、時にはすごく冷たい言葉を平気で口にするこの人の雰囲気はいつもどこか冷ややかで、近付く相手を拒んでいる。なのにお父さんが側にいる時だけ違う。口が悪いって言うか、言葉がきついのは相変わらずなんだけど、上から投げ付けてる感じじゃない。
 同じ高さで、気持ちを伝えあってる。そんな感じがする。
 二人の話題はだんだんこれからの討伐についてに移っていった。セクトさんがボクを見ることは、なくなった。


 本当は分かってる。
 セクトさんの側にいる時が、ボクは一番みじめだ。
 この人はみんな分かってるのに。ボクがみんなにお父さんと比べられて、お父さんみたいになれって言われて、苦しいのが分かってるのに。
 それでもこの人はお父さんを選ぶんだ。一度は握ってくれた手に温もりだけを残して、突き放すんだ。お前じゃないんだって。
 同じようにどこか、ボクの気持ちを分かってくれてる気がするフェルミナさんとは違う。さばけてておおらかな、どこかお父さんにも似たあの人には科学者らしいすごく冷静な所があって、だから逆にボクは安心する。甘えさせすぎない、甘えすぎない距離をあの人は取ってくれるから。
 でもセクトさんは普段冷たくてまわりに無関心なのに、ふとした瞬間深く心の中に入れてくれる時があって、それがボクは怖い。
 期待してしまう。希望を持ってしまう。
 どうせセクトさんだって、本当は一番好きなのはお父さんなのに。そんなこと何度も何度も思い知らされてるのに、ボクは繰り返し馬鹿みたいに同じことを願った。
 そして願うたびに、胸の中で誰かがくすくすと笑うのを聞いていた。その子はボクと同じ顔をしていて、なのにお父さんとはまるで似ていないのがいつも不思議だった。
 笑ってる彼はある時は優しく、ある時はおどかすみたいに、いつも同じ言葉をボクに言う。
 大丈夫だよ。
 お前には、力があるんだから。誰よりも強い力が。


 気が付くとボクは胸の中のその子と同じ笑い方をしながら、ずっとしゃべってるお父さんとセクトさんを見上げていた。二人の話題は相変わらずこれからの討伐のことらしかった。
 討伐の話には、今はまだボクはほとんど加われない。討伐隊の中でいっしょに戦ってはいるけど、ボクはまだほんの子供で、WPだって十分じゃないから。……だけど。
 ボクはディライ様、あなたの息子なんだよ。いつも言ってるよね。『ディレイはきっと、オレより強くなる』って。
 父親譲りの、そして多分お母さんからも少しはもらってるボクのWP。両親のWPが強いと子供も強くなるんだよね? だったらボクは、お父さんよりも強くなれるんだよね?
 強くなってやる。
 セクトさんもあなたも越えるぐらい、強くなってやる。誰にももう『あのディライの息子だからだ』なんて言わせないぐらいに。
 その時こそボクはあなたを見下して、
 セクトさんを
「ディレイ、そろそろ帰るか?」
 突然言われて、ボクの笑いは凍った。
 ボクからは見上げるような長身に見える、セクトさんよりも頭半分高い、よくきたえられたたくましい体格の黒髪の男。その人がボクをまっすぐ見ていた。ボクそっくりの顔に、今はなんだか大人っぽい雰囲気をただよわせて。
「そうだな、もう子供は寝る時間だろう。オレも戻る。また明日は朝からトレーニングだしな」
 お父さんの顔付きの変化に気付かない様子で、セクトさんがボクを見て言った。
「それじゃセクト、フェルミナによろしくな」
「……なんでオレがあいつによろしくするんだ」
「トレーニングって、あいつんちでやるんだろ? 朝からやる時はいつもお前フェルミナんちに泊まるじゃねェか」
「あいつの家じゃない。敷地内だが、オレが泊まるのは討伐隊の宿舎だ」
 フェルミナさんの家は、一言で言うとめちゃくちゃ広い。その上に冗談みたいなお金持ちで、ボクら討伐隊が出来た頃からいろんな援助をしてくれている。
 その一つに、広い敷地の中に建てられた討伐隊の宿舎とトレーニング用の施設がある。家族と家があるお父さんやボク以外の討伐隊のメンバーは、大体そこで生活をしている。集団生活が苦手で家主のフェルミナさんともよくケンカするセクトさんは、こういう風に用事がある時しか使わないみたいだけど。
「どっちだっていいよ、どうせ会うだろ? サリが買い物行きたがってっから、オレらもその内またそっち行くって言っといてくれ」
「……会ったらな」
 しぶしぶ、という感じでうなずいたセクトさんの体がWPに包まれる。音もなくその体が宙に浮き上がり、ちょうどお父さんを見下ろす位置で止まった。
 ホタルの光を映して青く揺れる灰色の瞳。それがにらむように強くお父さんを、お父さんだけを見ているのが分かる。
「来るならオレと手合わせをしろ。今度こそ貴様から一本取ってやる」
「分かった」
 多分また、お父さんはお得意の笑顔を見せたんだろう。それきりセクトさんは振り返らず、ホタルの光の中から星の光の中へと姿を消した。
「オレたちも帰ろうぜディレイ。またサリに怒られちまう」
「はい」
 見えなくなるまでセクトさんを見送った後、お父さんの言葉にうなずいたボクは歩き出したその人の後ろに続いた。
「ホタル、ホントにキレイだな」
「そうですね」
「今度またサリも、いやみんな連れて来ようかなぁ。イーゼルなんかが絵ぇ描きたいとか言うかもな」
「そうですね」
 あちらこちらと顔を向けてはしゃべるお父さんに淡々と答えながら、ボクはぬれた草を払ってゆっくり歩く。と、ボクとお父さんの前に、不意に小さな青い光が割り込んできた。
 ボクは素早く手を伸ばしてその光をつかんだ。てのひらの中で虫の足がばたばたともがくのと、温度のない冷たい青い光が感じられた。とがった足の先が肌に食い込むのが、痛みよりも何だか気持ち悪くて嫌な感じがした。
 きれいなきれいな光なら、遠くからただ見ているだけの方がいいのかもしれない。近付いて触りたくても、我慢した方がいいのかもしれない。
 ひっかかれるかもしれないから。好きなものにひっかかれるのは、そうじゃないものにひっかかれるより何倍も痛いから。
「どうした? ディレイ」
「……何でもないです」
 振り向きかけたお父さんの眼から青い光のにじむ拳を隠し、ボクは何気なくそう答えた。
「そっか」
 言って家の方を向いたお父さんの、頭めがけてボクは光をつかんだ腕をつき出した。
 WPは普通、手から出す。飛ぶ時は全身から出してるんだから理論的にはどこからでも出せるはずなんだけど、手から出すのが一番やりやすいからみんなそうする。
 この位置、角度、今この瞬間。
 ボクが全力を出せば。
 あなたを殺せるよ。お父さん。
 でもそうしない。だからね。
 一度だけ強く握って開いたてのひらから、ばらばらの小さなかけらが湿った土の上に落ちていく。まだ青く光ってる部分だけ分かったけど、後はどこがどこなのか全然分からなかった。
 明日になって探しても、もうこの光は消えてるんだろう。
 だったらボクは目の前に突然やってきた青い光の、にじむような淡い輝きだけ覚えていればいい。そう思った。


 汚れた手を払いながらボクは黙ってお父さんの後について歩いた。家の前まで来て、ドアを開けたお父さんがふっとボクを振り返った。
「好きなもんは守るんだよ」
 その顔は。
 のんきでおおらかでいつも笑っている、普段のお父さんとどこか違って見えて。
「おやすみな、ディレイ。早く寝ろよ」
 そう言ってひらっと手を振り、自分の部屋に戻っていくお父さんを見つめてボクは一歩も動けなかった。
 死ぬ直前のホタルの足先の嫌な感じが、汚れを払ったばかりの手の中によみがえってくる。
 くちびるが震えた。
 何だよ。
 何で、そんな風に、なんでも分かったような風に。
 強く強く、ホタルのあがきを握りつぶすように強く、ボクはこぶしを握りしめた。
 負けるもんか。
 ボクはあんたのコピーじゃ終わらない。
 絶対に、絶対に、負けるもんか。
 思えば思うほど、さっきのお父さんの顔が眼の奥にちらついたけれど、ボクはかたくなにその言葉を繰り返していた。



〈終わり〉


本編情報
作品名 希望回復作戦
作者名 小野上明夜
掲載サイト 明月館
注意事項 年齢制限なし / やや女性向き / 暴力表現あり / 連載中
紹介 異世界の『地球』を舞台にした異能力バトルもの。本編は「光の毒」の約十八年後、魔王が倒されディライもセクトも死亡した後の話です。主人公は成人したディレイで、新たな魔王の脅威に対抗するため彼の元に一人の少年が協力を求めて来るところから始まります。

この話は全年齢対象ですがサイトは一部女性向け十八禁、裏にはこの話の女性向け十八禁もありますのでご注意下さい。
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